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2016/09/16

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附原文 附やぶちゃん注(14) 組合の祭祀(Ⅰ)

 

  組合の祭祀

 

[やぶちゃん注:原典章題は“THE COMMUNAL CULT”、平井呈一氏の「日本 一つの試論」(一九七六年恒文社刊)では「地域社会の祭」となっている。平井氏の方が腑に落ちる。本文中の「組合」は脳内で「地域社会」と読み換えて読み進めた方が躓かない。実際、形式段落六段目で戸川も気になったのであろう、「組合(社會)」という訳注風の訳し方をしている。]

 

 一家の宗教に依つて、各個人の家庭生活の一々の一行動が支配されて居たやうに、村或は一地方の宗教に依つて、家族の外界に對するあらゆる關係が支配されて居た。家庭の宗教と同樣、組介の宗教も祖先崇拜であつた。一家の神壇が家族に對して代表して居た處のものは、則ち神道の教區の社が、組合に對して代表して居た處のものであつた、その守護の神として禮拜されて居たものは、氏の神則ち氏神と呼ばれて居たが、この言葉はもと一族の名と共に族長的家族則ち gens を示すものであつた。

 

 氏神と組合との本來の關係に就いての問題に關して、多少不明な點がある。平田(篤胤)の言ふ處に依ると、氏の神は、氏族なる一族(クラン・フアミリイ)に共通した祖先で――第一の族長の靈であつたと、蓋しこの意見は(種々の例外はあるとして)殆ど確に其當を得たものである。併しながら『一族の子供』則ち氏子なるものは、(神道に屬する教區の民は今でもさう呼ばれて居る)最初はただ氏族の祖先から出た子孫をのみ包有して居たのか、或は又その氏が支配して居た地方の住民全部を包有して居たのか、それは容易に決定しがたい。現時に於ては、日本の各地方の守護の神が、その住民共通の祖先を代表して居るとは決して言へない、――もつとも遠隔の或る地方に於ては、この一般的規則に對して 例外はありうるとしても、恐らくは、最初氏の神なるものは、共通の組祖先の靈として、といふよりも、古いその地方の統治者の靈、若しくは統治して居た家族の守護神として、地方の人民に依つて禮拜されたといふのが眞實らしい。日本人の大部分は、有史以前の時代から、奴隷的服役の狀態にあり、比較的近時に至るまで、その狀態にとどまつて居たといふ事は、可なり十分に證明されて居たのであつた。果たしてさうとすれば、その從屬して居た階級は、最初は自分等自身の祭祀をもつては居なかつたとも言ひうる、則ちそれ等のものの宗教は、多分は主人の宗教であつたであらう。又後代になつて、家臣は確に主君の祭祀に加はつて居た。併しながら本に於ける組合の祭祀の最初の狀態に關して、總括的の記述を試みる事は、今目の處ではまだ困難である、何となれば日本國民の歷史は、只だ一個の血統をもつた單純な人民の歷史ではなくて、起原を異にし徐に一つの大なる族長的社會を形成するやうにまとめられた澤山の氏族の群の歷史であるからである。

[やぶちゃん注:「徐」「おもむろ」。]

 

