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2016/09/19

蟻と蟻地獄   梅崎春生

 

 昨年だか私の住んでいる町に、防火防犯協会というのが出来て、私の知らない間に私の家もそれに加入していた。なんでも近所の顔見知りの奥さんがやって来て、町が暗いから街燈をあちこちに立てたい、そのために各戸月額二十円の電燈代を集めるという意味のことを、かんたんに説明して行った。その説明を聞いただけで、我が家は自動的に防火防犯協会なるものに加入したことになったらしい。その中(うち)に趣旨書が郵便受に投げこまれていたりして、それを読むと、街燈を点けてその代金を電気会社に支払っているものは、協会の方に申し出れば、協会負担に切りかえるなどとも書いてある。私の家の前も夜は暗いので、三年ほど前から街燈を申請し、月々百四五十円の電気代を払っている。協会に切りかえれば月額二十円に負担は減じるわけだが、協会なるものの正体がどうも怪しいので、怪しいと言うよりむしろ正体ははっきり知れているので、切り替えは留保することにした。言うまでもなくこの協会は、街のボスたちが策動する旧隣組復活の第一歩なのである。

 我が家の加入がはっきりし始めた頃から、私はいろいろ考えた。協会を脱退すべきや否や。もちろんこんな協会から脱会するのが一番であるが、私一人が脱会しても協会が打撃を受けるわけでもなし、抵抗の表現としても微弱過ぎる。それなら近所近隣を説き廻って集団脱会という手もあるが、私は生れつきそんな行動派に出来ていない。また脱会の手続きも面倒だ。むしろ加入したならしたままで、月額二十円はきちんと払い、片隅から会のあり方や動き方を眺め、いずれ小説の種(たね)にでもした方が効果的だ。それも功をいそぐと損をする。競輪不正事件の坂口安吾の失敗が先例にある。などと考えているうちに、変な爺さんが玄関の扉をがたがたとあけて入って来た。白髪頭の頑固一徹そうな爺さんである。そして自己紹介をした。私は某という者であって、N将軍とはシベリヤ出兵で一緒であった。云々。

 N将軍というのは、私の家の持主で、私の遠い親類にあたる人だが、終戦時満洲にいたためにソ連に抑留され、モスクワかどこかの将官収容所で病死をした。親類のよしみをもって、私はこの家の母屋の一部を借り、この五年来生活をしているわけだが、その爺さんの言葉によれば、N将軍の持家に住んでいるよしみをもって、防火防犯協会のこの一郭の会員から、会費を取り立てる役目を引き受けてほしい、と言うのである。そこで私はおどろいて、貴下は協会の如何なる役員なりやと反問したところ、爺さん肩をそびやかして答えて曰く、私は終戦後なすところなく遊んでいたが、この度衆望もだしがたく、かつは最後の御奉公と思い、当町防火防犯協会の会長を引き受けました。すなわち会長自らが私の家に乗りこんで来たわけである。

 そこで私が冷静に応対すればよかったのであるが、どうしたはずみかつい日頃に似合わず亢奮(こうふん)して、そんな役目はまっぴらだと言葉荒く言いかえしたのをきっかけに、はからずも爺さんと私は大論争をする羽目になってしまった。私は生れつき論争とか講演とかは大へん下手である。論争だの講演だのというものは、頭の廻転と口の廻転がほぼ一致した場合、あるいは頭の廻転の方が少しばかり早いような場合には、うまく行くものであるが、私のように頭の廻転の遅いものは、考え考えして文章を書くには適しているが、論争講演には全然向かない。途中の論理を省いて、いきなり結論を言ったりするから、とにかく話にならないのだ。五年前名古屋のある団体から講演を頼まれ、二時間ほどかかってノートをつくり、いざ壇上に立ってしゃべり始めたら、五分間で全部が終ってしまい、私も大いに難渋し聴衆も大難渋したことがある。それ以来私は一度も講演というものをやらない。論争も同じである。

