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2016/09/17

佐渡怪談藻鹽草 安田何某廣言して突倒されし事

     安田何某(なにがし)廣言して突倒(つきたお)されし事

 

 安田與一右衞門(よいちえもん)は、大兵勇猛にして、力量の高名、世の人知れる處なり。伴ふ入魂(じつこん)も、類を以て、懇意も多かる中に、仁木與三兵衞(よさべえ)は、殊に、酒興と武勇の二つながら、劣らぬ程の覺えあれば、公務の隙(すき)は、上代めきし交りも繁かりしとぞ。互に若かりし時、與一右衞門は、海上付御番所、脇の役館に住(じゆう)し、與三兵衞は、平口(ひらくち)御番所付【當時は跡もなし】役館に住す。或年、秋の末頃にか、與一右衞門宅へ、與三兵衞來りて、酒呑(のみ)咄(はな)しけるが、夜に入(いり)、亥の刻斗(ばか)りに暇を乞ふて、與三兵衞立歸りけるに、與一右衞門、

「我も伴ひ行(ゆき)て酒氣を晴(はら)さん」

迚(とて)、專光寺の裏道より、山の神へかゝり、當時の教壽院と大乘寺との境なる細道をなかば過行(すぎゆく)とき、與三兵衞は先に立(たち)、與一右衞門は跡へ下(くだ)り歩みけるが、與三兵衞へ聲を掛けるは、

「其(その)方と某(それがし)、かく行(ゆく)所へ、たとひ大六天魔王なりとも、手さしせば、見事に料理してくれん物を」

と言(いひ)もはてずに、與一右衞門、突倒す如(ごとく)、俯臥(ふが)にふしぬ。與三兵衞、其音に驚きて立歸り、

「何とせしや」

と問へば、伏(ふせ)ながら大きに笑ひ、

「扨(さて)も念なく突倒す如く轉(まろび)し事よ。凡の儀にては、倒るべきもあらぬに、米壱石程の物を、投付(つけ)る樣にて、轉(まろび)しが、少の所も、打損じ候わず」

といへば、與三兵衞申(もうす)は、

「餘り廣言過(すぎ)て、耳に障(さは)りし者の仕業にや」

と、にが口ゆいて、元のごとく咄しながら、平の役館にいたり、咄しけるが、與三兵衞老母、與一右衞門に向ひ、

「御召物のうわまへの餘り見苦敷(くるし)げに、是(これ)めして、脱がせ給へ。針手して參らせ候半(さうらはん)」

といへば其時與一右衞門、

「いかよふに損し候哉。覺え不申(まうさず)」

迚(とて)見れば、綿入着物の上まへ、紙入の當り候處、橫にさけたり。

「是は道すがら、轉びし時の事ならん」

と言(いひ)て、能々(よくよく)見れば、橫長さ六七寸、裏表中綿共に、剃刀(かみそり)にて切(きり)し如く、見事に切(きり)たり。

「さらば、身にも疵(きず)の付(つき)しにや」

と肌脱(ぬぎ)て見れば、少(すこし)の引疵(ひききず)もなし。其外一身に少しも打(うち)たる所もなければ、始(はじめ)て驚きけるとぞ。

 高慢の人には、さまたげ有(ある)事、むかしも多ければ、其類ひなるべし。

 

[やぶちゃん注:底本の割注は〔 〕表記であるが、私の馴染んだ【 】に代えた。なお、底本では割注もポイントは本文と同じである。以後、この注は略す。

「廣言」「くわうげん(こうげん)」は、辺りを憚ることなく、大袈裟なことや偉そうなことを言い放つこと。「放言」に同じい。

「大兵」「だいひやう(だいひょう)」と読み、体が大きいことを指す。

「入魂(じつこん)」「昵懇」に同じい。但し、昵懇の場合は「ぢつこん(じっこん)」となる。間柄が親しいこと・心安くしていることの意。やや表現が以下の「懇意」と重なって五月蠅い。

