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2016/10/31

甲子夜話卷之二 38 某家の家老、吉原町遊女のもとにて政務を辨ずる事

2―38 某家の家老、吉原町遊女のもとにて政務を辨ずる事

過にし頃、奧州を知れる某侯の家老、新吉原の遊女のもとに通ひ、後は甚しくなりて、用人奉行抔をも皆勸誘して、もし隨はざる者あれば、己が權に據て陵辱しければ、皆畏怖して隨ひ行けり。又甚しきは、一宿のみか居續して、十日にさへ及り。從へる用人奉行の輩も同じく居續ければ、其邸より官に申し出べき願書なども、皆遊宴の所に持來り、かむろ取次てかの家老に達せしとなり。竟に主君の咎めをうけて逼塞せり。これぞ寛政始の事なりけり。總て寛政にて維新の令を下されざりし前は、世上の弊風これに類すること夥しきことなりき。

■やぶちゃんの呟き

「某家」不詳。識者の御教授を乞う。

「過にし」「すぎにし」。

「奧州を」ママ。「奥州の」に読み換える。

「新吉原」当時世界最大の都市であった江戸の膨張の中、幕府は明暦二(一六五六)年十月に幕府は当時、現在の日本橋人形町に当たる当時は海岸に近かった元は葦屋(よしや)町(これが「よしはら」「よしわら」の語源)と呼ばれる地にあった「吉原」の移転を命じ、浅草寺裏の日本堤へ移転していた。

「己が權に據て」「おのがけんによりて」。

「陵辱」「凌辱」に同じい。暴行。

「居續」「ゐつづけ」。「流連」とも書き、遊里で幾日もの間、泊まり続けて遊ぶこと。対語 は「一夜切(いちやぎ)り」。

「及り」「およべり」。

「輩」「やから」。

「其邸」その江戸家老の屋敷。

「申し出べき」「まうしいづべき」。

「持來り」「もちきたり」。

「かむろ」「禿」。「かぶろ」と読むのが本来であるが、近世以後では「かむろ」と清音でも呼んだ。太夫(たゆう)・天神など上位の遊女が、傍に置いて使う一三、四歳くらいまでの遊女見習いの少女。この段階では男はとらない。

「取次て」「とりつぎて」。

「逼塞」「ひつそく(ひっそく)」。武士や僧侶に行われた謹慎刑。門を閉じ、昼間の出入りを禁じたもの。「閉門」(門・窓を完全に閉ざして出入りを堅く禁じる重謹慎刑)より軽く、「遠慮」(処罰形式は「逼塞」と同内容であるが、それよりも事実上は自由度の高い軽謹慎刑)より重い。夜間に潜り戸からの目立たない出入りは許された。

「寛政始」「かんせいはじめ」。「寛政」は一七八九年から一八〇一年主に倹約を旨とするタイトな経済政策を打ち出した「寛政の改革」は松平定信が、老中在任期間中の一七八七年から一七九三年にかけて、主導して行ったから、まさに「寛政の」初めに相当する。

「寛政にて維新の令を下されざりし前」「寛政の改革」よりも前。一般には賄賂が横行したとされる「田沼時代」。老中の田沼意次が幕政を主導していた明和四(一七六七)年から天明六(一七八六)年までの凡そ二十年間(或いはそれより前の宝暦期(一七五一年から一七六四年)から天明期(一七八一年から一七八九年)ともされる)。田沼意次が幕閣に於いて政権を握ったのは安永八(一七七九)年)のことであり、特に天明元年を契機としたとされる。江戸幕府が重商主義的政策を採った時代である(以上はウィキの「田沼時代に拠った)。「維新」は「維(こ)れ新たなり」の意で、「詩経」「大雅」の文王の「周は旧邦と雖も、其の命、維れ、新たなり」に基づく語で、「総ての事柄が改められ、完全に新しくなることを言う。

「弊風」「へいふう」。悪しき風俗。

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