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2016/10/02

佐渡怪談藻鹽草 仁木氏妻幽鬼を叱る事

     仁木氏妻幽鬼を叱る事

 

 仁木家元祖、與三左衞門妻は、彼(かの)家にて、二日の祖母といへば、女性ながら勇名高き事、人の知る處也。年號は、いづれの頃、住居は何方の事にか聞(きゝ)忘れぬ。はる女といへる女童を年季に抱へて、遣ひけるが、日頃異見して、

「必(かならず)よ、我召仕ふ年季の内は、身持を愼(つゝしみ)て能(よく)武家につかふ本意を忘れざれ。左あらば、年季濟(すみ)なば、身をも持(もた)せて、まさかの用をも見繼(つぐ)べし」

など、言(いひ)教へければ、畏(おそれ)て居たりしが、いつの頃よりか、心それそれ敷(しく)成(なり)て、異見をもそこそこに聞捨(きゝすて)ける樣に見へ、猶出入の古老などが、耳にも身持よからぬ事ども聞えければ、或時妻の側に呼(よび)て、

「己は惡敷(あしき)女哉(かな)。身持をおもひて、年比(としごろ)申聞(まうしきか)せし事どもを用ひず。此程は、あらぬよふに見なしたる。若哉(もしや)懷胎などいたすならば、傍輩合(あひ)て不埒、主人を甚だ輕んずるなれば、急度仕方こそあれ」

と、嚴敷(きびし)くたゝめければ、面を赤めて居たり。其後、いたわる事ありとて、五七日引籠り、養生の體(てい)也(なり)しが、急に消産(せうさん)して死しけり。則(すなはち)、召仕の中間それなれば、責問(せめとふ)に、

「懷胎の事、殊の外苦勞になし、墮胎の藥を密(ひそか)に用ひて、此仕合に候」

と白狀しければ、

「今更すべきよふなし」

とて、葬送の事など、取計ひけりとぞ。其後三四日十日も過(すぎ)て、夜半過(よはすぎ)に、女腹痛しければ、丸劑など用ひ、漸く快く成(なり)て、廁へ行けるに、用を足して立(たゝ)んとする時、後より兩の肩をひしと捕へて、立(たち)あがらせず。されど、したゝかなる女性なれば、靜(しづま)りて消(きえ)なんとする紙燭を振上(ふりあげ)て、寄向(よりむかひ)見れば、召仕(めしつかは)しける女也。妻目を見張(はり)、大(おほき)に叱(しかり)て、

「己は顏の皮の厚き奴哉(かな)。既に少年の頃より、我手に入れて、第一の女の身持の事は、耳のすふなるほど、言聞(いひきか)せしをさらに用ひずして、あられん身になりしより、己が身より身を責(せめ)て、我しらぬ事どもをして命を失ひぬ。義理をしらぬ奴ならば、死(しゝ)ても生(いき)ても、面は合(あは)されぬ筈なるを、却(かへつ)て恩を仇にて報(むくひ)んとて、何の恨を以て、我に尾籠なる振舞をばなしけるぞや。かへすかへすも惡(にく)き奴哉(かな)。七生迄勘當するぞ」

