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2016/09/27

佐渡怪談藻鹽草 眞木の庄兵衞が事

     眞木(まき)の庄兵衞が事

 

 何の頃にや有(あり)けん。年曆未詳。夷(えびす)町正覺寺の住持或夜、夢中に壱人(ひとり)の男來りて、跪(もろ)き言(いひ)けるは、

「某(なにがし)は近き頃相果(あひはて)、御取置被下(とりおきくだされ)し、夷町何某(なにがし)にて候。【其名の事有忘却しぬ】御賴申度事有(たのみまうしたきことあり)て、來り候ふ」

といふ。和尚聞(きき)て、

「我、其方の導師なれば、忘念の晴(はる)る事ならば、身に及ぶ程の事は、何ぞ違背可申(まうすべし)。されど、僧にあらざる働の事はしんしやく有べきか、先々語られよ」

といへば、彼(かの)男ゆふよふ。

「眞木村より來り、此處に住(すめ)る、庄兵衞と申(まうす)者と、某(なにがし)存生に、數年爭ふ事候ふて、某(なにがし)が理分になりたるを、遺恨に存じ、某(なにがし)を殺害せんとの氣指の有(ある)よし、祕にしらするものあれば、隨分用心致して、年月を過(すぎ)しに、年頃過(すぎ)ても、庄兵衞が心猶變ぜず。平日懷中に刃を隱し持(もち)、途中にて逢ふ時、存念を果(はた)さんとす。明暮如斯(かくのごとし)、敵を持(もち)候事故、氣もむすぼれけるにや、近年病付(つき)、終(つい)に相果(あひはて)しが、庄兵衞、今以て刃物を懷にして、遺恨を含み居候間、此亡執にさゝわりて、中有に迷ひ候、何卒、庄兵衞が心をなだめて、件(くだん)の刃を取りおさめ候樣に、御賢慮願ひ奉る」

と、打(うち)しほれて語りければ、僧のいわく、

「庄兵衞は、近年當寺の旦那に付(つき)て、折節來り候得ば、成程尋ね向(むか)ひ、實事に候はゞ、愚僧賴みて、取收(おさめ)候樣に、計ふべし」

と答へければ、いと嬉しげにて、立去(たちさる)と見て覺(さめ)ぬ。

「扨(さて)、ふしぎなる夢哉(かな)」

と思ひ過(すぎ)しに、四五十日も經て、又右の男、夢中に來て、言けるは、

「先頃御賴申せし事、何迚(とて)、御打捨被置候哉(おんうちすておかれさうらふや)。近頃恨めしく候」

迚、いきすみぬるさまなれば、

「檀用に紛れて、延引せし程に、今少し待れ候へ」

と、なだめければ、

「我が亡執の晴(はれ)やらぬ事は、何に紛(まぎ)るべき方もなく、苦しければ、とくとく御計ひ有れぞ」

と言(いふ)と行(ゆく)と見て、さめぬ。

「扨は、打捨がたければ、庄兵衞心をも聞(きか)ん」

と思ひて、聞合(きゝあは)すに、此程、在(ざい)へ行ぬよしにて、又三十日斗(ばかり)も打過ぎぬ。或夜例の男、夢中に來りて、

「僧の身として、妄語をのみなす事の腹立(だゝし)さよ。叶わずば叶わぬ迄、慥(たしか)に答へ給へ。存寄候(ぞんじよせさうらふ)事侍る」

とて、眼を見はり齒をかみ、腹を張り、詰(つめ)かけければ、和尚のいわく、

「此程庄兵衞が方を聞合(きゝあは)すれば、在へ行(ゆき)しよしなり。今年もすでに暮(くれ)なんとす。早春は、いつも來る程に、明年も、人は遣さずとも、年禮に來るべし。其節わりなく咄すべし。此詞違變せば、其方の恨を請(うける)べし」

