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2016/09/10

北條九代記 卷第九 奉行頭人政道嚴制 付 北條重時卒去

      ○奉行頭人政道嚴制  北條重時卒去

此比奉行、頭人、評定あり。京都上下夫錢(ぶせん)、大番(おほばん)、諸役(しよやく)の定(さだめ、其沙汰を行はる。「海道の驛馬、御物送(おんものおくり)の人夫、毎度、定の外を召使ふ事、土民旅客(りよかく)の憂(うれへ)あり。宿々早馬の用意、二疋を定置(さだめおか)るゝ所に、四五疋も取る事は、役所々々の煩(わすらひ)、少(すくな)からず。向後に於いては定の外を取るべからず。京都上下の送物は、其多少に隨ひて、人夫の數を定むべし。夫役(ぶやく)の者、路次(ろじ)にて狼藉(らうぜき)すべからず。次に又、關東御分の神社、佛閣興行あるべし。祭の事は豐年にも奢(おご)らず、凶年(きようねん)儉(へら)さずといへり。是(これ)、定(さだま)れる禮典(れいてん)の法なり。近年は神事(じんじ)の躰(てい)、古法(こほふ)に背(そむ)き、過差(くわしや)を好み、世の費(つひえ)を省みず、神慮、更に測難(はかりがた)し、向後、恒例の祭祀、古法を守りて怠るべからず。次に社頭(しやとう)は先規(せんき)に委せ、小破(せうは)の時に修理を加へよ。大破に及びて言上せば、時に隨ひて御沙汰あるべし、近年社司(しやし)の輩(ともがら)、神領(しんりやう)の利潤を貪り、社壇は破壞損倒すれども顧みず、神慮(じんりよ)を恐れず、頗る公儀を忘るゝ者なり、向後、其法に背かば、神職を召放(めしはな)たるべし。次に諸寺の僧徒等、僅(わづか)に勤行修法(ごんぎやうしゆほふ)の名あれども、眞實の信(しん)なし。寺の職を嗣(つが)するに、學道の器量を撰(えら)ばす、愚鈍無智の者を代僧に立てて嚴重の御祈禱を勤めさする事、然るべからず。次に、佛事追善供養の事、其人の分際に應ずべし。其分際に過ぎて、費(つひえ)多く、只、名聞(みやうもん)を以て作善(さぜん)を營む事、却つて罪障を招くに似たり。佛事は其人の分限(ぶんげん)に隨ひ、眞實淸淨(しんじつしやうじやう)の志(こ〻ろざし)を勵(はげま)すべし。他の名聞を思ふべからず」と、是等の條々、嚴制を加へられたり。奉行、頭人、評定衆、少(すこし)も私(わたくし)あるべからざるの趣(おもむき)、連署(れんじよ)の起請文(きしやうもん)を召され、上下相通じて怨(うらみ)なく、只、大平の和(くわ)を布(し)かばや、と政道を大事に掛け給ふ所に、弘長元年十一月に、前(さきの)陸奧守入道北條重時、卒去あり。今年六十四歳。極樂寺と號す。是は義時の三男として、この子孫を赤橋と稱す。去ぬる康元元年三月に、重時執權の職を辭して、舍弟北條政村、其(その)代(かはり)となり。時賴と連判し、天下の政治を行はる。時願、又、入道して、猶、政道を口入(こうじふ)せられしかども、奉行、頭人、評定衆の中に、奸曲(かんきよく)の絶えざる事を歎き倦(うん)じ、竊(ひそか)に諸國を抖藪(とそう)して、世の非道を窺ひ三ヶ年の旅客(りよかく)を經て、鎌倉に歸り給ふ。貴賤上下、悦合(よろこびあ)ひける事、稚子(ちし)の母に逢ふが如し。誠に政德直(すなほ)にして、諸人深く辱(はぢ)を思ひ、淳和(じゆんくわ)に歸(き)しけるこそ有難けれ。

 

