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2016/10/09

谷の響 一の卷 三 山婦

 三 山婦(やまおみな)

 

 井筒村の農夫(ひやくしよう)ども、三人連立て羽州田代嶽(たしろだけ)の神に參詣(まうで)けるが、歸りに臨み路を外(はつ)していと嶮(けは)しき溪澗(たに)に出たりき。僉(みな)言ふ、この澗谷(たに)を傳ひて下らんには自ら麓に出べしとて、已に三町許來りしに懸岸(きりきし)百仭(たかく)溪流(たにみづ)瀧となりて、往くべき路を絶てり。

 されども山路に熟(な)れたる者どもなれば、下るべき路やあらんと各嵒頭(いわはな)に抉服(はらば)ひて底下(した)を臨み視るに、一個(ひとり)の婦人(おみな)の長六尺ばかりと覺しきが、肌膚(はだ)いと白く裸體(はたか)にして瀧壺の傍に下坐(すはり)て、いと長やかなる髮を水中に潟浸(ひた)し梳(くしけづ)りてありけるに、衆々(みなみな)太極(いたく)愕(おどろ)き懼(おそ)れ速急(はやく)去脱(にげさら)んとしけるうち、水を彈(は)き揚ること宛爾(さながら)大雨を逆(さかしま)に懸けたるごとく、看る々雲霧澗中(たに)に發布(おこ)り風雨暴(にはか)に生じて山中鳴り動(わた)り、大きさ胡桃(くるみ)ばかりの雹礫(あられ)を打つがごとく、樹々の梢は地を擻(はら)へり。[やぶちゃん字注:「嵒」は底本では上下「品」と「山」が逆転(「山」が上で「品」が下)の字体。表記出来ないのでこちらで示した。]

 三個(にん)は一步一跌(こけつまろびつ)して六七町可(はかり)趨(はせ)下りしが、漸々(しだいしだい)に雨歇み風治まりて淸亮(のどか)なる蒼穹(そら)に復(な)りたるに、はじめて蘇甦(いき)たる心地して路を速めて歸りしとなり。這(こ)は天保十年己亥の七月十七日の事なりしと、山吏(やまやくにん)岡本某親しく聞けること迚(とて)語られけり。

 

