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« 芥川龍之介 手帳6 (1) | トップページ | 変貌した本郷界隈   梅崎春生 »

2016/09/01

吾妻橋工場見学   梅崎春生

 

 去る四月某日、「あひる会」写生旅行の一員として、浅草をおとずれた。一行六十余名。先ずロック座を見学写生し、そのあとアサヒビール吾妻橋工場を見学させてもらうというスケジュール。

 ロック座。好運にも私一人、かぶりつきに席を得て、一幕物の芝居を見る。馴染み(といっても十四五年前の)の俳優は、武智豊子ただ一人。彼女もずいぶん年をとった。感慨をもよおしつつ鑑賞しているうち、ふと気がつくと、あひる会全員の姿がそこに見当らない。幕あいになって、やがてぞろぞろと戻ってくる。

 聞いてみると、向いの喫茶店に踊り子を呼んで、ストリップやアクロバットの写生をしていたのだと言う。つい舞台に見とれて、とんだ不覚をとった。皆からわらわれるし、そこを出てビール工場に着くまで、残念で憂鬱な気分であった。せめてビールで取り返さねば。そんな気持で隅田川べりの工場に踏みこむ。

 工場側の人の案内で、一時間足らずの間に、隅から隅まで見せてもらった。先ず感じたことは、工場の広さや設備に比べて、従業人員が非常に少ないこと。それが非常に近代的な感じを与える。原麦を醗酵(はっこう)させるのだって、人力ではなく、麹(こうじ)がそれをするのだから、技師が一人、それを見張っているだけで済む。万事がこんな具合で、工場内がばかにスマートに感じられる。近代工場の未来的形はこんなものか。

 よごれた空壜(あきびん)が空になって、順々に清掃される。その操作がなかなか面白かった。数十の空壜がひょいと持ち上ると、下から同数の束子(たわし)のようなものがひょいと突出て、それぞれの空壜の尻を、こちょこちょとくすぐるようにする。上からはまた別の刷毛が出て、填の内部をごしごしとこする。そこらは苛性ソーダのにおいでいっぱい。そしてまたたく間に、それら回収空壜は新品同様となる。

 それらがベルトで運ばれ、機械によってビールを次々詰められ、二ダース毎に木箱に詰められて、鉄の斜面をするするとすべって、地下室に姿を消してしまう。女工員や男工員が要所要所にいて、木箱の方向をちょいと正してやったり、詰め方不良の壜を、容赦なく見分けてつまみ出したりする。どんなのが不良なのか、素人(しろうと)の私たちには判らないが、それら女工員は刑事の如き慧眼(けいがん)をもって、不良壜をつまみ出す。実に鮮かで感心した。働くものの美しさが、この人々の姿勢や風貌に、すがすがしく充ちわたっている。金魚のうんこみたいにぞろぞろ見物している私たちの方が、すこし気恥かしいぼど。

 巨大な樽(たる)がズラズラと並んでいる部屋があった。この部屋はひどく寒い。樽の直径は七八米ほどもある。入口は小さいのに、どういう方法で、これらの樽を部屋の中に入れたか。答は簡単。入口が出来る前から、この樽たちは鎮坐していたという話。ここらはビールの匂いがぶんぷんする。一日中ここで働いていると、もうビールの顔を見るのも厭(いや)になりはしないか、などと思う。

 巨大な醸造釜、麹室、ホップ(もう乾燥されて袋に詰められているもの)其の他いろいろを見て廻り、最後に別室に案内され、出来たてのビールをたくさん御馳走になった。あんなにビールの匂いに食傷したような感じであったけれども、飲んでみるとやはり美味(うま)かった。思わずうなるほど美味かった。やはり生ビールの味は、時間の経たないことが第一条件だと、しみじみと感じた。スケッチブックには何も収穫はなかったが、この味を味わっただけで、私はすっかり堪能した。

 

[やぶちゃん注:昭和二六(一九五一)年六月号『ほろにが人生』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。冒頭「去る四月」の後には「(昭和二十六年)」とポイント落ちで入るが、これは底本全集編者による追加と断じ、除去した。なお、この掲載誌は朝日麦酒株式会社発行の広告雑誌ではないかと思われる。

「あひる会」調べてみると、この年の三月に、画家・作家・音楽家が中心となつて絵筆を楽しもうという会員のつどい「アヒル会」が九日午後四時から日比谷山水楼で発会式をかねて第一回の会合を開催した、と「東京文化研究所」公式サイト内の「東文研アーカイブデータベース」のこちらに記載があった。梅崎春生は「あひる」と平仮名書きであるが、これであろう。]

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