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2016/09/03

諸國百物語卷之一 十二 駿河の國美穗が崎女の亡魂の事

     十二 駿河の國美穗が崎女の亡魂の事

 

 するがの國にての事なりしが、淸見寺(きよみでら)にすまひする男、美穗が崎の女とちぎりをかわしけるが、この女、男のかたへ、夜な夜な、かよふ有りさま、かしらにわくをいたゞき、その上に火をとぼし、美穗より淸見寺まで海のうへ一里半ほどを、まい夜、およぎ來たりけり。男も淸見寺にあいづの火をとぼし待ちけるが、年月ひさしく、かくするほどに、ある時、男、つくづくおもひけるは、いかなれば、夜な夜な、海上をかよひ來たるふしぎさよ。いかさま、此女は人間にては有るまじとをもひ、おそろしくて、ある夜、あいづの火をけしければ、此火をめあてに海上をきたりけるに、此夜、ともしびなかりければ、かなたこなたと、たづねおよぎて、つゐに海中におぼれ死にけり。そのぼうこん、色々とさわりをなして、つゐに男を、とりころしけり。この亡魂のしうしん、今にのこりけるにや、淸見寺に火事ゆけば、美穗もかならず燒(やけ)、美穗に火事ゆけば、淸見寺も、かならず、やくると也。是れよりして、今も美穗に火事あれば、清見寺に柴(しば)たき、淸見寺に火事あれば、美穗には、かやをもやして、たがいに火事のまねびをする也。われ、ひとゝせ、美穗の明神へさんけいしけるとき、舟人、物がたりせるを聞き侍る也。

 

[やぶちゃん注:「美穗が崎」三保の松原で知られる現在の静岡県静岡市清水区にある三保半島の尖端。

「淸見寺」現在の静岡市清水区興津清見寺町にある臨済宗巨鼇山(こごうさん)清見(せいけん)興国禅寺寺(現在は音読みする)。三保半島先端の三保からは、ほぼ北に海上を約三キロメートル程離れて位置する。

「一里半」五・八九キロメートル。この距離実測だと、三保半島の根元、清水港の北端から泳ぎ出す距離となる。なお、現行清見寺と後に出る御穂神社(後注を必ず参照されたい)の直線距離を実測すると、五・四キロメートルである。

「かしらにわくをいたゞき」「頭に枠を戴き」。火を消さぬ実用目的のものであるけれども、丑の刻参りの蠟燭を点した鉄輪(かなわ)の枠を我々は想起し、そうした女が深夜に海を渡って来るという、なかなかに、もの凄いシチュエーションが浮かぶ。そうしてその「火の記憶の光景」がその女の執心と感応して、火事の共感現象を引き起こすという怪異に繋げてあり、そこから火災の際の清見寺と美穂(神社)の感応習俗が生まれたという民俗学的にすこぶる興味深い伝承へと移ってゆくのである(恐らく、この習俗には別な隠さねばならぬ真相があるはずであるが、そこまで辿りつけないでいる。何か分ったら、追記する。ただ、これは美保の松原の垂直空間の伝説の構造をインスパイアして、水平空間の人間の男女の事実譚におぞましく変形したものだということだけは判る)。ともかくもここから想起される海を渡る女のシークエンスは映像的に非常に優れた鬼気迫る一級ホラーであると同時に、その女の一途な気持ちを変化のものと疑い(それは口実で他に女が出来たに違いないのである)、彼女を死に至らしめた男が憎くなるとともに、何か私は彼女が可哀想で堪らなく淋しくなるのである。

「美穗の明神」現在の静岡県静岡市清水区三保にある御穂神社。三保の松原の「羽衣の松」に関係する神社として知られ、「みほ」の字は「御廬」「三穂」「三保」にも作る。ウィキの「御穂神社によれば、創建は不詳。「駿河雑志」には、『日本武尊が勅により官幣を奉じ社領を寄進したとも、出雲国の御穂埼(現・島根県松江市美保関町)から遷座した神であるとも伝えるが明らかではない』。『三保の松原には「羽衣の松」があり、羽衣の松から御穂神社社頭までは松並木が続くが、この並木道は羽衣の松を依代として降臨した神が御穂神社に至るための道とされ「神の道」と称される』。『現在でも筒粥神事では海岸において神迎えの儀式が行われるが、その際に神の依りついたひもろぎ』(神の依り代。この場合はその年の豊兇を占うための御粥の竹筒を指す)『は松並木を通って境内にもたらされる』。『これらから、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える常世信仰にあると考えられている』とある。さらに、『近世には、徳川家康から朱印地として三保・折戸・別符』三ヶ村の百六石が与えられ、『社殿も整備されたが』、寛文八(一六六八)年に『火災で焼亡したという』とあり、その後、『江戸時代中期に仮宮(かりみや)として建てられたものが現在まで続いている』と記す。何故、焼亡した家康所縁のこの社殿が復興されず、あくまで「仮宮」であり続けているのか? 或いは、この話柄を解く鍵はその辺に求め得るのかも知れぬ。]

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