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2016/09/06

和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 螟蛉(あをむし)

Aomusi


あをむし

螟蛉

ミンリン

 

本綱似蚇蠖而青小至夏俱羽化爲蛾者曰螟蛉

詩小雅云。螟蛉有子果蠃負之者卽是也果蠃乃蠮螉之

名【詳于細腰蜂下】

 

 

あをむし

螟蛉

ミンリン

 

「本綱」、蚇蠖(シヤクカク/しやくとりむし)に似て、青く小。夏に至り、俱に羽化して蛾と爲る者を螟蛉と曰ふ。

「詩」の「小雅」に云ふ、『螟蛉、子、有り、果蠃(から)、之れを負ふ』とは卽ち、是れなり。果蠃は乃ち、「蠮螉(エツヲウ/じがばち)」の名〔たり〕。【細腰蜂の下に詳かなり。】

 

[やぶちゃん注:取り敢えずは「あをむし」という訓から、

蛾や蝶類を含む鱗翅目 Lepidoptera の幼虫の中で、通常、「青虫(あおむし)」と呼称しているところの、長い毛で体を覆われておらず、緑色のもの

の総称と採ってよい。「俱に羽化して蛾と爲る者」という記載を厳密に採るならば、蝶類の青虫は除外されることになるが、そもそもが中国の本草家が、ある青虫がいて、それが蝶のそれか蛾のそれかを形態的に厳密に分類認識して弁別、幼虫の段階から蝶と蛾の「青虫」をはっきりと区別していたとは私には思われない。さらに言えば、以前から何度も言っているように私は鱗翅目 Lepidoptera を「チョウ目」と呼称することに対しては激しい抵抗がある。「蝶蛾目」か、或いはせめて「ガ目」とすべきであるとさえ思っているから、実は私は「羽化して蛾と爲る者」は蝶も蛾も含んでよいと読み換えることを問題としない人種であることだけは述べおきたい。

 さて、しかしこの「螟蛉」という語は厄介である。まず辞書(以下は「大辞泉」の例)を引くと、最初に「青虫」に同じとつつ、二番目には「ジガバチが青虫を養い育てて自分の子とするという故事」に基づき、比喩表現として「養子」のことを指すと出るからである。この「ジガバチ」は狩り蜂として知られる膜翅目細腰(ハチ)亜目アナバチ(又はジガバチ)科ジガバチ亜科ジガバチ族 Ammophilini の類を指す。

 中国語辞書でもこれは同じであるが、「青虫」は辞書によってはもっと限定的であって、「EDR日中対訳辞書」では「青虫」としつつ、それを「小型而綠色的菜粉蝶幼蟲」(簡体字・略字を正字に直した。「小形にして綠色の菜粉蝶の幼蟲」)とする。さてもこの「菜粉蝶幼蟲」とは、

鱗翅目アゲハチョウ上科シロチョウ科シロチョウ亜科シロチョウ族モンシロチョウ属モンシロチョウ Pieris rapae の幼虫

のことなのである。白水社の「中国語辞典」には一番目に「アオムシ」、二番目には『(トックリバチがアオムシの体内に卵を生みつけ,ふ化した幼虫がアオムシをえさにして育つことを古人は誤解して,アオムシがトックリバチをわが子のように養っていると思ったことから)養子』とする。この「トックリバチ」は狩りバチの細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科(以下の分類説は複数ある)ドロバチ科Eumenes属ミカドトックリバチ(或いはトックリバチ)Eumenes mikado で、「大辞泉」のアナバチ(ジガバチ)科ジガバチ亜科ジガバチ族 Ammophilini とは科レベルの上位タクサで異なる(但し、孰れも青虫を幼虫の餌の主対象とし、麻痺状態にして幼虫の生餌する点では同じではある)

 ともかくも私が冒頭で言いたいのは、人間が最上に発達したと考えている知力を以って弁別しようとしても、自然界の神秘は、その網から常にやすやすと抜け落ちて生存を全うしているという厳然たる事実である。

 

・「蚇蠖」昆虫綱鱗翅(チョウ)目シャクガ(尺蛾)上科シャクガ科 Geometridae に属する蛾類の幼虫。前項蚇蠖を参照のこと。

・「詩」「詩経」。

・「螟蛉、子、有り、果蠃(から)、之れを負ふ」前出の蠮螉にも出、注もしたが、改めて新たに注する。これは「詩経」の「小雅」の「小宛」の第三連、

   *

中原有菽

庶民采之

螟蛉有子

蜾蠃負之

敎誨爾子

式穀似之

   *

の一節である。我流に訓読訳をすると、

 

中原 菽(しゆく) 有り

庶民 之れを采(と)る

螟蛉 子 有り

蜾蠃(から) 之れを負ふ

爾(なんぢ)が子を敎誨し

穀(よ)きを式(も)つて之れに似せよ

 

野原に豆(まめ)がある。

庶民は食に当てんとして、これを採る。

青虫と称するところの虫の子がいる。

腰細(こしぼそ)の蜂は、これを背負い奪って、それを我が子と成す。

さても、汝ら、己(おの)が子を教誨し、

この、古えからの民や腰細蜂の善き生き方を以って、これに似せて生きよ。

 

・「蠮螉(エツヲウ/じがばち)」腰細蜂。取り敢えずは細腰(ハチ)亜目アナバチ科ジガバチ亜科ジガバチ族 Ammophilini の類としておくが、『「細腰蜂」の下』、前出の蠮螉の項の私の冒頭注を必ず参照されたい。一筋繩ではいかぬ。]

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