 併しながら最も信賴すべき日本の典據に依つて考へるに、氏神は氏族の神であり、又必らずしもさうと極まつたわけではないが、通例氏族の祖先として祭られて居たと言つて差支ない。氏神の内には有史時代に出來たものもある。たとへば軍神八幡――この神を祭つた教區の社は殆どすべての大きな都にある――は應仁天皇を祭つたもので、有名な源氏族の守護神である。これは氏神の内でも、その氏族の神が、祖先でない一例である。併し多くの場合に於て、氏神は實際氏の祖先である、それは春日大明神の場合のやうなもので、藤原家(氏族)は、この神からその血統を引いて居る。有史時代の始まり以後、古い日本にはすべてで大小千百八十二の氏族があつで、それ等が同數の祭祀をもつて居たらしい。さう有りさうな事であるが、今日氏神と呼ばれて居る神社は――則ち一般の神道の神社であるが――必らず一種特別な神を祭つたもので、決して他の神々を祭つたものではない。また大きな町には、同じ幾個かの氏神を祭つた神道の社が、幾個もある事は注意すべき點である――これは組合の祭が、その本來の土地から、他に移つて行つた事を證明するものである。それ故出雲の春日樣の禮拜者も、大阪、京都、東京に、その自家の守護神を祭つた教區の社をもちうるのである。また九州の八幡樣の禮拜者も、肥後或は豐後に於けると同樣、武藏に於ても同じ神樣の守護の下にありうるのである。なほ今一つ注意すべき事實は氏神の社が、必らずしも教區に於ける一番重要な神道の社ではないといふ事である、氏神は教區の社で、組合の禮拜には大事なものであるが、併しそれは近所にある、より高い神道の神々を祭つた社に依つて負かされ、蔽はれて影にされる事もある。たとへば出雲の杵築に於ける出雲の大社は、氏神ではない――教區の社ではない、その一地方の祭祀は、遙かに小さい社で行はれて居る、……より高い祭祀については、いづれ今後なほ語る事とするが、今は只だ組合の生活に關係ある、組合の祭祀に就いてのみ語る事にする。今日の氏神禮拜に依つて表はされた社會狀態から、過去に於けるその影響に就いて多くの事が推測されうる次第である。

 

 殆ど日本の村といふ村には氏神がある、大きな町若しくは都を中心とした各地方にもその氏神がある。この守護神の禮拜は教區の民――氏子則ち守護神の子供全部に依つて守られて居る。かくの如き教區の社には、みなその祭りの日があつて、その日にはすべての氏子は、社へ來る事になつて居り、事實家々は少くとも一人の代表を氏神に送るのである。祭りには大祭の日と普通の祭の日とがあり、行列、音樂、舞踊、その他人々を慰め、その日を面白くさせうるいろいろの事が行はれる。近隣の地方の人々は互に競爭してその社の祭を樂しくし、家々はその分に應じて寄金をする。

 神道の社は、一つの團體としての組合の生活に密接な關係を有すると共に、各氏子の個人的生活にも重要な關係をもつて居る。男でも、女でも、生まれた孩兒は、氏神の許へ伴なはれて行く、――(男の子ならば生後三十一日を過ぎ、女の子ならば同じく三十三日を過ぎて)そしてその神の保護の下に置かれる、その神の靈前に出たと假定して、孩兒の名も登錄されるのである。その後も子供は時を定めて、特別な聖日に神社に伴なはれて行く、勿論大祭の日には伴なはれて行くので、その日には、假りの小屋がけで賣る玩具、社の境内にある面白い見世物、――色のついた砂でもつて鋪石の上に畫を描く藝人や――飴でこね上げで拵へた動物や、怪物をつくる菓子賣りや、――その技術を示す手品師や輕業師に依つて、年の行かないものの心を樂ますのである。……それから後子供が大きくなつて、走りまはる事が出來るやうになると、社の庭やその森が遊び場になる。學校生活も、氏子と氏神とを離しはしない、(その家族が永久にその地方を去るのでなければ)神社への參詣は、なほ義務としてつづけられる。成長して結婚しても、氏子は妻なり、また夫なりに伴はれ、規則正しく保護の神に參詣し、神に忠順なるやうに自分の子供をつれて行く。若し長い旅行をするとか、或は永久にその地方を去らなければならない場合には、氏子は氏神竝びに家族の祖先の墓に訣別の參詣をする、そして永く留守にした後、故郷に歸つて來た時、その最初に行く處は神樣の許である。……私は嘗て一度ならず田舍の寂しい社の前で、祈禱をして居る兵士を見て、甚だしく感動された、――それは朝鮮、支那、臺灣から歸つて來たばかりの兵士である、家に歸つてからの彼等の最初の考は、自分の子供の時の神に感謝をのべる事であつた、彼等の信ずる處に依ると、その神は戰時竝びに惡疫の流行に際して、彼等に保護を與へたといふのである。

