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2016/10/14

谷の響 一の卷 九 木筒淵の靈

 九 木筒淵の靈

 

 また善藏の話に、この淸水淵の水上(みなかみ)に木筒淵といふ淵ありて、その深さ測るべきにあらず。善藏元來(もとより)水を泳游(およぐ)に妙を得たればこの淵に沒(い)りて見るに、二間ばかりの底に一圍(かゝえ)に餘れる埋(うもれ)木の橫たはれるあり。この木に乘りて底下(そこ)を臨むに、潭々(あおみ)泓々(わたり)て徹底(そこ)を知らず。

 さるから、此淵に鱒の居る事夥しかりしかば、傭(やとひ)の男枯木平村の太七といふ者に網をうてと言へるに太七の言ふ、この淵に網を下ろす時は忽ち風雨起りて怖しき事のあれば已止(やめ)給へといひしかど、萬一(もし)かくあらば疾(と)く脱去(にげ)るべし。かほどある鱒を豈(いかで)よそに見過(みすぐ)べきとて、強(あなが)ちに網をうたせたれば鱒は一尾(ひとつ)も係らず。松代村のやわたと言へるもの、之を見て將(いで)雨の降らぬ先にとて淵に跳(はね)込み、間もなく鱒二尾を捕へて浮び出で去來(いざ)や歸らんとする處に、さしも晴亮(はれやか)なる空の俄然(にはか)にかき曇り、雷鳴山中に轟(とゝろ)き布(わた)り大雨篠(しの)を突くが如くなれば、さてこそ御咎(とがめ)來りしとて僉々(みなみな)怕(おそ)れて卒(にはか)に逃げ歸りしとなり。

 

[やぶちゃん注:「木筒淵」「きづづぶち」と読むか。不詳乍ら、旧弘前藩内に木筒村という村はあった。

「また善藏の話にこの淸水淵」前話八 蛇塚の話者。採話の共時性が強いことが判る。

「二間」三メートル六十四センチ弱。

「枯木平村」「かれきだいら」或いは「かれきひら」か。岩木山南西麓の弘前市常盤野に、まさに「枯木平」の名のバス停が存在する((マピオン・データ))が、読み方が調べて見ても出てこない。識者の御教授を乞う。

「脱去(にげ)る」二字へのルビ。

「松代村」底本の森山泰太郎氏の補註に、『西津軽郡鰺ケ沢町松代(まつだい)。岩木山の西麓の小部落』とある。(グーグル・マップ・データ)。

「やわた」名であるが、姓なら幾つか浮かぶが、名前だと、漢字がピンとこない。

「將(いで)」感動詞。「さあ!」。

「晴亮(はれや)なる」「亮」には「明らか」「すっきりと透る」「穢れがなくて明るい」「はっきりしている」といった意がある。

「篠(しの)を突く」「篠」は細い群がって生える竹や笹の総称である「篠竹」を指し、その篠竹を束ねて突き下ろすように、細かなものが、集まって飛んでくるさまに使われるが、殆んどは「激しく降る大雨」の形容である。]

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