[やぶちゃん注:「山婦(やまおみな)」「山姫(やまひめ)」「山女(やまおんな)」などとも呼ばれる女の妖怪である。ウィキの「山姫」より引く。『東北地方、岡山県、四国、九州など、ほぼ全国各地に伝わっている』。『山女の名は民俗資料、中世以降の怪談集、随筆などに記述がある』。『各伝承により性質に差異はあるものの、多くは長い髪を持つ色白の美女とされる。服装は半裸の腰に草の葉の蓑を纏っているともいうが』、『樹皮を編んだ服を着ている』とか、『十二単を着た姿との』話もある。『熊本県下益城郡でいう山女は、地面につくほど長い髪に節を持ち、人を見ると大声で笑いかけるという。あるときに山女に出遭った女性が笑いかけられ、女性が大声を出すと山女は逃げ去ったが、笑われた際に血を吸われたらしく、間もなく死んでしまったという』。『鹿児島県肝属郡牛根村(現・垂水市)では山奥に押し入ってきた男を襲い、生き血を啜るという』。『信州(長野県)の九頭龍山の本性を確かめるために山中に入った男が、山姫に遭って毒気を浴びせられ、命を落としたという逸話もある』。『屋久島では山姫をニイヨメジョとも呼び、伝承が数多く残る。十二単姿で緋の袴を穿いているとも、縦縞の着物を着ているとも、半裸でシダの葉で作った腰蓑を纏っているともいうが、いずれも踵に届くほど長い髪の若い女であることは共通している。山姫に笑いかけられ、思わず笑って返せば血を吸われて殺されるという。山姫をにらみつけるか、草鞋の鼻緒を切って唾を吐きかけたものを投げつけるか、サカキの枝を振れば難を逃れられる。しかし、山姫が笑う前に笑えば身を守れるとの伝承もある』。『かつて屋久島吉田集落の者が、山に麦の初穂を供えるため、旧暦』八月のある日に、十八人で『連れ立って御岳に登った。途中で日が暮れたため、山小屋に泊まった。翌朝の早朝、飯炊きが皆より早く起きて朝食の準備をしていたところ、妙な女が現れ、眠る一同の上にまたがって何かしている。結局、物陰に隠れていた飯炊き以外の全員が血を吸われて死んでいたという』。『宮崎県西諸県郡真幸町(現・えびの市)の山姫は、洗い髪で山中で綺麗な声で歌を歌っているというが』、『やはり人間の血を吸って死に至らしめるともいう』。『同県東臼杵郡では、ある猟師が猿を撃とうとしたが不憫になってやめたところ、猿が猟師にナメクジを握らせ、後に猟師が山女に出遭ったところ、実は山女はナメクジが苦手なので襲われずにすんだという』。『大分県の黒岳でいう山姫は絶世の美女だという。ある旅人が山姫と知らずに声をかけたところ、山姫の舌が長く伸び、旅人は血を吸い尽くされて死んでしまったという』。『高知県幡多郡奥内村(現・大月町)では山女に出遭うと、血を吸われるどころか出遭っただけで熱病で死んでしまったといわれる』。『岩手県上閉伊郡上郷村(現・遠野市)の山女は性欲に富み、人間の男を連れ去って厚遇するが、男が精力を切らすと殺して食べてしまうという』。『これらのように山姫、山女は妖しげな能力で人を死に至らしめる妖怪とされるが、その正体は人間だとする場合もある』。『例として、明治の末から大正初めにかけ、岡山に山姫が現れた事例がある。荒れた髪で、ギロギロと目を光らせ、服は腰のみぼろ布を纏い、生きたカエルやヘビを食べ、山のみならず民家にも姿を見せた。付近の住民たちによって殺されたが、その正体は近くの村の娘であり、正気を失ってこのような姿に変わり果てたのであった。妖怪探訪家・村上健司は、各地に伝承されている山姫や山女もまたこの事例と同様、人間の女性が正気を失った姿である場合が多いと推測している』。『昭和に入ってからも山女の話はあり』、昭和一〇(一九三五)年頃、『宮城県仙台市青葉区で山仕事に出た女性が』三『歳になる娘を草むらに寝かせて仕事をしていたところ、いつしか娘が姿を消していた。捜索の末、翌朝に隣り部落の山中で娘が発見され「母ちゃんと一緒に寝た」と答えていたことから、人々は山女か狐の仕業と語ったという』。『また、屋久島では昭和初期になっても山姫やニイヨメジョの目撃例がある。「旧正月と』九月十六日には『山姫がバケツをかついで潮汲みに来る」「小学生が筍取りに行ったところ、白装束で髪の長い女に笑いかけられた」「雨の夜、宮之浦集落の運転手が紫色の着物の女に出会った。車に乗るよう勧めたが、そのまま行ってしまった」など、現代的な要素を含んだ実話として伝承されている』とある。大事なことがある。「おみな」というルビに騙されて「媼」(おうな)で婆(ばばあ)だと誤読してはいけない。身の丈は異常だが、彼女は、抜けるように白い、若い女、なのである

「井筒村」底本の森山泰太郎氏の「松原村」の補註に『南津軽郡大鰐町居土(いづち)。大鰐町から三ツ目内川を南にさかのぼること二キロメートル』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「田代嶽(たしろだけ)」現在の秋田県大館市の青森県県境近くにある、白神山地の属する田代岳。標高千百七十八メートル。ウィキの「田代岳」によれば、『山頂の田代山神社は円仁(慈覚大師)の創建とも、比内地方の修験道として先駆的地位にあった綴子村の常覚院の開基とも』され、『また「津軽の猟師彦之丞が獲物を追って田代岳山頂まで来たところ、そこで水田を発見する。呆然としているところに白衣白髭白髪の翁が現れる。この翁を白髭大神として祀ったのが、田代山神社の始まり」とも語られている。大館市の旧正月行事であるアメッコ市』(いち)『は、田代岳の白髭大神が飴を買いに来たという設定になっている』。『田代岳は山そのものが神体で、山神、田神、水ノ神、作神など農民の暮らし全ての守り神がいるところとされる』。『田代山山頂の田代山神社は南北朝時代に北畠顕家が建立したとされる。また、江戸時代には秋田藩の御用山師である伊多波武助が長慶金山の開発の成功を願って神社を建立したとも伝えられている』。『田代岳は、古くから水田信仰の山で』、『山頂にある田代山神社には五穀豊穣の神「白髭直日神」が祀られ、毎年、』半夏生(はんげしょう)の日(七月二日頃)には『例祭が催される。例祭の祭事として行われる「作占い」では、池塘を神の田とし、そこに自生するミツガシワやミネハリイを稲に見立てて、その生育具合や池塘の水の張り具合などからその年の稲作の豊凶を占う』。『昔は、九号目から山頂までに生えている細い木を折り小さく束ねて持ち帰り、束のまま神棚に供えて豊作を祈ったとされる。水田の水口に入れると虫除けになったとも言われる。この木の束は、山に登らなかった人への土産として喜ばれたとも言われる』。『田代山神社は天正年間の創建とされる』が、『作占いの神事は、江戸時代半ばには行われていたとの見方もあ』る、とある(但し、同ウィキの「ノート」にはこの記載への疑義と要検証要請が出されているので要注意)。

