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2016/10/20

ブログ・アクセス870000突破記念 梅崎春生 崖

 

[やぶちゃん注:本作は昭和二二(一九四七)年二・三月合併号『近代文学』に初出、後に単行本「桜島」(昭和二十三年三月大地書房刊)に再録された。

 簡単に語注しておく。

「兵舎の細長い居住甲板」以下、陸上の壕や兵舎が舞台であるが、海軍ではそれらの床も総て「甲板」と呼称するらしい。

「オスタップ」海軍用語。亜鉛又は木製の水桶で語源は“Washtub”。これで洗濯や洗顔をした。

「チスト」チェスト。“chest”。貴重品などを収納する蓋付きの大きな箱或いは整理簞笥。

「徴募兵」「徴集兵」のことであろう。所謂、徴兵制度によって集められた兵の意で、一般的には非自発的に集められた兵を指す。

「ネッチング」海軍用語。釣床格納庫。“netting”か(但し、海事用語では“netting knot”sheet bend)は二本のロープを結ぶ結び方の一つである「あた結び」(シート・ベント)の意)。釣床格納庫の様相は、サイト「路傍の詩」の第二〇五回の清水凡平氏の絵と文章を参照されたい。

「パイプ」海事用語。“pipe”。ホイッスル(whistle)・呼び子のこと。号笛(ごうてき)とも呼ぶらしい。

「内訌(ないこう)」「訌」は「乱れる」の意で、一般には国や組織の内部が乱れて互いに争う内紛を指すが、ここは自分の意識の中での混乱や義憤・鬱憤を指している。

「余瀝(よれき)」器の底に残った酒や汁などの滴(しづく)。

 本電子化は、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、アクセス数が870000アクセスを突破した記念として公開することとした。急遽行ったため、普段のテクストのように細かな注を附す余裕がないので、取り敢えず前に示したのは私の躓いた語のみに限った。【2016年10月20日 藪野直史】]

 

 

 

 

 

 加納という男の姿を始めて見た時のことを私は今でもはっきり覚えて居る。それは何か花道を登場するといった風な感じで彼は私の視野に現われて来たのだが、その時の彼の挙動や態度にふと反撥(はんぱつ)めいたものを感じたのを私は今にして思い起すのだ。その感じは勿論その時だけで後は忘れてしまっていたけれども、彼との約二箇月間のつき合いを考えると、無意識のうちに根強くその感じが私に働いていたのではないか、そして彼も案外敏感にそれを感じ取っていたのではないか、という気がしないでもない。が、その間の経緯(いきさつ)はあとにして、始めて見た日のことを私は最初に書いてみようと思う。

 それはもう日が暮れて、風のある寒い晩であった。兵舎の細長い居住甲板に光の薄い電燈がぽつりぽつり点(つ)き、卓のあちこちには非番直の兵隊や下士官が低く私語し合っていたり、また当直から今下りて来たらしい兵隊が黙って晩(おそ)い食事をぼそぼそと食べていたりする。一種の緊張が鋭くその空気を支配していた。その緊張に脅(おび)えたように二三人若い兵が立ち上って、衣囊棚(いのうだな)の衣囊の位置を直したり、手箱の並びを整頓したりしているのだが、手箱の触れ合う堅い音がいやにはっきり響いたりするのだ。整理しなければならぬからしているのではない、只何となく追われるように手を動かしているに過ぎないということは、同じ兵隊である私にははっきりと判っている。だから私も立ち上って何かやらなければならぬのかも知れないと思うが、さてどうしたら良いのか判らないのである。あと四五日で正月という頃だから、いくら南九州とは言え隙洩(すきも)る風は身を切るように寒いのだ。私は胴ぶるいをこらえながら、居住区の片隅で、白けたような身の置き所も無いような気持でじっと腰かけ、盗むように四周(あたり)を見廻していたのだが、その時兵舎の入口近くにいた兵達の間にかすかなどよめきが起ったと思うと、入口から居住甲板の中央を貫く通路へつかつかと一人の兵隊が入って来た。此の男が加納であった。

