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2016/09/22

諸國百物語卷之二 十一 熊野にて百姓わが女ばうを變化にとられし事

     十一 熊野にて百姓わが女ばうを變化にとられし事


Hyakusyounyoubouwo

 熊野のかたはらにすむ百姓、年貢につまりて、妻子をひきつれ、ゆきかたしれず、かけおちしけるが、ほどなく、道にゆきくれ、とある堂のうちに一夜をあかしければ、いづくともしらず、女一人、きたり、

「をのをのは、この所へは、いづかたよりきたり給ふぞ」

と云ふ。百姓も、つれをもとめたる、と、おもひ、うれしくおもひて、

「われは此あたりの者にて候ふが、かやうかやうのやうす候ひて、たちのき候ふ」

といへば、かの女、申すやう、

「しからば、此所にすまい候ひて、このはなどひろいて御たき候へ」

と申せば、百姓、うれしくて、木の葉をひろいにゆきければ、そのあとにて、百姓の女ばうを、かの女、ひつさげてゆく。百姓は、たちかへりてみれば、女ばうは、みへず。山のうへに女ばうのなきさけぶこゑ、きこへけるほどに、さては、へんげの物、さいぜんの女とばけて、わが女ばうをつかみゆきたるとみへたり、と思ひ、こゑをしるべに、かなたこなたとたづねけれども、山ふかくて、たづねあひがたし。とやかくとするあいだに、その夜もほのぼのとあけにける。いよいよこゝかしこ、たづねみければ、二丈ばかりたかき杉の木のえだに女ばうをふたつにひきさき、かけをきたり。百姓、これをみて、なげきかなしめども、かいなし。かゝる所へ、男一人、きたり。

「そのはうは、なにをなげくぞ」

と、とひけるゆへ、くだんのやうすを物がたりしければ、

「扨もふびんのしだひかな。そのはうがさしたる大小を、われにくれ候はゞ、しがいを木よりおろしてとらせん」

と云ふ。百姓、よろこび、刀ばかりをわたし、

「脇指は、なり申さず」

と云ふ。

「さあらば、をろしてとらせん」

とて、木のうへゝつるつると、のぼり、百姓が女ばうを、ひきさきひきさき、くらいつゝ、からからとうちわらひ、

「脇指をくれたらば、なんぢも、かく、せんものを」

と云ふて、こくうにうせて、みへざりける。百姓、あまりのふしぎさに、あたりの人に尋ねければ、

「この堂、女人けつかいの寺なるゆへに、さやうの事も有るべし」

と云ひける。百姓のさしたわきざしは、三條小(でうこ)かぢがうちたる名(めい)の物にてありしと也。

 

[やぶちゃん注:挿絵の右キャプションは「百姓女はうをへんけにとらるゝ事」。

「年貢につまりて、妻子をひきつれ、ゆきかたしれず、かけおちしけるが」逃散(個別事例)である。「ゆきかたしれず」は行く当てもなしに、の意。

「このはなどひろいて御たき候へ」「木の葉など拾ひて御焚き候へ」。歴史的仮名遣は誤り。後の展開といい、「紅葉狩」の如、謡曲っぽいのが、お洒落。

「ひつさげてゆく」「引つ提げて行く」。

「さいぜん」「最前」「先前」。

「つかみゆきたるとみへたり」「摑み行きたると見えたり」。歴史的仮名遣は誤り。

「こゑをしるべに」「聲を標に」。声の聴こえるのを手掛かりとして。

「二丈ばかり」六メートルほど。

「しだひ」「次第」。歴史的仮名遣は誤り。

「つるつると」するすると。滑るように登る、のである。蛇体のそれを感じさせる。

「こくうにうせて」「虛空に失せて」。

「女人けつかい」「女人(によにん)結界」女人禁制。恋情や怨念を持った女の男を追い来たるも結界によって思いを遂げ得ず、遂に怨みより化して、蛇体となって人を喰らう女怪となったとするならば、「つるつると」が腑に落ちるではないか。ロケーションの熊野、蛇体とくれば、道成寺伝説の濫觴との同源を感じさせる。

「三條小(でうこ)かぢ」「三條小鍛冶」。既注であるが、再掲する。平安時代の伝説の刀工三条宗近(生没年未詳)の流れを汲む刀工或いはその工房(古く、製鉄業者を相称して「大鍛冶(おおかじ)」と称したのに対し、特に刀鍛冶のことを限定して「小鍛冶(こかじ)」と呼んだ)。ウィキの「三条宗近」を参考までに引いておく。『山城国京の三条に住んでいたことから、「三条宗近」の呼称がある』。『古来、一条天皇の治世、永延頃』(十世紀末頃)『の刀工と伝える。観智院本銘尽には、「一条院御宇」の項に、「宗近 三条のこかちといふ、後とはのゐんの御つるきうきまるといふ太刀を作、少納言しんせいのこきつねおなし作也(三条の小鍛冶と言う。後鳥羽院の御剣うきまると云う太刀を作り、少納言信西の小狐同じ作なり)」とある』。『日本刀が直刀から反りのある湾刀に変化した時期の代表的名工として知られている。一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたことが謡曲「小鍛冶」に取り上げられているが、作刀にこのころの年紀のあるものは皆無であり、その他の確証もなく、ほとんど伝説的に扱われている。実年代については、資料によって』「十~十一世紀」・「十二世紀」等と幅があるとする。『現存する有銘の作刀は極めて少なく「宗近銘」と「三条銘」とがある。代表作は、「天下五剣」の一つに数えられる、徳川将軍家伝来の国宝「三日月宗近」』である。

「名(めい)の物」三条小鍛冶の銘の入った名刀。]

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