[やぶちゃん注:「吾妻鏡」巻五十の弘長元(一二六一)年二月二十五日・二十九日及び十一月三日の記事などに基づく。

「此比」「このころ」。弘長元(一二六一)年二月。

「頭人」「とうにん」。評定衆を補佐して訴訟・庶務を取り扱った引付衆の長官。

「京都上下夫錢(ぶせん)」公務で上洛・下向する際の人夫等に関わる全般(員数・附加給金・諸経費・諸雑費等々)。

「大番(おほばん)」京都守護役のことだが、これは江戸時代の呼称で、鎌倉時代にはない言葉である。当時は当初、京都守護が置かれ、その初就任は頼朝上洛時の北条時政で、京都の御家人を統率し、洛中警護及び科人(とがにん)の裁判を行って、朝廷・幕府間の連絡の任に当たったが、承久の乱後は六波羅探題が設置されたことで消滅している。乱直後の六波羅探題には北条時房と泰時を常駐として幕府の恒常的出張機関と位置づけ、公家方の行動を監視、洛中警固以外にそれまでとかく疎かになりがちであった西国御家人の統制を任務とした。以後、北条一族中の有力者が二名(時に一名で)が交代で任命され、それぞれ「北方」「南方」と呼ばれた。ここは、六波羅探題勤務を命ぜられた中堅幹部以下の実務員に関わる諸細則。以上の二件を特に挙げて以下に「諸役の定」の「沙汰を行」ったとするからには(「吾妻鏡」の記載もそのような傾向性を強く持っている)、永く公人の上洛・下向、六波羅探題関係の諸派遣人員に関わる部分で経費の異様な水増しや奢侈行為が行われていたことを暗示している。

「定の外」規定以上の員数。

「土民旅客(りよかく)」東海道沿道の土地の民草や外の旅人。

「憂(うれへ)」障碍・損害・不自由。

「早馬」公務の「早打ち」(馬を走らせて急用を伝えること。単に「早」とも呼ぶ)の使者が乗り次ぐために宿駅に用意されていた駿馬(しゅんめ)。

「取る事」要求して実際に使うこと。

「役所」各宿駅に配した地方役人。

「其多少に隨ひて、人夫の數を定むべし」荷の個数・単位重量に応じて人夫(にんぷ)の使用員数を厳密に定めておくのがよい。

「夫役(ぶやく)」「賦役」とも書き、「ぶえき」「ふやく」とも読む。広義には人身に課税することを指すが、特に労働課役、ここでは中世の各種の運搬に従事した一般の人夫を指す。

「關東御分の神社、佛閣」西日本から関東に「御分」(「ごぶん」と読むか)、即ち、分祀(ぶんし)した神社仏閣。

「興行」諸行事の内、大々的な神祭や法会(ほうえ)・供養。

「儉(へら)さず」倹約しない。

「過差(くわしや)」奢侈豪奢(しゃしごうしゃ)。

「世の費(つひえ)」そのために近郷近在の民草が経済的肉体的に疲弊すること。

「神慮、更に測難(はかりがた)し」このような為体(ていたらく)では、神仏がどうお考えになるか(神仏の罰が下ることを担保して脅迫している謂い方である)、とてものこと、測りがたく、すこぶる心配である。

「社頭(しやとう)」神社仏閣の建物。神仏習合なので、基本、社寺をわけることは無意味である。以下で、「次に諸寺の僧徒」とするが、これは謂わば、神職(神人(じにん)などの下級連中も含む)及び僧徒に個別にダブって警告・禁止をかけているに過ぎない。

