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2016/09/18

佐渡怪談藻鹽草 宿根木村臼負婆々の事

     宿根木(すくねぎ)村臼負婆々(うすおひばゞ)の事

 

 丸田金左衞門(きんざえもん)、宿根木浦目付の時、同所海邊に赫(あかえ)の京といへる處あり。赫の魚多く集りて、

「釣のもの數能(よき)場也」

とて、釣に出る毎に此(この)所へ行(ゆき)ぬ。

 或夏の事なるに、所の者共、一兩人伴ひて、かしこに行、釣竿を下(くだ)しけるに、例の如くひたひたと赫釣上(あげ)けるが、何としてか、一ツもあがらず、不思議に思ふ折から、雨しほしほとふり、風もなく、朦朧(もうろう)たる氣色にて、日はまだ、七ツ下りにもあらんと思ふ頃、釣竿を下げて居たる程、里の海底より、何やらん、白けたる人の形の如きもの、游(およ)ぎて浮み出(うづ)る體(てい)なれば、急ぎ後へ退(しりぞき)て、伴ふものへも、

「あれを見よ」

といへば、右の男共、

「だまつて御覽候へ」

といふやう。其ほとりを游ぎ步き、頓(やが)て、海つらへ出るを見れば、色白けたる極老の姥(うば)、背に何やらん、兩手をまはして、背負ひ、目の内するどに、髮わる白く、萱(かや)を亂したるやうなるが少(すくな)き牙の樣なるもの、口の脇に見えて、いとあやしくいやげなる顏にて、人々をみ𢌞し、扨(さて)、頭よりくゞりて、又海底へ入る。其時も背負しものも、前の如く負ひ行(ゆき)ぬ。足の裏いとゞ白く見えて、沈みぬ。其跡波さわさわと立(たち)て、氣味あしければ、伴ひの者共を引(ひき)誘ひて、歸る道すがら、

「あれは、あやかしとゆふものにか」

と尋(たづね)れば、人々申(まうす)樣、

「あれは臼負婆々と呼(よび)習わして、二年三年、四五年にも、一度程出(いづ)る物にて候、當所にて見るもの多く候間(あひだ)、あまり御あやしみ被成(なさる)まじ」と語りぬ。

 

[やぶちゃん注:「臼負婆々(うすおひばゞ)」お気づきのことと思うが、「背に何やらん、兩手をまはして、背負」っているが、以下の描出では、或いはそれを海上に浮かべておいて「人々をみ𢌞し」た上、やおら、再び「頭よりくゞりて、又海底へ入る。其時も背負しものも、前の如く負ひ行(ゆき)ぬ」となっているように私には読めるのである。即ち、この「あやかし」は「臼負婆々」と呼称されるものの、その負うている物が「臼」であるとはどこにも描写されておらず、仮に海に浮かぶものであるとすれば、それは実は臼の形をしているが、しかし臼ではない何物かなのだということになる。この「あやかし」は髪・牙状の歯・足の裏と「白」が基調である。されば書いてはいないが、その「臼」様の物も「白っぽい」ものであり、而して「丸い物」なのだ。それは或いは、海で亡くなった者たちの魂(たましい)なのかも知れぬと私は思ったりするのである。男どもが「だまつて御覽候へ」と言う辺り、その前で名指したり、言上げをしたりすることは御法度なのであろう。禁忌を破らなければ害はないのであるが、佐渡限定の海の女怪にして醜悪である以上にその出現と背負う物、そして浮かんで周回してはまた深みへ姿を消す謎の行動、総てが全く意味不明である点、妙にキョワいではないか。

「宿根木(すくねぎ)村」現在は「しゅくねぎ」と呼称し、佐渡市の最南端にある私の大好きな町並を持つ町である。ウィキの「宿根木」によれば、『江戸時代後期から明治初期にかけて全盛期を迎えた北前船の寄港地として発展した港町で、船大工によって作られた当時の面影を色濃く残す町並みが保全されている』。『たらい舟で知られる小木港の西に位置する小木海岸の、入り江の奥に面した小さな集落で』あるが、現在の保存地区内に残る伝統的建造物は百六棟に『のぼり、そのほとんどが板張りで作られた外壁を持つ』二『階建ての家屋である。一部の家屋の屋根は薄く割った板を何枚も重ね、その上に石を置いた石置木羽葺屋根と呼ばれる独自のものである。家屋の外見は質素であるが、内部は漆塗りの大黒柱や、彫刻の施された仏壇、当地小木の伝統工芸品である船箪笥と呼ばれる小判等の貴重品を隠すために使われた「からくり構造」の箪笥などが残されており、北前船で財を成した船主の往時を偲ばせる豪華な内装仕上げになっている』。二十以上の『土蔵が残されているがいずれも鞘(さや)と呼ばれる板壁で周囲を覆っており、これは塩害から守るためと蔵の存在を隠し』、『盗難を防止しようとした目的と見られる』。『この他にも、狭い路地の形状に合わせて作られた通称三角屋と呼ばれる三角形の家屋など、船大工たちが造った建造物が密集する宿根木独自の景観が残されている』。『この地には中世から港町があり、近世には北前船の寄港地として栄えた。北前船とは、主に北陸地方以北と畿内を結ぶ廻船業の船のことで、江戸時代後期から明治初期にかけて隆盛を極めた。特に明治維新以降は松前藩の入港制限が撤廃されたことにより、蝦夷地との往来が盛んになり航海回数が増え、佐渡の南端に位置する宿根木は寄港地としての重要性が高くなり、船主や船乗り、さらに船大工や鍛冶屋、桶屋など廻船業に携わる多くの人々が居住するようになり、入り江の奥の海岸段丘に挟まれた狭い谷間に』、二『階建ての家屋が密集する高密度な居住空間が形成された、とある。「宿根木を愛する会」公式サイトの「宿根木とは」以下も是非、ご覧あれ!

「赫(あかえ)の京」「赫(あかえ)」は恐らく赤鱏(あかえい:軟骨魚綱板鰓亜綱トビエイ目アカエイ科アカエイ属アカエイ Dasyatis akajeiで、「京」は華やかな色のアカエイが沢山群がっている場所を「京の都」に譬えたのでもあろうなどと踏んだが、これは実は赤鱏の中に背中に都(みやこ)を建てられるほどの驚くべき巨大な大物(お化け赤鱏)がいるという「あかえいの京(みやこ)」という、本邦に広く見られる妖魚伝承からの流用呼称のようである。アカエイは目の背後にある噴水孔の付近が黄色く、腹部(裏側)の縁(有意な幅を以って)がかなり鮮やかな赤味が勝った橙色を呈する。尾部の中ほどにやや長い返しを持った鋭い棘が一~二本あり、毒腺を持ち注意が必要であるが、煮付・煮凝りはなかなかに美味いものである。未だ刺身は食したことはないのが残念。

「例の如くひたひたと赫釣上(あげ)けるが」うまく下に繋がらない。「いつもなら速やかに入れ食いで釣り上がってくるところが(今日に限っては)」の意でとっておく。

「しほしほと」「しとしとと」に同じい古語。

「七ツ下り」これは定時法の「七つ」。現在の午後四時を過ぎた頃。

「里の海底」地先の直下の海底。

「いとあやしくいやげなる顏」「いと妖しく厭氣なる顏」。大層禍々しく、気分が悪くなるような慄っとする醜い顔。]

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