フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 日本的空白について   梅崎春生 | トップページ | 諸國百物語卷之二 五 六端の源七ま男せし女をたすけたる事 »

2016/09/15

衰頽からの脱出   梅崎春生

 

 生活やその他のものに疲れて、何をする気もなくなり、ほとんど全く消耗し虚脱したような状態になることが、近頃の私にときどきある。かぞえてみるとこんな状態は、私のばあい周期的にやってくる。一定の時期をおいてほぼ確実に私に訪れてくる。精神のありかたというよりも肉体の生理にちかい。そのような一種の空白のあいだ、私は何をすることもなく部屋にすわっていたり、あてどもなく街をあるいていたり、酒精性(アルコール)飲料をむちゃくちゃに飲んでいたりする。泥酔して他人にからんだり、意識を失ってしまうのも、きっとそんな時なのだ。泥酔しているときは別として、そんな状態で覚めているときの私が、いつもぼんやり頭にうかべつづけている一つの夢想がある。いや、夢想というほど形のはっきりしたものではなく、うつらうつらと頭の片すみに浮んでくる泡沫みたいなものに過ぎないのだが、それは此の世のあらゆる人間関係が極度に透明で、それらのたたずまいが確然と数学的に割切れているような、そんな他愛もないユートピアじみた世界の幻想だ。そんなはかない幻想を、私はある執拗な憧憬をもって、頭の片すみで追いかけている。その幻想の世界の中では、人間というものは北国の空気のように透明で、色んなものが変に屈折することがなく、内奥と表現とが狂いなく一致しているのである。たとえばここでは、心理と論理とは同義語であり、倫理という言葉もそれと同じ意味になってしまう。そのような世界の幻想を、衰弱した気持の状態のなかで、私は一日中ぼんやりと追いつづけているのである。

 もちろんこれは私の衰弱した幻想で、筆にするほどの価値のあるものでもない。しかしこんな幻想が、私の疲労した状態にかぎって浮んでくるというのも、私をとりまく現実があまりに泥沼みたいに澱んでいて、いつもは手足をもがくことでその抵抗をたしかめているのだが、疲労して張りを失ってしまうと、末期(まつご)の眼にうつる来迎(らいごう)のように、私の頭にそんな幻想がうかんでくるのだろう。そんなとき私は漠然と、私をとりまく環境を憎悪し、憎悪している自分をさらに憎悪している。私をとりまく環境というのも、皮膚面で感知する範囲はいわば向う三軒両隣にすぎないが、そのとき私が茫漠と感じているものを突きつめてゆけば、やはり問題は私と生活や風土を同じくしているものすべてに拡って行くようだ。

 ひとことにして尽せば、この日本列島という貧しい風土に発生した日本人の気質というものを、私は極度に好まないのだ。もちろんそのような気質は、私が日本列島の住民であるかぎり、私の中にも確然と根をおろしていて、その気質を否定することは、私にとっては自分の宿命を否定することと同じようなことで、そんなことが可能であるわけがないが、しかし私がそれを嫌悪する気持に嘘はないのだ。だから、私は自分を憎むかたちで、それへの憎悪をたしかめる。私の中にも巣くう貧しくひねくれた気質を、そしてそれが産むさまざまの習俗を。今ふりかえってみても、物心ついて以来私が苦しんだり感じたりしてきたのは、やはりその根元にはそれが横たわっていて、それが「家」という形や「義理人情」という形になって現われていて、もし私が自分の精神史をかくとすれば(今書けばあおくさいものが出来上るにきまっているから書きはしないが)先ずだいいちにそれをテーマに取り上げざるを得ないだろう。そして生涯を賭してもそれを超克できぬかも知れぬという予感があるからこそ、それに対する私の憎悪はきわめてふかい。

