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2016/09/17

佐渡怪談藻鹽草 梶太郎右衞門怪異の物と組事

     梶太郎右衞門(かじたろうえもん)怪異の物と組(くむ)事

 

 往昔(わうじやく)、梶太郎右衞門といふ御家人有て、雲子(うんこ)番屋を勤(つとめ)し時、彼(かの)所の役館に住(じゆう)せり。生年二十餘りにして、いまだ妻をば迎へず。老母と妹有。或夜、酒友出會て、興を盡し、夜半に歸宿せしに、母妹は一間に伏(ふし)たり。召仕は臺所に高鼾(たかいびき)して、其身は殘醉に浮(うか)れ、おいへに仰ぎ臥(ふし)て、寢ながら三味泉を曳(ひき)て居たり。朧夜の事なれば、影ほしげに向ふの障子を見れば、内椽(うちのたるき)の二本障子の中程、人の立し影のやふに見えけれども、外は連子(れんじ)にて、人の入(いる)べき樣なければ、

「何ぞ連子に衣類をかけ置けるにこそ」

と思ひ、猶面白く、撥音(ばちおと)淸げに引(ひき)て居たるに、丑の刻斗(ばかり)とおもふ頃、空晴れけるにや、月影差入(さしいり)て、件(くだん)の内障子にあかあかと移りけるを見れば、件の影、いよいよ人影にて、髮を草たばねにし、平袖の短き物を着し、懷手したる人影移りけるより、太郎右衞門、三味線を脇に置き、脇ざしを差(さし)、起上(おきあが)り、

「其(その)所居たる奴は何者なれば、斷(ことわり)もなく武士の家内へ入(いり)けるぞ」

と三聲迄呼(よべ)ども、かつていらへなく、影なを以前のごとく也。

「いでいで思ひ知らせん」

立(たち)て障子をあらゝかに引明(ひきあけ)みれば、障子にうつりしに違ひなき有樣にて、後ろさまに立たり。女の身を捨て、貧しく成(なり)たるものゝ風情なり。太郎右衞門又いわく

「おのれは何奴(なにやつ)なれば、士の内へ案内もなく、入込(いりこみ)居て、咎(とがむ)れども答へず、緩怠(かんたい)至極也。答へずば、こたへさせ樣の有(あり)」

迚(とて)、後ろざまに襟をつかんで引倒(ひきたお)さんと飛(とび)かゝれば、其時、曲(くせ)もの、後(うしろ)へ向き、

「やは」

といひて、兩手をあげて飛かゝりぬ。組(くむ)程に、上になり下に成(なり)、半時斗(ばかり)、組合(あひ)けれども、捕へ得ず。太郎右衞門思ふ樣、

「此(この)はげしき組合(くみあひ)に、納戸よりも臺所よりも、人の來らざるは、かくも寢るものかな。何卒(なにとぞ)納戸の方へ轉(まろ)び行(ゆき)て、戸にあたらば、起(おき)なん物」

と思ひ込て、戸の方へ組合來(くみあひきた)り、呼ぶ斗(ばかり)にては、迚も起合ねば、組合ながら、納戸の戸をしたゝかに踏(ふみ)ける故、老母起出(おきいで)て

「何事ぞ」

といふ。太郎右衞門いへるは、

「曲者を組留(くみとめ)居る。早く燈(ひ)を照し給へ」

といふ。

「心得たり」

とて、老母、埋(うづ)みたる曲突の火を付木に移して、行燈(あんどん)をてらしみれば、太郎右衞門、何やらん押へて居たり。寄(より)てみれば、箒(ほうき)を押(おさ)へて居し程に、

「夫(それ)は何故」

といへば、扨もあやしきとて、右の内椽(うちたるき)を始(はじめ)、便所迄尋(たづぬ)れ共(ども)なし。其外家内をさがせども、一物も見へず。詮方なく、夜をあかし、其次の日、上相川(あひかわ)の内、法刹(ほうさつ)の寺院に行(ゆき)て占へば、

「家にある古き靈のわざなり」

といへれば、則、其寺にして、施餓鬼(せがき)の法事を經營せし故にや、其後は、させる怪異もなかりしとぞ。

 

[やぶちゃん注:「雲子(うんこ)番屋」佐渡金山内の採掘坑道の中の固有名である「雲子間歩(うんこまぶ)」(元和四(一六一八)年山主の雲子(うんこ)利右衛門が切り開いた金山坑道を管理警備する役方の詰所のことであろう。