[やぶちゃん注:私の日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 35 砂絵師の文章やモースの絵、私の注を参照されたい。モースのその実見は明治一〇(一九七七)年のことである。

「樂ます」「たのします」。]

 

 舊日本の地方の風習と法律に就いての權威者なるジョン・ヘンリ・ヰグモアは恁う言つて居る、神道の祭祀は地方の行政とはあまり關係がないと。氏の説に依ると、氏神は上古の或る高貴な家族の祖先を、神として祭つたものであり、その社は引きつづいてその家族を守護して居たものであるといふのである。神道の祭司(僧侶)則ち神主(god-master)の役は、父子相傳のものであつたし、今日でも左樣である、そして規則として神主の血統は、その氏神を本來守護神として居た一族から下つて來て居るのである。併し神道の神官(神主)は、多少の例外もありはするが、役人でもなく行政官でもなかつた、かくの如きは『祭祀そのものの内に、行政的の組織のなかつた事に歸せられ』うるものであると、ヰグモア教授は考へて居る。この説明は當を得たものであらう。併し神官は政治上の機能を働かせなかつたといふ事實のあるにも拘らず、私は神道の神官が法律以上に權力をもつて居たし、また今でももつて居るといふ事が説明されうると信じて居る。その組合(社會)に對する關係は非常に重要なもので、彼等の權威は只だ宗教的に限られて居たが、その權力は重くまた抵抗すべからざるものであつた。

 

    註 神道の族長制度の曖昧な事は、ス
    ペンサア氏の『社會學原理』第三巻第
    八章に於て恐らく尤もよく説明されて
    居る。スペンサア氏はこれと同じ條下
    に於て、古代の日本に於ては『宗教と
    政府とが同一のものであつた』といふ
    事實をのべて居る。さうなると特殊の
    神道の政教刻度は發展しなかつたので
    ある。

[やぶちゃん注:「ジョン・ヘンリ・ヰグモア」アメリカの法学者で証拠法の専門家であったジョン・ヘンリー・ウィグモア(John Henry Wigmore 一八六三年~一九四三年)。ウィキの「ジョン・ヘンリー・ウィグモアによれば、『カリフォルニア州サンフランシスコ出身。ハーバード大学で学び』、『ボストンで二年間弁護士として働いた後、慶應義塾大学でアメリカ法の教授として大学部法律科の開設に尽力した。慶應義塾大学では比較法や日本法を、特に江戸時代の法を研究しその成果を著わした』。その後、一八九三年に『ノースウェスタン大学法学部に招聘され』、一九〇一年から一九二九年にかけて同大学法学部長を務めた。『他に、アメリカ大学教授協会二代目会長、米国法曹協会の有力会員、同協会国際比較法部会の初代座長等も務め』、一九〇九年には『刑法学および犯罪学に関する国内会議を組織し、アメリカ刑法学犯罪学会を立ち上げ』ている。『その他、ノースウェスタン大学の航空法研究所やシカゴの科学捜査研究所の設立に』も参画している。一九〇四年に彼はA Treatise on the Anglo-American System of Evidence in Trials at Common Law(「アングロ・アメリカに於ける慣習法裁判での証拠の機序に関する論文」(邦訳は私))を著しているが、『この研究は、証拠法の進展について広範に扱うもので、一般に「ウィグモアの証拠法」として知られている。このウィグモアの証拠法は、今なおコロンビア特別区連邦地方裁判所を含むアメリカの多く裁判所で採用されている上に、日本の刑事手続にも影響を及ぼし』たものである、とある。

「『祭祀そのものの内に、行政的の組織のなかつた事に歸せられ』うるものであると、ヰグモア教授は考へて居る」引用元不詳。ウィグモアの書いたものではMaterials for the Study of Private Law in Old Japan(「旧日本に於ける私法研究のための資料」 一八九三年)が知られるが、原文中にはこの文字列は現れない。]

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