フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 諸國百物語卷之四 二 叡山の源信ぢごくを見て歸られし事 | トップページ | 諸國百物語卷之四 三 酒の威德にてばけ物をたいらげたる事 »

2016/10/22

谷の響 二の卷 四 怪蚘

  四 怪蚘

 

 これも文政の年間(ころ)なるが、己(おの)が姻家に田中傳之丞といへる者の子に市太郎といへる男子、その時十二歳の記年(とし)なるが、髖(しりぶた)に疱癤(ねぶと)を出していたく惱み、食も絶ゆるばかりにありしが、旬日(とうか)餘にして其疱髖の壞れ口より白き蚘(むし)二條(ふたつ)出でたり。一隻(ぴき)は長さ三寸ばかり一隻は二寸五分ばかりも有けるが、出て間もなく死せりとなり。又、この兒從來病身にて時々虫を吐出すことありけるが、一日長さ八寸ばかりの蚘一隻吐出せり。眼口なければ首尾は分らねども、五寸ばかりより先は二岐(ふたまた)に分れていと健(たけ)るものなるが、己この時九歳にてあれば好き弄物(もちもの)と思ひ、細き柴もてあちこちと觸(さは)りて見るに、勵(はげ)しく紆曲蠖(くねりまがり)て宛爾(さながら)憤(いか)れる形のごとし。身の色は淡褐(うすちや)と覺えしなり。さてこの親傳之丞は、こを希らしきものとして乾かしてありけるが、その后(のち)いかなりしか知らざるなり。

 又、己が知遇(しれる)外崎某の語りけるは、往ぬる安政二卯の年の三月、女兒(むすめ)なる者腹いたむといふこと四五囘(たび)言けるに、ある日一隻の蚘故なく下れり。その蚘長三寸ばかりにして太き針ほどなるが、尾頭ともに岐(ひだ)ありて肚の兩邊に小さき足すきもなく連り、色薄茶なるものなるがいと猛々しく、僅に觸(さは)るに蟺蜿盤縮(くるひまはり)て蛇の怒れる貌ありしが、日あたりに放ちたるに忽ち死せり。希らしき蚘もあるものなりと語りき。

 又、紺屋町新割に三上某といへる人の妻、享年(とし)三十四五の頃より病身になりて、平素(つね)に腹をあつかひけるが、時々(をりをり)呃逆(からえつき)して蛔蟲を嘔(は)くことありき。ある日己が家に來り何か用を調ひて居たるうち、蟲がつかふといふて椽先に立出けるが、吐嗟(あつ)といふ聲と倶に一塊(かたまり)の蛔蟲を吐出せり。その蚘地に墮ると否(いな)や解開(ほごれ)て、其數大小とも凡十六七疋とも覺しが、其邊(あたり)蠢蜿(うごめき)ありきし中に、一隻螻蛄(けらむし)の形して大さ一寸あまりなるが、遍身(みうち)の色淡茶褐(うすちや)にして四足を具へたり。いと猛(たけ)々しくして他(ほか)の蟲は悉(みな)死せる中に、ひとりこの蚘死もやらで一時ばかりも蠢(うごめき)てありしが、家僕(しもべ)なるものいと希代の物とて、洗足盥(あしたらひ)に微溫(なまぬるき)湯を汲みて其中に入れたるに、復烈しく跋歩行(はひあるき)しが、僕(しもべ)再(また)これに冷水を濺(そゝ)ぐに、漸(よふ)々弱りて遂に死せり。是よりこの人日々塊蟲を吐出せしよしなるが、一年の後身罷(まか)りぬ。蚘の數は萬を以て算ふべしと、この夫なる人語りしとなり。これも文政の年間にて己れ十二三歳の時なりき。

