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2016/10/03

佐渡怪談藻鹽草 專念寺にて幽靈怪異をなす事

     專念寺にて幽靈怪異をなす事

 

 元祿年中、世上豐(ゆたか)なる頃、五七輩上相川専念寺に遊(あそび)て、酒肴を運び賄(まかなひ)、碁双六など翫(もてあそ)び、秋の日のもの足(たり)し頃とて、夜陰まで興じ、

「いざや歸らん」

とて刻限をとへば、

「頓(やが)て丑の刻ならん」

といへば、

「さらば爰(こゝ)に寢て、夜明(あけ)て歸らん」

といふ。住僧も、ひたすらとめければ、皆々泊りぬ。猶殘酒くみかわして、咄も數(かず)盡ければ、

「休まん」

といへば、住僧夜のものなど持出(もちいで)、

「麁末なれども、是をめし候へ。やがて夜の明(あけ)なん、暫く休み給へ」

とて、六杖折の屏風一雙引(ひき)廻し、行燈は、其内にてらし、

「風ばし引給ふな」

と挨拶して、庫裏へ引(ひき)ぬ。其跡にて、皆々件(くだん)の夜具引掛臥(ひきかけふし)ぬ。其内には、夜着、ふとん、小袖やうのもの品々ありて、當り果報に主付(つく)事にぞ暫(しばらく)は互に咄などして寢ざりしが、次第に咄もやみ、行燈の火も、或は曇(くもり)、或は照り、定かならず程に、客殿に夥敷(おびたゞしき)物の崩るゝ音しぬ。人々

「是は」

とあきれながら、息をのんで居けるが、暫(しばらく)して客殿の内を歩行(ありきゆく)音して、爰(こゝ)かしこ極らず、やゝありて、庫裏の方をさして來る音也。何(いづ)れも寢て居るは、客殿と庫裏の間なりけるが、頓(やが)て其(その)間の口の三尺戸をさらりと明(あけ)たり。

「あわや、爰へ來りぬるか」

と、安き心もなきに、すでに其間へ來りて、屛風の裏を撫で、二三度往來したりしが、中程の屛風を開きたる處より、椽(たるき)の障子に月の移りてすかしみれば、髮をみだしたる女の影にて、暫く立(たち)ながら寢たる人々を詠め、其内へつと入て端に寢たる人より、壱人壱人裾へ手をかけて、算へるやうにして、三人は過(すぎ)ぬ。四人目の人の着たる小袖をつと剝取(はぎとり)たり。其時は人々夢見る樣に覺(おぼえ)しが、今來りしものは、居るやらん、往(ゆき)たるやらん、跡を見る心も付(つき)ず、たゞすくみくて居たり。

「はやく夜の明(あけ)よ」

と祈(いのり)ぬる時、住僧聲して、

「皆樣御休惡(あし)くや」

とゝひけるとて來れば、地藏菩薩にあふ心して、

「いざいざこれは來り給へ。寢馴(なじま)ぬ所故か、皆々寢入兼(かね)たり。いゝつぞ起(おき)て、御噺可申(おはなしまうすべし)」

といへば、

「如何樣にも寺院なれば、御氣も休むまじ、御伽(おとぎ)に御噺(おはなし)候わん」

とて、燈をともし付(つけ)て、噺ける。客の内より和尚に問(とひ)けるは、

「今爰へ來り給ふ時は、屛風は開(ひらき)て有(あり)し哉(や)、否(いな)」

ととふ。僧のいわく、

「屛風は先程建(たて)たる儘にて有し」

といふ。皆々怪有に思ひて、四番目の着物を見ればなし。かゝる内に、夜明(あけ)たる程に、夜中の事共、亭住に噺して、客殿へ伴ひ行(ゆき)て見れば、近き頃葬人と覺しく、位牌を飾(かざり)、花を供して有(あり)。前にぼけ色にせいかひ浪を染めたる紅裏の女小袖をたゝみて供へたり。何れもそら恐しく、

「何方の人の牌ぞ」

ととへば、

「是(これ)は上相川鍛冶町の何某(なにがし)が妻、久しく煩ひて居たるが、生前に着し小袖とて常に靈前に置き呉(くれ)よと遺言のよしにて、斯(かく)ははからひ侍る」

と答ふ。聞(きく)人舌を卷て歸りぬ。後程過(すぎ)て、右のつれ中の内、噺しけりとかや。

 

[やぶちゃん注:「相川專念寺」現存しない。浄土宗光明山専念寺。当時の相川鍛冶町にあった。現在の佐渡金山の東南直近である。慶長元(一五九六)年創建、明治元(一八六七)年に廃寺。

