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2016/10/18

諸國百物語卷之三 十八 伊賀の國名張にて狸老母にばけし事

    十八 伊賀の國名張(なはり)にて狸老母にばけし事


Tanukiroubo_2

 伊賀のくに名張と云ふ所より、たつみにあたりて、山ざとあり。このざいしよに、よなよな、人一人づゝ、うせけり。なに物のわざともしれず。あるひは子をとられ、あるひは親をとられ、なきかなしぶ事、めもあてられぬしだい也。又、その里に獵人(かりふど)のありけるが、ある日、くれがたに山へゆきけるに、山のをくより、人きたるを、なに物ぞ、と見れば、百とせばかりの老女、しらがのかみを四ほうへさばき、まなこをひからし、來たりけるが、そのけしき、にんげんにかわりたれば、かりふど、やがて、かりまた、ひつくわへ、かなくりばなしに、かつきと、はなせば、手ごたへするとおぼへしが、行衞もしらず、にげうせける。夜あけて、くだんの所にゆきみれば、のり、をちてありしが、みちもなき山中をあなたこなたとゆきて、かりふどのざい所の庄屋のうらなる小屋のうちへ、のり、つたいたり。獵人、ふしぎにおもひ、庄屋にあひて、

「此うらなる小屋のうちには、たれがゐ申すぞ」

と、とふ。

「此小屋にはそれがしが母ゐ申さるゝゐんきよ也。ゆふべより心ちあしきとて物をもくわず、あたりへ人をもよせられず候ふ」

とかたる。獵人きゝて、

「さればそれにつき、ふしぎなる事こそ候へ」

とて、ありししだいを物がたりしければ、庄屋もふしぎにおもひ、小屋に行きみれば、母は此をとをさとり、やがて小屋のかべをつきぬき、ゆくゑもしらず、にげうせける。ねまをみればゑんざほど、血、たまりてあり。さて、えんのしたをみれば、人の骨はかずをもしらず、子どもの手足などをくいちらしをきたり。それより山へゆき、しがいをたづねければ、大きなるふるだぬき、むねをいられて死してゐたり。かの庄屋の母は、此たぬき、とく、くひころして、そのあとに母にばけてゐたるとなり。

 

[やぶちゃん注:「曾呂利物語」(冒頭注参照)巻二「二 老女を獵師が射たる事」に基づく。元では地名「名張」を「南張(なんばり)」とする。『東京学芸大学紀要』湯浅佳子氏の論文「『曾呂里物語』の類話」では、先行する非常に知られた、「今昔物語集 第二十七卷」の「獵師母成鬼擬噉子語第二十二」を掲げておられる。確かに、私も一瞬、あれを想起したものの、あの話柄では主人公は兄弟であり、母そのものが鬼となって実子の兄弟を喰らわんとするのであって、本話柄の源泉とは私は謂い難いと感ずる。諸子の判断に任せんとするため、以下に引いておく(参考底本は二〇〇一年岩波文庫刊池上洵一編「今昔物語集 本朝部 下」としたが、恣意的に漢字を正字化し、読みは振れるもののみに限ってオリジナルに歴史的仮名遣(参考底本は現代仮名遣)で振った(一部の送り仮名は参考底本に従っていない)。□は原本の欠字数分を推定して配した。読点などは一部を追加したり除去したりし、心内語は二重鍵括弧を附し、直接話法は改行して読み易くした)。

   *

 

 獵師の母、鬼と成りて子を噉(くら)はむと擬(す)る語(こと) 第二十二

 

 今は昔、□□の國□□の郡(こほり)に、鹿・猪を殺すを役(やく)と爲(す)る者、兄弟二人、有りけり。常に山に行きて鹿を射ければ、兄弟、搔き列(つ)れて山に行きにけり。

 待(まち)と云ふ事をなむ、しける。其れは、高き木の胯(また)に、橫樣(よこざま)に木を結ひて、其れに居(ゐ)て、鹿の來て、其の下に有るを待ちて射る也けり。然れば、四五段許りを隔てて、兄弟向樣(むかひざま)に木の上に居たり。九月の下(しも)つ暗(やみ)の比(ころ)なれば、極めて暗くして、何(いか)にも物見えず。只(ただ)、鹿の來る音を聞かむと待つに、漸く、夜深更(ふく)るに、鹿、來ず。

 而る間、兄が居たる木の上より、物の手を指し下(おろ)して、兄が髻(もとどり)を取りて、上樣(うへざま)に引き上ぐれば、兄、『奇異(あさま)し』と思ひて、髻取りたる手を搜れば、吉(よ)く枯れて曝(さら)ぼひたる人の手にて有り。『此れは、鬼の、我れを噉(くら)はむとて、取りて引き上ぐるにこそ有んめれ』と思ひて、『向ひに居たる弟に告げむ』と思ひて、弟を呼べば、答ふ。