 又、五山の中なるよしなるが、何れの寺の住職にや、固(じ)病の溜飮にて平生(つね)に宿水(みづ)を嘔(はき)たりしに、冉(ぜん)々重(おも)り後には蛄蟖(けらむし)の如き毛の生えたる蚘の、長さ一寸餘りなるもの五七隻又は十隻あまり宿水(みづ)に交りて吐れしかど、遂に差(い)えずして身まかりしとなり。蛔蟲(はらのむし)毛の生えるはなき事とて、看病の人の病人を慰めんとて醫師と謀りて設けたることゝいふ人もありき。然るや否はしらざれども、奇病においては毛のある蚘なしともいふべからず。胎(たい)中を養ふところ萬般(いろいろ)なるべし。

 又、藩中工藤某甲といひし人、晩年に至りて何となく胸𣎅(むね)を惱みけるが、日數經るに隨ひ漸々に強く、後には胸の骨を嚙(かま)るゝが如くに覺えて、其齩(か)める音胎外(そと)へ聞ゆるまてにて、切苦(くる)しきこといふべくもあらず。配劑(くすり)もさらに功をなさゞりき。さるに一日(あるひ)嘔吐の氣味ありとて、喝(かつ)といふ宿水(みづ)を嘔出せるが、其中に一寸餘にして蟬にひとしき六疋の蛔蟲あり。この蚘また烈しく2(はねまはり)しが小半時にして死せり[やぶちゃん字注:「1」=「虫」+「發」。「2」=「虫」+「攴」。]。さるに是より胸の痛み忽ちに癒えてもとに復りたるに、世に希らしき蟲なればとて、厚き紙の袋に内(い)れて陰乾になし、時々(をりをり)人に見せてその怪しきを語りける。爾して後、三十日あまりも過ぎこの蚘を見たしと乞へる人あれば、その袋を披くに封は其まゝにありながら、蚘は何地(いづち)へ出けん脚の一つもあらざればいと怪しく思ひしかど、元來豪毅の人なる故心にも係(か)けず打捨てたるが、五六日を經て復胸の痛むことはじめの如くにして晝夜苦しみ、萬般(いろいろ)方藥(くすり)も傚(しるし)なく施すべき術盡きて、遂に之が爲めにみまかれり。いかなる怪しき蚘にやありけん、封はもとの儘なるに破れもあらで失せぬるは、復この人の胸に入りしにや人々不審(いびか)りあへりしと。こは前件(くだり)なる三上氏が妻の吐たる蚘によく似たり。實に希代の物といふべし。

 

[やぶちゃん注:標題「怪蚘」は「クヱユウ(ケユウ)」(呉音)或いは「クワイカイ(カイカイ)」(漢音)と音読み出来る。但し、本邦では必ずしも同音群で読まれている訳ではないので「クヱカイ」「クワイユウ」でないとは言えず、私などは一見、真っ先には「かいゆう」と読んだ但し、最初の本文を読んだ途端、『この「蚘」は「蛔」だな』と合点し、『或いは、この題名は「怪」しい「蛔蟲」で「かいかい」か?』と思うたことを最初に述べておく。既にお分かりと思うが、以下の注でも述べる通り、この――「怪」しい「蚘」――とは所謂――「腹の蟲」――その代表例は「カイチュウ(線形動物門双腺綱旋尾線虫亜綱回虫(カイチュウ)目回虫(カイチュウ)科回虫亜科カイチュウ属ヒトカイチュウ(ヒト回虫)Ascaris lumbricoides )であり、それは「蛔蟲」と書き、「蛔」は実に「蚘」の字の異体字だからである。但し、音読みに拘らぬとならば、本文内でも「蚘」を「むし」と訓じているから「あやしきむし」でも構わぬが、どうもそう読んでいるつもりは西尾にはない気がする。

「文政」一八一八年~一八三〇年。

「髖(しりぶた)」この漢語は「尾骶(びてい)骨」を指す。但し、「しりぶた」は「尻蓋」で、私は肛門或いは肛門のごく直近の臀部表面を指しているように思われてならない。以下の「」の注を参照のこと。

「疱癤(ねぶと)」「根太」。背中・大腿部・臀部などにできる腫れ物を指すが、一般には黄色ブドウ球菌の感染による毛包炎の大きくなったもので、膿(う)んで痛むものを指すことが多い。但し、近代以前は、それ以外のアテローム(脂肪瘤)や性感染症によるリンパの腫脹などの広汎な腫れ物に対してもこの語を用いる傾向が私はあったように思っている。