 ところがこの協会長の爺さんも、私と同じ型で頭の廻転は遅いらしく、やはり亢奮して結論みたいなことばかりを怒鳴り立てる。爺さんは、私がN将軍の家に住んでいるからには、すぐにも引き受けてくれるものと思って来たらしい。私がどんな職業に従事しているかも知らない風(ふう)である。しきりにシベリヤ出兵のことを持ち出したがるが、シベリヤ出兵の頃は私は幼児であるし、それが協会の班長を引き受けるか引き受けないかということとは、関連がある筈もない。防火防犯協会とは名前こそちがえ昔の隣組ではないかと私が言うと、昔の隣組ではなく民主的隣保組織だと爺さんが怒鳴りかえす。こういう組織にいったん入ったからには、いくら民主的と言っても、規約には服従しなければならないし、また自らなる義務も生じる。輪番制の金集めもその義務のひとつだというのが、爺さんの主張だが、私の方の言い分は、月に二十円位なら電燈代として払ってやる、しかし金集めなどの片棒かつぎは御免だということだ。ついに爺さんはたいへん怒ってしまって、顔をまっかにして、老骨の自分ですら無報酬で協会長という忙しい役目を引き受けたのに、若い貴君が金集めすらいやだとは、人倫道徳に反するではないか、東洋には古来東洋道徳というものがあって、それに反するのは犬畜生だということまで言い出して来た。あまり大声で激論したものだから、ついに家人が飛び出して来て、それをしおに私は奥に引っ込んでしまったが、奥に引っ込んでも私はしばらくは手足がふるえ、両方の掌が自然と拳固の形になるのを如何ともしがたい風であった。やがて爺さんは、家人にうまいこと言いくるめられたらしく、すたすたと帰って行った。

 その翌月から会費の徴収が始まったが、私の方の一郭の集金係は三軒隣のXさんの家である。X 夫人が月々やって来て、二十円ずつ取り立て、小さな受取りを置いて行く。町のあちこちに白木の柱が立ち、それに街燈がともるようになった。まあ街燈がともって町が明るくなること自体は悪いことではない。私も二十円出しているから、その街燈に照らされる権利がある。そうして今年になった。集金係は私の隣家のY氏となり、そのY氏が輪番制の期間が切れたと見え、私の家に集金係のバトンを渡しにやって来た。

 もちろん私は先年の協会長とのいきさつを話し、お断りすると言ったけれども、Y夫人は困りました困りましたと繰返すばかりで、一向にらちがあかない。私の家を飛びこして隣のZ氏へ持って行きなさいと言っても、そういうわけにも行かないらしい。そして、実はあたしもこんな役目はいやでいやでたまらなかったんですよ、というような愚痴をこぼし始めた。戦時中の隣組でこりごりしたから、今度もいやだと思ったけれども、つき合いや義理で入ったのだと言う。私はY夫人を憎んでいるわけでもないし、困らせる気持もないので、集金係を辞退するには脱会以外にはないと、その時初めて決心した。その旨(むね)を申し述べて、Y夫人には引き取って貰った。そして脱会届を原稿用紙に書いた。私儀M町防火防犯協会を脱退します。署名して、それをどこに届けていいか判らなかったので、家人にX氏宅に持たせてやった。

 するとX宅では、ここに届けて貰っても、自分には受理する権限もない、たしか協会のここらの組長はPという土着の百姓家であるから、そこへ届けて欲しいという答え。そこで家人はそちらに廻ったところ、なるほど竹やぶに囲まれた古めかしい百姓家で、主は鍬(くわ)でタケノコを掘っていた。頭を丸刈りにした金壷眼(かなつぼまなこ)の四十四五の男で、まことに隣組長的タイプの男だったという。私の脱会届を一瞥して、いずれ常会にかけて決定するからそれまで預って置きます、と受け取った。常会などというものもやっていると見える。私もその後、この男を遠くから見かけたことがあるが、なるほど風貌態度が組長組長した中年男であった。どこのどういう具合がそうだとははっきり言えないけれども、その感じは協会長の爺さんにもある。一言でつくせば、自信というか自恃というか、いや自分を信じているというより、何かあるものを恃(たの)んでいる、確乎として恃(たの)んでいるという感じなのである。こういう感じはX氏にもなければ、Y夫人にもない。歴然とした差異がある。組長種族の何ものかを恃むこんな表情から、私は先だって見たニュース映画の、外遊の皇太子の顔を連想した。ハムの一片から生きている食豚の全体を連想するようで、ちょっと飛躍に過ぎるかも知れないが、私の内ではその連想は自然にむりなく動いた。私はあの皇太子の顔を、あの顎の張ったような笑い顔を好きでない。理窟立てて嫌いなのではなく、感覚的に嫌いなのである。組長族の表情も、それにどこか相通じるところがある。

 P組長が私の脱会届を受け取った頃のことだ。やはりここら一帯に毎月集金にやって来るスガワラ神社というのがいて、これは小柄な四十女だ。毎月訪れて維持費金十円也を取って行く。スガワラ神社とはどんな神社なのか、どこにあるのかもよく知らないが、察するところこの一帯の氏神か何かなのだろう。私がここに居着いた頃から毎月やって来ているので、もう断るわけにも行かない。金額も少ないし、相手がおとなしそうな小型女だし、請求されるまま払っていたところ、ある日玄関ががたがたと鳴って、屈強な男が三人どやどやと入って来た。三人ともちゃんと羽織袴をつけている。その一番年かさの男が私に言った。一般的物価の高騰につれ、スガワラ神社の経営がはなはだ苦しくなった。お宅様は金十円ということになっているが、これは四年前に決めたことで、今としては不合理である。そこで今月から三十円ということにお願いしたい。