 ――実は此の日が、私が佐世保から此の海軍航空隊に転勤して来た最初の日であった。私はひとりで汽車に乗り此の小さな温泉町の町外(まちはず)れにある航空隊へ、その日の午後入隊して来たのだが、私にとっては最初の航空部隊ではあるし、その上連れもなくやって来たという点もあって、心の中は不安でいっぱいだったのである。分隊士や其の他にもあいさつを済ませ、居住区に衣囊を下し、先刻から所在なくじっとしているのだが、それも決してぼんやりしているわけではなく、油断なく居住区の様子や兵隊の動きに気を配っていたのだ。居心地の良い処か悪い処か、勿論海軍一等水兵に過ぎない私にとっては如何なる部隊でも楽である筈もなかったが、つまり此処暫(しばら)くの私の生活の苦労の度合を一所懸命嗅ぎ取ろうと努力していた。ほんの一寸したことが兵隊の生活にどんなに影響するものであるか。たとえば此の部隊は吊床(つりどこ)であるか寝台であるか(此の居住区へ入って来るなり私は梁(ビーム)に並んだ吊床のフックを見て落胆した)また梁がどの位の高さであるか、通路の入口にあるオスタップの胴廻りなどを横眼で見ながら、私は次第に憂欝になっていたのである。オスタップにしろ、此の前の部隊のに比べるとたっぷり二倍の大きさがあった。あれに水を一杯入れて二人で持ち上げ右往左往することを思えば気が沈まない訳には行かない。夕食が済んだ頃から、

「有難うございました」

「有難うございました」

 通路に立ち挙手の敬礼をしながら、上陸(外出のこと)の兵隊が次々戻って来る。皆年若い兵隊はかりである。私のような応召の老兵はいないらしい。下士官が帰って来るとデッキから兵隊が飛び出して行って着換を手伝う。なるほどあんな具合に服を畳むのだな、靴磨道具はあのチストに蔵(しま)ってあるのだなと、一々検眼で納得しているうちに、日が暮れて次第に外が暗くなって来た。その頃から、まだ帰らないのは誰々かという詮議(せんぎ)のうちに、また二人三人戻って来たその後は途絶え、加納という兵隊だけがまだ帰って来ぬらしいことが、片隅にのけ者のように居る私にも判って来た。また加納がしくじりあがった、私の横手にいた上等水兵が舌打ちと共にはき出すように言った。帰隊時刻は十九時である。それに間もない。兵隊が一人自転車に乗りむかえに出て行った。そして十九時が過ぎた。

 軍隊で帰隊時間を切るということがどういう事か経験した人には判って貰えると思う。居住区の歪(ゆが)んだような厭(いや)な空気の其只中に、加納一等水兵が戻って来たのは、それから三十分以上も経ってからであった。花道を登場する感じと私はさきに書いたが、居住甲板に挿(はさ)まれた通路へ彼が足早に入って来たのを一目見た時、私はまことに予想を裏切られた感じであった。漠然とではあるが私は、年の若い一水がしょんぼり戻って来る光景などを予想していたのだ。私の眼にうつった最初の加納の感じは、一言にして尽せば鼠(ねずみ)のような男であった。色の悪いやせた小さな身体に、青いぴったりしない水兵服をつけ、縁(ふち)の歪んだ水兵帽の下の顔は紛(まぎ)れもなく四十歳に近い顔である。服の具合か両腕が非常に長いような感じであった。此の男も応召兵かと、私は胸を衝(つ)かれ、そして何か親近の感が胸にのぼって来たが、その前に私は加納の顔の表情にふと興味をうばわれていた。

 それはおそろしく冷たい感じの顔である。自分がしでかした事に対する不安やおそれの気配は微塵(みじん)もなく、むしろ昂然(こうぜん)と顔をあげて、通路をまっすぐにすたすたと入って来て靴を脱ぐと、彼を刺し通すような皆の視線をはじき返しながら、丁度一番向うの卓でひとり食事をとっていた暗号部の班長の処にゆき、風貌にそぐわぬ甲(かん)高い声で、

