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2016/09/26

佐渡怪談藻鹽草 高田何某あやしき聲を聞事

     高田何某(なにがし)あやしき聲を聞(きく)事

 

 寶曆二申年、如月始(はじめ)の事にや。日は忘れぬ。印銀所泊番にて、高田氏備寛(びかん)、内田何某、保科何某、三人止宿せしが、前の年の夏より、國の御仕替迚(とて)、物騷しかりければ、宿の族も、多くは不寢の如くにてぞ有(あり)ける。其夜は、いと餘寒甚しく、各寢卷を引(ひき)懸けて居たり。夜はいたく深(ふかく)て、丑の刻斗りにも侍らん。眠りを補ふむかし咄に、高田、保科は覺(おぼえ)て居ぬ。内田はすやすや居眠(ねむり)ぬる程に、味噌屋町、入口の方當りで、地よりは二丈も、上と思しく、大牛の呼ぶ如く、ひゞれの入(いれ)たる聲、高く聞ゆ。高田

「あれは」

と、保科へ目くばせしければ、保科も

「げに」

と答へ、其詞(ことば)引(ひか)ざるに、大御門の向ふにと思しき方にて、右の如く、又、大聲聞ゆ。凡(およそ)、其程を考(かんがえ)るに、早く共、四足の獸のいかに走る共、及(および)難き。其あわひ、四十間も有べし。羽有るものにしては、聲に應ぜる形狀ならば、甚だ怪敷(あやしく)なるさまあらんと、弐人(ふたり)あきれて、評議しぬれば、内田、目覺て、

「跡の一聲は聞(きき)たり」

といへるに、

「翌日は慥(たしか)成(なる)形緣の説もあらん」

抔(など)、近邊の沙汰を聞(きき)あへり。外に聞(きく)人なし。遙後に、人喰犬の説などを、取りあわせて語る人もあれど、中々、犬などの、いか程かけり、歩行(ありき)ても、地を離れざるは、論に及ばず、聲もまた、犬の聲を十疋合(あはせ)ても、及ぶべくもなし。何れ共、實を知らざれば、其(その)虛を虛とせんや。むなしく聞置(きゝおか)んも、くやしく、後考の爲しるし置(おく)也。

 

[やぶちゃん注:「高田何某」とあるが、本文で既にお馴染みの「高田氏備寛」とあるのはやや不思議。

「寶曆二申年」宝暦二年壬申(みずのえさる)でグレゴリオ暦一七五二年。

「如月始(はじめ)」宝暦二年二月一日は一七五二年三月十六日である。

「印銀所」「いんぎんしよ」「印銀」とは佐渡一国内での通用を目的として元和五(一六一九)年に鋳造された銀貨。佐渡は銀の大生産地であったから、国内限定の通用銀を作らないと、上銀の抜荷(ぬけに)を抑えることが出来なかった。上銀六分に銅鉛四分の比率で混入したもので、極所(きめしょ)で「徳」・「通」・「定」・「印」の判が打たれた。相場は市中で一両に六十二匁ほどであった。最初つくられたのは八百貫、慶安の吹替えで千九百二十六貫に達したが、宝暦(一七六一)年に廃止され、文銀を通用銀に代えた(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。この「印銀所」とはその判を刻印した「極所」のことであおう。

「前の年の夏」宝暦元(一七五一)年夏。

「國の御仕替」「くにのおんしかへ」。前の注にあるようにまさに佐渡一国で通用していた印銀を廃止し、文銀に「新しく作りかえる」(仕替(しか)ふ)という国内通貨大改変期のことを指している。以下の通り、役人ら誰もが不眠不休の連続であったろうこと、ピリピリしていたことは、想像に難くない。

「宿の族」「しゆくのうから」。宿直(とのい)の下役人ども。

「不寢」「ふしん」。ろくに寝ないこと。真面(まとも)に文字通りの不眠の宿直をせねばならぬこと。

「餘寒」立春後の寒さ。寒が明けてもなお残る寒さ。旧暦の立春は正月節(旧暦十二月後半から一月前半)にあった。

「丑の刻」午後二時頃。まさしく怪異出来の時空間である。

「眠りを補ふ」眠くなるところを目を覚まして居ねばならぬ、その代わりに補うための。

「味噌屋町、入口の方當り」佐渡奉行所跡の南東の角に、現在も相川味噌屋町が現存する。

「二丈」約六メートル。

「大牛」「おほうし」。大きな牡牛。

「ひゞれの入(いれ)たる聲」「ひゞれ」は「罅(ひびれ)」で「ひび」のこと。牛の啼き叫ぶのに、耳障りな慄っとする、ひび割れが入ったような感じの不快な声。

「其詞(ことば)引(ひか)ざるに」その保科の「げに」と応じた言葉が終わらぬうちに忽ち。二度目の怪声が間髪を入れず聴こえたのを、実に美事にリアルに表現したものと私はとる。

「大御門の向ふ」「大御門」(おほごもん(おおごもん)は佐渡奉行所の表門のこと。

「其あわひ」その間。

「四十間」七十二・七二メートル。現行の相川味噌屋町町域の北西の外れ(奉行所側)から測定すると、ここれよりも少し長く、ほぼ百メートルある。

「羽有るものにしては、聲に應ぜる形狀ならば、甚だ怪敷(あやしく)なるさまあらん」この距離を数秒で移動する、しかも空中からその声が聴こえるというのは、羽を持った鳥類としか考えられないけれども、その牡牛のような野太く、ひび割れたような大きな反響音で啼くのに応じた体型というのは、これ、とてものこと、鳥の類いとは思われず、非常に怪奇な(物の怪の仕業とも思しい)現象としか思えぬ。

「跡の一聲は聞(きき)たり」「拙者も、目覚めた折り、二度目のおぞましき一声は、これ、確かに聴いた。」。

「翌日は慥(たしか)成(なる)形緣の説もあらん」「形緣の説」(「けいえんのせつ」と読んでおく)は不詳。物的な証拠となるような「形」跡(痕跡)、或いはその声の原因と推定し得るところの由「縁」の物(非生物の物体かも知れぬし、者(人)かも知れぬし、何らかの実在する動物かも知れぬ)によって論理的に納得出来る説明のことか。「ともかくも、明日になれば、この怪異を説明出来る、確かな痕跡や所縁(ゆかり)の物証も見つかることであろう。」。

「遙後に」「はるかのちに」。

「人喰犬」「ひとくひいぬ」。狂犬(野犬・山犬)か狼のことか。後の言い分から見ると、そういう名の妖怪の謂いでは、ない。

「取りあわせて語る人」いろいろと勝手に挙げては、それらの都合よい部分だけを組み合わせて語る人。こういう知ったかぶりは何時の世にもいるものである。

「何れ共、實を知らざれば、其(その)虛を虛とせんや」どの説明も、その核心に於いて大事な真実性が欠けているのだから、寧ろ、その怪異は、理由は不明乍ら、そういう妖しい空を飛ぶあり得ない生き物の声が聞えた、というような気がした、に過ぎない(「実」に対する「虚」)、事実としては「偽り」の現象であった、とするしかないのであろうか?

「むなしく聞置(きゝおか)んも、くやしく、後考の爲しるし置(おく)也」ただの馬鹿話として聴き捨てにされて(怪声を確かに「聴」いたことにも掛けているに違いない)しまうのも、実際に確かにその声を聴いたというその人々の気持ちになってみれば、すこぶる悔しく、後の誰かの考証(それによって真実が明らかにされるかも知れぬ)のためにも、ここに記しおくものである。……すまない……私も解き明かすことは出来ぬ…………]

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