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2016/10/30

甲子夜話卷之二 37 妖僧、山鹿氏と對接の事

2―37 妖僧、山鹿氏と對接の事

昔、僧に、人の心中を能知り其思ふと所を云ふ者あり。誰人も皆見ぬかれて一言もなし。此時山鹿甚五左衞門【素行先生】未だ若かりし頃なりしが、或人其僧に對面せしむ。山鹿固辭すれども聞かず。止ことを得ず、遂に對面せしに、彼僧、常とかはりて、今日は心中の事云は御免あれと云ふ。山鹿、是非承りたしといへども云はざりしとなり。これを見るもの大に訝り、いかなれば彼僧云得ざるやと山鹿に問へば答には、我心に決したるは心中に思ふ所物有て知るは理の當然なり。若し我が胸中を一言にても口外せば拔打にせんと思切りて居たるを知たると覺て、言出さずして逃返りしなるべしと云しと。

■やぶちゃんの呟き

「山鹿氏」「山鹿甚五左衞門【素行先生】」山鹿素行(やまがそこう 元和八(一六二二)年~貞享二(一六八五)年)は江戸前期の儒学者・軍学者。山鹿流兵法及び古学派の祖。名は義以(よしもち)。甚五左衛門は通称で、素行は号。ウィキの「山鹿素行」によれば、『陸奥国会津(福島県会津若松市)』で浪人の子として生まれ、寛永五(一六二八)年、六歳で江戸に出た。寛永七年、九歳で、『大学頭を務めていた林羅山の門下に入』って『朱子学を学び』、十五歳からは『小幡景憲、北条氏長の下で軍学を、廣田坦斎らに神道を、それ以外にも歌学など様々な学問を学んだ』。後、『朱子学を批判したことから播磨国赤穂藩へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行う。赤穂藩国家老の大石良雄も門弟の一人であり、良雄が活躍した赤穂事件以後、山鹿流には「実戦的な軍学」という評判が立つことになる』。寛文二(一六六二)年頃から朱子学に対する疑問が強まり、『新しい学問体系を研究』、寛文五(一六六五)年、『天地からなる自然は、人間の意識から独立した存在であり、一定の法則性をもって自己運動していると考えた。この考えは、門人によって編集され』「山鹿語類」『などに示されている』。延宝三(一六七五)年になって『許されて江戸へ戻り、その後』十年間は『軍学を教えた。その教えは、後代の吉田松陰などに影響を与えている』とある。

「對接」「たいせつ」接対」応接・対面すること。

「能」「よく」。

「誰人」「たれびと」。

「此時未だ若かりし頃なりしが」は以下の「山鹿」の修飾で、位置がおかしい。

「止ことを得ず」「やむことをえず」。止むを得ず。

「彼僧」「かの僧」。

「今日は心中の事云は御免あれ」「今日はその御仁の心中に思わるることを言うは、何卒、御容赦下され。」。

「大に訝り」「おほいにいぶかり」。

「云得ざるや」「いひえざるや」。「言い当てることが出来なかったか?」。

「答」「こたへ」。

「我心に決したるは心中に思ふ所物有て知るは理の當然なり。若し我が胸中を一言にても口外せば拔打にせんと思切りて居たるを知たると覺て、言出さずして逃返りしなるべし」これ全体が山鹿が答えた言葉であるが、少し表記を変えてみる。

「我が心に決したるは、『心中に思ふ所の物有りて(それを)知るは理(り)の當然なり。若し、我が胸中を一言にても口外せば、拔き打ちにせん』と思ひ切りて居たるを、(その心を確かに読んで)知りたると覺えて、言ひ出さずして逃げ返りしなるべし」

敷衍的な補語を加えて意訳してみる。

「拙者が心の中で確かにはっきりと思うたことは、

――所詮、人は同じ人であるからして、人が心底、その心中に、ある決意を以って明確に念じたところの思いは、種々の表情やちょっとした仕草、その人の体全体から発する気配などから、十全に推理して明確に知り、言い当てるなんどということは、妖しいことでも何でもない。理の当然である。さて、もし、そうした私の胸の内を完全に読むことが出来、それをこの場でこれから一言でも口外したならば、ここで拙者は、貴僧を一刀のもとに抜き打ちにしようぞ!――

とのみ、強く念じて御座ったればこそ、その総ての、則ち、私が抜き打ちにして斬り殺すという部分までも総て、かの僧は読心して御座ったと思われ、読み取ったことを言うことなく、逃げ帰ったので御座ろう。」

所謂、ありがちな、二律背反、ジレンマのパラドックスであるが、妙な飾りがない分、非常に清々しい話柄と言える。私は好きだ。なお、ネット上を調べてみると、複数の現代語訳で、「我心に決したるは心中に思ふ所物有て知るは理の當然なり」の箇所を――私が心の中で思ったことを読み取ることが出来たとすれば、あの僧が、あのように尻をからげて逃げ帰ったのは当然のことだ――と言った感じで訳しているのを見かけたが、それは原文に即していない、表現としてそのようには採れない、と私は考える。そして、そんな「屁理屈」を頭に出してしまって山鹿の台詞を訳してしまうと、「如何にも解り易いが、如何にもクソのようにつまらぬ」話柄となってしまう。これはあくまで冷徹な論理の、軍学家らしい、実にのっぴきならない一対一の対決の妙味の面白さなのである

「云し」「いひし」。

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