 この前のことがあるから、私も用心して冷静を保ちつつ、自分は神を信じないから従って氏神は不必要であること、スガワラ神社が苦しかろうが潰れようが私とは関係ないこと、だから値上げはおろか金十円也もこの機会に止してしまいたいことなどを、直接的な語法ではなく説明した。来訪の三人ともそろって組長タイプである。その中の一人が、貴君が氏神を必要としないでも、氏神の方で貴君を必要としていると言った意味のことを発言したが、とうとう私は押し切っててこでも動かぬという態度に出た。こういうことは強制に出てはいけないというおふれが終戦後出ている。そんなことも私が言ったので、三人は忌々(いまいま)しげに顔を見合わせ、不興気にがちゃんと扉をしめて表に出て行った。その後スガワラ神社は私の家に足踏みしない。氏子名簿から除名されたらしいのである。一方協会の方からも、その後何とも言って来ない。私の脱会届は常会にかけて、認知されたのであろう。私はひょっとすると、あの白髪爺いの会長が私の家に再び乗り込んで説得に来るのではないかと、実は心待ちに待っていたのである。とにかくあの白髪爺さんが再訪しないことにはお話にならない。こちらは小説の種(たね)にする関係もあるのに、今もってやって来ない。集金係が私の家を飛び越して隣のZ氏に行ったかどうか、それもまだ訊ねてないから判らない。

 防火防犯協会ならびにスガワラ神社のことについて、結局私一人がじたばたして、私個人が私個人の分だけを潰したにとどまる結果となった。碁の方の言葉で言うと、すこし打ち過ぎてそこらの味や含みをすっかり消してしまったという恰好である。つまり面白味が全然なくなってしまったわけだ。近所のXYZ氏、皆が皆、そんな組織に対して多少の反撥を持っているのだから、同憂の士を糾合し、あるいは少しアジテートしたりした方が、いくらか面白い局面になったかも知れない。

 碁の話になったので思い出したが、先日第八期本因坊戦第一局を鎌倉で観戦した。木谷八段の黒番で、高川本因坊が中央に大きく囲おうとした地所を、ようしゃなくじりじりと攻め立て、ついに黒一目半の勝ちとなった。やはり勝負ごとでも何でも、どうしても囲おうとする方が弱いし、攻める方が強くなる傾向がある。終戦後平和的思想なり勢力が大きく地位を占め、右翼封建のたぐいは隅におしこめられていたが、近来は急に力を得て来て、攻めようという立場になって来た。平和の方はどうにかして囲おうという恰好だが、このままで行けば、ついに一目半の負けということにならないかと心配である。現在の局面では一目半どころか、もっと開きが出来ているかも知れない。だから私は近所の人と話し合う機会ある毎に、脱会届さえ出せば難なく協会を脱会出来ること、ただで街燈に照らされても構わないこと、スガワラ神社だって容易に辞退出来ることなどを話すことにしている。難なく片づいた腹いせもあるのだ。末端の部位でそんな抵抗を試みたって、感傷に過ぎないではないかとも思うけれども、私の実際の生活は結局そんなところにあるので、そうすることか私の精神の体操であり健康法である。壇上に立って平和を絶叫するようなことは、私の生身(なまみ)にとっては健康なことではない。私は性格的にもっと陰湿である。

 社会時評などということも、本当を言えば私の体操には適しない。読者の方だって迷惑だろう。しかし、出不精で怠け者で昼寝の大好きな私にとっては、協会長やスガワラ神社や、押売りや税務吏員やそんな来訪者が、すなわち社会なのである。私の生身に触れる社会の大部分がそれである。も少し生活の幅を拡げるといいのだが、言うは易く行うは難し、なかなかうまく運ばない。しかし動物だって、蟻(あり)のようにせっせと歩き廻って餌を集めるやつもいるし、その蟻をねらって蟻地獄のように一定の場所に凹みをつくってぼんやり待ってるやつもあるし、まあいろいろだから、天性に従ってあまり無理はしないがいいかとも思う。

 

[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年七月号『新潮』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。傍点「ヽ」は太字に代えた。冒頭「昨年」の後には「(昭和二十七年)」とポイント落ちで割注が入るが、これは底本全集編者の仕儀と断じ、除去した。終りから形式段落の二段落目には第八期本因坊戦の話が出てくるが、私は囲碁を知らず、興味もないので人物その他には注を附さない。悪しからず。

「各戸月額二十円の電燈代」昭和二十八年の大卒事務の初任給平均は 九千二百円、煙草の「ゴールデンバット」が三十円、新聞購読料月額二百八十円、ラーメン一杯三十五円 ビール一本百七円、 米十キロが六百八十円である。