 日本的気質とは、一言に尽せば、精神の本質的な衰頽である。「天地正大の気が粋然として神州にあつま」った瞬間、風土やその他の関係で一種の気質的なものに変形し、それが衰退に衰退をかさねて現在にいたったものがそれである。この気質は今なお日本全体をおおっていて、終戦後といえども、近頃結成された最も進歩的な団体が、その内部は親分子分の関係でつらぬかれていたり、文化面にいまだ徒弟制度が存続していたりするのがそれだ。こんな時代になってもそんな制度を発生させる母胎としての我々の気質を、私は身もすくむようないやらしさでふり返らずには居れないのだ。封建制度の残存、などと安心しているわけにはゆかない。残存なんかしているものか。皆が産みだしたくせに。ことを日本文化に限っても、この衰頽があるいてきた道程に、風流とか、花鳥風月とか、個を滅して大我に参ずなどと、言葉は立派だけれども、ひっきょうは自我を埋没して他によりかかろうという精神がある。自我の壮大な完璧さをいとう精神である。完璧に耐え得ないほど衰えはてた精神である。それはもはや精神ではなくて、気質というものにすぎない。精神とはもっと筋金が入ったものだ。だからこと文学に関しても、我が国の文人のおおむねを貫くものは、作家精神というものではなくて、文人気質であるに過ぎぬ。精神が貫かぬ風土に伝統がうまれるわけがなく、現在私たちが過去から受けとっているものは、伝統というものではなくて、一種の気質的な偏向なのである。明治以後日本文壇を覆う自然主義にしても、世界文学史の中での正しい位置のそれでなく、極めて日本的衰頽の相を帯びた変則的な自然主義であり、それから派生した日本的私小説の流れが、つい此の間まで(あるいは今も)日本文壇の主流を占めていたということは、日本の精神的な風土のもつ不幸を、もっとも露骨に示していると言ってよい。

 このような日本の精神風土の不幸の因を、単に日本の歴史や現実の未熟という点に帰するのは、私は誤りであると思う。なるほど日本はまことに後進国で、明治維新以来かけ足で追いつこうと努力しているのだから、その点あらゆる部面で未熟とは言えるだろうけれども、もし単純に未熟であるとするならば、それは日本の不幸ではない。単なる未熟は、そのまま素直に成熟への可能性をはらんでいるからだ。ところが日本の現在の状態は、決して素直な成熟の可能性をはらんでいるとは言えないのだ。日本の不幸というのは、そこにある。未熟でありながら一種の偏(かたよ)った完成を示していること、日本文化の、あるいは日本社会の最大の不幸はそれである。たとえば、日本の社会や人間や風俗は、さきほど書いた私の幻想の世界には絶対に到達しないのだ。私が今完成というのは、かんたんに言えばあの盆栽の松のような完成のしかたで、それ自身では完璧であろうとも、すくすくと伸びた雄大な松の大樹の完成ぶりとは、全然別種のものである。日本という国は、その意味では完全に成熟している。自己を発掘するかわりに自己を埋没させる姿勢の精妙さで、透明さを頂点とする人間関係のかわりに日本的心理のあやを微細に磨きあげるような接触のなかで、日本は動きがとれぬところまで成熟をはたしているのである。歴史的文化的に後進国であるという未熟さは、ほとんどそこらで巧みにすりかえられ、肩替りされて、今や翻訳文化その他で世界への眼は開かれているにも拘らず、悠々として日本的私小説の流れが文壇の主流をしめ、日本の短篇小説は世界でも一流の域に達していると放言するような文士があらわれたり、俳句が世界で最高の芸術と盲信するような迷妄が出てきたりするのだ。しかしこれらの偏った完成の母胎であるところの日本的気質は、それ自身極度の衰頽であるにもかかわらず、日本人の心の中からはなかなか衰退しようとはせず、牢固(ろうこ)としてはびこるのみのようだ。終戦後の混乱といえども、それは抜きがたいもののようである。

 しかもそのような衰頽にたいして、私たちは生理的な魅惑を感じ得る素質をめいめい持っていて、いわばそれが私たちに背負わされた十字架のような形になっている。文学史をひもとくまでもなく、若い時それに叛逆して西欧風に心酔した文人たちも、ほとんど例外なく晩年にいたれば、日本的風懐のとりこになって、俳句をつくったり擬古文めいた文章を綴ったりしてしまうのを、私たちはあまりにも多く見すぎてきた。もちろんこれは、老年になって人間として高い段階にすすんだからでは決してない。肉体的な衰頽が意識の衰退に合流したにすぎないので、人間としての努力を放棄すれば誰だって楽な姿勢をとるにきまっている。まして彼等の西欧風への心酔はたんに趣好にすぎなかったものだから、はじめから人間としての姿勢はそこになかったわけである。(という具合に私はむりに私自身に言い聞かせる)

