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2016/09/28

佐渡怪談藻鹽草 髭坊主再生の事

      髭坊主再生の事

 

 享保のはじめ、髭坊主といへる念佛の修行者ありて、相川町々を修行し歩行(ありきゆき)けるが、住居は馬町邊に住けるよし、僧形、甚だ異體にして、髭は五六寸生ひ延び、いつ髮剃を當(あて)しとも見へず。午時一飯にして、菩提殊勝なる道心者と見えたり。八卦をよく考(かんがえ)、生存之(これ)をも敢て違わせず。或人問(とふ)、

「僧は如何して、菩提の道に入しや」

といふ。僧答(こたへ)て、

「志す事の候ひて、小兒より直(ぢか)に僧形にて、今六十歳迄、道心怠らず、念珠致し候」と答(こたふ)。

「去(さる)は何故、一度男にもならず候哉(や)」

と、懇(ねんごろ)に尋(たづね)しかば、僧申(まうし)けるは、

「過(すぎ)しむかしの物語、罪深く候得共、委敷(くはしく)尋(たづね)給へば、語可申(かたりまうすべし)。元某(それがし)は、在所腰細村のものにて、生れし年、父は死して、母親の手にて、姉と某とを育(そだて)しが、二才の年、疱瘡はやりて、某は病症重く病付(つき)て、十日斗(ばかり)にして、身まかりしとぞ。然(しかれ)ども、

『疱瘡子死ぬるは、日を經て、蘇生する事も有(あり)』

とて、三日程は其儘に置(おき)しが、とても蘇生する樣ならねば、檀那寺に葬り、母は哀傷の淚に沈(しづみ)て、物も辨(わきま)へず。姉は十四五才にも成(なり)ぬれば、甲斐甲斐敷(しく)、日每墓所に參りて花を手向けるに、葬りて四五日も過て、墓に詣(まうで)ゝ、花抔(など)さゝげ歸らんとするに、不計(はからず)遠方にて、小兒の泣聲しけるが、

『是は墓より狸抔(など)のかくする』

と心得て、足早に歸りける。其翌日も如此(かくのごとし)。すでに三日迄、泣聲聞えける。よくよく其(その)処を聞(きく)に、墓の中と聞ゆれば、急ぎ帰り、母に告(つげ)、村長にもしかしかと述(のべ)て、扨(さて)檀那寺へ行(ゆき)て語りければ、

『夫(それ)は嘆く心の切なるより、そなたの心のなすわざなり、死(しし)て八九日にもなる小兒の、いかでさる事の侍らん』

と答ければ、

『何卒心まかせに、壱度掘て見たき』

などわりなく望めば、辭しがたく、頓(やが)て、親敷(したしき)人々、塚をあばきて見れば、小兒蘇生して泣(なく)に決しければ、急ぎ取出(とりいで)て生育し、次第に成長して、物聞分(きゝわく)る程に成(なり)しかば、母其事を語りて、

『壱度死して、生(いき)歸りし事なれば、菩提の道に入て、助(たすけ)給ひし佛神に報ひ、且は父母の後世の菩提をも訪へかし』

と、進(すゝめ)られ、有難き事に思ひて、夫(それ)より二つなき道に、入(い)り候ひし」

とぞ語りぬる。

 

[やぶちゃん注:「享保のはじめ」一七一六年から一七三五年。始めであるから、一七二二年ぐらいまでか。

「馬町」相川地区の南の下戸(おりと)地区の北東の一画に相川北町として現存する。

「僧形」「そうぎやう(そうぎょう)」

「五六寸」十五センチから十八センチほど。

「髮剃」「かみそり」と訓じておく。即ち、髪もばっさばさで、のび放題になっているのである。さればこそ「僧形甚だ異常體」なのである。

「午時一飯」「ひるどきいつぱん」。昼間に一度だけ食事をすること。仏教では、僧侶の食事を「斎(とき」と呼ぶが、これは「食すべき時の食事」の意の「とき」であって、古いインド以来の戒律によって現在でも本来、僧侶は午前中に一度食べ、それを「正時」とし、それではもたないので、午後以降の食すべき時でない時刻に食する食事を「非時 (ひじ)」と称したから、この「午時」を広義の昼間の午前中とするなら、この僧は、そうした守れる僧が今も昔も殆んどいない「斎」を正しく守っていたとも考えられるのである。さればこそ筆者も彼を稀にみる「菩提殊勝なる道心者」と見たのである。

「八卦をよく考(かんがえ)、生存之(これ)をも敢て違わせず」「易経」による正統なる易学にも深く通じており、人の生死に関わる占いではまず以って誤った占いをしたことが「今六十歳」これが正確に述べた言とするなら、彼の生年は一六五七年から一六六三年、明暦三年から寛文二・同三年ということになる。

「念珠致し候」数珠(じゅず)を爪繰(つまぐ)りつつ、仏を念ずることを致いて参った。

「男」成人男子としての俗人としての体験。興味本位の謂いではない。彼が「小兒より直(ぢか)に僧形にて」と言ったことを受けて、ちょっと奇異に感じたのである。

と、懇(ねんごろ)に尋(たづね)しかば、僧申(まうし)けるは、

「罪深く候得共」「罪深いことにて御座れども。」。後に語られる埋葬後に墓の中から蘇生した奇談をかく捉えて言っているのである。そうした経験をせねばならぬ業(ごう:前世の悪行の罪としての因果応報)を背負っていると解釈しているのである。これはごく普通の仏教的な考え方であって、特異ではない。

「腰細村」現在の佐渡市赤泊(小佐渡の南東岸のやや南寄り)地区内にかつて腰細村があった。

「心まかせ」心の訴えるままに。

「掘て」「ほりて」。

「わりなく」無理矢理に。はなはだ激しく。

「入て」「いりて」。

「後世」「ごぜ」。

「訪へ」「とむらへ」。「弔ふ」に同じ。

「進(すゝめ)られ」「勸められ」。

「二つなき道」正しき唯一無二の仏法の聖道(しょうどう)。]

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