「競輪不正事件の坂口安吾の失敗」ウィキの「坂口安吾」などによれば、作家坂口安吾は昭和二四(一九四九)年十一月に伊東市岡区広野の借家に転居したが、梅崎春生の本エッセイ発表の二年前の昭和二六(一九五一)年九月頃から競輪にハマり出す。その中で『伊東競輪のあるレースの着順に不正があったのではないかと調査し、当時の運営団体である静岡県自転車振興会を検察庁に告訴するという伊東競輪不正告訴事件を』九月に起こし、十一月には『これについて書いた「光を覆うものなし」を『新潮』に発表し、その中で安吾は判定写真のすり替えによる不正を主張していたが』、翌十二月、『嫌疑不十分で不起訴となった。この時代の競輪は』、チンピラ・ヤクザの『巣窟だったという』とあり、『この競輪告訴事件の泥沼化により疲れ果て』、またぞろアドルムを多量に服用するようになり(安吾は先立つ昭和二十三年中頃にかなり重いヒロポン・アドルム中毒に罹患している)、『伊東市から離れて、被害妄想から大井広介邸など転々と居場所を変えることになり、妻・三千代の実家や石神井の檀一雄宅に居候』し、『檀一雄の家に身を寄せていた頃、安吾は「ライスカレーを百人前頼んでこい」と妻に言いつけ、三千代夫人は仕方なく、近所の食堂や蕎麦屋』『に頼み、庭に次々と出前が積み上げられていくという「ライスカレー百人前事件」を引き起こ』したと続くことで、春生の言う「失敗」の余波が何となく判る(「光を覆うものなし」は昭和二十六年十一月発行の『新潮』の「エッセイ」欄に掲載されているが、検察への告発後に起った怪しい事実や脅迫めいた出来事などを述べて再告発する形の文章である。なお、これより前の安吾の性癖について、同ウィキには、『安吾は流行作家としての収入があっても全て使い切ってしまい』、同年五月には『税金滞納により家財や蔵書、原稿料も差し押さえとな』ってしまい、『国税庁に腹を立てた安吾は』六月に、『「差押エラレ日記」、「負ケラレマセン勝ツマデハ」を『中央公論』に書き、税金不払い闘争を行なっ』てもいるとある)。私の持つちくま文庫版全集の年譜によれば、昭和二十六年九月『十六日に、伊東競輪場で起ったレースの写真判定に疑問を抱き、その不正を告発、二十一日、この告訴が「朝日新聞」などに大々的に報道された』が、『事件の反響の大きさに被害妄想に憑かれはじめ』たと記す。年譜では翌昭和二十七年二月末を以って『競輪事件に終止符を打った』と記されてある。因みに、この昭和二十七年六月に、私の愛する、かの名怪作「夜長姫と耳男」を『新潮』に発表している。

「シベリヤ出兵」一九一八年から一九二二年まで(大正七年から大正十一年)の間、連合国(大日本帝国・イギリス帝国・アメリカ合衆国・フランス・イタリアなど)が「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分を掲げてシベリアに出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。社会主義を封じるというよりも真の目的は帝国時代の外債とさまざまな外資を保全する狙いがあった。日本は兵力総数七万三千人、約九億円になんなんとする巨額の戦費を投入、五千人にも及ぶ死者を出し、撤退した(以上はウィキの「シベリア出兵」に拠った)。

で一緒であった。云々。

「隣保」「りんぽ」と読み、隣り近所の家々や人々。また、隣り近所同士で助け合うこと。

「自恃」「じじ」と読み、自分自身を頼み所とすること。強い自負を持つことを指す。

「スガワラ神社」現在、梅崎春生の住んだ練馬区豊玉中周辺はおろか、練馬区内に「菅原神社」なるものは存在しない。梅崎さん、もしかすると、そんな神社、ないのかも知れませんよ! 但し、菅原道真を祀る神社なら、複数存在する。或いは、梅崎春生自身が多少の憚りを感じ、固有名詞をわざと変えたのかも知れない。

「アジテート」本邦の外来語としては専ら「扇動すること・ある目的のために活動すること」の意で使用するが、本来の英語の“agitate”は他動詞で「を激しく動かす・(水面などを)立ち騒がせる」、「~を勢いよく前後(左右)に振り動かす・(流体を)攪拌する・(対象を)規則的に動かす」、「人を~で動揺(興奮/狼狽/激高)させる・扇動する」、「心を搔き乱す」、「~を(世論に)訴える・~について激論する・熱心に討議討論する」の他、古語としては「~をよく検討する・構想を練る・思い巡らす・目論む・企てる」の意があり、本邦での意味は自動詞としてのそれで「政治的或いは社会的な問題などについて世間や世論に訴える・扇動する・そうした運動を行う」の意で出る。]

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