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2016/10/06

佐渡怪談藻鹽草 井口氏何某幼子夜泣の事

      井口氏何某(なにがし)幼子夜泣(なき)の事

 

 いつの頃にか有けん。井口祖兵衞【寶曆の頃の井口文政より四代以前】上相川の番所役たりし時、彼(かの)所の役館に住(じゆう)しけるが、ある時よりふと幼少の夜泣を仕出して止(やま)ず。五日十日の程は、等閑に打過(うちすぎ)しが、月を重ねて、猶更烈しく、夜半の頃より物におそわるゝやうにおびへたまぎりて、半時斗(ばかり)は、性根を失ふ程に有(あり)ければ、家内の人々、あぐみて、僧の加持・驗もの、祈(いのり)など手を盡したれ共、あへて止(やま)ず。爰(こゝ)に祖兵衞、心付(つく)事ありて、例の刻限、小兒の居ける處を少し退(しりぞき)て、臥(ふし)たる體(てい)をなし、爰彼(こゝかの)所、眼を配(くばり)て、見居たる向(むかひ)の方、竹根有(あり)て、外は障子さし込(こめ)、内もまた、障子の敷(しき)りたるに、其(その)内障子の一間破れたる所より、何かわしらね共、怪異のもの、顏をさし入て、小兒の方を守り居ければ、俄(にはか)に泣(なき)まどひ、あつき茶五七ふく呑(のむ)斗(ばかり)居て、曲(くせ)もの退ければ、小兒も忽(たちまち)、泣きやみけり。祖兵衞、

「病根は見定(さだめ)たり」

とて、其夜は打(うち)ふし、明(あけ)るやいな、手覺のさすがをとぎすまし、竹の柄をゆひ添(そへ)、

「是にて、今宵は仕留(とめ)ん物を」

と、障子の際近く、居所を敷(しき)り、宵より忍び居て、刻限おそしと待(まち)かけたり。兎角して、夜半の頃にいたれば、前のごとく、曲もののぞきたるを、彼(かの)柄物にて物際よりしたゝか突(つく)。つかれて手答(こたへ)せしが、ふりもぎつて、外障子を押(おし)破り、飛失(とびうせ)ぬ。すわや、人々おり合(あひ)、其邊さがせども、怪敷(あやしき)ものなし。是(これ)に寄(より)て、今宵夜泣の止(やみ)ぬるを幸ひに、心安く臥(ふし)けり。明日朝、能(よく)々見れば、外障子へかけて血引(ひき)たり。其血をしたひて行(ゆき)ければ、北山道才の神塚へひき入(いり)たり。四五尺も、石を取除(とりのぞき)見れば、絶(たえ)て血の跡なし。夫(それ)より夜泣は止(やみ)にけり。其頃の老人に其事を語るに、

「正しく鼬(いたち)の所爲ならん」

と言(いひ)けるよしなり。

 

[やぶちゃん注:本話を以って「佐渡怪談藻鹽草」は終わる。久しぶりにすこぶる附きで楽しかった電子化注であった。ありがとう! 文春! 基! 佐渡怪談藻鹽草!

「井口祖兵衞」「井口文政」孰れも不詳。ずっと後年の幕末の頃であるが、本「佐渡怪談藻鹽草」でよくお世話になったサイト「佐渡人名録」のこちらで、「佐渡年代記」中巻に佐渡奉行所広間役井口茂十郎なる人物が天保三年(一八三二年)、『出精相勤候に付、銀七枚を与えられて賞された』と載るとある(牧田利平編「越佐人物誌」(昭和四七(一九七二)年野島出版刊)より)。或いはこの先祖か古い縁戚かも知れぬ。

「寶曆より四代以前」宝暦年間はグレゴリオ暦で一七五一年から一七六四年で、第九代徳川家重及び第十代徳川家治の治世である。一代を仮に幸若舞「敦盛」に擬えて五十年とするならば一七〇一年から一七一四年となり、元禄十四年から宝永を挟んで正徳四年の時期に当たる。第五代綱吉及び第六代家宣の治世。それ以前とも考え得る。

「等閑に」「なほざり」と訓じておく。気にもせず、放っておく。

「たまぎりて」「魂消(たまぎ)りて」。何かに非常に驚き、びくついて。

「半時」現在の約一時間。

「性根を失ふ」「性根」は「しやうね(しょうね)」で(「しやうこん(しょうこん)」では「覚悟した気力・根気・根性」の意で合わないので注意!)、「正気を失う」の意

「あぐみて」「倦(あぐ)みて」マ行四段活用。ある事をし続けても、一向に良い結果が得られないため、最早、どうしたら良いのか判らなくなって、ほとほと困る。完全にもて余す、の意。

「驗もの」前が「僧の加持」で後が神道っぽい「祈(いのり)」であるから、ここは「驗物(げんもの)」と読んでおき、修験道の山伏などの成す呪法ととっておく。

「心付(つく)事」何とはなしに気になること。

「竹根有(あり)て」直後に「外は障子さし込(こめ)、内もまた、障子の敷(しき)りたるに、其(その)内障子の一間破れたる所より」とある以上、この「竹根」は室内に見えるものである。所謂、床下から畳の縁などから突き出て生えた竹のことか。「たけのね」と訓じておく。

「外は障子さし込(こめ)、内もまた、障子の敷(しき)りたるに、其(その)内障子の一間破れたる所より」「外」「障子」は縁を隔てた戸外との家屋の一番外側の障子、その内側に廂(ひさし)の間(或いは内廊下)があって、さらにその内側に「内」「障子」が「敷(しき)」って、仕切っていたのでのである。官舎としては相応に良い作りと見える(佐渡は冬の寒さが厳しいからこうした二重構造を持っているのかも知れぬ)。「一間」は「ひとま」で、障子の縦子(たてこ)と横子(よここ)に区切られた一区画の組子(くみこ)を指していよう。

