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2016/10/25

谷の響 二の卷 十二 神の擁護

 十二 神の擁護

 

 己幼見(おさな)かりしとき、同じ記年(としばへ)なる小兒四五人と嬉戲(あそび)たるに、木の端枌(そげ)の屑など探り集めて、庭の簀墻(すがき)をかたとり一尺四方許(ばかり)に小屋を作りたりしが、一人の兒これに火を放(つけ)て火事の眞似(まね)せんにと言ふに、興ある事に覺えてその兒と倶(とも)に火を取りに往きしが、時(をり)よく厨下(だいどころ)に人のあらぬにより、焠兒(つけぎ)につけて袖にかざし方纔(やうやう)に持來り、巳に火を放けけるが、人在て擊消したるが如くにて小屋も其まゝ潰れければ、再び建て又火を放けたれどはじめの如く打消されたり。斯の如くなること四五囘(たび)になりて、遂に祖母なる人に見咎められいたく呵責られたること有しなり。然(さ)て今これを思ふに、この日は四月の頃とて風いと強き日にあれば、燃興(あが)らんには決定(きはめ)て火事になるべかりしを、かく人ありて擊消したるやうなるは、先祖の神靈(みたま)の救はせ玉ひし故なるべし。されば今吾曹(われら)がかくして居るあたりにも、人の眼にこそ見えね、いかなる神の在(ま)すかは測(し)るべからず。世の狡猾(さかしき)もの、人死して魂魄天地に歸して一物も存(のこ)れるはなければ神も靈もなしとするはいと烏滸(をこ)にて、かの阮膽が無鬼論范鎭が神滅論に泥染(なじむ)ものにて論(と)るに足らず。

 又、己が分家八五郎と言へるものゝ兒女(むすめ)、三四歳の頃にてありけん。爐の邊に嬉遊(あそん)で火中に仆れしが、直に三四尺ばかりの向ふに轉(こ)けかへりて、火の怪我もなかりしなり。八五郎夫婦は愕き怖れ、火を潔めて祭りしなり。こも現(うつゝ)に神在(まし)て助しものなり。さらでは火の心(しん)に仆れたる三四歳の幼兒の、爭(いかで)か身自(みづか)ら轉𢌞(かへる)ことを成し得んや。こは天保十年亥の事なりし。

 又、これに一般(おな)じ話なるが、東長町境屋利助の裡(うち)に於て主と説話(ものかた)れるとき、厨下の爐(いろり)に五六歳の小供二個(ふたり)爐椽(ろふち)に腰掛けながら嬉遊(あそび)居たりしに、いかゞしけん一人の小兒火の燃えたる中に眞傾(まうつむき)に俯せると見るに、忽ち蜻蛉(とんぼ)かへりして向對(むかひ)の板の間に仰けに倒れたり。着物などに火の着(つい)たれど兒には少も火傷(けが)もなし。利助目下(まのあたり)にこれを見て奇異のおもひをなし、倶に現(うつし)に神ある事を語りけり。こは天保九年の頃なるべし。

 

[やぶちゃん注:作者平尾魯僊は終生、熱心な平田神学の信奉者であったことを如実に示す一条である。しかしそれにしても、この最初の彼の実体験のシチュエーション、私は思わずタルコフスキイを思い出さずにはいられなかった「一尺四方許(ばかり)」(三十センチ四方)のミニチュアの「小屋を作り」、「これに火を放(つけ)て火事の眞似(まね)せん」とするというのは、かの遺作「サクリファイス」であり、少年魯僊が「火を取りに往き」「焠兒(つけぎ)」(点け木。火を移したりするための薄く小さな木片)「につけて袖にかざし方纔(やうやう:二字へのルビ。消えそうになるの辛うじて)に持來」るシークエンスは「ノスタルジア」のコーダの湯を抜いた温泉の端から端まで蠟燭を運ぶ奇跡成就のそれではないか!

「記年(としばへ)」「年延(としば)へ」。年恰好。年齢。

「木の端」「このは」。木端(こっぱ)。材木の切れ端。

「枌(そげ)の屑」削(そ)ぎ(材木を薄く挽(ひ)き剝いた板)の破片。

「簀墻(すがき)」普通は竹で作った垣根、竹垣を指す。

「かたとり」「象(かたど)り」。真似て。

「放けけるが」「放(つ)けけるが」。

「人在て擊消したるが如くにて」「ひとありてうちけしたつがごとくにて」。

「呵責られ」「しかられ」と訓じているようである。

「燃興(あが)らんには」「もえあがらんには」。

「烏滸(をこ)」ウィキの「烏滸」によれば(このウィキがあるとは思わなかった)、馬鹿げていて、或いは滑稽で、人の笑いを買うような有様を指す上代からあった古い和語。『記紀に「ヲコ」もしくは「ウコ」として登場し、「袁許」「于古」の字が当てられる。平安時代には「烏滸」「尾籠」「嗚呼」などの当て字が登場した』。『平安時代には散楽、特に物真似や滑稽な仕草を含んだ歌舞やそれを演じる人を指すようになった。後に散楽は「猿楽」として寺社や民間に入り、その中でも多くの烏滸芸が演じられたことが』、「新猿楽記」に描かれており、「今昔物語集」や「古今著聞集」など、『平安・鎌倉時代の説話集には烏滸話と呼ばれる滑稽譚が載せられている。また、嗚呼絵(おこえ)と呼ばれる絵画も盛んに描かれ』、かの快作「鳥獣戯画」や「放屁合戦絵巻」が『その代表的な作品である』。『南北朝・室町時代に入ると、「気楽な、屈託のない、常軌を逸した、行儀の悪い、横柄な」』(「日葡辞書」)『など、より道化的な意味を強め、これに対して単なる愚鈍な者を「バカ(馬鹿)」と称するようになった。江戸時代になると、烏滸という言葉は用いられなくなり、馬鹿という言葉が広く用いられるようになった』とある。

