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2016/09/27

閑人妄想   梅崎春生

 

 私の娘は今中学三年生で、せっせと勉強している。そう根をつめずに、すこしは遊んだらよさそうに思うが、そうは行かないらしい。昭和二十二年生れの終戦子は実にたくさんいて、今春には莫大な中学浪人が出る。浪人にならないためには、勉強しなければならぬ。こちらが勉強すると、他のやつがそれ以上勉強する。するとこちらがそれ以上。また向うがそれ以上という悪循環で、三当五落という言葉も出来ているそうだ。一日五時間眠るともうだめで、三時間ならまあまあという意味である。おそろしいことになったもんだ。

 もっともうちの娘は、たっぷり八時間は眠っているらしい。(らしい、というのは、私は、一日十時間から十二時間眠るので、確かめるすべがない)

 一体どういうつもりで日本人は、昭和二十二年にえっさえっさと子供をつくったのだろう。そしてこんな状態に至らしめるなんて、ばかばかしい話だ。とはいうものの、私も生んでいるのだから、他人をとやかくは言えないけれど。

 こんな人口過剰の世代は、もう数年続く。私の息子は小学五年で、ここらもまだ多い。平常に復するのは、今の小学三年の頃かららしい。息子の方は、まだ高校受験に間があるので、のんびりと遊んでばかりいる。あまり勉強しないと、中学三年になった時困るぞと言うと、

「大丈夫だよ。ぼく、中学を卒業したら、二年浪人して上げるよ」

 二年浪人すれば高校の門も楽になるから、心配しなさんなという、これは親孝行のつもりの台詞(せりふ)なのである。向うじゃ親孝行のつもりだろうが、こちらは屈強の若者に二年間も家でごろごろされちゃ、上ったりである。

 適度の競争は人間をして向上せしめるけれど、過度の競争は往々にして人間性を荒廃させるものだ。この年代の競争は、高校受験だけでなく、大学、人生を通じ、死ぬまで続くのである。この世代が社会の中堅になった時、社会や文明がどんな様相を呈するか、興味津々(しんしん)などとうそぶいてはいられない。

 もっともこの世代のみならず、大体今の日本の広さに、一億人が住むのは無理じゃないだろうか。戦争前のように、内地人口が五千万程度がいいところであるというのが私の説で、そのことを随筆に書いたら、某氏の某著(その本は信州に置き忘れて来て手もとにないので、正確には書けないが)の中の批評では、それは不可能なのだそうである。

 五千万が一億になり、殖えた五千万人が仕事がなくて暇を持て余しているかと思うと、一億全体がやたらに忙しがっているようだ。仕事が忙しいし、遊ぶことにも忙しい。どこの仕事場もどこの遊び場も満員で、割り込むすきがない。勤勉だと言えば聞えがいいが、すでに荒廃の相を呈していると言う方が正しい。つまり忙しいというのは実質的だが、忙しいような気分になっているだけだ。忙しがっている気分に照応する内容は、ほとんど貧寒である。

 過日藤原審爾君より電話があり、竹岡沖に魚釣りに行かないかとの誘い。行ってもいいが、今骨をすこし傷めているので、断った。人口という言葉がある。釣り人口。碁人口。登山人口。テレビは人口と言わずに台数というらしいが、この何とか人口というのは、戦前にはなかったような気がする。その各人口がやたらに殖えて、たとえば釣り人口も戦前から何倍にも殖えて、それに見合う魚数がないので、釣果零(ぜろ)であたり前、いくらか釣れれば儲(もう)けものという具合では、やはり荒廃と言わないわけには行かないだろう。そこで竹岡くんだりまで遠出することになる。電車や汽車もそれで満員になり、釣ることも結構忙しい暇つぶしになって来る。

 登山人口、これもたいへんなもので、戦前五千万から今一億で、登山人口が二倍になったかというと、そうでない。算術的でなく、幾何級数的に、五倍にも八倍にも殖えている。それで山に登ったという実感も実質もなくなって、ただ忙しかったという後味だけが残る。エネルギーの消耗だけだ。

 狭い庭池の中に金魚を二三匹入れると、彼等は実にゆうゆうとのんびり泳いでいる。これに数十匹入れると、彼等は俄然忙しくなり、右往左往してあばれ廻る。今の日本人の忙しさは、つまるところそれじゃないのか。多過ぎて、ところを得ないのだ。やたらに殖えたことも良くないけれど、それに対応した政府の無策がよろしくない。

