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2016/10/02

佐渡怪談藻鹽草 淺村何某矢の根石造るを見る事

     淺村何某(なにがし)矢の根石造るを見る事

 

 淺村太左衞門(たざえもん)が老父、享保のはじめ、勤仕せしころ、早春の事なるに、のんきに出て、彈誓(たんせい)寺の邊り徘徊し、夫(それ)より馬町川にそふて谷へ入(い)るに、流水の聲、鳥の囀(さへづ)るならでは外に物音もなく、心すみて、一僕をよんで、笹筒やうの物開き、氈(せん)打敷(うちしき)て世懷をわすれ居けるに、忽然として、鋸を以て石切る音の聞(きこえ)ければ、

「此谷にも石切の來りて、石切るやらん、何方に居るぞ」

と見𢌞し、僕にもとへど、目にあたり見へわかりて、人はさらになし。

「さてわ」

と心を澄(すま)して聞(きく)に、猶前のごとく、其音する方は、四五間も脇より發(はつす)る音也。人なし。甚だあやしみ、主從其邊り尋(たづね)あへるに、北の方の山手にて、太左衞門行先二間程に三尺斗りの平めなる石ありて、其上に見事成(なる)石の小きもの數多(おほく)有(あり)。取(とり)て見れば、王石を割(わり)、矢の板石の形に半削りたる也。脇に切屑(きりくず)とりちらしたるありて、今迄、細工せし所と見るに、怪しくけしからぬ。されど、世に矢の根石あるを見れば、人作にあらざる事は顯然たり。怪しむ時は、奇異の事どもなり。

 

[やぶちゃん注:「矢の根石」鏃(やじり)の形をしている石。一般には石器時代に鏃として用いられ、本邦では縄文・弥生時代に於いて主に狩猟具として使われたものを指す。石鏃(せきぞく)。

「淺村太左衞門」不詳。

「享保のはじめ」「享保」は一七一六年から一七三五年。始めの頃であるから、一七二二年ぐらいまでか。

「勤仕」私は「ごんし」と読むことにしている。役人として務めること。

「彈誓(たんせい)寺」佐渡市相川四町目に現存する天台宗の寺院。開山は木食長音で寛永一三(一六三六)年。

「馬町川」現在の弾誓寺のある相川四丁目は南出相川馬町に接し、その間(八十メートル圏内の直近)を川が流れている。ここから確かに川は北に折れて、谷に入っている。

にそふて谷へ入(い)るに、流水の聲、鳥の囀(さへづ)るならでは外に物音もなく、心「笹筒」これは「小筒・竹筒」と書いて「ささえ」で、「提(さ)げ重箱」手に提げて持ち歩けるように作られた組み重箱のことであろう。

「氈(せん)」毛氈(もうせん)であろう。獣毛に湿気や熱、圧力や摩擦を加えて繊維を密着させて織物のようにしたもの。幅広で敷物に用いる。

「世懷」「よのおもひ」と訓じておく。世俗のつまらぬことども。

「何方」「いづかた(いずかた)」。

「目にあたり見へわかりて」周囲三百六十をずっと見渡してしっかり観察し、確認してみても。

「さてわ」「さては」。歴史的仮名遣は誤り。

「四五間」七・三~九・一メートル。

「脇」そば。ごく近く。

「太左衞門行先二間程に」「太左衞門、行く先(さき)」(進んだ先)、「二間程に」(三メートル六十四センチ弱)の場所に。

「三尺」約九十一センチ。

「平めなる」「たいらめなる」或いは「ひらめなる」。平たくなった。

「王石」親石という謂いか? 或いはこれ、原本の「玉石」(ぎよくせき)の誤記ではあるまいか? 古代の石鏃ならば黒曜石で、あの輝きからは「玉石」と呼んでも全くおかしくはないからでもある。

「半」「なかば」。

「怪しくけしからぬ」「けしからぬ」(正しくは「異/怪(け)しからず」)には「怪しい」の意があるが、ここは前に「怪しく」が被っているから、重語、或いは、「しかし、その鏃たるや、鋭く、すばらしい、相当なものであった」の意を含むものかも知れぬ。

「世に矢の根石あるを見れば、人作にあらざる事は顯然たり」「人作」人工。恐らく、縄文・弥生の遺跡から出土した石鏃を当時の人々は、古代人の作ったそれではなく、玄妙なる自然の造形物と見做していたのであろう。

「怪しむ時は、奇異の事どもなり」意味がとれない。怪しむ今この事態は、奇異のことどもではあるが、確かな事実であったのである、という意味か?]

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