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2016/09/21

佐渡怪談藻鹽草 小川村の牛犀と戰ふ事

     小川村の牛犀(さい)と戰ふ事

 

 往昔(わうじやく)、小川村の豐饒なる百姓何某(なにがし)の宅に、牛四五疋飼(かひ)ける中に、こつてい牛壱疋、或夜、牛小屋見ざるより、其あたり尋(たづね)しかども、居ざるにぞ、

「明日疾く起(おき)て尋ん」

迚(とて)、臥(ふし)けるが、明方の頃、

「いそ尋ん」

とて、部屋へ行(ゆき)て、件(くだん)の牛、常の如く伏(ふし)居たり。

「何處行て歸りしや」

と、不審ながら、其まゝ過しが、又の夜、小屋へ行て見るに、又おらず。かくする事、五七夜に及びければ、牛の主、猶々いぶかしく思ひて、或夜、晝より部屋の傍(かたはら)に居處を敷(しき)て、密(ひそか)に隱れて、牛をもあらしく、繩にて繫ぎ置て、例の頃を待(まち)けるに、彼(かの)牛如何(いかに)して繩をぬけゝん、緩々と歩行(ありきゆき)て、小屋の前を過行(すぎゆく)程に、はるか跡に下りて、見え隱れに慕行(したひゆき)ければ、此牛、小川村の境を越(こえ)て、海邊の草刈道より下る程に、猶々、したひて行に、字(あざ)よしが尻といふ處の汀(なぎさ)へ行て、暫く打(うち)居る程に、忽然と磯邊、波風さわさわと立來(たちきたり)て、ざつふといふ音、聞えけるを、遠(とほく)餘處(よそ)に打(うち)見れば、額に一角有(ある)牛の如き獸、汀(なぎさ)へ飛上(とびあが)り、牛を目がけて飛(とび)てかゝるを、待(まち)得たり。顏に向ひ寄(よせ)て、頭を以て戰ふさまにて、數刻移る迄、勝負つかず。牛はひたすら、尾を苦にする體(てい)にて、捲(まき)つ延(のば)しつして、互(たがひ)に角もて、かけんかけんと、爭ふさまにて、終(つひ)に明方に成(なり)ければ、相引に引(ひき)て、一角の獸は、海へ飛入(とびいり)ければ、牛も元の道へ歸りけるを、跡に下りて、傳ひ戾りしが、牛の主、思ひけるは、

「牛は尾を邪魔になりて、力劣れり」

と、見ゆればとて、明(あく)る日刃物を以て、尾を伐(たち)ければ、さもりゝしげに、有けるにぞ、

「すは今宵は、此(この)方の勝に極(きはま)れり」

と小踊(おどり)して、暮(くれ)るを遲しと待(まち)て、きのふのごとく、牛の跡に付(つき)て行(ゆき)見るに、一角の獸、又汀(なぎさ)へ上りて、突(つき)かゝり、暫く兩方、位を取(とり)て有(あり)けるが、一角の獸、つと寄(より)て、其角に掛(かけ)て、牛を三四丈脇へ投(なげ)ければ、岩角にあたりて、立もあからず、大きに一聲吼(ほえ)て、死ぬ。其樣を見て、一角の獸も、海に入(いり)ぬ。牛主は、案に相違して、天窓(あたま)をかきて、それよりも、我が宅へこそ、歸りけるとぞ。

 

