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2016/10/06

甲子夜話卷之二 22 狂言の大名を堀田參政評判せる事

2―22 狂言の大名を堀田參政評判せる事

林公鑑云。堀田攝州【正敦、堅田侯、參政】あるときの話に、能狂言の大名と云ものは、貴人を諷する爲に拵たるものと思はる。太郎冠者にだまさるゝと云がおもしろきこと也。今の大名は、人にだまされまじきだまされまじきと斗思ふ心より、其末は善事までも、何ぞ心ありてだますかと思ふやうに成り行くものなり。人君は元より也。高官の人など、だまされぬと云念慮の害甚多し。凡てよき事を以て人よりだますは、だまさるべきことよと申されし。實に鄭子産、放魚の遺意を得たる言葉なり。此人氣勁(つよ)くして才秀。量ありてよく人を容る。寛政名臣の一なり。和哥を好み和文に長ぜり。騎法尤すぐれたりと云。仙臺中將宗村の五男なり。

■やぶちゃんの呟き

「堀田參政」「堀田攝州【正敦、堅田侯、參政】」近江堅田藩第六代藩主(天明七(一七八七)就任。文政九(一八二六)年十月十日下野佐野藩に移封)・下野佐野藩藩主(再興)・幕府若年寄(「參政」はその別称。就任は寛政二(一七九〇)年で没した年の一月二十九に致仕(家督は五男正衡(まさひら)が継ぐ)、同年六月に逝去)であった堀田摂津守正敦(ほったせっつのかみまさあつ 宝暦五(一七五五)年~天保三(一八三二)年)。陸奥仙台藩主・伊達宗村の八男。「甲子夜話」執筆開始は文政四(一八二一)年であるから、当時は正敦はまだ「堅田侯」であった。彼は本条の最後に「仙臺中將宗村の五男なり」とあるが、正しくは陸奥仙台藩第六代藩主伊達宗村(享保三(一七一八)年~宝暦六(一七五六)年)の八男である。この違いは兄の内、三人が早世していることから本人がかく称していたからかも知れない(以上はウィキの「堀田正敦他に拠った)。

「林公鑑」江戸後期の儒者で林家第八代林述斎(はやしじゅっさい 明和五(一七六八)年~天保一二(一八四一)年)の字(あざな)。一応、「はやしこうかん」と字は音読みしておく。既出既注であるが、再掲する。ウィキの「林述斎」によれば、父は美濃国岩村藩主松平乗薀(のりもり)で、寛政五(一七九三)年、『林錦峯の養子となって林家を継ぎ、幕府の文書行政の中枢として幕政に関与する。文化年間における朝鮮通信使の応接を対馬国で行う聘礼の改革にもかかわった。柴野栗山・古賀精里・尾藤二洲(寛政の三博士)らとともに儒学の教学の刷新にも力を尽くし、昌平坂学問所(昌平黌)の幕府直轄化を推進した(寛政の改革)』。『述斎の学問は、朱子学を基礎としつつも清朝の考証学に関心を示し、『寛政重修諸家譜』『徳川実紀』『朝野旧聞裒藁(ちょうやきゅうもんほうこう)』『新編武蔵風土記稿』など幕府の編纂事業を主導した。和漢の詩才にすぐれ、歌集『家園漫吟』などがある。中国で散逸した漢籍(佚存書)を集めた『佚存叢書』は中国国内でも評価が高い。別荘に錫秋園(小石川)・賜春園(谷中)を持つ。岩村藩時代に「百姓身持之覚書」を発見し、幕府の「慶安御触書」として出版した』とある。因みに彼の三男は江戸庶民から「蝮の耀蔵」「妖怪」(「耀蔵」の「耀(よう)」に掛けた)と呼ばれて忌み嫌われた南町奉行鳥居耀蔵である。

「能狂言の大名」能の狂言に登場する大名(殿様)。

「諷」諷刺。諷喩。

「拵たるもの」「こしらへたる者(役)」。

「斗」「ばかり」。

「より、其末は」結果、遂には。

「善事までも、何ぞ心ありてだますかと思ふやうに成り行く」誰かがよかれと思って善意ずくでして呉れたことに対してまでも、『何か下心があって私を騙そうとしてるのではないか?』と疑心暗鬼に陥るようになっていってっしまっている。

「人君」君主(天皇・将軍・大名)。

「だまされぬと云念慮の害甚多し」「云」は「いふ」。「甚」は「はなはだ」。『騙されてなるものか!』という被害念慮による猜疑に基づく誤った判断に基づく処断を起因とした甚大な弊害の方がすこぶる多い。