「旬日(とうか)」実際、「旬」は十日間を指す時期単位である。

「疱髖」読みを振っていないから「ハウクワン(ホウカン)」と読むしかないか。尾骶骨の辺りにある腫れ物の謂い。ただ、どうも以下、その腫れ物の壊(く)えた部分、裂けた箇所から回虫が出たという描写から見て、これは所謂、疣(いぼ)痔或いは穴(あな)痔のような症状部分で、そこが穿孔して直腸と繋がってしまっていたことから、その「腫れ物」の中から回虫が出現したように見えただけではないかと思われる。

「三寸」九センチメートル。

「二寸五分」十センチ六ミリメートル。ヒトカイチュウ(ヒト回虫)Ascaris lumbricoidesは雌雄異体で、は全長十五から三十センチメートル、は二十センチメートルから三十五センチメートルと、の方が大きく、ここと後に出る大きさの違うものは雌雄である可能性があり、さらに言えば、ここの二匹は交尾を行っている最中に体外に出てしまった、彼らにとっては不運な可能性をも示唆しているともいえるかも知れぬ。

「時々虫を吐出すことありける」ここの「虫」の字体はママ。症状であるわけではない。ただ、江戸期の寄生虫の罹患率は極めて高く、多数の個体に寄生されていた者も多かったし、中にはこのように「逆虫(さかむし)」と称して、虫を嘔吐するケースさえ実際にあった。当時の寄生虫理解の一端を知ることが出来るものを一つ示すと、私が現在、電子化注を行っている津村淙庵の「譚海」(寛政七(一七九五)年自序)の「卷の十五」に、『大便の時、白き蟲うどんを延(のば)したるやうなる物、くだる事有。此蟲甚(はなはだ)ながきものなれば、氣短に引出すべからず、箸か竹などに卷付(まきつけ)て、しづかに卷付々々、くるくるとして引出し、内よりはいけみいだすやうにすれば出る也。必(かならず)氣をいらちて引切べからず、半時計(ばかり)にてやうやう出切る物也。この蟲出切(いできり)たらば、水にてよく洗(あらひ)て、黑燒にして貯置(ためおく)べし。せんきに用(もちゐ)て大妙藥也。此蟲せんきの蟲也。めつたにくだる事なし。ひよつとしてくだる人は、一生せんきの根をきり、二たびおこる事なし、長生のしるし也』という下りがある(ここに出るそれは形状から引き出し方から明らかに謂うところの「真田虫」(後掲)である)。これによるならば、「疝気」には寄生虫病が含まれることになる。但し、これは「疝痛」と呼称される下腹部の疼痛の主因として、それを冤罪で特定したものであって、寄生虫病が疝痛の症状であるわけではない。