「先規(せんき)」これまでの既定の規則。

「大破に及びて言上せば」「言上」は「ごんじやう」。大きな損壊が生じた場合には規定に従って速やかに報告したならば。

「時に隨ひて」その損壊状況及びその折りの幕府寺社方の歳入状況に応じて。

「社司(しやし)」広く社寺に勤務する者を指す。

「神領(しんりやう)」社領・寺領。

「社壇」神社仏閣の殿宇・堂宇などの主要実施設。

「公儀」幕府(の寺社管理義務に関わる通達)。

「召放(めしはな)たるべし」必ずや、解任・追放するであろう。

「僅(わづか)に勤行修法(ごんぎやうしゆほふ)の名あれども」見かけ上は、辛うじて勤行や修法(ずほう)をなしているかのように見せかけているけれども。

「眞實の信(しん)なし」真実の仏法への信心、これ、一かけらも持っていない。強烈な断じ方である。

「嚴重の御祈禱」凡百の僧にはとても行えない、非常に重大な法会や供養の際の大切難事の祈禱修法を指す。

「然るべからず」決してあってはならない。

「分際」「ぶんざい」。各人の身分地位に応じた程度や、その当時の事実状態。後の「分限」も同じ。

「名聞(みやうもん)」巷(ちまた)の評価・評判。世間体(てい)。

「作善(さぜん)」ここは仏事の意。

「嚴制」(これらの規定を破った者に加えられた)厳しい制裁。

「弘長元年十一月」三日。

「前(さきの)陸奧守入道北條重時」(建久九(一一九八)年~弘長元(一二六一)年)は第二代執権北条義時三男で第三代執権泰時は異母兄。六波羅探題北方や鎌倉幕府連署などの幕府要職を歴任した。

「極樂寺と號す」鎌倉市極楽寺にある真言律宗霊鷲山(りょうじゅさん)感応院極楽律寺、通称、極楽寺は、北条重時を開基として正元元(一二五九)年に創建されたとされ(創建は必ずしも明確でない)、重時の墓もここにある。本寺は、かの忍性を実質的な開山とするが、重時は盛んに忍性を招き、極楽寺の創建のための地相を見て貰ったりしているが(正元元(一二五九)年)、忍性の極楽寺への入寺(それ以前、重時の没年辺りに鎌倉に来て、活発な活動はしていた)は重時没後六年後の文永四(一二六七)年のことである(重時の嫡男長時の懇請)。

「この子孫を赤橋と稱す」北条重時の嫡男で第六代執権(在職:康元元(一二五六)年~文永元(一二六四年)であった北条長時(寛喜二(一二三〇)年~文永元(一二六四)年)は北条氏極楽寺流嫡家赤橋流の祖となった(「赤橋」姓は彼の屋敷が赤橋(現在の鶴岡八幡宮の太鼓橋)附近にあったことに由来するとされる)。第十六代にして最後の執権であった悲劇の武士北条(赤橋)守時は彼の曾孫である。

「康元元年」一二五六年。

「三月」十一日。

「北條政村」前章で既注。

「抖藪(とそう)」既注であるが、再掲しておく。「抖擻」とも書く。梵語“dhūtaの訳で音字は「頭陀」。衣食住に対する欲望を払い除けて身心を清浄に保つこと、また、その修行を指す。

「淳和(じゆんくわ)」天皇の名(但し、あちらは「じゅんな」と読む)以外に、こういう一般名詞の単語はない。ないが、「淳」は「厚い」で「混じり気がない・ありのままで飾りがない・素直」の意、「和」は「互いに相手を大切にして協力し合う関係にあること・調和がとれていること」であるから言わんとする意味(虚飾を排して素直で仲良く心安らかな生活を送ること)は分かる。また、「淳厚・醇厚」(じゅんこう)という語なら存在し、これなら「人情の厚いこと(さま)」をいう名詞或いは形容動詞である。

 

 以下、「吾妻鏡」。弘長元 (一二六一) 年二月二十五日の条。引用の下し文は「吾妻鏡」では全体が一字下げである。文書の間に空行を施した。

 

○原文

廿五日丁巳。海道驛馬御物送夫事。御使上下向。毎度依犯定數。爲土民及旅人愁之由。頻達上聽之間。今日。所被仰六波羅也。其狀云。

 

 早馬事

宿々被定置二疋之處。雖非急事。近年連々下向之輩。或三四疋。或四五疋申載。若張煩役所。於路次致狼藉之由有其聞。尤不便。自今以後。非殊率爾事之外。可任先例之狀。依仰執達如件。

  文應二年二月廿五日      武藏守

                 相摸守

  陸奥左近大夫將監殿

 京下御物送夫事

 

 京下御物送夫。任雜掌申請。無左右依令下知。人夫多々之間。民之煩尤不便。自今以後申請人夫之時。令見知御物多少。定人數可載長帳也。且於私物送夫者。一向可令停止也。兼又夫役。寄事於左右。於路次不可致狼藉之由。可被加下知之狀。依仰執達如件。

