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2016/09/06

国会議事堂   梅崎春生

   国会議事堂

 

 永田町に聳え立つこの巨大な建物に、足を踏み入れるのはこれが初めてだが、率直に言うと、なにかひどく冷たく非人間的な、隔絶した特殊部落とでもいったような印象を受けた。この中で行われていることは、実は私たちの生活にも直結した重大事であるはずなのに、見てまわった分ではよそごとみたいにそらぞらしい雰囲気である。これはつまり私がまだ議事堂に慣れていず、お上りさん的感覚をもってこれに対したせいだろう。

 それにまた、国民を威圧するためにつくられたとしか言えないような、建物や什器の豪華さのせいとも言える。とにかくこの建物はどこか痴呆的で、ばかばかしいところがある。

 豪華だと今書いたけれども、全部が全部そうではなく、たとえば有名な赤い絨毯(じゅうたん)にしても、見る前はどんなにふかふかと柔かいものかと思っていたが、実際はあちこちがすり切れ、染みが出たり破れたり、くたびれたりしている。それを踏んで潤歩するある種の代議士ほどにはお粗末ではないが、大理石などをふんだんに使った建物全体からすれば、やはりお粗末の感はまぬかれ難いようだ。

 私もこの赤い絨毯を踏んで、階段を上り下り、廊下を曲ったりしてあちこち案内されたが、生来の方向感覚の欠如で、まるで迷路をひっぱりまわされたようで、どこがどうなっているのかさっぱり判らない。

 この建物は全く左右が同型にできていて、寸分も違わないとのこと。それがますます方向感覚を狂わせてくるらしい。真二つにたち切って、向って右が参議院、向って左が衆議院。つまり参議院を裏返しにすると衆議院というわけだ。

 その中央が吹きぬけのドームで、高さは百尺余り。広間の四隅に石台があり、板垣退助、大隈重信、伊藤博文の像が立ち、一つの台だけが空いている。ここに立つ適当な人物がまだいないのだろう。上京選挙民をここに案内し、私の像が将来立つ予定であると大見得を切った議員もいた由。

 その広間や全廊下の要所要所に衛視が立っている。いろいろ階級があるらしく、金筋付きが巡視してくると、ぱっと敬礼して「異状なし」というようなことを報告する。軍隊的であり、また事実軍隊出身者が多いという話だ。

 その衛視のいる廊下を右往左往するのは、先ず議員。これはその歩き方などですぐ判る。いかにもおれのうちだというような顔をしている。それから報道関係者、職員。見学者。これもきょろきょろしているからすぐに判る。

 そういう連中の食事は、議員食堂が両院に一つずつ。中央食堂が一つ。職員食堂が一つずつ。この間議員食堂から議員以外のものをしめ出そうという提案が、某社会党議点から出たという。実現には到らなかったが、参議院のそれは中央を衝立(ついたて)で仕切って、片側の方には議員以外は入れない立て前になっている。一々選挙民を議員食堂に案内してては、財布がもたんという理由だろうが、別にまた微妙な気持のあやも感じられる。

 料理の値段は大体市価よりも安く、めしを食うにはめし代十円と、外食券がなければ券代二十円をとられる。券の闇値二十円を黙認しているわけだ。だからといって警察がここを手入れするわけには行かない。警察力はこの建物の中には入れないきめになっているのだ。

 職員食堂の方はたいへん世帯じみていて、陳列だなをのぞくと、焼竹輪(十五円)鯨みそ煮(二十円)などというのもあった。

 衆議院文部委員会をのぞく。教育二法案が上程されているので、傍聴席は日教組で一ぱい。右社の一議員がしきりに文相に食い下るが、文相はぶっきら棒な返事しかしないので、文相は蠟人形のようにつめたい、蛇のようにつめたい、などと詠嘆調に怒鳴り立てる。笑いがあちこちでおこる。しかしこんなことは詠嘆調でやるよりも、論理的に問い詰めてゆく方が効果的であると、ちょっとのぞいてみただけだが私はそう感じた。蛇みたいにつめたいと慨嘆しても、有効な答弁は引き出せまい。

 議長がこもごも質問者や答弁者の名を呼ぶのだが、その口調が「なになにクン」「なになにダイジン」と片仮名の部分をすこしはね上げる。ラジオの国会録音でもよく耳にしたが、実際の発声をきくのはこれが始めてで、よくもまああんな鹿爪らしい表情で、あんな非日本語的発声法が出来るものだと感心した。

 まったくばかばかしい、非人間的な発声法である。この感じはこの建物全体の象徴みたいなものである。

 

[やぶちゃん注:昭和二九(一九五四)年三月二十五日附『東京新聞』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。傍点「ヽ」は太字に代えた。使っている梅崎春生自身にはそのような差別意識はないと思いたいが、「特殊部落」は現行では使用してはならない差別用語であるので批判的に読まれたい

「国会議事堂」現在のそれは昭和一一(一九三六)年に「帝国議会議事堂」として建設されたもの。

「百尺」約三十メートル三十センチ。中央塔の外面の高さは六十五メートル四十五センチでるが、内部は二階から六階までの吹抜で天井までの高さは三十二メートル六十二センチ。「参議院」公式サイトの記載によれば、法隆寺五重塔がちょうど入る高さであるなどと宣うている。まあ、いいさ。この記事の七ヶ月後の十一月三日の文化の日には破壊されてしまうのだからね。

「広間の四隅に石台があり、板垣退助、大隈重信、伊藤博文の像が立ち、一つの台だけが空いている」これは昭和一三(一九三八)年に大日本帝国憲法発布五十年を記念して作られたもの(参議院公式サイトの記載に拠る)。

「文相」当時の文部大臣は第五次吉田内閣の大達茂雄(おおだちしげお 明治二五(一八九二)年~昭和三〇(一九五五)年:文部大臣就任はこの前年の昭和二八(一九五三)年五月二十一日、本記事の凡そ八ヶ月半後の昭和二九(一九五四)年十二月十日の吉田内閣総辞職によって辞職した。参議院議員で自由党)。ウィキの「大達茂雄によれば、『文相在任中には教育方針を巡って教員と父母が保守派と進歩派に割れて対立した京都旭丘中学事件』(京都府京都市北区紫野東蓮台野町に現存する市立中学校で、この前年の四月二十九日からこの年の六月一日にかけて表面化、双方が分裂・対立した事件。具体的経緯はウィキの「京都旭丘中学事件を参照されたい)『では、学校を封鎖した進歩派を「暴力革命」と痛烈に非難、これを契機に日教組の影響力を抑制することに全力を注ぎ、いわゆる』、教育二法(「教育公務員特例法の一部を改正する法律」(昭和二九(一九五四)年六月三日公布)及び「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」(同前)を成立させた、とある。ウィキの「教育二法によれば、教育二法は、『政治色を帯びるデモ行進や集会に公立学校の教育関係職員が参加する事、また生徒学生に参加を呼びかける事を規制し、これに抵触した場合は懲戒処分する旨定めた規定で』、この法制化に『対して日教組は、原案可決を阻止するため、昼休みを返上』、また、『日曜と平日を入れ替えて授業を行い』、『保護者の参観を求める「昼食抜き」「振り替え授業」闘争を行なった』ことにより、『日教組攻撃に対する世論の批判が高まり、政府は刑事罰導入を懲戒処分にとどめるという後退を余儀なくされた』ともある。]

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