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2016/10/04

憤りと抗議の長詩――許南麒著『巨済島』――   梅崎春生

   憤りと抗議の長詩

    ――許南麒著『巨済島』――

 

 これは、朝鮮の巨済(コゼ)島における捕虜収容所を題材とした、二百頁にあまる長篇叙事詩である。北鮮・中共軍捕虜に対する米国監視隊の協定を無視した不法や暴虐、そういうものへの烈しい怒りや抗議がこの長詩の中心をつらぬいている。

 我々国民に「巨済島」の名がひろがったのは、捕虜収容所長ドッド代将が、収容捕虜によって逆に捕虜にされたという、あの奇怪な、見ようによってははなはだ滑稽(こっけい)な事件以来である。そのくせ我々は巨済島の実状や事件のなり行きにたいして、ほとんど知らされていない。新聞やラジオも、表面的に断片的に、時折つたえるだけで、この島でどういうことが行われているか、その実体を伝えることはなかった。

 この長詩は六章より成り、その第二章と第五章は、散文の形をとっている。許南麒はここではもっぱらうたうことを止めて、世界各国の新聞や冊子の記事などを集録し、そのデータによる訴えを試みている。作者はこの両章を「わたくしのつもりでは詩に近い散文、むしろ詩の一つの形としての散文として、読んでもらうつもりで書いた」と後記にしるしているが、私個人の読後感で言えば、他の章よりもこの両章の方が、はるかに感銘が強かった。

 もちろん、詩の形をとった他の章も、作者の胸から自らみなぎりあふれたような勁(つよ)さがあり、それが独特のリズムになって読者の胸を打つが、いくらかそれが過剰な傾きもあり、部分的には叙事詩というよりは叙情詩に近い印象を受ける。巨済島の実状が、たとえばヒットラーの暴虐のように、我々にまだ周知のことでない限りは、我々が接したいのは、作者の憤怒や抗議より前に、巨済島における暴虐や不法の実状や実体なのである。無論この両章を、他の章と独立させて考えるのは、正確な鑑賞ではなく、渾然(こんぜん)とした全章として読むべきだとは思うが、ある微妙な乖離(かいり)がそこに感じられるのは否めない。しかしこれは、長詩「巨済島」そのものが持つ欠陥ではなく、この今日的な課題における作者の発言の仕方と、それを受取る読者の側の、余儀ない乖離かも知れない。

 最後に、この「巨済島」に示された不法の実状と、それについての米側あるいは日本政府側の発表とを並べて、どちらを真実とするかと問われれば、私は躊躇なく前者をとる。常識を持つ人間なら、ちょっと考えられないような不法が存在することを、なぜ私が単にこの一書によって信じるか。それはこの数年間の私の見聞や体験が、私にそう教えて呉れるのだ。これは如何にもあり得ることであり、その小規模な形としては、特に国外に例を求むるまでもなく、我々の周囲にも沢山見出されるだろう。そういう不津に対する許南麒の憤怒ほ、そういう意味でも、我々と無縁のものではない。

 

[やぶちゃん注:昭和二七(一九五二)年十月二十日号『日本読書新聞』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。

「許南麒」(ホ・ナムギ きょ なんき 一九一八年(大正七年)~昭和六三(一九八八)年十一月)は慶尚南道(けいしょうなんどう/キョンサンナムド:大韓民国南東部に位置する行政区)東莱(とうらい/ドンル)生まれの詩人。昭和一四(一九三九)年来日。中央大学法科卒業。解放直後より朝鮮語と日本語の詩作を並行した。昭和二四(一九四九)年、日本語による詩集「朝鮮冬物語」で注目された。代表作「火縄銃のうた」(日本語)、「祖国にささげる」(朝鮮語)など、両国の言葉で抵抗と叙情を詠い、日本と朝鮮の関係や在日朝鮮人の問題を問い続けた。在日本朝鮮文学芸術家同盟委員長・朝鮮総聯中央副議長・朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議代議員。

「巨済島」地理としての島、巨済島(コジェド きょさいとう)は大韓民国の慶尚南道巨済市に属する同市の大部分を占める島で釜山(プサン)広域市の南西に位置する。面積は約 四百平方キロメートルで、韓国では済州島(チェジュド)に次いで二番目に大きな島である。参照したウィキの「巨済島によれば、『巨済島と日本の対馬との間は朝鮮海峡(対馬海峡西水道)が最も狭隘になる場所で、日本との関係も深い』。許南麒著の「巨済島」は「世界の良心に訴える」という副題を持ち、昭和二七(一九五二)年に理論社から刊行されている(私は未読)。ここに出る、朝鮮戦争当時(一九五〇年六月二十五日~一九五三年七月二十七日休戦)、ここにあった捕虜収容所とそこで発生した暴動事件については、ネット上のフラット(中立的)な日本語記載が少ない。ストイックに短いのはウィキの「巨済市で、「歴史」の項に『朝鮮戦争が勃発すると島は後方基地となり、兵士の訓練所や避難民収容施設が設置された。島内にはアメリカ軍が設置した巨済島捕虜収容所(英語版)があり』、一九五二年五月七日の『巨済島事件(韓国語版)では共産主義者による暴動の舞台となった』とあり、また「文化・観光」の「巨済島捕虜収容所遺跡公園」の項に『巨済島捕虜収容所は朝鮮戦争中に米軍によって設置された朝鮮最大の捕虜収容所で、朝鮮人民軍・中国人民義勇軍の捕虜を最大時』十万名以上『収容した。捕虜となっても北朝鮮に忠誠を誓う「親共派」と、自ら進んで降伏した「反共派」との間の捕虜の対立は流血事件に拡大』、一九五二年五月には『収容所長を拘束する事件が発生している(巨済島事件)。休戦後に一部を残して建物は撤去されたが』、一九九七年に『公園が整備され、朝鮮戦争を記憶する記念館兼テーマパークとなっている』とある。比較的安心して(思想的な偏りを感じさせずにという意味でである)読めるものとして、個人サイト「釜山でお昼を」の捕虜収容所の巨済島の暴動 朝鮮戦争13、「巨済島捕虜収容所遺跡公園」の写真を豊富に揚げてあるminey氏のブログ「be happy」の巨済島の旅 【巨済島捕虜収容所遺跡公園】をリンクさせておく(検索をかけると、かなりの詳しく書いたページを発見は出来るが、左右極偏向の強いものが多いように感じる)。

「捕虜収容所長ドッド代将」(「代将」(だいしょう:英語:Commodore:海軍の階級又は職位の一つで本来は将官の階級にない「艦長」或いは「大佐」が艦隊・戦隊等の司令官の任に当たる場合、当該期間のみに与えられる職位を指したが、国によっては階級ともなっている)はママ。ドットはアメリカ「陸軍」であるから、梅崎春生のこの表現はおかしい。しかも彼は当時、既に「准将」でもあったから、こういう表現をするとは思われない。識者の御意見を乞う)国連軍の収容所長(アメリカ陸軍准将)フランシス・ドッド(Francis Townsend Dodd 一八九九年~一九七三年)。彼は先に示した通り、一九五二年五月七日に暴動を起こした捕虜に拉致監禁された。国連軍は、アメリカ軍二個連隊を送り、火炎放射器・戦車まで投入して鎮圧した。ドットは四日後の五月十日に解放されている(「国連軍は」以下はあるブログ記事を参照にしたが、その方の記載は頗る偏向している(右に)と私には判断されるので敢えてリンクは張らない。但し、データ量は多く、論理的な中立性に基づく正不正は不明ながら、非常に参考にはなる。「巨済島事件」で検索するとトップ・ページに出る)。]

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