「加納一水、帰隊時間を切りました。御心配おかけいたしました」

 しんと静まった雰囲気の中に、その一語一語は私のいる処まではっきり徹(とお)って来た。

 時間を切るということ、これが同じ分隊の兵にどんな迷惑をかけるものか、また当人がどんな制裁を受けるものか、海軍に入って日が浅いとは言えあの男に判らないわけがない。鼠のように見すぼらしい恰好(かっこう)の彼がいささかもたじろぎを示さぬ態度を保つのも、不似合と言えは不似合だが、それ故にかえってふてぶてしい印象を皆に与えるのかも知れなかった。彼が入って来る前の居住区の空気から、彼が皆から憎まれ、又さげすまれているらしいという事を私は嗅ぎ取っていたのだが、だから私は、どの部隊にも良くある型の若い愚鈍な無神経な一水を想像していたのである。彼を最初一眼見たとき胸を衝かれるような気がしたのも、此の分隊唯一の老兵である彼に対する皆の憎しみが、そのまま老兵の私に適用されはせぬかという無意識のおそれであったかも知れない。入口から班長のところまで時間にすれば三十秒ほどの間、少し気負ったとは言えごく自然に見える彼の態度の裏に、私ははっきりと、肩を張ったポーズを、たとえば班長に申告を済ませた後に頰に浮んで消えたうすら笑いにも(他の者には笑いに見えなかったかも知れない)不自然な心の中の努力を感じたのだ。私は見まいとして、目が外らせなかった。腰を少し浮かし、デッキの一番むこうに立つ加納の後姿を、大きな上衣から伸びた彼の細い首筋のへんを、私は一心になって見つめていた――。

 それから甲板掃除が始まり、巡検のすぐ前に終った。吊床に入って待って居ると巡検の列がだんだん近づき、中央の通路を跫音(あしおと)を乱しながら通って行った。手提灯(てぢょうちん)の光で巡検の人々の影が、がらんとした天井や壁に幽鬼の影のように動いた。巡検終りのラッパが鳴ると、煙草喫う暇もなく私達は営庭を隔てた防空電信室にぞろぞろと集って行った。

 防空電信室は枯草地の中央にある半地下壕で、帽子を冠ったように土を重ね、厚い木扉から土階を降りると湿っぽい通路がつづき、更に木扉を開くと二三十坪の部屋の両側に台を据え、古びた無電機が並んでいる。電燈はあるが光が薄く、土の臭いが立った。私達はその土間に整列した。そこで加納一水は呼び出されてはげしい制裁を受けたのである。

 棒と言うよりも丸木と言った方が早いような荒くれた棒で、倒れないように両手を台に支えた加納の尻を、年若い逞(たくま)しい兵長が力いっぱいなぐりつける。棒が肉体に当る鈍い音がすると、加納は身体をよじるようにして堪えようとするのだが、苦痛の呻(うめ)きが自然と口唇から洩れて出るのだ。珍らしい風景ではない、度々私も見て来たことには違いないが、此のような地下の陰欝な雰囲気の中で、体力の乏しそうな老兵が力まかせに打たれるのは、思わず眼をそむけたくなるような情景であった。苦痛そのものよりは苦痛の予感の方が辛いのだ。此の眼前の情景は、何時(いつ)私に置き換えられる運命か判らない。私は身体を硬くして眺めていたのだが、やがてものの十本も加えられた時兵長は殴るのを止め、私達の方に向きなおりながら、

「兵隊としての分際を忘れた者は何時でもこうだぞ。判ったか」

 加納は、ほとんど両手で台にすがるようにし、膝は垂れて土間につきかけていたが、刑が終ったらしいことを知ったのであろう、気力を振い起して立ち上った。私刑(リンチ)の最中は彼は顔を両肩の間に伏せ、思うに苦痛の表情を皆から眺められるのを避けていた様子であるが、立ち上って私達の列に戻って来ようとする時の顔は、流石(さすが)に苦渋の跡を示していたとは言え、殴(なぐ)られたものがひとしく作るような卑屈な被征服者の表情ではなく、むしろ反抗をいっぱい漲(みなぎ)らした不敵の面貌であった。此んな見すぼらしい男の気力を支えているものは何であろうと、私はすこし驚きながら眺めていると、片隅から、待て、と言う声がして、今まで椅子に掛けてじっと見ていたらしい一人の兵長が中央に歩み出て来た。