「外(はつ)して」ルビはママ。

「僉(みな)」「皆」。

「出べし」「いづべし」。

「三町許」「許」は「ばかり」。三百二十七メートル。余りにもしょぼい距離であるが、この時既にして異界への通路が開けている証しかも知れぬ。

「懸岸(きりきし)」崖。

「各」「おのおの」。

「嵒頭(いわはな)」(「嵒」は底本では上下「品」と「山」が逆転(「山」が上で「品」が下)の字体)「巖鼻」。

「抉服(はらば)ひ」「腹這ひ」。但し、この文字列で何故、かく読めるのかは私には判らない。

「底下(した)」二字へのルビ。

「長六尺」背丈が一メートル八十二センチ弱。

「裸體(はたか)」ルビはママ。以下、確信犯の美事な当て読みがバクハツ!

「下坐(すはり)て」二字へのルビ。

「潟浸(ひた)し」二字へのルビ。「潟」の用字は不審。「瀉」(水を注ぎかける)の誤字ではあるまいか?

「太極(いたく)」二字へのルビ。

「速急(はやく)」二字へのルビ。

「去脱(にげさら)ん」二字へのルビ。

「水を彈(は)き揚ること」ここは滝壺に落ちた水が逆に舞い上がってくるのである。実にダイナミックな怪異であるが、実際には、多量の水が滝として落ちる場合には、ごく普通に起こり得る現象ではある。それに場違いな女怪の姿がある種の増幅的怪異認識を生じさせたとも言える。

「宛爾(さながら)」二字へのルビ。

「看る々」「みるみる」。

「澗中(たに)」二字へのルビ。

「發布(おこ)り」二字へのルビ。「大瀑布」の謂いからも腑に落ちる用字である。

「暴(にはか)に」「俄かに」。「暴」は「急」の意がある。

「鳴り動(わた)り」地響きを伴う鳴動が広く発生し。

「雹礫(あられ)」二字へのルビ。ここは「ひよう」(ひょう)と振りたいところ。「霰」(あられ)じゃあ、小粒で面白(おもろ)くないて!

「一步一跌(こけつまろびつ)」「跌」は「躓(つまず)く・足を踏み外す」の意。当て読み、サイコー!

「六七町」六百五十五~七百六十三メートル。

「可(はかり)」ルビはママ。

「趨(はせ)」「馳せ」。「趨」は「目的を目がけて行く・馳せ向かう」の意を持つ。

「雨歇み」「あめ、やみ」。

「淸亮(のどか)なる」「亮」には「穢れがなく明るい・はっきりとしている」の意がある。

「蒼穹(そら)」晴れ渡った青空。

「蘇甦(いき)たる」二字へのルビ。

「這(こ)は」これは。近称の指示代名詞。現代中国語で同様に用いられるが、宋代に「これ」「この」という意味の語を「遮個」「適個」と書いたが、その「遮」や「適」の草書体を誤って「這」と混同して誤認した慣用表現である。

「天保十年己亥の七月十七日」「天保十年」の干支は正しく「己亥」(つちのとい)で、グレゴリオ暦では同年の「七月十七日」は一八三九年八月二十五日に相当する。

「山吏(やまやくにん)」山役人。「山奉行」「山廻(やままわり)役人」とも呼称した。幕藩体制下の藩の直轄林の実務管理や監視及び伐採作業の現場監督をした末端の下役人。]

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