[やぶちゃん注:「小川村」現在の佐渡市相川の北に接して、佐渡市小川地区が現存する。

「犀(さい)」「額に一角有(ある)牛の如き獸」容易に想起されるのは、脊椎動物亜門 Vertebrata哺乳綱 Mammalia鯨偶蹄目 Cetartiodactylaハクジラ亜目 Odontocetiマイルカ上科 Delphinoideaイッカク科 Monodontidaeイッカク属 Monodonイッカク Monodon Monoceros なのであるが、同種は北極圏にのみ分布し、迷走個体でも佐渡に来ることはあり得ないから、これはそうした奇体な生物イッカクが海にいるという渡来談を伝え聞いた者が、ここに特別出演させたと考えるのが妥当であろう。参考までにウィキの「イッカク」から角(牙)についての記載部分を引用しておく。『イッカクの雄の特徴は』一『本の非常に長い牙である。この牙は歯が変形したものである。イッカクの歯は上顎に』二『本の切歯があるのみであるが、雄では左側の切歯が長く伸びて牙となる。牙には左ねじ方向の螺旋状の溝がある。その大半が中空で、脆い。先端はつやのある白』で、『体長が最大で』四・七メートル『程度であるのに対し牙の長さは』実に三メートル、牙単独の重さだけで最大十キログラムにも『達することもある。通常牙は一本であるが』、五百頭に一頭程度の割合で二本を『有する個体も存在する。この場合、もう一本の角は左側より短いが、同様に左ねじ方向の螺旋状である。また雌は通常、牙を持たないが、約』三%程度の雌個体には一・二メートルほどの短い『華奢な牙が生える。また、野生においては一例、二本の牙を持つ雌が確認されている』。『牙の役割については多くの議論が交わされてきた。以前は棲息地である北極海を被う氷に穴を開けるために発達しているという説や反響定位(エコーロケーション)のための器官であるという説などがあった。最近では牙の電子顕微鏡検査によって内側から外へ向かう神経系の集合体と判明し、高度な感覚器として知られるようになった。この牙を高く空中に掲げることにより気圧や温度の変化を敏感に知ることがイッカクの生存環境を保つ手段となっている。また、大きな牙を持つ雄は雌を魅了することができるようである。ゾウの牙と同様に、イッカクの牙は一旦折れてしまったら再び伸びることはない』。

「豐饒」「ほうぜう(ほうじょう)」。地味が肥えており、作物がよく稔ること。

「こつてい牛」現代仮名遣に直すと「こっていうし」。底本には「こつてい」の右に『( 特 )』と編者注が附されてある。歴史的仮名遣では「ことひ牛」が正しい。「ことひうし(こというし)」は「特牛」以外に「牡牛」とも書き、「頭が大きく強健で重荷を負うことの出来る牡牛(おうし)」を指す。古くは「こというじ」とも呼んだらしく、「こといのうし・ことい・こってい・こってうし・こっとい」などとも呼称した。基本形は「ことい」であるようである。語源については「日本国語大辞典」を見てもどれもピンとこない。幾つかのネット記載も読んだが、中ではhikoimasu氏のブログ「海峡24時」の「特牛は、なぜコットイと読む?」がよく渉猟なさっていて面白い(但し、「犢」(音・トク/訓・こうし)を牡牛の意とするのは誤りで、「小牛」を指す漢語である)。

「いそ尋ん」底本には「そ」の右に『(ざ)』と編者補正注が附されてある。

「部屋」牛小屋。

「部屋の傍(かたはら)に居處を敷(しき)て」牛小屋の牛から見えぬ隅に莚などを敷いて座り所をとし。

「牛をもあらしく」「牛をも荒(あら)しく、繩にて繫ぎ置て」牛も荒っぽくガッシりと荒縄で縛り繋ぎおいて。「粗(あら)しく」ととって、行動観察するためにわざとはずれやすいように隙を作って繋ぎ置いたのだとも読めなくはないが、そうすると直後の「彼(かの)牛如何(いかに)して繩をぬけゝん」という主人公の百姓の奇異感が全く生きてこないからだめである。

「はるか跡に下りて」かなり時をおいてから家をつけて出て。牛に尾行を感づかれないようにするためである。

「慕行(したひゆき)ければ」目を離さないよう、秘かに、「一定距離、離れた牛を注視し」(これが「慕ふ」に相当する)つつ尾行して。

「小川村の境を越(こえ)て、海邊の草刈道より下る」「字(あざ)よしが尻」現在の小川地区の海浜側は総て外海府(そとかいふ)海岸で、その南側は佐渡市相川地区となり、北川は達者(たっしゃ)地区であるが、孰れも岩礁性海岸である。航空写真を見る限り、現行、牛と「犀」が戦えそうな有意な空き地(汀(なぎさ))は、相川地区との境の小川地区内に入り江の奥に細かな礫状の地帯を確認出来るものの如何にも狭い。小川地区の北の現在の達者側(境付近は岩礁帯)には新潟大学理学部附属臨海実験所があり(それが立つということは相応の多様性海岸が周辺に広がることが容易に想像できよう)、その東南方向には入り江があって、長い私海浜の「達者海水浴場」が広がっている。私なら、本篇のロケ地は絶対、ここにする。

「遠(とほく)餘處(よそ)に打(うち)見れば」遠く沖合の海面の方を打ち眺めて見ると。

「相引に引(ひき)て」互いに、身を退かせて相互に引き分けと認知してその場は止めた行動をとったのである。

「三四丈」九メートルから十二メートルほど。

「それよりも」まあ、何とも、それからしょんぼりして、とぼとぼと。この「も」は文法的は難しい気がするが、ここは「まあ、何とも」、係助詞「も」の感動・詠嘆の意でとっておく。]

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