と答ふ。

「然(しから)ば、其御詞違へ給ふな」

とて、歸ると見て覺(さめ)ぬ。次の年正月五日、例の通り、庄兵衞來て、年玉を差出し、年始詞(ことば)終りて後、和尚のいわく、

「年内にも、問合候得(とひあはせさうらへ)ば、在へ被參(まゐられ)候由にて止み、幸(さいはひ)、今日對面の序、咄し申度(まうしたき)事有(あり)」

と言(いは)ば、

「何事にか、改りたる御詞に候」

といふ。僧のいわく、

「御自分の懷中に御嗜(たしなむ)御刃物を、何かなしに、愚僧に給り候へ、偏(ひとへ)に賴成候(たよりになりさふらふ)」

といへば、庄兵衞いへるは、

「某(それがし)が脇差にて候哉(や)、安き御事にて候、可進(すゝむべし)」

と申せば、僧のいわく、

「いや脇ざしの事にてはなし。懷中し給ふ物の事よ」

といへば、庄兵衞首を打振(うちふり)、

「懷中に何を隱し置くべきや、合點の參らぬ御詞(おんことば)や」

とまじめにいへば、僧のいわく、

「是は御自分とも覺へぬ答也。愚僧がさし詰(つめ)て可申(まうすべき)事を、何とて陳じ給ふや、よし陳じば陳じ給へ。愚僧も、出家の道を破りても、見屆(とゞけ)て置(おく)べきか」

といへば、庄兵衞迷惑がりて、

「是(これ)はかゝる難儀を、被仰(おほせらるゝ)もの哉(か)。然(しから)ば、是非なく次第」

とて、懷中より何やらん、柄付の品を取出(とりいだ)し、

「此品を隱し持(もち)候事は、私意遺恨の者ありて、何か存念を懸(かけ)んと存込(ぞんじこめ)候柄ものに候得ば、眞平御免被下候へ。貴師は何として、御存候や」

といふ。僧のいわく、

「さればこそ、其刃物を以(もつて)、當所の何某(なにがし)をねらひ給ふか」

と問ふ。庄兵衞俯(うなづき)て、言葉なし。僧重(かさね)て、

「其ねらひ給ふ何某は、去る頃亡命せしを、知(しり)給ふか」

と問ふ。

「曾て、不存(ぞんぜず)、久しく病氣のよしは、粗承候」

といふ。僧のいわく、

「死去の事は、愚僧が取置(とりおき)しからは子細なし。夫(それ)にても、刃をば、身に添持(そへもち)給ふべきや」

と問ふ。又答なし。

「然らば、遺恨は、互に世に有(ある)内の事、生を隔てし人に、何迚(とて)罪深き事し給ふぞ。とくとく、愚僧にくれられ候へ。此事愚僧が存(ぞんじ)たる譯は、何某が亡靈來りて、しかしかと告げ、無據(よんどころなき)賴(たより)にまかせての事なり」

といへば、庄兵衞畏(おそれ)て、

「彼(かの)者死去致し、其上身の非を悔(くひ)て、侘(わび)申(まうす)事ならば、貴師を證據にして、遺恨の根を切(きり)、此刃物をくれ可申(まうすべし)」

とて差出(さしいだ)すを見れば、小(ちいさ)き鎌を研(とぎ)すまして、髮毛も剃る斗りなるを、鞘覆柄短にしたゝめたるにぞ有ける。僧押いたゞきて、

「我願ひ滿(みちた)り」

と悦びて、頓(やが)て、彼男の墓前の土を穿(うがち)て、埋(うづ)みければ、其後は、何の怪もなかりしとぞ。

「庄兵衞が存念、したゝかなる者かな」

と、知れる人はいゝあへるとぞ。

 

[やぶちゃん注:この一篇、本文標記やルビに有意に誤りや不審箇所が多いので注意されたい。

「眞木(まき)」両津湾の小佐渡側の根の部分に内陸まで広がる地域。佐渡市真木として現存する。

「夷(えびす)町」現在の両津港ターミナルのある一帯、佐渡市両津夷。

「正覺寺」佐渡市両津夷新(東西と南を夷町で囲まれている)にある。浄土宗。

「跪(もろ)き」意味からは「ひざまづき」であろうが、このような訓は知らない。これは見るからに「脆」と「跪」を筆者以外の無智な人間が誤認してかくルビを振ったとしか思われない