「仁木與三兵衞」本書に多出する佐渡奉行所地役人仁木彦右衛門秀勝の一族の誰かであろう。

「上代めきし交り」よく判らないが、蛮勇の無謀な力比べといったことを指すととっておく。

「繁かりし」「しげかりし」。頻繁にあった。

「海上付御番所」「かいじやうづき・ごばんしよ(かいじょうづきごばんしょ)」と読むか。恐らくは海上を専門とした警護所と思われる。「海上」は固有の地名とは思われない。孰れにせよ、全体のロケーションは佐渡奉行所のあった相川地区であることは確かである。しかも、この脇にある官舎に「安田與一右衞門」は住んでおり、そこから一緒に「仁木與三兵衞」が住まっている「平口(ひらくち)御番所」の官舎に同道したわけで、以下の道筋から見て、「海上付御番所」は佐渡奉行所のある近く、「平口(ひらくち)御番所」(この「平口」は地名か? しかし現在の佐渡市相川では現認出来ない)というのは少なくとも、相川地区の北の山間部、現在の佐渡市下相川にある新潟県立相川高等学校を越えた辺りか、或いはもっと北にあることになる。

「當時」(記事を執筆している)安永七(一七七八)年の現在。

「亥の刻」午後十時前後。

「專光寺」史跡佐渡金山の麓の海辺にある相川にあった寺らしい。旧専光寺墓地跡が残るようである。

「山の神」現在の相川地区の北部に「山之神町」なる行政地区名を現認出来る。

「教壽院」天台宗。慶長一二(一六〇七)年創建。明治元(一八六七)年に廃寺となっている。

「大乘寺」真言宗。佐渡市相川下山之神町に現存。

「大六天魔王」「第六天魔王」の誤り。「第六天」とは六道の最高位である天上道(「天上界」とも呼ぶが、私は三界の分類単位と混同するので採らないし、使わない)の中で、我々人間(人間道の存在)と比較すれば相対的には遙かに清浄であるものの、未だ欲望に捉われる六つの天(フィールド・時空間)の最高位である他化自在(たけじざい)天を指す。ウィキの「他化自在天」によれば、『三界における欲界の最高位、且つ六道の天道』『の最下部である、六欲天の第六天。欲界の天主大魔王である第六天魔王波旬』(はじゅん)『の住処』(因みに、ここより上位の天では、例えば六欲天第四天の兜率(とそつ)天(須弥山の頂上から十二由旬(ゆじゅん:一由旬は一説に七キロであるから八万四千メートル上空)の所にあるとする)では弥勒菩薩が如来になるために修行中であり、第二天の忉利(とうり)天には帝釈天が、栄えある第一天の四大王衆(しだいおうしゅ)天にはお馴染みの仏法の強力な守護神であるところの持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる)。『この天は、他人の変現する楽事をかけて自由に己が快楽とするからこの名がある。この天の男女は互いに相視るのみにて淫事を満足し得、子を欲する時はその欲念に随って膝の上に化現するという。天人の身長は三里、寿命は』一万六千歳という。但し、魔王波旬にとっての一尽夜(一夜。魔界だから「一昼夜」ではないのだろう)は人間の時間の千六百年に『相当するという』。『天人としての他化自在天は、弓を持った姿で描かれる』とある。このような一見、邪悪極まりない存在が仏教の「人間道」の上位の時空間に配されてあるかという疑問は自然に生ずるであろうが、それは例えば、ウィキの「天魔」の「大般涅槃経での波旬」の項に、『大般涅槃経では序品において釈尊が今まさに涅槃せられんとする場面から始まり、そこには釈尊の涅槃を知って様々な人物が供養しようとして馳せ参じるがその中には魔王波旬もいたと説かれる』。『波旬は、仏の神力によって地獄の門を開いて清浄水を施して、諸々の地獄の者の苦しみを除き武器を捨てさせて、悪者は悪を捨てることで一切天人の持つ良きものに勝ると仏の真理を諭し、自ら仏のみ許に参じて仏足を頂礼して大乗とその信奉者を守護することを誓った。また、正法を持する者が外道を伏する時のために咒(じゅ、真言)を捧げ、これを誦する者を守護し、その者の煩悩は亀が六を蔵す(亀が四肢首尾を蔵めて外敵より身を守ること)ものであると述べて、最後の供養者として真心を受け給うよう願い出た。釈尊は「汝の飲食(おんじき)供養は受けないが、一切衆生を安穏にせんとするためのその神咒だけは受けよう」と仰せられた。波旬は三度懇請して咒は受け入れられたが終に飲食供養は受け給わず、心に憂いを抱いて一隅に座した、と記されている』とあり、次の「法華経と第六天の魔王」の項に(但し、この節には『検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください』という注意喚起・出典提示要請がなされてある)『日蓮は、第六天の魔王を、仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説いた。しかし、純粋な法華経の強信者の祈りの前には第六天の魔王も味方すると、日蓮は自筆の御書で説いている。日蓮があらわした法華経のマンダラに第六天の魔王が含まれているのは、第六天の魔王も、結局は法華経の味方となるという意味である。第六天の魔王は、仏道修行者の修行が進むと、さまざまな障りで仏道修行者の信心の邪魔をするが、それに負けず、一途に信心を貫くものにとっては、さらなる信心を重ねるきっかけとなるにすぎない。なぜなら、信心を深めることにより、過去世からの業が軽減・消滅し、さらなる信心により功徳が増すきっかけとなるからであると日蓮は説いている』とある。引用出典が示されていないのは確かに残念だが、この後者の見解は私も仏教的世界観を全的に論理矛盾なしに受け入れる解釈の一つとして、その通りだと個人的に思ってきたし(私は信仰する宗教はない)、至極、納得出来る。