 いつだったか必要があって、朝の通勤電車を見に行ったことがある。聞きしに勝るすごいラッシュで、押し屋さんがぐいぐいと押し込み、人間たちはまるで経木の中の佃煮(つくだに)みたいに、重なって詰め込まれていた。よく不平不満が出ないものだ。もっともある人の説によると、これは政府の陰謀であって、も少しまばらな混み方にすると、通勤客は政府の無能無策に思いを致す。ところがあれほどぎゅうぎゅう詰め込むと、人間は押して来る周囲を憎むのがせいいっぱいで、政府に思いを致す余裕がなくなるのだそうだ。新聞などの記事では、押した押さない、足を踏んだ踏まないとのささいな原因で、喧嘩がよく起きているようだが、その喧嘩は皆政府に対して吹っかけるべきで、被害者同士が相争うのは政府の思う壺なのである。夢の超特急など、不要なものだとは思わないが、通勤電車の増設にくらべれば、はるかに不急なものである。大阪まで三時間で行きたけりや、飛行機で行くがいい。

 まあそんな具合にあちこちが混むのは、人間が殖えたせいであるが、体位が向上したことにも大きな原因があるらしい。大正時代の男の背丈は五尺二寸、女は五尺足らずというのが普通だったが、今は違う。うちの娘でも百六十六センチあるし、男で百八十や九十はざらである。今は腕力が単位になる時代でないから、思い切って体質改善(?)して、ピグミイ並みに一メートルぐらいにしたらどうだろうか。そうすれば電車も混まないし、すし詰め教室もなくなる。釣りだって今ハゼ釣りに行く人がメダカを釣りに行くようになるし、私はゴルフは嫌いだが、ゴルフ場も三分の一に縮小出来る。建物も階ごとに中仕切をつけて、五階建てが十階分に使える。でもこれには欠点がある。たとえば犬や猫が、人間の縮小にしたがって猛獣化し、人間をかみ殺したり、ひっかいて重傷を負わしたり、手近なところはそんなものだが、大きなところでさまざまの不都合が起きるだろう。――ということで紙数が尽きたが、以上、あまり忙しがりたくない人間が、ベッドの上に寝そべっての、とりとめもない妄想だと読み流していただければ幸甚である。

 

[やぶちゃん注:昭和三八(一九六三)年二月号『新潮』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。因みに、この年の日本の総人口は九千六百十五万六千人(男性は四千七百二十万八千人、女性は四千八百九十四万七千人)。なお、二〇一五年十月一日現在は一億二千七百十一万四十七人である。底本では本作は「エッセイⅡ」の最後に配されてある。

「私の娘」梅崎春生の長女梅崎史子(ふみこ)さん。梅崎春生が山崎恵津さんと結婚した(昭和二二(一九四七)年一月)年の十月に誕生している。同年の日本の総人口は七千八百十万一千人(男性は三千八百十二万九千人、女性は三千九百九十七万二千人)であった。彼女は所謂「団塊の世代」に相当する。ウィキの「団塊の世代」から引いておく。『団塊の世代(だんかいのせだい)とは、日本において、第一次ベビーブームが起きた時期に生まれた世代』で、『第二次世界大戦直後の』昭和二二(一九四七)年から昭和二四(一九四九)年に『生まれて、文化的な面や思想的な面で共通している戦後世代のことである。第一次ベビーブーム世代とも呼ばれる。日本経済においては第二次世界大戦後の高度経済成長、バブル景気を経験している』。『団塊世代が生まれる前は戦中、戦後直後であり、出産を先送る傾向にあった』。『その反動だけでなく、第二次世界大戦の終結に伴って大正世代の若い男性が復員し』、一九四〇年『代後半に婚姻をする男性が増加した』。明治四十年代生まれ(一九〇七年から一九一二年(明治四十五年・大正元年))・大正生まれ(一九一二年から一九二六年(大正十五年・昭和元年))・昭和一桁前半(一九二五年から昭和五(一九三〇)年)『生まれの若い男女の婚姻急増に伴う出生人口の大幅な増加が発生』、これが「第一次ベビーブーム」と後に呼称された。また、昭和二三(一九四八)年までは、『一部の例外(強姦・姦通)を除き、一般的に産婦人科での避妊・中絶・不妊手術などの行為は、刑法で堕胎罪となり禁止されていた』。昭和二三(一九四八)年に『優生保護法によって限定的に容認して、さらに』その翌年に同法が『改正されて、「経済的な理由」での中絶も容認することになったため、出生率の増大に歯止めがかかり』、昭和二五(一九五〇)年以降は出生率が低下していった。このため、日本に於いては昭和二二(一九四七)年から昭和二四(一九四九)年の三年間に生まれた人口が突出することとなった。『作家の堺屋太一が通商産業省鉱山石炭局在籍時の』昭和五一(一九七六)年に発表した小説「団塊の世代」の『中で用いたことから、「団塊の世代」という用語とともに、団塊の世代が日本社会に及ぼす大きな影響が一般にも認識された。アメリカ合衆国でも同様の現象が見られており、こちらは「ベビーブーマー」と呼ばれている』とある。