「おいへ」底本には校訂者によって右に『(御家)』とある。これは敷物や畳の敷いてある部屋、座敷、居間のことである。以下の叙述から見るとかなり狭いものと思われる。

「影ほしげに」風流の序でに月の光りも味わいたいような気持ちで。

「内椽(うちのたるき)の二本障子の中程」この家は天井張りをしていない。そのため、家屋内の上部の軒桁(のきげた)から母屋を経て棟木(むなぎ)に達する屋根下地の垂木がそのまま見えており、その垂木の端には障子が二枚立ててあって、その中央部分。

「外は連子(れんじ)にて、人の入(いる)べき樣なければ」その二枚障子の外側は、廂の間などはなく、すぐに連子窓(連子格子を取付けた窓。四角の窓枠の中に縦或いは横に(ここでは直後に「何ぞ連子に衣類をかけ置けるにこそ」と思ったとあるから、横に打ったものであろう)、方形若しくは菱形の断面を持った棒、連子子(れんじし)を、その稜の部分を正面(外)に向けて並べたもの)となっていて、人がそこに立っていられるような空間はそもそもが存在しない、と言うである。即ち、この女の幽霊は二次元的な厚みを殆んど持たない平板な存在で、しかも月光を透過させない物質で出来ているということになる。

「草たばね」女性の髪形の一つ。油を附けずに飾りもなしで束ねたもの。「精進髷(しょうじんまげ)」ともいう。

「平袖」「広袖(ひろそで)」とも呼ぶ。袖口から袖下までを縫わず、完全に開いた状態になった袖を指す。今の長襦袢や丹前などの袖の形。

「いでいで」感動詞。さあさあ! 

「女の身を捨て」売春婦のような風体(ふうてい)という意味か。

「緩怠(かんたい)」無礼。

「やは」「やあッツ!」という叫び声のオノマトペイアともとれるが、或いは反語の副詞、或いは同じく反語の終助詞の、異例に単独で用いられたものかも知れぬ。前の太郎右衞門の台詞の最後、「答へずば、こたへさせ樣の有(あり)」に対して、『やれるもんならやって見よッツ!』と応じたのかもしれぬ。

「半時」現在の一時間相当。

組合(あひ)けれども、捕へ得ず。思ふ樣、

「寢る」「いぬる」と訓じておく。「源氏物語」の「夕顔」である。

「何卒(なにとぞ)」何とかして。

「納戸」「なんど」(「なん」は唐音)は元は衣類・家財・道具類を仕舞って置く部屋で屋内の物置部屋を指したが、中世以降はそこが寝室としても用いられるようになり、逆に「寝間(ねま)」と同義になった。

「起(おき)なん物」の「物」は当て字。終助詞「もの」で、「(普通は必ず)~する(はずな)のになあ」という逆説的詠嘆である。

「曲突の火」「曲突」は「きよくとつ(きょうとつ)」と読む。「曲突徙薪(きょくとつとしん)」という四字熟語があり、これは「災難を未然に防ぐこと」の譬えである。「突」は「煙突」の意で、「徙」は「移す・物を移動させる」の意。全体は「煙突を曲げて、竈(かまど)の周りにある燃え易い薪を他に移しておいて、火事になるのを未然に防ぐ」の意である。訓読では「突(とつ)を曲(ま)げ、薪(たきぎ)を徙(うつ)す」と訓ずる。「徙薪曲突(ししんきょくとつ)」とも言い、「漢書」の「霍光(かくこう)伝」や「十八史略」の「西漢宣帝」などを典拠とする。ここは火事にならぬよう、しかし火種を消さぬように囲炉裏の灰の中に埋み火にし置いた火の謂いである。

「付木」「つけぎ」。火を移したりするための薄く小さな木片。

「内椽(うちたるき)」ここは広く天井空間総てを指すのであろう。

「便所」通常、当時の厠は外に別建てであった。

「上相川(あひかわ)」現在の佐渡市上相川町は史跡佐渡金山の南東直近である。

「法刹(ほうさつ)」法華宗の寺院。古地図(PDF)を見ると上相川地区の柄杓町には日蓮宗「法花寺」(現存しないが遺跡は見つかっている)があったとあり、しかもこの町には慶長期頃には遊女がいた歓楽街であったとある。この女の霊を供養する因縁を感じさせないか?

「施餓鬼(せがき)」餓鬼道に堕ちて飢餓に苦しむ亡者に食物を供えて弔う法会。もともと時節を選ばずに行われた(現在は盂蘭盆会とともに行われることが多いことから、今は両者を混同している者が多い)。浄土真宗以外の各宗派で行われている。由来など詳しくはウィキの「施餓鬼がよい。]

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