  文應二年二月廿五日       武藏守

                  相摸守

  陸奥左近大夫將監殿

○やぶちゃんの書き下し文

廿五日丁巳。海道の驛馬、御物送夫の事、御使の上下向に、毎度、定數を犯すに依つて、土民及び旅人の愁ひたるの由、頻りに上聽に達するの間、今日、六波羅へ仰せらるる所なり。其の狀に云く、

 

  早馬の事

宿々に二疋を定置せらるるの處、急事に非ずと雖も、近年、連々(れんれん)、下向の輩(ともがら)、或ひは、三、四疋、或ひは、四、五、疋、申し載せ、若(も)しくは役所に張煩し、路次(ろし)に於いて狼藉致すの由、其の聞え有り。尤も不便。自今以後、殊なる率爾(そつじ)に非ざる事の外、先例に任すべきの狀、仰せに依つて、執達、件(くだん)のごとし。

  文應二年二月廿五日       武藏守

                  相摸守

  陸奥左近大夫將監殿

 

  京下御物の送夫(おくりぶ)の事

 京下御物の送夫、雜掌の申し請くるに任せて、左右無(さうな)く下知せしむるに依つて、人夫(にんぷ)多々の間、民の煩(わづら)ひ、尤も不便、自今以後、人夫を申し請くるの時、御物の多少を見知(けんち)せしめ、人數を定め、長帳(ちやうちやう)に載すべきなり。且(かつ)は私物の送夫に於いては、一向に停止(ちやうじ)せしむべきなり。兼ねて、又、夫役(ぶやく)の事を左右に寄せ、路次に於いて狼藉致すべからざるの由、下知に加へらるべきの狀、仰せに依つて、執達、件のごとし。

  文應二年二月廿五日       武藏守

                  相摸守

  陸奥左近大夫將監殿

 

・「武藏守」北条長時。

・「相摸守」北条政村。

・「陸奥左近大夫將監」当時の六波羅探題北方の北条義政(北条重時五男)。

 

 続いて弘長元 (一二六一) 年二月二十九日の条。引用の下し文は前と同じ処理をした。一部の衍字と思われる字を排除してある。

 

○原文

廿九日辛酉。天霽。關東御分寺社。殊可興行佛神事之由。日來有其沙汰。今日被始行之。

 

一 諸社神事勤行事

祭豊年不奢。凶年不儉。是禮典之所定也。而近年神事等。或陵夷背古儀。或過差忘世費。神慮難測。人有何益。自今以後。恒例祭祀不致陵夷。臨時禮奠勿令過差【矣】。

一 可修造本社事

有封社者。任代々符。少破之時。且加修理。若及大破言上子細者。隨其左右。可有其沙汰之由。被定置訖。而近年。社司恣貪神領利潤。無顧社壇之破損。匪啻不恐神慮。專可謂忘公平。自今以後。於背此制法輩者。可被改補其職【矣】。

一 可令如法勤行諸堂年中行事等事

右。諸堂之勤。恒例有限。而供僧等纔有勤修之名。更無抽誡信之志。被補其職之跡。雖有法器之淸撰。被補其職之後。多用淺﨟之代官。以尩弱之手代。勤嚴重之御願。太不可然。禁忌再現。所勞之外。用代官事。一切可停止。兼又供料不法。未下相積之由。諸堂有訴訟。云雜掌。云寺務。之知行。有限之役所。何可遁避應輸之濟物哉。而於引付。雖有其沙汰。猶以不事行歟。殊可有嚴重沙汰之由。重面々可被仰引付。此上有不法雜掌者。隨奉行人注申。可被改易其職矣。

一 可令諸堂執務人修造本尊事

 右。准神社修理。可有其沙汰【矣】。

一 佛事間事

 右。堂舍供養之人。報恩追善之家。不測涯分。多費家産事。於供佛施僧。猶成民庶黎元之煩。還可招罪根。更非殖善苗。偏是住名聞之故歟。付冥付顯。其何益。自今以後。修佛事之人。只專淨信。宜停止過差【矣】。