「八寸」二十五センチ七ミリメートル。長さとしては完全にヒトカイチュウ(ヒト回虫)Ascaris lumbricoides個体である。

「五寸ばかりより先は二岐(ふたまた)に分れて」後者の巨大一方の先端部分は先の十五センチばかりの箇所で二股に分岐しており。ヒトカイチュウ(ヒト回虫)Ascaris lumbricoidesにはこのような形状部はない。人によっては頭が裂けてるんだったら、裂頭条虫(所謂、サナダムシ類)っていうのがいるじゃん、とか言ったりする方があるかも知れぬが、あの扁形動物門条虫綱真性条虫亜綱擬葉目裂頭条虫科裂頭条虫属 Diphyllobothrium の頭部は、拡大すると、頭部の尖端が裂けたように見える(但し、私には例えば、代表的なヒトに感染する裂頭条虫科スピロメトラ属マンソンレットウジョウチュウ(マンソン裂頭条虫)Spirometra erinaceieuropaei なんぞの頭部は、おぞましい河童の頭のそのもののような感じに見える私の電子テクスト注生物學講話 丘淺次郎 一 吸著の必要~(3)の図を参照されたい)からああいう名前がついているだけで、こんな二股には分れてなんぞはいないと言っておく。さて、では、この生物は何者か? と言えば、私はヒトの体内寄生虫にはこのようなものはいない、これは市太郎が体内から吐いたり、肛門から出てきた生物ではないと考える。以下でこの生物の「身の色は淡褐(うすちや)」とし、少年の西尾は、何と、それを「弄物(もちもの)」、弄ぶ対象として、柴枝で突っついて、いたぶって遊んだ、とするところからは、私はこれは市太郎とは無関係なもので(或いは少年の西尾を脅そうと、市太郎或いはその親が嘘をついた)、私は色と形状から、まず、これは扁形動物門渦虫(ウズムシ)綱三岐腸(ウズムシ)目陸生三岐腸(コウガイビル)亜目 Terricola 或いは同亜目のコウガイビル科コウガイビル属 Bipaliumに属するコウガイビル類である可能性が高いと考える。ウィキの「コウガイビルによれば、『コウガイビルは、陸上の湿ったところに生息する紐状の動物で、頭部は半月形である。「コウガイ」は、昔の女性の髪飾りである笄(こうがい)に頭部の形を見立てたものである。環形動物のヒルに比べて筋肉や神経系の発達が劣るため、運動はゆっくりとしており、ゆるゆると這うだけである。種数は日本に数種以上が生息しているとされるが、詳細は不明である。扁形動物門渦虫綱に属するものは、ヒラムシ、ウズムシ(プラナリア)など、ほとんどが海産または淡水産であり、陸上生活のものはこの仲間以外にはほとんどない』。『コウガイビルは雌雄同体とされ、体の大きさは長さが』十~三十センチメートル、場合によっては位一メートルを『越えるのに対し、幅は大きくても』一センチメートルを越えることはない。厚みも数ミリメートルで、『平たく細長い体をしている。体の端部のうち扇形に広がっている方が頭部で、頭部には肉眼で見えない眼点が多数存在する』。私は山でしばしば、このコウガイビル類の巨大な個体に遭遇したが、それらの多くはまさに「淡褐(うすちや)」薄茶色であった。なお、体色が白かったなら、私は回虫の♂♀二匹の交尾状態のものを候補と挙げたであろうが、回虫は決してこんな色はしていない

「いと健(たけ)る」非常に活発に動いている。

「己この時九歳にてあれば」平尾魯僊の生年は文化五(一八〇八)年であるから、この事例は実は文政ではなく、その前の文化一三(一八一六)年のこととなる。実証主義に平尾が自分のことを、かく誤って書くのは実に珍しいことである。

「安政二卯の年」安政二年は正しく乙卯(きのとう)でグレゴリオ暦では一八五五年。

「言けるに」「いひけるに」。

「故なく」何の前触れもなく、突如、の謂いか。

「尾頭ともに岐(ひだ)ありて肚の兩邊に小さき足すきもなく連り、色薄茶なるものなるがいと猛々しく、僅に觸(さは)るに蟺蜿盤縮(くるひまはり)て蛇の怒れる貌ありしが、日あたりに放ちたるに忽ち死せり」これは色と形状(体節と思しいもの、その周囲に極めて多数の脚を持っている点)からみて、ヒトの内臓寄生虫ではない。恐らくは、少女の糞便の中に多足類(節足動物門多足亜門 Myriapoda)の土中に棲息するヤスデ様の虫類(ヤスデ上綱倍脚(ヤスデ)綱 Diplopoda)が排泄後に潜り込んだのを、誤認したものであろう。腐植食性の彼らは強い直射日光に曝されれば、自己防衛のために身体を丸めて動かなくなるので、それを死んだとやはり誤認したものと考えるとすこぶる腑に落ちる。

「希らしき」「めづらしき」。

「紺屋町新割」現在の弘前市紺屋町(こんやまち)。弘前城の西北直近。ここ(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「新割町(弘前市)によれば、明治三(一八七〇)年の地図に同町の東部に紺屋町新割町とある、と載る。