「私の息子」梅崎春生の長男梅崎知生(ともお)さん。昭和二六(一九五一)年五月生まれ。同年の日本の総人口は八千四百五十四万一千人(男性は四千百四十八万九千、女性は四千三百五万二千人)。彼は狭義の「団塊の世代」には含まれないが、「ポスト団塊の世代」と呼ばれることはあり、私(昭和三二(一九五七)年二月十五日生まれ)も含めた一九五〇年代生まれの世代は別に「しらけ世代」などとも呼ばれた。

「この世代が社会の中堅になった時、社会や文明がどんな様相を呈するか」やはりウィキの「団塊の世代」から継ぎ接ぎして示す。まず、学齢期に彼らは日本教職員組合(昭和二二(一九四七)年設立)『の濃厚な影響を受けた世代である』ことを認識する必要はあろう。青年期には『地方農村の中学校・高等学校卒の若者は、高度経済成長期で働き口が豊富だった東京や大阪などの大都市へ集団就職した。彼らは「金の卵」と呼ばれ、工場や商店などといった中小零細企業で大勢雇われ日本経済の底を支えた』が、それによる『東京一極集中・大都市一極集中が問題とな』った時期でもある。『高校から大学へ進学したインテリの若者たちは民主主義への嫌忌と毛沢東思想への心酔から、所謂学生運動と呼ばれた大学「改革」や、安保闘争、ベトナム戦争反対の反体制運動に身を投じた。こうした動きは国公立より私立大学に措いて顕著であり、都市部大学から地方大学へも広がり、全共闘運動などで日本政府や既成秩序に反発する新左翼的な活動へと転じていった』が、昭和四四(一九六九)年に東大紛争が敗北に終わり、七十年『安保闘争も不調に終わると、多くの若者が学生運動から(表面上は)離れていき、追い込まれた過激派の暴力行為がエスカレートしていった。更にあさま山荘事件や党派の分裂による内ゲバやリンチの横行などで、それまで穏健な支持を与えていた世間の目が冷たくなると急速に学生運動離れが進み』、一九七〇年代半ばまでには、殆んどの『団塊若者は政治活動から距離を置くようになり、企業戦士に転向するものも多かった』。『文化的側面から見れば、ファッションという概念が浸透し始めた世代であり、男性はジーンズ、女性はミニスカートを好んで装い、レジャーやドライブを好むなど、そのスタイルは現代に至るまで続く若者文化の基盤と呼べるものであった。この世代は、それまで絶対的なものとして意識されていた欧米(主にアメリカ合衆国)と東洋(日本)の文化の対立を相対化し、ごった煮にして双方を楽しもうとする多文化世代の先駆けとなった』。一九七〇年代になると、『結婚する男性(この時期は戦後の婚姻数の統計のピークだった)や子供を産む女性が徐々に増えてくる』。『従来の家制度の意識が薄れ、核家族による家庭指向が強く、見合い結婚と恋愛結婚が逆転した世代で』、『団塊の世代が親元から独立して家庭を持つようになると、著しい住宅不足となった。この対策として、大都市の近郊には数多くの核家族向けの近代的な団地が造成された』。『また大手企業は、社員の福利厚生用に集合住宅タイプの社宅を構えた。その周辺に生活物資を売る商店が集まり、衛星都市と呼ばれる中都市ができた。これによって大都市を取り巻く都市圏は大きく広がり、それに伴う通勤通学のための交通網の整備が急がれ、鉄道の輸送力増強や新線建設、道路の新設や拡張が行われた。都市膨張の時代』と重なることとなる。昭和六一(一九八六)年から平成三(一九九一)年の『バブル景気時代には、団塊の世代は』四十歳前後の『働き盛りとして社会の中核を担っており、企業で仕事に没頭するあまり家庭を顧みなくなったり、さらには過労死で突然命を失った団塊男性も少なからず存在した』とある。

