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2016/09/27

佐渡怪談藻鹽草 小川權助河童と組し事

     小川權助河童と組(くみ)し事

 

 享保の始(はじめ)つかた、小宮山彦左衞門召遣(めしつかひ)に、權助といふものあり。此もの小川村の産にして、生れ付(つき)、殊に逞しく、力量他にこへたり。若年より相撲を好み、又は腕立成(なる)事共(ども)、其聞えあるもの也。元より生得かしこければ、農家の業を嫌ひ、武家に勤(つとめ)て、我(われ)不敵なる事を、府中に顯わさんと思ふより、行年二十三四の頃より、小宮山が僕と成(なり)、忠を盡すこと年あり。たまたま帶刀する時は、在名をもて、則(すなはち)、小川權助と名乘(なのる)。府中に隱れなき奴なりけり。或時小宮山、諸用の事にて、他へ使す。頃は、彌生の半頃、春雨、いとしめやかに降(ふり)て、夕日に落(おち)かゝる程なるに、羽田の濱を通りぬ。海際より、十二三斗りなる童の、いと怪しげなるが、川筋に添ひて、登るかと見へしが、權助を目掛け、近寄(ちかよる)とひとしく、後より帶の結びを捕へ、一無盡に海の方へ引(ひき)ゆかんとす。權助振除(ふりのぞか)んとすれど、猶引く事強く、怪しきもの哉(か)と、寄向ひて、むずと組(くむ)。件(くだん)の童、少しもたゆまず、組合(くみあふ)事、數刻にして、既に海際まで、組行(ゆき)たり。權助思ふには、

「是ぞ、世にいふ川獺なるべし。河童は、頭上に窪み有(あり)て、陸へ顯るゝ時は、水をいたゞき、其水溢れざる程は、力強きよし、聞(きゝ)傳へければ、彼(かの)水を打(うち)こぼさん」

と心付(こゝろづき)、振り拳を以て、彼ものゝ頭上を碎(くだか)んばかり、五つ六つ續けざまに、打(うち)ければ、實も力や失ひけん。權助を振(ふり)はなし、海中へ飛入(とびいり)ける。權助、あまりに組疲れければ、川水にて、喉を潤し、しばし息を繼ぎ、

「くせもの、最壱度顯われば、組留(とめ)んす者を」

と、磯際にすゝたち、半時斗りも待(まち)かけけれど、彼(かの)もの終(つひ)に出(いで)ず。權助殘念ながら、以前の用事の缺(かけ)んも如何(いかん)と、其儘に打捨(うちすて)、使用(つかひよう)足早に調へ、小宮山が方へ歸る。彦左衞門申(まうし)けるは、

「何迚(とて)、遲く歸りぬ」

とあれば、

「其事にて候。羽田濱にて、怪異なる事の候て、手間取候」

と、しかしかの事を語る。小宮山も怪敷(あやしく)思ひけれど、權助が顏色靑く、いかにも疲れたる體(てい)なれば、

「さる事も有べし。むかしより、羽田の海には川童住(すみ)て、人を害する事數多(おおく)有(あり)。汝其(その)異形を止めば、いやしくも、名を後代に殘さんものを、殘念さよ」

と、戲れけるとかや。

 

[やぶちゃん注:「享保の始(はじめ)つかた」「享保」一七一六年から一七三五年。始めの頃であるから、一七二二年ぐらいまでか。

「小宮山彦左衞門」これより遙か以前の江戸初期であるが、佐渡地役人の中に同姓同通称の武士がいたことが「佐渡で活躍した甲斐の人々 武士の部」で判る。

「小川村」現在の佐渡市相川の北に接して、佐渡市小川地区が現存する。

「腕立成(なる)事」腕比べ。腕力比べ。

「我(われ)不敵なる事」自分が無敵の臂力(ひりょく)の持ちであるという強烈な自信。

「府中」佐渡国。

「行年」ここは単に年齢(数え)の意。

「奴」「やつこ(やっこ)」。通常の意味では、武家の奴僕で撥鬢(ばちびん)頭・鎌髭(かまひげ)の姿で日常の雑用の他に槍・挟み箱などを持って行列の供先を勤めた者、「中間(ちゅうげん)」と同じであるが、ここの語気は、一部が、そうした連中の中から出現した俠客・男伊達(おとこだて)の荒くれ者で、派手な或いは奇矯な服装をし、無頼を働いた旗本奴のニュアンスで言っている。そうでないと、コーダの小宮山の台詞が生きてこないからである。

「羽田の濱」「はねだのはま」と訓じておく。現在、佐渡市相川地区の南部に羽田(はねだ)村が現存する。但し、ここは現在は内陸で相川下戸(おりと)町を挟んで海浜に接している。この浜のことを指と思われる。同地域には現在、別の町域を挟んで北と南に河川が流れている。

「一無盡に」脇目も振らずに行動するさまを言う。無暗矢鱈、一気に、一思いに、我武者らにといったニュアンスであろう。

「數刻」「すこく」と読んでおく。一刻は「僅かな時間・瞬時」の意があるが、ここはそれではおかしく、「一時(ひととき:現在の二時間相当)の四分の一、現在の凡そ三十分間を指している。