 私の心の中にも、その日本的衰頽にひかれる気持は充分にあって、それもはっきり意識に入れた上で、重ねていうけれども、私がそれを嫌悪する気特に嘘はないのである。私はせめてここから出発しよう。もがくことで抵抗をたしかめながら、出来ることなら脱出を完成してみたいのである。私は日本人であることよりも、人間であることに喜びを感じたいのだ。もし日本人というのが、日本的衰頽を身につけた人間という意味であるならば。そして私は、現在生きて行くことに疲れ、虚脱したような場合でも、胸にうかんでくるあのような他愛ない幻想を信じることで、自分自身の精神の生理を改変してゆく他はない。そしてそれは私個人の問題でなく、すべての日本人の問題に通うことと思うから、そこを手がかりにして、この衰頽した偏向のなかから脱出してみたいと、私はちかごろ切に念願するものである。

 

[やぶちゃん注:昭和二三(一九四八)年三月号『人間』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。

『「天地正大の気が粋然として神州にあつま」った』西郷隆盛が最も敬愛した幕末の水戸藩士、強力な尊皇攘夷論者であった儒学者藤田東湖(文化三(一八〇六)年~安政二(一八五五)年)の「和文天祥正氣歌」(文天祥(ぶんてんしよう)の正氣歌(せいきか)に和す)の冒頭の以下の二句。

 

天地正大氣

粹然鍾神州

 天地正大(しやうだい)の氣

 粹然(すゐぜん)として 神州に鍾(あつま)る

 

「天地に満ちる公明正大なる精気は、粋(すい)を凝らし、この神州日本に今まさに満ち満ちている」の意。全詩はサイト「詩詞世界 二千三百首詳註 碇豊長の漢詩」ので読める。元の「正氣歌」は南宋末の軍人政治家で忠臣の鑑として後世に称えられた文天祥(一二三六年~一二八三年:ウィキの「文天祥によれば、滅亡へと向かう宋の臣下として戦い、宋が滅びた後も捕縛されては脱出し、各地でゲリラ活動を行ったが、一二七八年に元軍に捕縛され、『大都(北京)へと連行され』た。『その後は死ぬまで獄中にあり、厓山に追い詰められた宋の残党軍への降伏勧告文書を書くことを求められるが『過零丁洋』の詩を送って断った。この詩は「死なない人間はいない。忠誠を尽くして歴史を光照らしているのだ」と言うような内容である。宋が完全に滅んだ後もその才能を惜しんでクビライより何度も勧誘を受ける。この時に文天祥は』この有名な「正気の歌」を詠んでいる。『何度も断られたクビライだが、文天祥を殺すことには踏み切れなかった。朝廷でも文天祥の人気は高く隠遁することを条件に釈放してはとの意見も出され、クビライもその気になりかけた。しかし文天祥が生きていることで各地の元に対する反乱が活発化していることが判り、やむなく文天祥の死刑を決めた。文天祥は捕らえられた直後から一貫して死を望んでおり』一二八二年、『南(南宋の方角)に向かって拝して刑を受けた』。享年四十七、『クビライは文天祥のことを「真の男子なり」と評したという。刑場跡には後に「文丞相祠」と言う祠が建てられた』とある)の詩。これは本邦の幕末の志士たちに特に愛唱された。その原詩の冒頭は、

 

天地有正氣 雜然賦流形

下則爲河嶽 上則爲日星

 天地に正氣有り 雜然として流形を賦(ふ)す

 下りては則ち河嶽と爲り 上りては則ち日星と爲る

 

で、「この宇宙には森羅万象の根本たる正義と人倫を司るところの正大なる精気が存在し、それはその場その場に応じ、様々な形をとって現われる。例えば地に下っては大河・高山となり、天に上っては太陽や星となるように)。全詩は同じくサイト「詩詞世界 二千三百首詳註 碇豊長の漢詩」のこちらで読める。

「ひっきょう」畢竟。詰まるところ。

「部面」「ぶめん」。対象を幾つかに分けた一つの部分。]

« 日本的空白について   梅崎春生 | トップページ | 諸國百物語卷之二 五 六端の源七ま男せし女をたすけたる事 »