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2016/10/03

諸國百物語卷之三 二 近江の國笠鞠と云ふ所せつちんのばけ物の事

     二 近江(あふみ)の國笠鞠(かさまり)と云ふ所せつちんのばけ物の事

 

 近江のくにこんせと云ふ所に笠鞠と云ふ、ざいしよあり。このざい所の、さる人の家のせつちんに、ばけ物ありとて、人、ゆく事なし。風ふくときは毛のある手にて、しりをなづると云ふ。さるもの、これをきゝて、ばけ物のやうすを見とゞけんとて、せつちんにはいり、まちかまへゐければ、風ざつとふくとひとしく、あんのごとくくだんのばけ物、毛のはへたる手にて、しりを、しきりに、なでけるほどに、やがて手をさしおろし、しかととらへてみければ、薄の穗にてありけると也。在郷(ざいごう)にての事なれば、せつちんの下に薄のはへのびたるが、風ふくときは薄の穗風になびきて、尻にさはりたるが、毛のある手にてなづると、みな人おもひけると也。そのゝちすゝきを苅(か)りてすてければ、ばけ物もやみける也。

 

[やぶちゃん注:今までにない、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」そのまんまの実録物で特異点。なお、この知られた諺は、一般には横井也有(やゆう 元禄一五(一七〇二)年~天明三(一七八三)年)の俳文集「鶉衣」(うずらごろも:作者の死後に大田南畝により前編が天明七(一七八七)年、後編が翌天明八年に出版され、さらにその後に石井垂穂により続編と拾遺が文政六(一八二三)年に出版された)にある「化物の正體見たり枯れ尾花」が変化したものとされるが、しかし「諸國百物語」はそれに先立つ十年前の延宝五(一六七七)年の成立である。無論、ここでは「幽霊」ではなく「ばけ物」であり、「枯れ尾花」ではなく枯れかける前の「薄の穗」ではある。しかし、寧ろ、この話柄自体が野有の「化物の正體見たり枯れ尾花」の長歌のようにも読める。そこがまた、面白い。

「近江(あふみ)の國笠鞠(かさまり)」一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の本話の脚注に、『正しくは上山依(かさまわり)村。金勢荘に属していた』とある。次の「こんせ」の注も参照のこと。

「こんせ」同前の脚注に、『金勢(こんぜ)荘。現滋賀県栗田郡栗東町』とある。同地区は滋賀県の南西部に位置し、現在は滋賀県栗東(りっとう)市となっている。但し、ネット検索では「金勢」の「こんぜ」は見当たらず、「金勝中村(こんぜなかむら」という村名なら見出せる。「栗東歴史民俗博物館」公式サイト内の「小地域展 御園の歴史と文化」の解説に、『栗東市御園(みその)地区は、金勝川と細川の流域に広がる平野部とその周辺の丘陵地に位置し』、同地区内は明治』七(一八七四)年に『成立した旧御園村域に相当する古くからの集落がある地域と、昭和』四四(一九六九)年に『開場した栗東トレーニングセンターの敷地にあたる地域の二つにわけることができ』、『旧御園村域には、中村、山入、蔵町、辻越、上田、御園の』六つの『集落があり、江戸時代は金勝中村(こんぜなかむら:中村、山入、蔵町)と上山依村(かざまわりむら:辻越、上田、御園)の二村に分かれてい』た。『御園村はこの二村が明治』七年に『合併して成立し』たとある。

「在郷(ざいごう)にての事なれば」田舎にてのことであるから。言わずもがなであるが、当時の雪隠(厠)は居住家屋とは別に外に建てられるのが当たり前で、ごく在所の場合は、野に掘った糞壺の穴に跨ってするのも一般的で、糞壺に薄も生えたし、遮蔽などもお粗末なものであったから、薄の穂が風に吹かれて糞をする人の尻を撫でることは幾らもあったのである。]

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