 兄が云はく、

「只今、若(も)し、我が髻を取りて上樣に引き上ぐる者有らむに、何にしてむ」

と。弟の云はく、

「然(さ)は、押し量りて射んぞかし」

と。兄が云はく、

「實(まこと)には、只今、我が髻を物の取りて上へ引き上ぐる也」

と。弟、

「然(さ)らば、音(こえ)に就きて射む」

と云へば、兄、

「然らば射よ」

と云ふに隨ひて、弟、雁胯(かりまた)を以つて射たりければ、兄が頭(かしら)の上(うへ)懸かると思(おぼ)ゆる程に、尻答(しりこた)ふる心地(ここち)すれば、弟、

「當りぬるにこそ有んめれ」

と云ふ時に、兄、手を以つて髻の上を搜れば、腕(かひな)の頸より取りたる手、射切られて下(さが)りたれば、兄(あ)に、此れを取りて弟に云く、

「取りたりつる手は、既に被射切(いきら)れて有りれば、此(ここ)に取りたり。去來(いざ)、今夜(こよひ)は返りなむ」

と云へば、弟、

「然也(さなり)」

と云ひて、二人乍(なが)ら木より下(お)りて、掻き列れて家に返りぬ。夜半(よなか)打ち過ぎてぞ、返り着きたりける。

 而るに、年老いて立居(たちゐ)も不安(やすから)ぬ母の有りけるを、一つの壺屋(つぼや)に置きて、子二人は家を衞別(かくみわ)けて居たりけるが、此の子共(こども)、山より返り來たるに、怪しう母の吟(によ)ひければ、子共、

「何と吟ひ給ふぞ」

と問へども、答へも不爲(せ)ず。其の時に、火を燃(とも)して、此の射切れたる手を二人して見るに、此の母の手に似たり。極(いみ)じく怪しく思ひて、吉(よ)く見るに、只、其の手にて有れば、子共、母の居たる所の遣戸(やりど)を引き開けたれば、母、起き上りて、

「己等(おのれら)は」

と云ひて、取り懸らむとすれば、子共、

「此れは御手(おほむて)か」

と云ひて投げ入れて、引き閉ぢて去(い)にけり。

 其の後(のち)、其の母、幾(いくば)く無くして死にけり。子共、寄りて見れば、母の片手、〻(て)の頸より被射切(いきられ)て無し。然(しか)れば、『早(はや)う、母の手也けり』と云ふ事を知りぬ。此れは、母が痛(いた)う老ひ耄(ほれ)て、鬼に成りて、『子を食む』とて、付きて山に行きたりける也けり。

 然(しか)れば、人の祖(おや)の年痛(いた)う老いたるは、必ず鬼に成りて、此(か)く、子をも食はむと爲(す)る也けり。母をば、子共、葬(はうぶり)してけり。

 此の事を思ふに、極めて怖しき事也となむ語り傳へたるとや。

   *

一部に池上氏の脚注を一部参考にしながら、語注する。

・「役(やく)と爲(す)る」それ(獣の狩猟)を生業(なりわい)とする者。

・「待(まち)」以下に出る獣類の狩猟法の名称。所謂、「獣道」の上の樹上で待ち伏せをし、通りがかった獣を射て捕獲するもの。

・「四五段」「段」は距離単位で一段は六間(十一メートル弱)であるから、四、五十メートル相当。

・「『奇異(あさま)し』と思ひて」『何じやぁあ?!』」と驚いて。

・「吉(よ)く枯れて曝(さら)ぼひたる」ひどく干乾びて痩せさらばえてしまった木乃伊の(ミイラ)のような。

・「有んめれ」ラ変動詞「あり」の連体形+推定の助動詞「めり」=「あるめり」の撥音便形。古くは「あめり」と表記された。~であるようだ。

・「只今、若(も)し、我が髻を取りて上樣に引き上ぐる者有らむに、何にしてむ」仮定法で述べているのは、上にいる何物(者)かの実体を認識出来ていないことよりも、物の怪に悟らないように(魔性のものの場合、下手な言上げをするとそれだけで負けてしまう惧れがあるからである)仮の平静な問答という形式を採っているのだと私は思う。