「何かわしらね共」「わ」はママ。「何かは」。

「守り居ければ」凝っと見詰めていたので。

「俄(にはか)に泣(なき)まどひ」無論、赤子が、である。

「あつき茶五七ふく呑(のむ)斗(ばかり)」これは実際に熱い御茶を飲んでいるのではない。熱い茶を五度から七度も吹き冷ましながら飲むくらいの相応の時間を指す。個人差はあろうが、最低でも三分、概ね五~六分と踏む。「ふく」を「服くす」の意でとっては畳語となり、面白味もない。非常にオリジナルな、怪異体験時間の特異表現で、実に興味深いではないか。

「退ければ」本作の「退」の訓読特性からここは「しりぞければ」である。顔を障子から引いて去ったので。

「明るやいな」翌日、夜が明けるやいなや。

「手覺の」愛用して馴染んでいる自慢の。

「さすが」ここは腰に差す短刀。腰刀。

「とぎすまし」妖怪との戦いのために実際に砥石で研ぎ澄ましているのである。

「竹の柄をゆひ添(そへ)」短刀である以上、それほど柄の太く長い物ではない。障子から顔を突き出すだけの変化の物を突き刺すには、ある程度の長さが必要と考え、柄の手前に竹を接ぎ足して添えたものと思われる。柄を持った時の滑り止めなら、竹では不適と私は思うからであるし、私なら確かにそのように長く拵えるからである。

「是にて、今宵は仕留(とめ)ん物を」「物を」は感動・詠嘆の終助詞「ものを」の当て字。「これで以って! 今宵(こよい)は必ずや、仕留めてやるぞッツ!」

「柄物」「えもの」、これは「得物」で先に「柄」のことを言ったことから、はずみでかく書いてしまったに違いない。「得意とする武器」或いは単に「武器」の意である。

「物際」「ものぎは(ものぎわ)」物蔭。

「したゝか突(つく)」強く深く確かに突く。

「つかれて」「突かれて」。

「手答(こたへ)せしが」手応えが確かにあったのだが。

「ふりもぎつて」「振り捥ぎつて」。グッと刺し押さえ祖兵衛の「さすが」を振り切って。

「すわや」感動詞。「すは」に同じい。「あっつ!」のオノマトペイア(擬音語)。

「おり合(あひ)」「降り合ひ」であろう。家中の者(番役であるから中間や下男はいる)、皆々、庭に飛び降りて。

「寄(より)て」「依りて」。

「明日朝」「あくるひ、あさ」と訓じておく。

「北山道才の神塚」これは思うに「北山(へ向かう)道(にある)才(さい)の神塚(かみづか)」の意ではなかろうか? 「北山」は「金北山(きんぽくざん)」、現在の新潟県佐渡市の大佐渡山地(佐渡の北側)のほぼ中央に位置する標高千百七十一・九メートルで島内の最高峰の古い時代の呼称。しかも調べてみると、現在、佐渡市三宮(さんぐう)に才ノ神という旧地名があり、ここには何らかの遺跡があり、それはまさに「才の神塚」と呼ばれていることが判明した(「たんきゅうドットコム」の運営するサイト「遺跡ウォーカー」のを参照されたい)。この三宮地区には実は北西に順徳天皇皇子三宮御墓所が現存する。それを考えると、この「才(さい)の神塚」は「三(さん)の「神」(皇子であるから「かみ」でおかしくはない)の塚(墓)」の訛ったものかも知れぬと当初は思ったのであるが、それより遙かに、「才の神」とは「塞(さい)の神」の訛りと考えた方がずっと腑に落ちるのである。「塞の神」なら「道」の路傍にある「塚」であって頗る自然だからである。さても、私の推理は一応、ここに落ち着いたのであるが、但し、ここに痛い矛盾が一つだけあるのである。現在の地図で見てみると、佐渡市三宮地区は真野湾湾奥の少し内陸にあって、ここから北山(金北山)までは北へ直線で十三キロメートルもあり、この三宮を「北山(へ向かう)道」とは逆立ちしても呼べないことである。佐渡の郷土史家の方の御教授を最後に切に乞うものである。

「四五尺」一メートル三十センチから一メートル五十一センチ強。

「鼬(いたち)」実在する鼬(脊椎動物亜門 Vertebrata 哺乳綱 Mammalia 食肉(ネコ)目Carnivora イヌ亜目 Caniformia イタチ科 Mustelidae イタチ亜科 Mustelinae イタチ属 Mustelaニホンイタチ Mustela itatsi (或いは、シベリアイタチ亜種ニホンイタチ Mustela sibirica itatsi )は古くから妖怪としても認識されていた。大入道に化けるとか、管狐(くだぎつね:宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 始めて聞く飯綱の法の「飯綱の法」の私の注を参照)と同一視されたり、鼬が老成して貂(てん:イタチ亜科テン属 Martesテン Martes melampus ホンドテンMartes martes melampus。但し、佐渡への本種の移入は人為的に行われたもの本話の時期にホンドテンが棲息していたかどうかは未確認である)となって妖怪化する(鳥山石燕の妖怪画集「画図百鬼夜行」では『「鼬」と題した絵が描かれているが、読みは「いたち」ではなく「てん」であり』、『イタチが数百歳を経て魔力を持つ妖怪となったものがテンとされている』とウィキの「テンにある)などともされた。]

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