「川獺」「かはうそ」。当時、実在した生物としては食肉(ネコ)目 Carnivora イタチ科 Mustelidae カワウソ亜科 Lutrinae カワウソ属 Lutra ユーラシアカワウソ Lutra lutra 亜種ニホンカワウソ Lutra lutra Nippon であるが、ここは妖怪の河童と同義で用いている。ウィキの「カワウソ」によれば、『石川や高知県などでは河童の一種ともいわれ、カワウソと相撲をとったなどの話が伝わっている』。『北陸地方、紀州、四国などではカワウソ自体が河童の一種として妖怪視された』。『室町時代の国語辞典『下学集』には、河童について最古のものと見られる記述があり、「獺(かわうそ)老いて河童(かはらふ)に成る」と述べられている』とある。ニホンカワウソは嘗ては全国に広く生息していたが、昭和五四(一九七九)年以来、目撃例がなく、遂に二〇一二年に絶滅種の指定がなされた。佐渡に棲息していたかどうかという生物学的証拠は探し得なかったが、ノンフィクションライターで歴史民俗学者であられる礫川全次(こいしかわぜんじ)氏(私は以前にこの方から歴史民俗学研究会への参加を慫慂されたことがある)のブログ「礫川全次のコラムと名言」の『カワウソに関する伝説(藤沢衛彦執筆「カワウソ」を読む)』に、民俗学者藤沢衛彦(もりひこ)氏執筆になる百科事典の「カワウソ」の引用の中に佐渡のカワウソの話が出る。孫引きになるが如何に引く(一部、切れている箇所を繫いだ。下線やぶちゃん。一部で表記不能の字を□■で示しておられ、最後に当該字の注を礫川氏が注しておられるが、現在、孰れの字もユニコードで表示出来るのでそれに換え、注は省略した)。

   《引用開始》

〔伝説〕『和名抄』には水獺〈カワウソ〉を「宇曾」〈ウソ〉と記してゐるが、『月令』の書は水獺と記して山獺と区別してゐる。川獺、海獺といふ種は共に水族として同様の伝説を存せしめてゐる。水獺は小獣ではあるが、淵の底に住んで悪事をなすこと頻〈シキリ〉に、よく人語を真似て、人を惑はし、人を騙かして〈ダマカシテ〉水に引込むなどと伝へられてゐる。河に住むを川獺といひ、海に住むを海獺と名づける。『佐渡志』によると、佐渡の両津町附近では、昔から海獺はけしからぬ詐術を以て人の命を奪ふと信ぜられ、一名を海禿〈ウミカブロ〉といふ説話は、河童と同系の伝説をなすものである。それで『信濃奇談』などは、老獺が変つて河童となるといつてをり、さう信じてゐた地方があつた。獺〈カワウソ〉伝説は少なくとも河童伝説の一素因をなすやうで、『西安奇文』の陳西咸寗県趙氏の娘が水獺に魅せられる話は、水獺が一種の好色獣として人間と交婚し遂に惨殺する説話で、水獺には元来雌雄がなく、多くは猨(手長猿)を相手とするといふ伝説が、幾多人間との交婚説話を将来したものと考へられる。獺の雌なきを獱獺といひ、猨を選ぶことについて「援鳴而獺候」などいはれることは恐らく獺の交尾期を示してゐるものらしい。常に魚を食して水信を知るといふことも、獺の尋常ならぬ動物であることを指せるもので、『月令』に、正月、十月、獺魚を祭るといふことについて、女陰を魚にて描くのであるといふ俗説をなせるものは、寧ろ〈ムシロ〉『呂氏十一月紀』に、「獺祭円鋪、円者水象也。」といへる見方が正しいであろう。『小戴記月余』には、「此時魚肥美、獺将食之先以祭也。」と見える。その祭日を雨水の日となし、円を描くは女陰を象る〈カタドル〉のである故に獺の皮を以て褥〈シトネ〉を作り、これを産婦に敷かしむるに安産をするなどの俗説が立てられてゐる。『七十二候』には「水獺祭魚、以饗北辰、獺不祭魚、必多盗賊」と見え、日本に於ても、この民俗を伝へてゐる。(藤沢)

   《引用終了》

これによってニホンカワウソの佐渡棲息は認められると考えてよかろう。

「實も」「げにも」。

「最壱度」「もいちど」。

「組留(とめ)んす者を」「組み留めんずものを」であろう。「んず」は意志を表わす助動詞「むず」の音表記変化したもので、上代には「むとす」(推量の助動詞「む」+格助詞「と」+サ変動詞「す」)で、「むず」となったのは中古。中世前期には盛んに用いられたが、中古にあっては俗語的で、はしたない悪い言葉遣いとされていたようである)。「者を」は逆接の確定条件を表わす接続助詞「ものを」の当て字。「組みしだいてやろうものを!」

「半時」約一時間。

「以前の用事の缺(かけ)んも如何(いかん)と」主(あるじ)小宮山彦左衞門から命ぜられた最前の用件を果たさずに帰ることも如何なものかと思い。

「使用(つかひよう)足早に調へ」当該の用事の場所へ速やかに出向いて、用件を手早く済ませ。

「小宮山も怪敷(あやしく)思ひけれど」ここで主人が怪しく思ったのは、奇っ怪な河童の出現の怪異自体ではなく、彼自体の言い訳であることに注意。小宮山は、普段からかぶいて何かと問題を起こす権助のことだから、何か途中で遊びなんどして、遅くなったのではないかと疑っているのである。

「數多(おおく)」「おおく」(歴史的仮名遣は誤り)は「數多」の二字に附されたルビ。

「汝其(その)異形を止めば、いやしくも、名を後代に殘さんものを、殘念さよ」「そなた、そのかぶいた恰好やら素行やらを止めて全うなる中間(ちゅうげん)であったなら、かりそめにでも、『河童と組み合って勝ったる勇士』としてその名を後代までも残したであろうに、いやいや! なんとまあ、残念なことか! ふふふ」。

「戲れける」「たはむれける」。]

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