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2016/10/12

谷の響 一の卷 七 蚺蛇を燔く

 七 蚺蛇を燔く

 

 文化の末にて有けん、目谷の杉野澤村に源助といへる者あり。これが村の山中に蛇塚といふ地(ところ)ありて、そこにはいと古き杉樹一株(ひともと)あり。源助この杉の樹を伐らんことを官舍(おやくしよ)に願はれしに、御許しを蒙りたればやがて伐るべき用意を爲したるに、一夜(あるよ)この源助の夢に人ありて告げて曰、吾はこの山中に住める山神なり、足下(そこもと)今蛇塚の杉樹を伐らんとす。願はくは、雪の消ゆるまで伐ることを停歇(やめ)られよ。雪消えて吾曹(われら)避ぬる時は、又來りて告げ申すべしと見て覺ぬ。

 源助從來(もとより)不惕(ふてき)ものにしてあれば、この夢を物の屑(かず)ともせず。山神と言へばとて蛇塚の杉樹なれば決定(きはめ)て蛇ならんに、山神などと僞るこそ憎けれ。將々(いでいで)今に其杉を伐取るべしと、急に杣士どもを傭(やと)ひてこの杉樹を伐らしむるに、既に一尺づつも切𢌞しけるが、虛洞(うつろ)と見えて鉞(をの)の匁の應(こた)へも无(かな)りしかば、今や倒れんずらんと觀看(みやり)たれば※2蝓(よろよろ)として仆(たを)れず[やぶちゃん字注:「※2」=「虫」+(「榲」-「木」)。]。杣士共不審(いぶか)しく思ひ不圖(ふと)樹上を向上(みあぐ)れば、三尺餘りも匝(まは)るべき蚺蛇(うははみ)の頭に髮の生(は)ひたるが、枝の上に頭首(かうべ)を架擧(かけ)てありしかば、杣士等懼悸(おそれおのの)き慌忙(あはて)亂走(まとひ)て免脱(にげ)かへり、源助に斯(かく)と語りければ源助冷笑(あざわら)ひ、さてさて言ひかひなき奴共(ものども)よ、山を働く者の左ばかりの蛇を怕れて何事か成るべき、將(いで)己も往きてその蛇を擊殺さんと近邊(あたり)の壯夫(をのこ)共を招きよせ、二十四五人連れ立て杉樹のもとに來て見れば、杉樹は五六尺の先より仆(たを)れ虛(うつろ)は根元より土中に通れりと見ゆるが、その穴の中にその蚺蛇蟠曲(わだかまり)て居たりしに、不敵の壯漢(をのこ)等群(むれ)立てそが四面(あたり)に柴を夥しく積累(つみかさ)ね、頓(やが)てこれに火をかけたるに火勢盛んに燃上りて、半時ばかりの間に蚺蛇は空しく燒死したりき。

 此候(とき)は着更着の中旬(なかば)にしあれば、雪未だ解けもやらで餘寒冽(はげ)しかりし故にや、有繫(さすが)の蚺蛇も動き敢ずして容易(たやす)く燎(やか)れぬ。爾して灼殘(やけのこ)りの骨を攫ひ集むるに三斗あまり有しとなむ。かゝれど此の源助には祟(たゝり)といふものなく天然を終へたりしが、その女は火傷して五體を毀(そこ)ね、嗣子(せがれ)は腰を煩ひて起つことあらざりしか間(ほど)なく死失せけるとなり。土人(ところのもの)この二個(ふたり)の有樣を見て、かの蚺蛇の祟なるべしと言ひあへりしとなり。【蟒を燒殺せる事板柳村にもあり。そは次々にあぐべし。】

 

[やぶちゃん注:「蚺蛇」は「うはばみ」(蟒蛇)。

「燔く」「やく」(焼く)或いは「たく」(焚く)であるが、本文から見て「やく」の訓でよかろう。

「文化の末」文化は一八〇四年から一八一八年までで、第十一代徳川家斉の治世。

「目谷の杉野澤村」底本の森山泰太郎氏の補註には『東目屋杉野沢(すぎのさわ)』とあるが、現在の弘前市目屋地区にはそれらしい地名が見当たらない。寧ろ、その地区の西に接する青森県中津軽郡西目屋村に杉ケ沢という地名がある(ここ(グーグル・マップ・データ))が、この附近か?