「取置(とりおき)」葬儀と埋葬。最後のシーンで、住持が、かの武器を埋めるシーンが出るから境内に墓地があったと推察される。

「其名の事有忘却しぬ」「そのなのこと、ありしも、ぼうきやくしぬ」と読んでおく。

「忘念」これは「亡念」の誤記ではあるまいか? それなら、仏教用語として「迷いの心・執着心・物事や対象に囚われる心」の意で腑に落ちる。

「身に及ぶ程の事」拙僧の身にて出来得べく範囲のこと。

「何ぞ違背可申(まうすべし)」反語。どうしてその約束に背くことが御座ろうか、いや、背くことは御座らぬ。

「僧にあらざる働の事」「働」は「はたらき」。僧としてすることの難しい行為に関すること。

「しんしやく」「斟酌」。元は「水や酒を酌(く)み分ける」意から、与えられた条件などを考え合わせて適切に処置すること。

「先々」「まづまづ」。

「ゆふよふ」「言ふ様」。歴史的仮名遣は誤り。

「某(なにがし)」ここもおかしい。この二箇所の「某」は孰れもルビは「それがし」であるべきところであろう。

「存生」「ぞんじやう(ぞんじょう)」存命中。

「理分」その争い(具体的には不明)はこの今は死んでしまった男の申し立てた「理」屈(「分」)が全面的に正しいとされて、彼の側(「分」)が勝ったことを言っている。「理分」(りぶん)でもおかしくはないが、ここは私には有利・利益の意の「利分」の方がしっくるくるようには思う。

「氣指」「兆(きざ)し」の当て字であるが、腑に落ちる当て字ではある。

「祕に」「ひそかに」。

「しらするもの」告げ「知らする者」。

「年頃過(すぎ)ても」何年経っても。

「刃」「やいば」と訓じておく。コーダで出現する奇体な武器と響き合うからである。

「存念」恨み。意趣。

「氣もむすぼれけるにや」気が晴れずに塞いでしまい、それが内に凝り固まって病因となったものであろうか。

「中有」「ちうう(ちゅうう)」中陰。人の死後、次の生を受けるまでの間の状態や、その期間、或いは、その特異な宙ぶらりんの時空間を指し、本邦では通常は四十九日間と定めている。しかしここは謂わば、そういう来世でもなく、六道のどれでもない、虚空時空間、特殊な虚無の世界を指さしているように読める。敢えて言うなら、古くからカトリック教会に於いて「原罪のうちに(洗礼の恵みを受けないままに)死んだ者であるが、しかし永遠の地獄に堕ちることも定められてはいないキリスト教を信仰していない人間が死後に行き着く」と伝統的に考えられてきた辺獄(へんごく/リンボ:ラテン語:Limbus・英語:Limbo)のようなものと私は考えている。但し、この霊は「近き頃相果」と言っているから、その四十九日の間のことともとれ、特に私のような妙な仮定空間を措定する必要はないとも言えるが、しかし二度目の例の出現は「四五十日も經て」から、三度目は二度目から「又三十日斗」りも経ってからで、三度目は完全に中陰をとっくに過ぎているので、ここはやかり私の考え方の方が、論理的にはしっくりくると思う。

「取收(おさめ)」当人から貰い受けて、仏前に納め。

「いきすみぬるさま」「息濟みぬる樣」か。亡者だから少し変であるが、「息も絶え絶えといった様子」の意か。

「檀用」多くの檀家の仏事。

「何に紛(まぎ)るべき方もなく」何かで紛らわすことが出来るような程度のものではなく。

「在(ざい)へ行ぬよし」たまたま、在所の真木村へ里帰りしているとのこと。後で「今年もすでに暮(くれ)なんとす。早春は、いつも來る程に、明年も、人は遣さずとも、年禮に來るべし」とあるから、正月休みの帰郷を主人が早めに出して呉れていたものと思われる。

「妄語」嘘・偽りを言うこと。仏教では「十悪」(在家信徒が五戒を守らない「五悪」にも含まれる)の一つに挙げられる(「十悪」は「身」の三悪(正行(しょうぎょう))の殺生・偸盗・邪淫、「口」の四悪(正語)の妄語・綺語(綺麗事を言って誤魔化すこと)・両舌(二枚舌を使うこと)・悪口(あっく:他人の悪口を言うこと)、「意」の三悪(正思)の貪欲(とんよく)瞋恚(しんい;すぐ怒ること)・愚癡(恨んだり妬んだりすること)を指し、「五悪」は殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒(おんじゅ)の五種の悪行を指す。

「存寄候(ぞんじよせさうらふ)事侍る」「存じ寄る」というのは「思いつく」「思いを寄せる」「考えつく」の意の謙譲語であるから、ここに使うのはおかしい。「何か釈明出来ることが御座るかッツ?!」という亡者憤激の台詞である。怒っているから敬語法を間違えたなどという誤魔化しは、ナシにしてくれ。