「手さしせば」「何か手出ししたならば」の意でとっておく。

「俯臥(ふが)」うつむけに臥し倒れること。

「凡」「おしなべて」と訓じておく。

「米壱石」基準値で単純換算すると、百五十キログラム相当。これ自体も「広言」とは言えよう。巨漢でも確実にぺしゃんこ、だ。

「にが口」「苦言」。

「ゆいて」底本には「ゆ」の右に『(言)』とある。「言ひて」である。

「うわまへ」「上前」。衣服の上半身部分。

「是(これ)めして」代わりの当座の着替えの衣服を差し出したのである。

「針手」応急に縫うこと。

「候半(さうらはん)」「半」「候ふ」の未然形の「は」と、意志の助動詞「む」のカップリングの当て字。

「いかよふに」「如何樣に」。歴史的仮名遣では誤り。

損し候哉。覺え不申(まうさず)」

「紙入の當り」ここは懐(ふところ)、腹部辺りの意。

「六七寸」十九センチから二十一センチ強。

「裏表中綿共に、剃刀(かみそり)にて切(きり)し如く、見事に切(きり)たり」分厚い上着の裏表から中に入れ込んである防寒用の綿まで完全にすっぱり鮮やかに切れているのである。

「少(すこし)の引疵(ひききず)もなし」掠り傷さえもない。これは所謂、「鎌鼬(かまいたち)」現象であり、これが怪異の真の出来(しゅったい)となるのである。耳嚢 巻之七 旋風怪の事の私の「かまいたち」の注(そこには私が中学時代に見た生涯一度の「かまいたち」現象についても記載してある。私はしかし、そこに書いたそれは、実際には、ある同級生の業務上過失致死の可能性がすこぶる高い事例だったのではないかと今は確信的に考えている。その時に「かまいたちや!」と言い放った担任教師(彼はしかも物理系の理科の教師だった)は不可抗力であったとは思われる加害生徒や、或いは、自分の監督責任を考えて咄嗟にそう言ったのではなかったかと実は激しく深く疑っているのである。その時、激しく眼から出血している級友と、その脇で鎌をぶら下げて呆然としている秀才の級友の映像を、私は決して忘れないのである。これは実は四十六年を経て、初めて口にすることである)を是非、読まれたい。]

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