又關東祗候諸人。家屋之營作。出仕之行粧以下事。可令停止過差之由。被定之云々。此外嚴制數ケ條也。後藤壹岐前司基政。小野澤左近大夫入道光蓮等爲奉行。

一放生會棧敷可用儉約事。

一可停止博奕事。

一鎌倉中橋修理幷在家前々可掃治事。

一可禁制弃病者孤子死屍於路邊事。

一念佛者招寄女人以下事。

一僧徒裹頭橫行鎌倉中事【仰保々可禁之】。

一鷹狩神社供祭外可令停止事。

一早馬事。

 有變急之時。爲聞達也。而近代雖非大事。以早速爲其詮。頗爲人馬之煩。然者。自今以後。非殊重事之外。可止急速儀之由。可被仰六波羅【矣】。

一長者事。

 百姓等有其煩。一向被止之處。鎌倉祗候之御家人等。還又可有其愁。自今以後。宛給日食。可召仕之【矣】。

○やぶちゃんの書き下し文

廿九日辛酉。天、霽る。關東御分の寺社、殊に佛神(ぶつじん)の事を興行すべきの由、日來(ひごろ)其の沙汰有り。今日、之れを始行せらる。

 

一 諸社の神事勤行の事

祭は豊年に奢(おご)らず、凶年は儉(うづまやか)にせず。是れ、禮典の定むる所なり。而るに近年の神事等、或いは陵夷(りようい)して古への儀に背き、或ひは過差(くわさ)、世の費(つひえ)を忘る。神慮、測り難し。人、何の益か有らんや。自今以後、恒例の祭祀、陵夷を致さず、臨時の禮奠(れいてん)、過差せしむこと勿れ。

一 本社 修造すべきの事

封有る社は、代々の符(ふ)に任せ、少破の時、且は修理を加へ、若(も)し大破に及ばば、子細を言上せば、其の左右(さう)に隨ひ、其の沙汰、有るべきの由、定め置かれ訖んぬ。而るに近年、社司、恣(ほしいまま)に神領の利潤を貪り、社壇の破損を顧みること無し。啻(ただ)に神慮を恐れざるのみに匪(あら)ず、專ら、公平を忘ると謂ひつべし。自今以後、此の制法を背く輩に於ては、其の職を改補せらるべし。

一 如法勤行(によほふごんぎやう)せしむべき諸堂年中行事等の事

右諸堂の勤め、恒例、限り有り。而るに供僧等、纔(わづ)かに勤修の名有りて、更に誡信を抽(ぬき)んずるの志(こころざし)無し。其の職の跡に補せられ、法器(はふき)の淸撰(せいせん)有ると雖も、其の職に補せらるるの後、多く、淺﨟(せんらふ)の代官を用ひ、尩弱(わうじやく)の手代(てだい)を以つて、嚴重の御願(ぎよぐわん)を勤むること、太(はなは)だ然るべからず。禁忌の再現、所勞の外、代官を用いる事一切停止(ちやうじ)すべし。兼ねては又、供料(くれう)の不法、未だ下さざるもの相ひ積もるの由、諸堂に訴訟有り。雜掌と云ひ、寺務の知行と云ひ、限り有るの役所、何ぞ應(まさ)に輸(いた)すべきの濟物(せいもつ)を遁避(とんぴ)すべけんや。而して引付(ひきつけ)に於いて、其の沙汰有ると雖も、猶ほ以つて事、行かざるか。殊に嚴重の沙汰有るべきの由、重ねて面々に引付に仰せらるべき。此の上、不法の雜掌有らば、奉行人の注し申すに隨ひ、其の職を改易せらるべし。

一 諸堂の執務人をして本尊を修造せしむべき事

右、神社の修理に准(じゆん)じ、其の沙汰、有るべし。

一 佛事の間の事

右、堂舍供養の人、報恩追善の家、涯分(がいぶん)を測らず、多く家産を費(つひや)す事、供佛・施僧に於いては、猶ほ民庶黎元(れいげん)の煩ひを成し、還(かへ)つて罪根を招くべし。更に善苗(ぜんびやう)を殖(う)うるに非ず、偏(ひと)へに是れ、名聞(みやうもん)に住するの故か。冥(みやう)に付き、顯(けん)に付く、其れ、何をか益せんや。自今以後、佛事を修するの人、只(ただ)、淨信を專(もつぱ)らにし、宜(よろ)しく過差(くわさ)を停止すべし。