「凡てよき事を以て人よりだますは、だまさるべきことよ」「何事もうまいことを言って人を騙すよりは、人の誠意を信じ、たまに人に騙されるぐらいの方がよいことじゃて!」。

「鄭子産」春秋時代の鄭に仕えた政治家子産(しさん ?~紀元前五二二年)。「公孫僑」とも呼ばれる。弱小国であった鄭を安定させる善政を行い、世界史上初の成文法を定めた(ウィキの「に拠る)。

「放魚の遺意」「孟子」の「萬章章句 上」に出るエピソード。

   *

昔者有饋生魚於鄭子産、子産使校人畜之池、校人烹之、反命曰、始舎之、圉圉焉、少則洋洋焉、攸然而逝、子産曰、得其所哉、校人出曰、孰謂子産智、予既烹而食之、曰得其所哉、得其所哉。

〇やぶちゃんの書き下し文

昔者(むかし)、鄭の子産に生魚(せいぎよ)を饋(おく)る有り。子産、校人(かうじん)をして之れを池に畜(やしな)はしむ。校人、之れを烹(に)る。反命(へんめい)して曰く、

「始め、之れを舎(はな)つに、圉圉焉(ぎよぎよえん)たり。少(しばら)くして則ち、洋洋焉(やうやうえん)たり。攸然(いうぜん)として逝(ゆ)く。」

と。子産、曰く、

「其の所を得たるかな。」

と。

校人、出でて曰く、

「孰(なん)ぞ子産の智たらんと謂ふか。予、既に烹て之れを食(くら)ふに、曰く、『其の所を得たるかな、其の所を得たるかな。』と。」

と。

   *

簡単に語釈する。「饋(おく)る」は「贈る」。「校人」は官邸内の池沼を管理する下役人。「烹(に)る」煮て食ってしまった。「反命(へんめい)」報告。「舎(はな)つに」池に放ったところ。「圉圉焉(ぎよぎよえん)たり」おとなしくしていた。「洋洋焉(やうやうえん)たり」如何にも溌剌と元気になって。「攸然(いうぜん)」悠然。「逝(ゆ)く」(池の水路口を楽々と飛び越えて)泳ぎ去った。「其の所を得たるかな」「その居(おる)べきところを(得たことで生気を取り戻し)得たのでなぁ!」。「孰(なん)ぞ子産の智たらんと謂ふか」「いったい、世間では小産を賢者だなどと褒めた讃えているが、どこが智恵者なもんか!」。無論、小産はこの最下級の階層の小役人が自らの職掌をも顧みず、あろうことか、魚を喰らったことを知っていると読むべきである。彼は校人が嘘をついていることを承知の上で、この程度のことで、家内にて口を荒ららげ、この下劣な輩を厳罰を処することを敢えて避けたのである。これぞまさに堀田の言った騙す人間であるより騙される人間であることの方が遙かによい、という理に基づいているのである。

「量」度量。

「人を容る」他者に対して寛大である。

「和哥を好み和文に長ぜり」ウィキの「堀田正敦は、『和漢の学識に富み、『寛政重修諸家譜』編纂の総裁を務めている。また蘭学者を保護するなど学者を厚遇し、自らも鳥類図鑑『禽譜』と解説書『観文禽譜』(後述)を編纂するとともに、『観文獣譜』(東京国立博物館所蔵)、『観文介譜』(貝の博物書、写本を東洋文庫が所蔵)も執筆している』とし、『正敦は幕府の若年寄として松平定信の主導する寛政の改革を推進し、その一環として和歌を中心とした文教新興策を行っている。正敦は定信をはじめ、屋代弘賢や北村季文、塙保己一など、好学大名や学者・文人ら文化愛好集団の繋がりから古典を収集し、同時代の学知を反映させた写本を編纂している。正敦の収集資料には「堀田文庫」の蔵書印が押印されており、禽譜・観文禽譜や七十一番職人歌合(山梨県立博物館所蔵)などがあり、また、『寛政重修諸家譜』の発案も行っている』。『堀田文庫の代表的資料である『禽譜』(きんぷ、堀田禽譜、写本を宮城県図書館などが所蔵)・『観文禽譜』(かんぶんきんぷ、宮城県図書館所蔵)は鳥類分類図鑑で、鳥類の生物学的記載のみならず、関係する和歌や漢詩などの考証も記載した総合学術辞典としての性格を有する。堀田禽譜には、同時期に編纂された解説書の解説に対応する鳥類の図が収録されており、『観文禽譜』から抜粋された解説が付けられていることから、『観文禽譜』の図譜部であるとも考えられている』という博物学者としての資質を記載している。

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