「元祿年中」一六八八年から一七〇四年。

「秋の日のもの足(たり)し頃」「日」はここは「夜」、秋の「夜長」で、その夜遊びの時間が十分にある(足りてある)頃のこととて、の謂いであろう。

「丑の刻ならん」午前二時頃。

「ひたすらとめければ」帰ろうとする者をしきりに止(と)めて、泊まってゆくように慫慂したので。

「夜のもの」夜着・夜具の類い。

「麁末」「そまつ」。粗末。

「風ばし引給ふな」「ばし」は強調の副助詞(係助詞「は」+副助詞「し」が付いたものが「ばし」と濁音化して一語となったたもの。会話文に多出)。~なんど。~なんぞ。

「庫裏」「くり」。

「當り果報に主付(つく)事にぞ」不詳。それぞれに夜着として選んだことを「主付」く「事」と謂い、前の「當り果報に」とは、その選んだ品によって寒かったり暑かったり、ごわついていたりしてハズレもある一方、温みも丁度良く、柔らかく気持ちがよいという「果報」に「當」ることもあり、という意味か? そうした様子を「果報は寝て待て」の諺に文字通り、洒落た謂いかも知れぬ。トンデモ解釈であれば、御指摘戴きたい。

「行燈の火も、或は曇(くもり)、或は照り、定かならず程に」室内奥(後で「寢て居るは、客殿と庫裏の間」でありしかも「其間の口には「戸」もあって閉められているとある)で屏風の蔭に置かれているにも拘わらず、灯が怪しく点滅するのは既にして怪異出来(しゅったい)の兆しである。

「爰(こゝ)かしこ極らず」その足音はそこかしこどこへ向かっていると定まらずに、かなり激しく動いているのである。この動き自体が、その何者かが、特定の何かを焦って探していることを読者に伏線として伝えているのである。

「三尺戸」九十一センチ弱。戸の横幅であろう。

「屛風の裏を撫で」実際に手で撫でているともとれなくもないが、ここはその者の着衣が屏風にふれてさらさらと音を立てていると読みたい。

「中程の屏風を開きたる處」開いた屏風の中央の蝶番の附いているその縦の隙間であろう。

「椽(たるき)の障子」縁側と室内を隔てる障子。

「月」月光。

「移りて」「映りて」。

「暫く立(たち)ながら寢たる人々を詠め」この描写からすると、屏風はそれほど大きくはないものであるよう思われる(住持が一人で軽く持てる程度のそれである)。少なくとも、女(の亡霊)が屏風の裏から寝ている者らを眺め渡すことが普通に出来る程度には低い

「其時は人々夢見る樣に覺(おぼえ)しが、今來りしものは、居るやらん、往(ゆき)たるやらん、跡を見る心も付(つき)ず、たゞすくみくて居たり」見えているが、それに応じた能動的対処行動が起こせないという怪奇現象、所謂、「金縛り」である。

「御休惡(あし)くや」「お眠りになれぬか?」

「地藏菩薩にあふ心して」この時代の地蔵信仰の一般的感覚がよく伝わってくるではないか。

「いゝつぞ」不詳。副詞の「一層(いつそ(いっそ))」でとっておく。

「御氣も休むまじ」「辛気臭ければこそ、お気持ちも安んずることがないので御座ろう。」。

「御伽」話し相手をつとめることの丁寧表現。

『「今爰へ來り給ふ時は、屛風は開(ひらき)て有(あり)し哉(や)、否(いな)」ととふ。僧のいわく、「屛風は先程建(たて)たる儘にて有し」といふ。皆々怪有に思ひて』おのシーンは実は、先の女の亡霊は開いてあった屏風(その左右にはそこを廻り抜けられるほどのスペースはないと措定する)の向こう側から、者どもの寝ている側に入る際、屏風を透過して(者どもは倒して、或いは片側へ閉じて、と認識した)真っ直ぐに入ってきたと見ていた。だのに屏風が彼らが寝る前の状態と変わっていなかったから、「怪有」(「かいある」と訓じておく)事「に思」うたのである。前の女怪出来のシークエンス(そこもある種の描写不全がある)との照応の悪さが感じられる。

「四番目の着物」引っ被っていた物を女怪が剝ぎ取ったように見えた先の「四人目の」男の夜着。

「亭住」亭主。「亭」主である「住」持。しかしこんな語は私は今まで見たことがない。単なる原本の「亭主」の誤りではないか。

「葬人」音読みしているか。しかし私は「はうふりしひと」と訓じたい。

「ぼけ色」「木瓜色」。被子植物門 Magnoliophyta 双子葉植物綱 Magnoliopsida バラ目 Rosalesバラ科 Rosaceae サクラ亜科 Amygdaloideae リンゴ連 Maleae ボケ属 Chaenomelesボケ Chaenomeles speciosa の花は淡紅・緋紅・白と紅の斑・白などがあるが、私はあとの染め模様からみて、地の「木瓜色」とはまさに薄くぼけた淡紅ととりたい。

「せいかひ浪」「青海波(せいがいは)」のことで、そう読んでもいるものであろう。グーグル画像検索「青海波 文様」をリンクしておく。

「上相川鍛冶町」現在の佐渡金山の東南直近。

「中の内」「なかのうち」。]

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