 

又、關東祗候(しこう)の諸人、家屋の營作、出仕の行粧(ぎやうさう)以下の事、過差を停止せしむべしの由、之れを定めらる、と云々。

此の外、嚴制の數ケ條なり。後藤壹岐前司基政・小野澤左近大夫入道光蓮等、奉行たり。

 

一 放生會の棧敷(さじき)儉約を用ふべき事。

一 博奕(ばくえき)を停止すべき事。

一 鎌倉中の橋の修理幷びに在家の前々掃治(さうぢ)すべき事

一 病者・孤子(みなしご)・死屍(しし)を路邊に弃(す)つるを禁制べき事。

一 念佛者が女人以下を招き寄する事。

一 僧徒が裹頭(くわとう)し鎌倉中を橫行(わうかう)する事【保々(ほほ)に仰せて、之れを禁ずべし。】。

一 鷹狩は神社供祭の外(ほか)停止せしむべき事。

一 早馬の事。

變有り急々の時、聞達(ぶんたつ)せんが爲めなり。而るに近代は、大事に非ずと雖も、早速(さつそく)を以つて其の詮(せん)と爲(な)す。頗る、人馬の煩ひたり。然れば、自今以後、殊なる重事に非ざりの外は、急速の儀を止むべきの由、六波羅に仰せらるべし。

一 長者(ちやうじや)の事。

百姓等、其の煩ひ有り。一向に止めらるるの處、鎌倉祗候の御家人等、還(かへ)つて又、其の愁ひ有るべし。自今以後、日食を宛(あ)て給ひて、之れを召し仕ふべし。

 

・「陵夷」「夷」は平らの意で、「陵」(丘陵)が次第に平らになることから転じて、「物事が次第に衰え廃れること」の意となった。

・「符」「符命」という語があり、これは天皇の目出度いしるしの意であるから、ここは朝廷からの寄進附きの修復命令のことか。

・「淺﨟」は経験が浅いこと。

・「未だ下さざるもの」代金未払いの件。「未下」(みげ)と音読みしているかも知れぬ。ここのとろ、よく意味が分らない。供養法会がお粗末であることから、信徒側が寺への支払いを拒否、寺がそれを訴えているケースが山積しているというのか? 識者の御教授を乞うものである。

・「民庶黎元(れいげん)」「民庶」は庶民で、「黎元」の「黎」は「黒い色」、「元」は「首」の意で、「冠をつけていない黒髪の頭の者」の意(或いは「黎」は「もろもろ」、「元」は「善」で、人は善良であるという考えから)からやはり、庶民の意である。

・「裹頭(くわとう)」頭裹(かしらづつみ)。僧兵が被っているようなタイプの頭巾に見える頭を包むものを言う。頭部を袈裟などの布で包み、目だけを出した明らかに怪しい僧形のこと。真黒な墨染でさえ奇異として鎌倉時代は一般に忌避された時期があった。頼家は墨染の禁止令まで出している。

・「長者」これでは意味が通らない。これは「長夫」の誤字で長距離の旅に使役された人夫を指す。

・「日食」一日分相当の食事を必ず供与することを指す。

 

 最後に弘長元(一二六一)年十一月三日。

 

○原文

三日辛酉。霽。寅一點。入道從四位上行陸奥守平朝臣重時卒【年六十四。于時住極樂寺別業】。自發病之始。抛万事。一心念佛。住正念取終云々。

○やぶちゃんの書き下し文

三日辛酉。霽る。寅の一點、入道從四位上行(ぎやう)陸奥守平朝臣重時卒(しゆつ)す。【年六十四。時に極樂寺の別業(べつぎやう)に住む。】。發病の始めより、万事を抛(なげう)ちて一心に念佛し、正念(しやうねん)に住(じふ)して終りを取る、と云々。

 

・「行」律令制で位に相当していない低い官についている場合に位と官との間に挟み書くもの。

・「寅の一點」午後三時から三時半頃。

 因みに、三日後の条に『六日甲子。霽。寅尅。奥州禪門葬禮云々』とある(「寅の尅」は午後四時頃)。]

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