「腹を張り」腹を異様に突き出す。「詰(つめ)かけ」る(詰め寄る)動作を、亡者なれば、あり得ないほどに腹を突き出す形で行えるととると、なかなか面白いではないか。

「年玉」「としだま」。(「年賜」の意)新年の祝儀として贈る金品。

「序」「ついで」。

「改りたる」「あらたまりたる」。

「御自分の懷中に御嗜(たしなむ)御刃物」「御自分の懷中に御嗜(おんたしな)むる、御刃物(おんはもの)」と読み変えるのがよいように思う。

「何かなしに」さりげなく。ここは訳を問わずにという意味を含む。

「偏(ひとへ)に賴成候(たよりになりさふらふ)」「ひたすら、貴殿の誠意を頼りとして御座る。」「ただもう貴殿を頼りにして、何も言わずにこそれを渡し下さるよう、お願い申し上ぐる。」といった謂い。

「某(それがし)が脇差にて候哉(や)、安き御事にて候、可進(すゝむべし)」庄兵衛は僧の言ったのが、自分が帯に指している脇差のことだと思ったのである。恐らくは、彼の安物の脇差を僧が(物好きにも)気に入ったとでも勘違いしたのであろう。

「庄兵衞首を打振(うちふり)」この前振りと台詞は、庄兵衛の慌て様(よう)や、気色ばんでいる様子がよく出ている。

「是は御自分とも覺へぬ答也」「これは平素の実直誠実なる御貴殿とも思えぬ答えじゃて。」。

「愚僧がさし詰(つめ)て可申(まうすべき)事を、何とて陳じ給ふや。よし陳じば陳じ給へ。愚僧も、出家の道を破りても、見屆(とゞけ)て置(おく)べきか」「拙僧が、かくもさし詰まった状況のなかで、無理にお願い申し上げておることを、さても何故に強く抗弁しなそろうとするか?! ままよ! 口答えするというなら、徹底的に抗(あらが)いなさるるがよかろう! 拙僧も、出家としての戒を破ってでも、貴殿のまことを見届けずにはおかぬわ!!」。僧はまさに捨身になって庄兵衛と対峙しているのである。そののっぴきならない真剣さが庄兵衛の胸を打つのである。

「迷惑がりて」ここは「如何にも困ったという感じで」の意で、迷惑そうに、ではない。

「柄付」「えつき」。柄のついた物品。

の品を取出(とりいだ)し、

「存込(ぞんじこめ)候」思いを強くこめましたる」

「柄もの」「えもの」。ここは「得物(えもの)」とするのが正しい。柄のついた鎌だから「柄物」だろうでは駄目である。ここは「得物(えもの)」で明確な「武器」の意を出さなければ駄目なのである。

「眞平御免被下候へ」ここでは庄兵衛は僧に渡すことを明確に丁重に拒否しているのであ「粗承候」「あらあらうけたまはりさふらふ」。

といふ。僧のいわく、

「死去の事は、愚僧が取置(とりおき)しからは子細なし」死去に関してはその葬儀埋葬一切を拙僧が執り行ったによって、そこでは何らの変異も不審なことも一切、これ、ない。

「夫(それ)にても、刃をば、身に添持(そへもち)給ふべきや」恨む相手がこの世からいなくなったにも拘らず、それでも、その禍々しい刃(やいば)を肌身離さず添え持ちなさるる必要、これ御座ろうか!?!

と問ふ。又答なし。

「賴(たより)」依頼。

「まかせての事」従ってのこと。

といへば、庄兵衞畏(おそれ)て、

「彼(かの)者死去致し、其上身の非を悔(くひ)て、侘(わび)申(まうす)事ならば、貴師を證據にして、遺恨の根を切(きり)、此刃物をくれ可申(まうすべし)」庄兵衛は、その恨む相手があの世で、己が生前に庄兵衛に関わって行った総ての非を悔いて、私に詫びを入れるというのであれば、貴僧をその証拠、懺悔したことと詫びを入れたことの証人として認め申し上げ、遺恨の根を根元からばっさりと切り、この懐の必殺の刃物を貴僧に差し出だし捧げましょう、と折れたのである。

「髮毛」「かみのけ」と訓じておく。

「鞘覆柄短にしたゝめたる」「さやをおほひ、え、みじかに」拵えた鎌。]

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