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2016/10/11

譚海 卷之一 下野飯沼弘教寺狸宗因が事

下野飯沼弘教寺狸宗因が事

○下野飯沼弘教(ぐきやう)寺の後(うしろ)の山に、狸宗固が墓と云(いふ)物あり。此は往年古だぬき其寺の僧に化(ばけ)て年久しくあり。寺の納所(なつしよ)などを預り謹愼につとめて、住持の替る度每(たびごと)にも寺の事しりの僧にて居けり。ある日ひるねせしとき狸のかたちをあらはし、住持に見顯(みあら)はされて人間にあらざる事を知りたれども、年久しく有(あり)て事になれ用事を辨じければ給仕させけるが、死(しに)たる後(のち)葬(はうむり)たる墓なりといへり。住持の望(のぞみ)に依(より)て彌陀の來迎の體(てい)を現(あらは)しみせけることを、いひつとふれども是(ここ)に贅せず。

[やぶちゃん注:「狸宗因」「狸宗固」の相違はママ。知る限りでは、「そうこたぬき(宗固狸)」で「固」が正しい。ウィキの「化け狸」でもそうなっているし、諸氏の妖怪データベースでは、ここの化け狸の名は概ね「宗固」であり、少なくとも俳人めいた「宗因」などという名は知らぬ。しかし、この「宗固」という僧名にもかなり疑問がある(次注参照)。

「下野飯沼弘教寺」底本の竹内利美氏の注に『茨城県結城郡飯沼郷の弘経寺。応永年間開創の浄土宗の大寺』とある。これは現在の茨城県常総の北西部の豊岡町にある浄土宗寿亀山天樹院弘経寺(ぐきょうじ)のことである。但し、「弘経寺」公式サイト内のこちらを見ると、「来迎杉と化僧・宗雲」の項に以上の見出し(化僧の名を「宗雲」とする)を附しながら、本文ではその狢(むじな)の化けた僧の名を一貫して「宗運」と記してあるのが不審である(そこには本伝承と酷似する「来迎杉」、化け狸(狢)自らが彫ったとされる面の写真も見られる)。ところが、さらに調べると、「板橋区」公式サイト内の第九回櫻井徳太郎賞佳作受賞の論文「2つの宗運伝説を追う―水海道弘経寺に伝わる話の変容を調べる―」(茨城県立伊奈高等学校歴史研究部根日屋文絵・高野紗衣・谷口裕亮・吉原茜共著。1・2・3に分かれる)でも一貫して「宗運」とあるから、この化け狸(狢)の僧名は「宗運」が伝承上は正しいものと私には思われる。ただ、現行の同寺公式サイトにはその墓と称するものは記載がなく、同寺の末寺であった小貝川下流の浄円寺(茨城県つくばみらい市狸淵)に、その宗運に化けた狢の流れ着いた溺死体(杉の上で来迎を演出し、そこで雷に打たれて小貝川に落ちて死んだとする伝承は、これ、私にはすこぶる哀しいものである)を葬った墓がある(上記論文の「1」にその写真がある)。

「納所(なつしよ)」狭義には禅宗寺院に於いて金銭や米穀などの出納を行う所或いはその係の僧を指したが、後には寺院一般で雑務を行う下級の僧やその職務全般を指すようになった。

「謹愼」言動謙虚にして慎み深いこと。

「寺の事しりの僧にて居けり」寺の「事知り」の僧として住もうておった。

「見顯(みあら)はされて」正体を知られて。

「事になれ」「事に馴れ」寺務を頗る習熟し。

「用事を辨じければ」あるとある寺務実務を何事も十二分に務めたので。

「いひつとふれども」「言ひつ、と、振れども」か。「と言われてきた、と、今にその話を伝えてはいるけれども」。

「是に贅せず」必要なこと以外、私の意見などを差し挟むのはやめておく。]

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