「己が家」筆者西尾の屋敷。

「蟲がつかふといふて」「虫が咽喉へ痞(つか)えますで。」と訴えて。

「椽先」「緣先(ゑんさき)」。

「吐嗟(あつ)」感動詞。「吐嗟」は一派にはこれで「あはや(あわや)」と訓じ、何か事が起きんとする際に驚き危ぶんで発する声を指す。

「蛔蟲」遂にこの語がここで出る。狭義にはこれは、

線形動物門双腺綱旋尾線虫亜綱回虫(カイチュウ)目回虫(カイチュウ)科回虫亜科カイチュウ属ヒトカイチュウ(ヒト回虫)Ascaris lumbricoides

の和名である。但し、当時は、形状の似た、しかし有意に小さな

旋尾線虫亜綱蟯虫(ギョウチュウ)目蟯虫(ギョウチュウ)上科蟯虫(ギョウチュウ)科Enterobius 属ヒトギョウチュウ(ヒト蟯虫)Enterobius vermicularis

も同一視していたと考えてよいから、以上も挙げておく。因みに蟯虫はが二~五ミリメートル程、の場合は八~十三ミリメートルである。

「解開(ほごれ)て」二字へのルビ。

「螻蛄(けらむし)」昆虫綱直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科ケラ科 Gryllotalpa 属ケラ Gryllotalpa orientalis

「一寸」三センチメートル。

「遍身(みうち)の色淡茶褐(うすちや)にして四足を具へたり。いと猛(たけ)々しくして他(ほか)の蟲は悉(みな)死せる中に、ひとりこの蚘死もやらで一時ばかりも蠢(うごめき)てありし」これも先の少女の糞便の虫と同じく、庭先に吐きだした回虫の塊りに、庭にいた肉食性昆虫が臭いを嗅ぎつけて近づいたものであろう。「四足」とあるが、単に脚があることを言っているだけであろうから、昆虫と考えて差支えない。彼がヒトの内臓性寄生虫ではなく、普通の戸外に入る気管呼吸をする外骨格の昆虫に過ぎないことは、以下で西尾の家の下男が「いと希代の物とて、洗足盥(あしたらひ)に微溫(なまぬるき)湯を汲みて其中に入れたるに、復烈しく跋歩行(はひあるき)しが、僕(しもべ)再(また)これに冷水を濺(そゝ)ぐに、漸(よふ)々弱りて遂に死せり」という様態から見ても明らかであると私は思う。

「算ふべし」「かぞふべし」。

「夫」「をつと」。

「これも文政の年間にて己れ十二三歳の時なりき」先に示した平尾の生年から、満十一、十二歳は文政二(一八一九)年か翌三年となるので、ここの「文政の年間」は正しい。

「五山」底本の森山泰太郎氏の本話の補註に『寛永年間に津軽藩では京・鎌倉の寺院五山の制にならって、領内に真言宗の代表的な寺院五山を定めた。岩木山百沢寺・金剛山最勝院・愛宕山橋雲寺・護国山久渡寺・古懸山国上寺で』、みな、『上下の尊崇をあつめた』とある。なお、この内の岩木山百沢寺は廃寺となって現存しない。

「固(じ)病」「痔病」。

「溜飮」「りういん(りゅういん)」。一般には痔とは無関係に、胃の消化作用が不十分なために、胸焼けがしたり、口に酸っぱい液が上ってきたりする症状を指す。

「冉(ぜん)々」次第に進んでいくさま。徐々に侵し広がるさま。

「蛄蟖(けらむし)」先の「螻蛄」に同じ。

「毛の生えたる蚘の、長さ一寸餘りなるもの五七隻又は十隻あまり宿水(みづ)に交りて吐れしかど」同前。これはまさに庭土に胃液を吐き出したのを医師か看護人が庭に捨てたところが、その下の土中にいた正真正銘のケラが苦しくなって這い出てきたものか。或いは、後に西尾が附言しているように、「蛔蟲(はらのむし)毛の生えるはなき事とて、看病の人の病人を慰めんとて醫師と謀りて設けたることゝいふ人もありき」というのも、案外、当たっているかも知れぬ。しかし、これ、「慰め」ることには私はならんと思うが、ね。