と、烈しく叱られ、次第に手を跡へ引(ひき)ければ、

「いまだそこに居(ゐる)か」

と叱られ、廁を出(で)て、開戸の際(きは)へかくれぬ。良(おつと)、用足して出(いで)て、寢所へ來れば連合目覺(さめ)て、

「何方へ行(ゆか)れけるぞ」

と問ふ。

「心地惡敷(あしく)腹いたみ候程に、廁へ行(ゆき)し」

と答ふ。いまだ不勝(まさらぬ)故か、顏色あしき程に、

「藥呑(のみ)給へ」

といへば、妻のいへる、

「珍敷(めづらしき)ものを見せ申さん、此(この)方へ御出候得」

とて、手燭燈して先に立(たち)、廁の方へゆく程に、亭主も何ぞと行(ゆき)ければ、内障子明(あけ)て、燭をふりあげ、

「あれ見給へ。恩しらずのはるめが來(きた)り。わらわに恨(うらみ)を申(まうす)程に、大(おほい)に叱りしかば、面目なきにや、あれへ隱れ候」

と、開戸の蔭へさし上けるに、能々(よくよく)見れば、全體はかくれて、花色に藤流し紅染裏の袷の小づまひらひらと、風に吹(ふか)るゝさま見たり。

「まだ居るか」

と叱られて、何とも見へずなりぬ。彼(かの)妻女は、長命にて有(あり)しが、末期に至り、看病の人々に語りけるは、

「我(わが)命終に近付(づき)ぬ。死後に見て、怪しみ給わんも罪深ければ、是(これ)見給へ」

とて、兩肩をぬげば、兩の肩に指の痕と覺しく、黑くしみ入(いり)て有(あり)。

「是は先年遣ひしはるめが、恩を仇にて振舞(ふるまひ)しときの手の跡ぞ」

と語られければ、病床にて聞(きゝ)し人々、奇異の思ひをなしけるとぞ。

 

[やぶちゃん注:「仁木家元祖、與三左衞門妻」先の「仁木何某懷胎怪異の事」に登場。胎内を貸しただけの烈女ではなかった! 凄いぞ!

「二日の祖母」不詳乍ら、この呼称自体に何か、独特の背景がありそうな意味深長な通称である。

「年號は、いづれの頃、住居は何方の事にか聞(きゝ)忘れぬ」先の「仁木何某懷胎怪異の事」は「承應二年の事ならん」(「承應二年」は一六五三年)とあったのは参考になる。

「はる女」「春」という名の女。

「女童」「めのわらは」と訓じておく。

「年季に」年季奉公として。年季(奉公人を雇う際に相手やその親と約定した年限。一年を一季とし、普通は十年を限度とする)を定めて雇われて働くこと。

「異見」説教。

「我召仕ふ年季の内は、身持を愼(つゝしみ)て能(よく)武家につかふ本意を忘れざれ」

「我」「われ」であろう。「身持を愼て能武家につかふ本意をこそ忘れざれ」が本来は正しい。

「身をも持(もた)せて」相応にそなたの満足出来る夫を探して娶(めあ)わせて。

「まさかの用」そなたやそなたの家族に万一の不幸や不測の事態が起こったとしても。

「見繼(つぐ)べし」必ず、すっと見守って、支援もしてやろう。

「それそれ敷(しく)成(なり)て、」空々しく。いかにも真実(まこと)がない、はすっぱな感じになってしまい。

「猶出入の古老などが、耳にも身持よからぬ事ども聞えければ」この読点は位置が悪い。「なほ、出入りの古老などが(=「の」)耳にも、身持ち(の)よからぬ事ども(の)聞えければ」。それをその古老が彼女に「女童」の不純異性交遊を注進に及んだのである。

「身持をおもひて」女として身持ち(貞節)なるを第一と常々思い。

「あらぬよふに見なしたる」「あるべきでない、おぞましき様(よう)なることを聴き届けた!」

「若哉(もしや)」「若哉」に「もしや」のルビ。

「傍輩合(あひ)て不埒」「奉公人同士の忌まわしき睦び合いを成して、不埒極まりない!」。調べ上げた結果、既に彼女の相手が後に出る通り、家で召し使っていた中間(ちゅうげん)であることが妻には判っていたのであろう。

「急度仕方こそあれ」「きつとしかたこそあれ」。「必ずや、厳しい処分を致す! よう、そう心得おきゃれ!!」

「嚴敷(きびし)くたゝめければ」厳しく何度も重ねて叱りつけたので。

「いたわる」病いに罹った。

「消産(せうさん)」流産。

「仕合」こうした次第。このような運命。

「今更すべきよふなし」「いまさら、どうしようもない。」。

「女腹痛しければ」「女(をんな:妻)、腹痛(はらいた)しければ」。

「丸劑」「がんやく」(丸薬)と読んでおく。

「後より」「うしろより」。

「靜(しづま)りて」気を落ち着けて。

「寄向(よりむかひ)見れば、」肩越しに後ろを見たことを指すのであろう。顔と顔が、その瞬間に向き合うのである。

「己」「おのれ」。

「顏の皮の厚き奴」厚顔無恥の馬鹿者・間抜け。鉄面皮(おたんちん)。

「少年の頃」幼い頃。

「耳のすふなるほど」「すふ」は「すう」で「据う」(押しつける)、耳に胼胝が出来るほどの謂いか? 或いは何度も繰り返して注意する様子を言う、今の「口が酸っぱくなるほど」であって、形容詞「酸(す)し」を動詞化させた「酸う」であろうか。

