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2016/09/22

佐渡怪談藻鹽草 高下村次郎右衞門狸を捕へし事

    高下村次郎右衞門狸を捕へし事

 

 高下村の百姓、次郎右衞門と言もの有(あり)。或時相川へ内用事の有(あり)て出しが、用濟(すみ)て歸るに、途中より日暮(くれ)て、石花村を過(すぎ)、後尾村、影の神の磯なる濱邊を通りしが、薄月夜の事なるに、先へ女の壱人(ひとり)行けるを近寄(より)て見れば、小野見(おのみ)村のものなり。兼て見知りたる事なれば、疑(うたがひ)にあらねど、相川にて正敷(ただしく)見て來りと、

「譬(たとへ)、親里へ行く迚(とて)も、先へ行拔(ゆきぬく)べき筈なし」

と思ひしが、さあらぬ體にて、

「是が扨(さて)、小野見へこざるか」

といへば、成程

「小野見へ參ります」

と答ふ。

「扨も、能(よき)連(つれ)なり」

といへば、女言やふ、

「夜道にて、心細く思ひしが、御目に懸りて、心つよくなり候。御苦勞ながら、御連(おつれ)に被成下候得(くだされさふらへ)」

と、懇(ねんごろ)に賴みければ、

「いざ先立て、參られ候へ」

とて、先へ立せけるに、道十丁も行て、殊の外疲れたる體(てい)にて、歩行叶(かなひ)がたき樣なれば、

「如何せられ候哉。いと道の遲き」

といへば、

「されば、私は久敷(ひさしく)煩ひ侍りて、此程少し快よく候儀、里へ心さし出で候へ共、いかふ草臥(ふし)て、最早一足もすゝみ難(がた)く覺え候、先へ御越候得(おこしさふらへ)。私は御跡より、そろそろと參り、若(もし)やおくれ候はゞ、入川、千本のかたにて、何方にても泊り、明日參るべし」

といふ。次郎右衞門聞(きゝ)て、

「然らば、某(それがし)に負(おは)れ給へ」

といふ。女聞て、

「近頃、御嬉敷候得共(おんうれしくさうらへども)、餘り慮外に候へば、決(けつし)て御無用に被成下侯候得(くだされさふらへ)」

といへ共、次郎右衞門聞入ず、背負てゆく。猶、腰繩を出(いだ)して、しかと結び付れば、

「是は、何を仕給ふぞ」

といふ。

「是は、夜道といひ、某(それがし)宅へも今少しにして、もし落(おと)し、怪我抔(など)ありては、如何故(いかんゆえ)、念の爲にて候」

といふ。

「さらば、最早おろし給へ。ひらに」

といへ共、

「何か苦しからん。先(まづ)某(それがし)方へ伴ひ、湯茶にても參らせ、直(たゞち)に小野見へ送り可申(まうすべし)」

とて、負行(おひゆき)、我宿に至る。宿にては

「夜も更(ふけ)たり。相川に泊りたらん」

と、燈もしめし、門の戸しめ置(おき)しに、次郎右衞門聲して、

「門を明(あけ)よ。燈を燈(とも)せよ。御客のあるに」

といへ共、女房子共あわてゝ、燈とぼし、戸を明て、

「御客とは、相川より、何人を伴ひ給ふぞ」

次郎右衞門、女壱人負たり。樣子をしらねば、家内かたづを呑(のみ)て、見居たり。次郎右衞門いふ、

「先御客を火にあてん。裏に有松葉(まつばあり)、持てこよ」

といふ。頓(やが)て、持て參りければ、多く燒(やか)せて、扨、裏表の戸窓を能(よく)〆(しめ)させて、件(くだん)の女をおろし、

「いざ、火にあたり候得」

迚、頓(やが)て、煙にふすべければ、

「是は、あやまちし給ふな。我をいかに苦しめ給ふぞ」

と、罵りけるにぞ。

「憎し、己は、我を誰とか思ひて、騙かさんとせしぞ、早く尾を出さずんば、此火の中へ打込(うちこ)んで、殘さず燒盡(やきつく)すぞ」

といへば、頓(やが)て尾を出したり。扨こそとて、あぶりければ、大きなる古老の狸に成たり。

「以來、當村のものに、あたり候哉(さふらふや)、否哉(いなや)」

と、したゝめ、

「決(けつし)て當村の人には、あだをなす間敷(まじく)」

といらひ、詫(わび)ければ、

「さらば赦(ゆるす)ぞ。重(かさね)て、右の振𢌞(ふるまひ)などあらば、尋(たづぬ)る事なしに、焚火へ打込んで、燒果(やきはた)すぞ」

と言へば、首をたれて、飛行(とびゆき)ぬ。

「此次郎右衞門は、隨分したゝか成(なる)男なり」

と、或人の語られし。此人も、高下浦勤(つとめ)たりし仁なり。

 

[やぶちゃん注:「高下」以下三ヶ所とも底本では「下」の右に『(千カ)』という推定編者注が附されてある。この「高千」佐渡市高千(たかち)・外海府地区が現存する。ここは佐渡島の北部(大佐渡)の外海府海岸にあり、昭和三一(一九五六)年九月三十日に佐渡郡相川町に合併するまでは高千村・外海府村として存在した。しかし、現在の高千地区は南から、「南片辺(みなみかたべ)」・「北片辺(きたかたべ)」・「石花(いしげ)」「後尾(うしろ)」・「北川内(きたかわち)」・「北立島(きたたつしま)」・「入川(にゅうがわ)」「千本(せんぼ)」「高下(こうげ)」・「北田野浦(きたたのうら)」・「小野見(おのみ)」・「石名(いしな)」の全部で十二の集落から成り立っており、ここには「高下(こうげ)」という地名もある。底本編者は何故、ここではなく広域の「高千」を選んだものか? 以上は「佐渡市立高千中学校」公式サイト内のHPを参照させて戴いたが、まさに下線太字の地名が本篇には出てきている「高下(こうげ)」ではいけない理由が私にはよくわらない。識者の御教授を乞うものである。或いは最後に「高下浦勤」とあるから、旧「高下(こうげ)」部落は海に面していない内陸であるのかも知れぬ。それなら腑に落ちる(旧集落の位置までは調べ得なかった)。なお、相川からは海岸線を辿ると、相川から現在の地区境界の南の端まででも二十二キロメートルはある

「内用事」ごくプライベートな内々の用事。

「影の神」大佐渡の海府南部にある岩礁性海岸に突き出た巨大な岩塊(歩いて渡れる)。金北山の祠の影がここに映ることに由来するという。「佐渡ジオパーク推進協議会」公式サイト内のこちらで写真が見られる。

「相川にて正敷(ただしく)見て來り」今日の昼間に相川の町中で確かに見かけた。

「十丁」約一キロ強。

「里へ心さし」実家へと挨拶に行かんと思い立って。

「いかふ草臥(ふし)て」「嚴(いか)う草臥(くさぶ)して」の歴史的仮名遣の誤り。「いかう」は形容詞「いかし」の連用形「いかく」のウ音便で、「はなはだ・ひどく」の意、後の「くさぶして」は「くたぶれし」で「草臥(くたび)れた・疲れた」の意である。

「慮外」思いがけなくも有り難いこと(この義も「慮外」にはある)乍ら、それは如何にも貴方さまにはぶしつけ・無遠慮。無作法に過ぎること(なれば)、というのである。

「といへ共」「共」はママ。「といへば」とあるべきところ。

「騙かさん」「たぶらかさん」。

「あたり」接触して探りを入れ(ひいては誑(たぶら)かそうと画策し)。]

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