「杉樹」「すぎのき」。

「山神」「やまのかみ」と訓じておく。「山の神」は「諸國百物語卷之三 八 奧嶋檢校山の神のかけにて官にのぼりし事」の私の注を参照されたい。ここで源助が後で騙りとして怒るのは、所謂、豊饒を齎す「田の神」=「山の神」が、蛇の変化(へんげ)如き禍々しいものであるはずがない、という思いからである。私はこの源助の義憤に同調するものである。

「吾曹(われら)」「曹」には仲間・一族の意があるから複数形のルビは、これ、すこぶるピンくる。

「避ぬる」「のきぬる」或いは「たちのきぬる」と訓じているか。

「覺ぬ」「さめぬ」(醒めぬ)。

「不惕(ふてき)もの」「惕」には「恐れる」の意味があるから、「(大胆)不敵(なる)者」(恐れを知らぬ者)の謂いである。

「屑(かず)」洒落たルビではないか。

「將々(いでいで)」「さあさあ!」。自分が行動を起こすときに発する感動詞。

「伐取る」「きりとる」。

「杣士」先行する「四 河媼」の例(ためし)から「そまこ」と当て読みしておく。樵(きこり)。

「一尺づつも切𢌞しけるが、虛洞(うつろ)と見えて鉞(をの)の匁の應(こた)へも无(かな)りしかば、今や倒れんずらんと觀看(みやり)たれば」周囲を深さ三十センチほども斧で伐り回したところが、中が空洞になっているものとみえて、斧の刃(は)の手応えが全くないので、『これ以上、斧を揮わずとも、今に自然と倒れてしまうに違いあるまい』と、皆々、手を休めて傍観していたところ。

「※2蝓(よろよろ)として仆(たを)れず」(「※2」=「虫」+(「榲」-「木」)如何にも力なくぎにゃりと撓んではいるものの、一向に倒れる気配が、これ、ない。

「三尺餘りも匝(まは)るべき」(頭周りが)九十一センチもあろうかという。

「架擧(かけ)て」二字へのルビ。

「亂走(まとひ)て」読みはママ。「惑ひて」。

「免脱(にげ)かへり」二字へのルビ。

「言ひかひなき」「言ふ甲斐無し」である。情けない。ふがいない。つまらねえ。

「左ばかりの」「さばかりの」。その程度の。

「怕れて」「おそれて」。

「己」「われ」と訓じておく。

「擊殺さん」「うちころさん」。

「五六尺」約一・五~一・八メートル。

「蟠曲(わだかまり)て」二字へのルビ。

「燃上りて」「もえあがりて」。

「半時」約一時間。

「燒死したりき」「やけじにしたりき」と訓じておく。

「此候(とき)」「このとき」。

「着更着」「きさらぎ」で「如月」。陰暦二月の異名のそれは、その頃は寒さが厳しく、着物を更に重ねて着ることから、「着更着(きさらぎ)」とする説が有力とされるが、他にも、気候が陽気になる季節で「気更来(きさらぎ)」、草木が萌え出で始める月で「生更木(きさらぎ)」とする説、やや似た、草木の芽が張り出す月で「草木張り月(くさきはりづき)」が転じたとする説がある。私は「生更木(きさらぎ)」説を支持するものである。

「動き敢ずして」「うごきあへずして」。這い動いて逃げることが上手く出来なかったがために。

「攫ひ」「ひろひ」(拾ひ)。

「三斗」三十升。約五十四リットル。

「天然を終へたりしが」天寿を全うしたは。

「その女」「そのむすめ」。

「嗣子(せがれ)は腰を煩ひて起つことあらざりしか間(ほど)なく死失せけるとなり」「しか」は「しが」に読み換える。後に、息子の方は腰を患って立つことも出来ないほどの障碍を持つに至ったが、程なくして死んでしまったという。

「蟒を燒殺せる事板柳村にもあり。そは次々にあぐべし」「蟒(うわばみ)を焼き殺したといったような事例は板柳村でもあった。そうした類(たぐ)いの話は追々、この後に掲げることとしよう。」の意であろう。「板柳村」後に複数出る村名で、森山氏のそれらへの註によれば、『北津軽郡板柳(いたやなぎ)町』とする。弘前市の北に現存する。ここ(グーグル・マップ・データ)。なお、なぜ「そうした類いの話」と訳したかというと、この後には管見した限りでは板柳村で蟒蛇(大蛇)を焼き殺した類似例の提示は行われていないようだからである(あれば、この最後の一文は除去する)。]

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