「あられん身」「在(あ)られざる身」「在(あ)られぬ身」か。

「我しらぬ事ども」自分で何がどうなるかも知らぬ(危険な堕胎薬を飲むこと)こと。

「義理」これは多重の意味を掛けている。まずは本義の、「物事の正しい筋道。人として守るべき正しい「道理」、次に「社会生活を営む上に於いて道義として他人に対し、務めたり報いたりしなければならない当然の「道義」であるが、それに加えてこの妻と亡くなった奉公人の少女との「血族でない者が結ぶところの血族と同じ、或いは、それに準じた、血は繫がらないが、信頼し合った親しい者同士の関係の意もある。この最後の謂いが実は強いと私はとる。でなくてどうしてこの後に、「死(しゝ)ても生(いき)ても、面は合(あは)されぬ筈なるを、却(かへつ)て恩を仇にて報(むくひ)んとて、何の恨を以て、我に尾籠なる振舞をばなしけるぞや。かへすかへすも惡(にく)き奴哉(かな)」という捨て台詞が出よう。

「七生」「しちしやう(しちしょう)」この世に七度生まれ変わることであるが、ここは「永遠」と同義。「七勢まで勘当する」はしばしば使われる呪詛である。

「勘當」「かんだう(かんどう)」。本来は江戸時代に公的に認められていた、民事的な親子関係の断絶制度を指す。親が子の所業を懲らしめるために親子の縁を絶つことで、武士は管轄の奉行所、町人は町奉行所で登録した。これは広義に、公的私的に主従や師弟関係を絶つことにも用いられ、ここでは主人と奉公人の関係上から、お門違いの亡霊出現に、腹立ち紛れとなって、かく言ったに過ぎない。

「烈しく叱られ、次第に手を跡へ引(ひき)ければ」幽鬼が身を退くほどの苛烈な怒り方なのである。やっぱ、凄いぞ!!!

「開戸の際(きは)」「ひらきど」(厠の扉)の蔭。端っこ。

「良(おつと)、用足して出(いで)て、寢所へ來れば」ここは「良(おつと)、(連れ合いである妻が)用足して出(いで)て、寢所へ來れば、連合(つれあひ)(である夫がその戻った音で)目覺めて」と読んでおく。

「何方」「いづかた(いずかた)」。

「いまだ不勝(まさらぬ)故か」未だ腹の具合が収まらぬからか。或いは、女童の亡霊に対する鬱憤が収まらぬことも原因していよう。

「手燭燈して」「てしよく、ともして」。

「内障子」「うちしやうじ(うちしょうじ)」。外にある厠(後の手燭を掲げて光りが届くところから見るとどうも母屋から相当近い位置にあるようである)の見える母屋の縁の内にある障子。「はるが」「春の奴(やつ「め」)が」。

「來(きた)り。」この句点は読点の方がよい。

「面目」「めんぼく」。

「花色に藤流し紅染裏の袷の小づまひらひらと、風に吹(ふか)るゝさま見たり」「袷」は「あはせ(あわせ)」裏をつけて仕立てた和服で単衣(ひとえ)・綿入れに対して言い、季語としては夏である。この作品内時節もそうとってよかろう「小づま」は「小褄」で「褄」と同義。着物の裾の左右両端の部分。このシーン、私は何か少し、この少女のことが哀れな気がしてならないのである。

「末期」「まつご」。

『「我(わが)命終に近付(づき)ぬ。死後に見て、怪しみ給わんも罪深ければ、是(これ)見給へ」/とて、兩肩をぬげば、兩の肩に指の痕と覺しく、黑くしみ入(いり)て有(あり)。/「是は先年遣ひしはるめが、恩を仇にて振舞(ふるまひ)しときの手の跡ぞ」/と語られければ、病床にて聞(きゝ)し人々、奇異の思ひをなしけるとぞ』このまさに最期の最後に添えたシーケンスは、本ホラーの真骨頂と言える。そうして私は直ちに、後の根岸鎭衞(彼は本作成立(安永七(一七七八)年)直後に佐渡奉行(天明四(一七八四)年から同七(一七八七)年まで)であったこともあるから、この「佐渡怪談藻鹽草」を読んでいたかも知れぬ)の「耳囊」中の名品中の名ホラーたる、私がしばしばオリジナル授業でやった「卷之九 不思議の尼懴解(さんげ)物語の事」の後半部を鮮やかに想起するのである(私の当時のオリジナル授業案の方はこちら)。]

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