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2016/09/25

諸國百物語卷之二 十四 京五條の者佛の箔をこそげてむくいし事

     十四 京五條の者佛(ほとけ)の箔(はく)をこそげてむくいし事

 

 京油小路(きやうあぶらのこうじ)五條あたりに、まづしき油屋ありけり。ある人、大ぶつの三十三間(げん)のほとけのうちに、金(こがね)ほとけあり、と、かたりければ、くだんの油屋、よき事をきゝたり、と、よろこび、三十三間堂にゆき、ほとけの手あしをもぎとり、灰にやきければ、箔(はく)、かたまつて、金になりければ、是れをあちこちとまわしけるほどに、ほどなく金子三十枚ほどになり、それより家内(かない)ふつきになり、あさゆふ、ゑやうにくらしける。ある時、ふうふならびねたる所へ、何やらん、身にひやひやとさわるを、ふしぎにおもひ、火をとぼし見れば、ちいさき蛇、二すぢあり。ふうふ、おどろき、蛇をうちころしけれども、あとより、いくつともなく蛇いでゝ、よるひるとなく二すぢの蛇(へび)、身(み)をはなれずそひゐたり。さまざま、いのりきとうすれども、しるしなし。のちには、ふうふともに心あしくなりければ、はかせにうらなわせみれば、はかせ、占文(せんもん)をかんがへて云ひけるは、

「その方は佛にかゝりて金銀をもうけたる事はなきか」

と、とふ。ふうふのもの、

「されば、さやうの事候ひて、金銀を、もうけ候ふ」

と、一々、のこさず、さんげしければ、はかせ、きゝて、

「しからば、その金(かね)にて佛をつくり、かの寺へきしんし給はゞ、此たゝりは、やむべし」

と云ふ。さらばとて、もうけたる金、半ぶんにて、ほとけをつくり、きしんしければ、かのへび一すぢは、はなれうせけるが、今一すぢは、身をまといて、はなれず。ふうふのもの、思ひけるは、とかく、いのちのありてこそのあんらくなれ、とて、のこる金にて又、ほとけをつくりて、きしんしければ、今一すぢのへびも、はなれうせて、又、もとのまづしき油屋となりける也。

 

[やぶちゃん注:「京油小路五條」現在の京都市下京区油小路通五条。

「大ぶつの三十三間(げん)のほとけ」現在の東山区三十三間堂廻町にある、知られた「三十三間堂」(正式名称「天台宗蓮華王院本堂」)のこと。後白河上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて長寛二(ユリウス暦一一六五)年に完成したとされ、創建当初は五重塔などを含む本格的寺院であったが、建長元(一二四九)年の火災で焼失した。文永三(一二六六)年に本堂のみが再建されたが、それが現在の「三十三間堂」と称している堂である。「大仏」というのはこの寺の建つ古い地名で(一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注に『地名』とある)、これは恐らくは豊臣秀吉の東山大仏(方広寺・天台宗・京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町・三十三間堂の北直近)の造営時、この三十三間堂のある位置がその境内に含まれていたことによるのではないかと私は推測する(ウィキの「方広寺によれば、東山大仏は文禄四(一五九五)年に完成したが(全高約十九メートルとも言われるが詳細は伝わらない)、翌年の慶長伏見地震により倒壊、秀頼が復興を図って慶長一七(一六一二)年には大仏に金箔を押すところまで完成、慶長一九(一六一四)年に梵鐘が完成、『徳川家康の承認を得て、開眼供養の日を待つばかりとなった。ところが家康』がその梵鐘銘文(東福寺・南禅寺に住した禅僧文英清韓作)の中の「國家安康」「君臣豐樂」という句が、徳川「家」「康」を分断し、「君」主として豊「臣」を戴く、という謂いであって、徳川家並びに家康を冒瀆するものだと難癖をつける、有名な方広寺鐘銘事件が発生(これが「大坂の陣」(慶長一九(一六一四)年の「大坂冬の陣」と翌年の「大坂夏の陣」)の端緒ともなったとされる)、沙汰止みとなったまま、「大坂の陣」で豊臣家は滅亡、大仏自体はその後も残されたものの、寛文二(一六六二)年の地震で大破し、大仏は寛文七(一六六七)年に木造で再興されたが、『壊れた銅造の大仏のほうは寛永通宝の原料とされ』てしまい、この木造大仏の方も寛政一〇(一七九八)年の落雷に起因する火災で焼失、以後、同様の規模のものは再建されなかった)。

「まわしけるほどに」売り廻って金箔を金に換えたところが。

「ふつき」「富貴」。

「ゑやう」「榮耀」。歴史的仮名遣は「ええう」が正しい。権力を得て富み栄えること。又、贅沢をすること。気儘勝手なこと。驕り昂ぶること。

「身(み)をはなれずそひゐたり」「身を離れず、添いひ居たり」。

「いのりきとう」「祈り・祈禱(きたう)」。歴史的仮名遣の誤り。

「はかせ」陰陽(おんみょう)博士。民間の陰陽師。

「占文(せんもん)」占いに現れた文言(もんごん)。陰陽師のみに判る表徴。

「さんげ」「懺悔」。

「きしん」「寄進」。

し給はゞ、此たゝりはやむべし」

「身をまといて」夫婦の身に纏いついて。

「いのちのありてこそのあんらくなれ」「命の在りてこその安樂なれ」。命あっての物種。ちゃんと係り結びしているのが清々しい(江戸時代には「こそ」已然形の係り結びは、かなり崩れていた)。]

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