「今の日本の広さに、一億人が住むのは無理じゃないだろうか」日本の人口が一億を超えたのは昭和四二(一九六七)年で、一億十九万六千人(男性四千九百十八万人・女性五千百一万六千人)であった(以上、ここまでの人口数値は二〇一五年現在の値を除き、サイト「戦後昭和史」の「日本の総人口と老年人口」に拠った)。

「戦争前のように、内地人口が五千万程度がいいところであるというのが私の説で、そのことを随筆に書いた」梅崎春生はこの手の話をしばしば主張している。例えばこの五年前の「人口が半減すれば」(昭和三三(一九五八)年六月十三日附『毎日新聞』初出)などを参照されたい。

「某氏の某著(その本は信州に置き忘れて来て手もとにないので、正確には書けないが)の中の批評では、それは不可能なのだそうである」不詳。識者の御教授を乞う。

「藤原審爾」(大正一〇(一九二一)年~昭和五九(一九八四)年)は小説家。ウィキの「藤原審爾」によれば、『純文学から中間小説、エンターテイメントまで幅広い作品で活躍し、「小説の名人」の異名を取った』とある。初期代表作「秋津温泉」や、映画化された「泥だらけの純情」、新宿にある架空の警察署を舞台とした推理警察小説「新宿警察」シリーズなどで知られる。私は「大妖怪」(昭和五三(一九七八)年)しか読んだことがない。

「竹岡」内房の千葉県富津市竹岡。

「今骨をすこし傷めている」この前年の昭和二七(一九六二)年十月に子どもとふざけて転倒、第十二胸椎を圧迫骨折、さらにぎっくり腰も併発していた。

「テレビは人口と言わずに台数というらしい」私はメディアがこの言葉で人口を解説するのを聴いたことがない。そもそも日本の一人当たりの車の保有台数などを問題にするようになった(二〇一四年現在は一世帯当たり一・〇六九台、一人当たり〇・四七台)今時、この謂い方は死語であろう。

「この何とか人口というのは、戦前にはなかったような気がする」梅崎春生らしい鋭い指摘である。

「五尺二寸」百五十七・五六センチ。なお、梅崎春生は背が高かった。

「五尺足らず」一メートル五一センチ弱。

「ピグミイ」ウィキの「ピグミー」によれば、ピグミー(Pygmy)は特に身長の低い(平均一・五メートル未満)特徴を持つところの、アフリカの赤道付近の熱帯雨林に住む狩猟採集民の総称。中央アフリカ全体の熱帯雨林を生活拠点としており、人種学的には「ネグリロ」(Negrilo)と呼ばれる。なお、この語は古代ギリシャの肘尺(pygmē:ピュグメ。肘から拳までの長さで約三十五センチ相当。肘から中指の先までの間の長さに由来する古い身体尺「キュビット」(英語 : cubit:四十四から六十四センチ)に似るが、遙かに短い)が語源であるという。

「人間の縮小」この記事の七年前の一九五六年にアメリカの幻想作家リチャード・マシスン(Richard Burton Matheson 一九二六年~二〇一三年)が発表した「縮みゆく人間」(The Shrinking Man)は翌年にアメリカで映画化(監督ジャック・アーノルド(Jack Arnold))もされている。これよりも前に「キングコング」(King Kong 一九三三年)で知られるアーネスト・シュードサック(Ernest Schoedsack 一八九三年~一九七九年)の「ドクター・サイクロップス」(Dr. Cyclops 一九四〇年)があるが、こちらは日本未公開である。「ウルトラQ」で、梅崎春生の案と同じ路線の夢落ち物として脚本家金城哲夫が書いた名作「1/8計画」(円谷一監督)が放映されたのは、この三年後の昭和四一(一九六六)年四月二十四日であったが、春生はその前年の七月十九日に白玉楼中の人となっている。]

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