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2016/10/17

『桜島』のこと   梅崎春生

 

 最初の作品集を出すのは、実にうれしいものである。うれしいものであろうと思う。私も経験がある筈だが、もう忘れてしまった。出来上って届けられた時(届けられたか出版社に取りに行ったか、それも記憶がない)本の形や装釘や重さ、それに接した時のうれしさや感激を、どうも思い出せない。あの頃けいろんなことがあったし、それにうれしいことは、悲しいことやつらいことにくらべて、忘れやすいものだ。処女作品集の感激なんて、一過性のものである。いつまでも覚えてはいられない。

 最初の作品集は『桜島』。著作者、梅崎春生。装釘、広本森雄。発行所は、大地書房である。発行日は昭和二十三年三月二十日。定価七十円。

 この『桜島』は私の手元に一部しか残っていない。贈呈分は別として、二十部ぐらいもらった気がするが、その後人にやったり、引越しのどさくさで紛失したりして、これだけ残った。

 作品として「桜島」を発表したのは昭和二十一年九月。単行本にまとまるのに一年半もかかっているのは、集録した作品の関係もあったし出版社の方の事情もあった。原稿を渡してもなかなか本にならなかった。時勢だの物価だのが不安定で揺れ動いている時代なので、版元でもいろいろ考えたり計算したり、こんな新人のでも売れるかと惑ったり、また金繰りの関係もあったのだろう。出来上った時、誰か(たしか版元内部の人)が、今の時代にこれだけの本はめったに出来ないよ、と言ったが、今見ると表紙はぺらぺらだし、紙も仙花(せんか)紙(に毛の生えたようなもの)である。表紙は木版の桜島風景で、へんな枠のようなのは、双眼鏡でのぞいたところなのである。

 どうして発行が遅れたと判るのか。「あとがき」を読めば判る。「あとがき」の末尾に「昭和二十二年盛夏」とある。ここまで書いて思い出したが、原稿はすっかり渡したのに、言を左右にして刷って呉れないので、私は怒って原稿を取り返しに行ったことがある。どんな交渉になったか忘れたが、うまく言いくるめられたのだろう。そんな不愉快さが重なったから、出来上っても釈然として感激するわけにも行かなかったのかも知れない。それに私はその頃、金に困っていた。小説は書いていたが、一般の物価にくらべて、原稿料はひどく安かった。三十枚ぐらいの小説を書き、稿料をもらって、帰りに一杯やると、半分か三分の二ぐらいはふっ飛んでしまう。今なら稿料一枚分か二枚分で充分酩酊(めいてい)出来るが、当時はそうでなかった。(森谷均さん。あの頃神田の「ランボオ」で酩酊するのに、いくらぐらいかかりましたかねえ)

 大地書房は前借りに行っても、貸して呉れなかった。貸しても雀の涙ほど。腹が立ってむしゃくしゃして、「ランボオ」で飲むと、足が出る。どうやってあの頃食っていたのか(飲むのは百方都合して飲んでいたが)自分ながらよく判らない。

 最初の作品集なので、威勢のいいあとがきを書いている。気負ったというか、威張っているというか、とにかく大宣言じみた文章で、私は今読むと汗が出る。ところが私のことを書かれる度にこのあとがきの部分が引用されて、たいへん困惑する。私はそれでこりて、その次の作品集からはあとがきをつけないことにした。あとがきや自作解説を書くことは百害あって一利なし。尻尾(しっぽ)をつかまれるだけの話である。他人のことは知らないが、私の場合あの文章は若気のあやまちだと思っている。

 定価七十円で、何部ぐらい刷ったのだろう。初版三千部くらいかと思う。しばらくして再版して、それから、まだ売れそうな気がして、もっと刷って呉れと要求に行った。刷って呉れなきゃ、他の出版社で欲しがっているから、などとおどして、むりやりに五千部分だったか、五万円だったか、受け取ったことがある。おどしたとはオーバーだけれど、当時の情勢としては致し方なかった。受け取った分の本はとうとう出来上らず、やがて大地書房はつぶれた。だからこの最初の作品集は、造本もちゃちであったし、市場には残っていないと思う。問い合わせがあると、文庫本で読んで呉れと答えることにしている。

 

[やぶちゃん注:昭和三六(一九六一)年十一月号『本の手帖』に初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。

「広本森雄」生没年未詳。多くの挿画・装幀を手掛けている画家である。個人ブログ「Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗」の嬉しいいただきもので本「櫻島」(表紙の表記)の初版本の画像が見られる。私は三十年ほど前、神田の古本屋で手に取ったことはあったが、当時で確か五千円以上したので買わなかったことが、今、惜しまれる。

「仙花(せんか)紙」狭義には和紙の一種で、楮(こうぞ)の皮で漉いた厚手の丈夫な紙を指す(江戸時代には帳簿・紙袋などに用いた。天正年間(一五七三年~一五九一年)に伊予の僧泉貨(せんか)が創製したという)が、ここのそれは第二次大戦後に故紙や砕木パルプなどを原料として作られた粗悪な洋紙の謂いであろう。

「あとがき」この「あとがき」の全文は底本の梅崎春生全集には何故か、所収しない。但し、先に電子化した『桜島』 ――「気宇壮大」なあとがき――(昭和三八(一九六三)年十二月二日号『週刊読書人』初出)に引用されてあるものが、その大部分であろう。引いておく。

   *

「小説という形式への疑問が、近来起りつつあるものの如くだが、私はこれに組しない。私は単純に小説というものを信じている。人間が存在する限りは小説もほろびない。小説とは人間を確認するものであり、だから小説とは人間と共にあるものだ。少なくとも私と共に確実にあるという自覚が、私を常に支えて来た。私は現在まで、曲りなりにも一人で歩いて来た。他人の踏みあらした路を、私は絶対に歩かなかった。今から先も一人であるき続ける他はない。そして私は自らの眼で見た人間を、私という一点でとらえ得ることに、未だ絶望を感じたことはないし、おそらく将来も感じることはないだろう」

   *

「森谷均」(もりやひとし 明治三〇(一八九七)年~昭和四四(一九六九)年)は岡山県出身の出版人。中央大学卒。昭和一〇(一九三五)年に東京京橋で昭森社を創業、特装本や美術書を出版、戦後は神田神保町に移転して、昭和二一(一九四六)年に総合雑誌『思潮』、昭和三十六年には本記事が載った『本の手帖』を創刊している。作家や詩人たちとの交流が深く、人柄と風貌から「神田のバルザック」と呼ばれた(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠った)。

『神田の「ランボオ」』神田のすずらん通りの裏にあった喫茶店で、この隣りに昭森社があった(同社は一九九一年頃に廃業している)。私も昔、古書探しに疲れると、ここでよくコーヒーを飲んだ。ネットで調べると、現在のコーヒー・ショップ「ミロンガ・ヌオーバ」が後身らしい。]

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