・「然(さ)は、押し量りて射んぞかし」「その時は、その辺りに見当をつけて兄者を傷つけぬように射るでしょう。」。

・「音(こえ)に就きて」その辺りから聴こえてくる僅かな気配を示す音を頼りとして。

・「雁胯(かりまた)」先が股(やや外に開いたU字型)の形に開き、その内側に刃のある狩猟用の鏃(やじり)。通常では飛ぶ鳥や、走っている獣の足を射切るのに用いる。

・「兄が頭(かしら)の上(うへ)懸かると思(おぼ)ゆる程に」兄の頭の上を矢が掠めたかと感じたその途端。

・「尻答(しりこた)ふる心地(ここち)」手応えがした感じ。一見、奇異な表記に思えるが、このシチュエーションを考えると、樹上の下方(「尻」の方)にいる兄が物の怪の「尻」の下にいるとすれば、物の怪が射られたとして、その物の怪の重量はその「尻」にかかり、樹上の「尻」にいる兄の頭にそれが「ズシリ!」とかかるわけで、逆にすこぶる腑に落ちる表現と言えるのである。

・「腕(かひな)の頸より取りたる」手首の部分から先が切れた腕首(手掌部分)。

・「兄(あ)に」「に」は捨仮名(自分の意図通りに読んで貰うために漢字の下に添える小さな仮名)。

・「一つの壺屋(つぼや)に置きて、子二人は家を衞別(かくみわ)けて居たりけるが」「壺屋」は仕切りを施して三方を壁で囲んだ、後の物置や納戸のような部屋を指し、それをさらに囲むようにして、兄弟二人は分けて(都合、母の壺屋の左右を兄弟それぞれの住居とするような三区画になるということであろう)住んでいたのだが。

・「吟(によ)ひければ」呻き声を上げているので。

・「遣戸(やりど)」引き戸。

・「己等(おのれら)は」「オ前ラハヨクモ!」。

・「取り懸らむとすれば」摑みかかってこようとしたので。

「此れは御手(おほむて)か」

と云ひて投げ入れて、引き閉ぢて去(い)にけり。

・「〻(て)の頸」「手の頸」。

・「早(はや)う、母の手也けり」「全く以って、実はなんと、母の手であったのだ。」。池上氏の注に『「はやう」は多く「也けり」と呼応して、それまで気づかなかった事実に気づいたことを示す』とある。

云ふ事を知りぬ。此れは、母が痛(いた)う老ひ耄(ほれ)て、鬼に成りて、『子を食む』とて、付きて山に行きたりける也けり。

 然(しか)れば、人の祖(おや)の年痛(いた)う老いたるは、必ず鬼に成りて、此(か)く、子をも食はむと爲(す)る也けり。母をば、子共、葬(はうぶり)してけり。

 此の事を思ふに、極めて怖しき事也となむ語り傳へたるとや。

   *

 なお、挿絵の右キャプションは「狸老母(らうぼ)にばけし事」。

 

「伊賀の國名張(なはり)」伊賀地方に位置する現在の三重県西部にある名張(なばりし)市。伊賀盆地南部にあって、周囲には赤目四十八滝や香落渓(かおちだに/こおちだに)といった渓谷があり、今も自然の豊かなところである。

「たつみ」「辰巳(巽)」東南。

「そのけしき、にんげんにかわりたれば」ここは化け物のような老女から、普通の人間に化け変わったのであろう。そうした変身を見たからこそ、これを変化(へんげ)のものと断じて、この猟師、確信犯で矢を射たのである。

「かりまた」先が股の形に開き、その内側に刃のある鏃を装着した矢。狩猟用で鳥や獣の足を切ったり折ったりするのに用いた。

「ひつくわへ」「引つ銜え」。一番矢は既に矢に番えてあるのである。万一の失敗や、次の矢が急遽必要な場合のために、二番の矢を口に銜えているのである。

「かなくりばなしに」「かなぐる」は「荒々しく払いのける」の意があるからグイッ! と引いて如何にも力を籠めて「荒々しく放す」如くに矢を放ったのである。

「かつき」「カッツ!」。矢を放った際のオノマトペイア(擬音・擬態語)。

「のり、をちてありしが」「(血)糊、落ちてありしが」。歴史的仮名遣は誤り。

「庄屋」名主(なぬし:村方三役の一つ。村の長(おさ)で村政の中心となった。土豪その他の有力者が代官に任命されてなり、世襲が普通であったが、享保(一七一六年~一七三六年)頃より一代限りとなったり、入れ札(ふだ)によって投票で選ぶこともあった。関西では「庄屋」と呼ぶことが多く、東北では「肝煎(きもいり)」と称した。

「のり、つたいたり」「糊、傳ひたり」。歴史的仮名遣は誤り。血糊が点々と続いていた。

「此小屋にはそれがしが母ゐ申さるゝゐんきよ也」「隱居(いんきよ)」。歴史的仮名遣は誤り。最後は「隠居所じゃ」の謂いであろう。

「母は此をとをさとり」「母は此(こ)の音を悟り」。]

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