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2016/10/28

甲子夜話卷之二 35 柳澤吉保勤職のとき先公贈物の事

2―35 柳澤吉保勤職のとき先公贈物の事

以前、松平吉保權勢のとき、諸大名等、其ほどほどの贈物あり。吾先世雄香君【壱岐守】、養子【諱、篤信。雄香君の弟】せられて相見を請はれしとき、金銀以て造たる橘を石臺に植たるにて有しとぞ。是は祖母夫人の聞傳て語り給ふなり。此頃の風俗は今とは替りて優美なりき。

■やぶちゃんの呟き

「柳澤吉保勤職」(「勤職」は「きんしよく」と音読みしておく)「松平吉保權勢」老中柳沢(松平)義保(万治元(一六五九)年~正徳四(一七一四)年:元禄七(一六九四)年に重用された第五代将軍徳川綱吉の小姓から川越藩七万石となり、元禄一一(一六九八)年に老中上座に就き、元禄一四(一七〇一)年には松平姓を与えられて美濃守吉保となり、甲府藩十五万石を領した。学問の奨励や荻生徂徠の登用等、文治政治の推進者としては評価されるが、宝永六(一七〇九)年二月の綱吉の死去によって、新将軍家宣とその家臣新井白石が権勢を握ることとなり、同年六月に隠居し、失脚した。ここは「權勢」と言っているところから、元禄一一(一六九八)年から宝永五(一七〇八)年の十年間の間と考えてよいように思う。

「其ほどほどの贈物あり」「贈物」は「ぞうもつ」で合法的な賄賂たる付け届けの品。「其(その)ほどほどの」とは、字面とは異なり、「それはもう、程度を甚だ超えるようなとんでもなく高価な」の謂いである。

「吾先世雄香君【壱岐守】」「わがせんせい、ゆうかくん」と読んでおく。既出既注の肥前平戸藩第五代藩主松浦棟(たかし 正保三(一六四六)年~正徳三(一七一三)年)。静山の曽祖父であった第六代藩主篤信の兄である。

「養子【諱、篤信。雄香君の弟】せられて」既出既注なので簡単に済ませる。同平戸藩第六代藩主松浦篤信(貞享元(一六八四)年~宝暦六(一七五七)年)。ウィキの「松浦篤信によれば、兄で第五代藩主であった先の松浦棟(たかし)の長男長(ながし)が早くに死去してしまったことから、元禄九(一六九六)年に兄棟(たかし)の養嗣子となった。同年五月二十一日に将軍徳川綱吉に拝謁(本条はその直前のまず側用人柳沢義保(当時は老中格を得、侍従を兼帯していた)に面会した際のエピソードである)、元禄十一年八月に江戸城菊間詰めとなった。

「相見」「さうけん」。側用人柳沢義保との目通り。養嗣子をするには幕府の公的な許可が必要で、そのための形式上の言上のための必須会見。

「請はれしとき」「こはれしとき」。請われた際。

「橘」バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン属タチバナ Citrus tachibana。ウィキの「タチバナ」の「文化」によれば、『日本では固有のカンキツ類で、実より花や常緑の葉が注目された。マツなどと同様、常緑が「永遠」を喩えるということで喜ばれた』。「古事記」「日本書紀」には、『垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」と呼ばれる不老不死の力を持った(永遠の命をもたらす)霊薬を持ち帰らせたという話が記されている。古事記の本文では非時香菓を「是今橘也」(これ今の橘なり)とする由来から京都御所紫宸殿では』「右近の橘」「左近の桜」として『橘が植えられている』。但し、実際に「古事記」などに『登場する』それ『が橘そのものであるかについてはわかっていない』とある(下線やぶちゃん)。

「造たる」「つくりたる」。

「石臺」「せきだい」。浅い箱或いは植木鉢に草木等を植え、石などを配し、山水の景を模したもの。石盆。盆景。

「植たる」「うゑたる」。

「有し」「ありし」。

「祖母夫人」静山の祖母であるから、平戸藩第八代藩主松浦誠信(さねのぶ 正徳二(一七一二)年~安永八(一七七九)年)の正室(宮川氏出身)。誠信は長男が亡くなり、後継者を三男であった政信(静山の父)と定めていたものの、その政信も明和八(一七七一)年に誠信自身に先立って亡くなってしまったため、政信の子であった清(静山)を後継者として定められたのである。即ち、静山自身もこの祖父の養嗣子であったのである(以上はウィキの「松浦誠信に拠った)。

「聞傳て」「ききつたへて」。

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