「阮膽が無鬼論」「阮膽」の「膽」は「瞻」の誤りで、「阮膽」(げんせん 生没年未詳)が正しい。陳留群尉氏(いし)県(現在の河南省内)の生まれで清談(この場合は、現実の則らずに、理屈を捏ね回して議論することを指す)を得意とすることで知られた。姓と出身地から判るが、名詩「詠懷詩」の作者、「白眼視」の故事で知られる三国時代の「竹林の七賢」の指導者的人物として知られる阮籍(二一〇年~二六三年)の孫で、父もやはり「竹林の七賢」の一人、阮咸(げんかん)である。この阮膽は三十で亡くなったとされている。この「無鬼論」(鬼神の存在を否定する思想。伝統的な儒家思想では死後の霊魂の存在が肯定されており、人間は死後、鬼神となるとされ、仏教もそれを認めていたから、ある種、かなりの異端思想である)のショート・ブラック・ユーモアは「幽明錄」「列異傳」その他、多くの作品に収録されている私の好きな話で、教師時代はオリジナルの実力テストの問題にしたりしたので、御記憶の方もあろう。四世紀に東晋の干宝が著した志怪小説集「搜神記」の「卷十六 三七六」のそれを以下に引く。

   *

阮瞻、素秉無鬼論、世莫能難。每自謂、理足、可以辨正幽明。忽有一鬼、通姓名作客詣阮。寒温畢、卽談名理。客甚有才情。末及鬼神之事、反覆甚苦、遂屈。乃作色曰、鬼神古今聖賢所共傳、君何獨言無耶。僕便是鬼。於是忽變爲異形、須臾消滅。瞻默然、意色大惡。後年餘、病死。

(阮瞻、素より、無鬼論を秉(と)るに、世に能く難ずる莫し。每(つね)に自(みづか)ら謂ふ、「理、足りて、以つて幽明を辨正すべし。」と。忽ち一鬼(いつき)有り、姓名を通じて客(きやく)作(な)り阮に詣(いた)る。寒溫(かんをん)畢(お)はりて、卽ち、名理を談ず。客、甚だ才情有り。末(すゑ)に鬼神の事に及び、反覆すること甚だ苦しく、遂に屈す。乃(すなは)ち色を作(な)して曰はく、「鬼神は古今(こきん)の聖賢の共に傳ふる所、君、何ぞ獨り無と言はんや。僕は、便ち、是れ、鬼なり。」と。是(ここ)に於いて忽ち變じて異形(いけい)と爲(な)り、須臾(しゆゆ)にして消滅す。瞻、默然として、意色(いしよく)、大いに惡(あ)し。後(のち)、年餘(ねにょ)にして、病みて死す。)

   *

文中、「忽有一鬼」の部分は他の本の「忽有一客」の方がよい。「寒溫」は時候の挨拶。「名理」清談で扱われた事物の「名」称とその道「理」を分析する論理を指す。「反覆」議論の応酬をしたことを指す。「遂に屈す」言わずもがなであるが、鬼神などいないとする阮瞻の勝ちで、鬼神在りとする議論に負けたのは何と、客(実は鬼)の方なのである。「意色」顔色・表情。

「范鎭が神滅論」「范鎭」の「鎭」の「縝」の誤り。「范縝」(はんしん 四五〇年~五一〇年)が正しい。南朝時代の思想家で南郷舞陰(現在の河南省内)の人。「神滅論」を著わし、肉体と霊魂は同一の物であり、肉体の消滅とともに霊魂も消滅すると説き、仏教の因果説や儒教の霊魂永存説を全否定した。唯物主義的な無神論者で、梁の武帝は仏僧らを動員し、この「神滅論」を反駁させている。

「己が」「わが」。

「三四歳」数えであるから、満二、三歳と読み換えねばならぬ。

「爐」後でルビに「いろり」と振られてある。

「仆れしが」「たふれしが」。倒れたが。

「直に」「ぢきに」。直ちに。

「三四尺」九十一~一メートル二十一センチ。

「神在(まし)て」「まし」は「在」一字へのルビ。

「助し」「たすけし」。

「火の心(しん)」真っ赤に燃え盛っていた囲炉裏の芯。

「身自(みづか)ら」二字へのルビ。

「轉𢌞(かへる)」二字へのルビ。

「天保十年亥」天保十年は正しく己亥(つちのとい)。西暦一八三九年。

「東長町」現在も弘前市東長町(ひがしながまち)として残る。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「主」「あるじ」。ここ以下は西尾の実見談である点に注意。

「説話(ものかた)れる」読みはママ。

「爐椽(ろふち)」「爐緣」。大きな囲炉裏の木枠。

「俯せる」「ふせる」。うつむくように落ち込んだ。

「着(つい)たれど」読みはママ。

「火傷(けが)」二字へのルビ。

「天保九年」一八三八年。]

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