「差(い)えず」漢語としての「差」には「病が癒える」の意がある。

「奇病においては毛のある蚘なしともいふべからず」いや、少なくとも本邦のヒトへの体内寄生虫(体表面への寄生をするダニやノミ・シラミ類は除く)には、実寸実体の視認観察で毛のある寄生虫はいないと私は思う。

「胎(たい)中を養ふところ萬般(いろいろ)なるべし」意味不明。「胎中に養ふところ(の蚘は人の知を越えて)萬般(いろいろ)なるべし」の謂いでとっておく。

「某甲」既出。二字で「なにがし」と訓ずる。

「胸𣎅(むね)」二字へのルビ。「𣎅」は胸骨の意。

「後には胸の骨を嚙(かま)るゝが如くに覺えて、其齩(か)める音胎外(そと)へ聞ゆるまてにて、切苦(くる)しきこといふべくもあらず」「胎外(そと)」は二字へのルビ。「まて」はママ。この工藤なる藩士は恐らく進行した労咳(結核)であったのであろう。この胸から聴こえる音と言うのは所謂、「ラッセル音」肺の聴診で聞かれる異常呼吸音(副雑音)のことであろう(「ラッセル」とはドイツ語で“Rasselgeräusch”(ラッセルゲロイシュ:「ガラガラ・カタカタといった雑音」の意)に由来する)。

「喝(かつ)といふ宿水(みづ)を嘔出せるが」底本では「いふ」の右には編者のママ注記が附されてある。確かにここは「喝(かつ)と、宿水(みづ)を嘔出せるが」で腑に落ちるところである。

「蟬にひとしき六疋の蛔蟲あり。この蚘また烈しく2(はねまはり)しが小半時にして死せり」(「1」=「虫」+「發」/「2」=「虫」+「攴」)肉眼での実体視で、蟬の形にそっくりなヒトの体内寄生虫、気管支・肺への寄生虫は、いない。肺吸虫は楕円形をしており、成体が大型になる本邦に棲息する、

扁形動物門吸虫綱二生亜綱斜睾吸虫目住胞吸虫亜目住胞吸虫上科肺吸虫科 Paragonimus 属ウェステルマンハイキュウチュウ Paragonimus westermaniiの三倍体

ならば視認は可能(最大長十六ミリメートル)であるが、果たしてそれらを「蟬にひとしき」と言い得るかどうかはすこぶる怪しい(私は実物を見たことはないので全否定は避ける。だが、後で陰干しした上で封をしておいたそれがいなくなり、その中には「脚の一つ」もなかったとあるのは、これが蟬のように脚(恐らく三対六脚)を持っていたことを意味している。されば、これも吐物に集った庭の昆虫類と考えるのが自然である)。しかも肺吸虫を喀血などと一緒に吐き出すことがあるかどうかも私には疑わしいことである。但し、顕微鏡で観察するなら、その紡錘形の形状は蟬に全く似ていないとは言えない、とは言っておこう。しかし肉眼で見る限りでは、ただの粒でしかないし、ここにある「一寸」(三センチ)は、いくらなんでも巨大過ぎる。なお、これが肺ではなく、肝臓寄生の吸虫ならば、巨大な種は存在する。名にし負う、

二生亜綱棘口吸虫目棘口吸虫亜目棘口吸虫上科蛭状吸虫(カンテツ)科蛭状吸虫亜科カンテツ属キョダイカンテツ(巨大肝蛭)Fasciola gigantica

である(体長は二・五~七センチメートル、体幅は五ミリから一センチ二ミリに達する)。しかし、本種も肝臓内に寄生し続けるものであって、迷走する可能性は少なく、それを吐き出すなどということは通常、考えられないと私は思う。

「故」「ゆえ」。

「復」「また」。後のも同じ。]

« 諸國百物語卷之四 二 叡山の源信ぢごくを見て歸られし事 | トップページ | 諸國百物語卷之四 三 酒の威德にてばけ物をたいらげたる事 »