「加納。も一度ここに来い。おれが徹底的に気合を入れてやる」

 肩の肉の厚い、もう二十四五と見えるところから徴募兵であろう、金義眼(かなつぼまなこ)の奥から眼を光らせて、

「年寄りかと思って手加減してやればいい気になりあがって」

 もとの台の処に戻り同じ姿勢をとった加納の肉体に再び樫の丸太が風を切って打ち落された。ぼとっという音と共に枝を離れた芋虫のように加納の身体は苦痛にもだえるのだが、

「何処で遊んで来た。温泉宿の赤提灯(あかぢょうちん)か」

 そして丸太が再び風を切り、

「何と言う女と寝た。はっきり言え」

 打ちおろされる度に、あっあっと言うような短い叫びを加納はあげ、それが返事のように聞えでもするのか、その兵長は何か引き剝ぐような面白さに駆られるらしく、なおも卑猥(ひわい)なことを喚(わめ)きながら力を振って棒をうちおろした。憑(つ)かれたようなその仕草を見ていると、私の身体も思わずふるえ出した。それは責任の無い暴力である。暴力の結果についてこの兵長は、何も顧慮する気持がないにちがいない。斜めに冠った略帽、短い事業服の袖から出た隆々たる腕、踏張った足の太さ、小児の無責任性をそのまま持って大人となった感じの此の男の腕が棒を振り上げる毎に、私は心の中で声無き叫びを加納に立てているのだが、

「今あやまったらいい。何故あやまらないのか」

 私刑の始めに嘆願してもそれは絶対に無駄だ。兵長が殴るつもりなら如何(どん)な事をしても殴る。しかしある程度殴ったとき、機をつかんであやまれはそれで済むのだ。その機とは半年も兵隊の生活をすれば、必ず判って来る。兵隊の本能のようなものだ。何故、今此の瞬間をとらえてあやまらないのか。加納が打たれる光景から私は気弱く目を外らせながら、そのようなことを考え念じ詰めていた。――

 それからまた長々しい訓辞があり、そして私達は解放された。壕を出ると風が冷たく、見上げると満天の星であった。暗がりの中を草原の凸凹に悩みながら兵舎の方にあるいた。このまま何処かに行ってしまいたい。そんな思いが切なく胸一ぱい拡がって来た。

 居住区へ戻り私は自分の吊床のそばで服を脱いだ。服が冷えて凍えた指では仲々脱ぎ難い。通路で靴を脱ぎ私の方に近づいて来る人影があった。身体の恰好ですぐ加納だと判った。加納の吊床は私の隣である。私に背を向けて同じく服を脱ぎ出した。一寸ためらった揚句(あげく)、加納一水、と私は低い声で呼びかけた。今日入って来た兵隊だがよろしく頼むというような事を私が言うと、脱ぎかけた手を休め、加納は振り返って暫く私を見ていたが、突然、

「お前は何時の兵隊だ」

 私が六月の兵隊である旨(むね)を答えると、彼はさげすむような薄笑いを口辺に浮べ、突離すような口調で言った。

「おれは五月の兵隊だ」

 それきり黙って服を脱ぎ、私の方を振り返ることなく吊床に上った。私も事業服を畳み枕の位置に置き吊床にのぼった。毛布は三枚入っていたけれど、身体は仲々あたたまらなかった。足を曲げ毛布を捲(ま)き込むようにし、暫(しばら)くじっとしていた。今の言葉の意味を考えていたのだ。若い現役兵ならいざ知らず、海軍に入って何箇月になろうと、それが私たち老兵にとつてどんな意味があるのか。私も今孤独であり、また加納の殴られたあとの孤独の気持も判るから、応召兵同士の親しみをこめて働きかけた出ばなをぴしゃりと叩(たた)かれた感じである。加納が今まで此の分隊でどのような取扱いを受けて来たか知らないが、そんな気持を突ぱねるほど気分が荒(すさ)んでいるのか。私が今まで同じ応召兵に対したように、お互いの弱さの部分でなれ合おうとした気持を、こんなに冷たく突離され、ふと悔ゆる思いもあったが、なお、それにしても此の男は一体どんな男なのか、何を考えているのかと、眠れぬままにぼんやり私は考えつづけていたが、先刻打たれて土間にたおれ、そしてまた起き上って来たときの加納の顔を、私は何となく思い浮べていた。それは酒に酔ったように真赤な、そして血走った白眼の中に瞳だけが燃えるように何かを求めて動いていた。光線の加減か、それはむしろ兇悪(きょうあく)な表情に見えたのだ。

 

 暗号室は電信室と共に隊の本館の二階にあった。日のよく射さない暗い部屋で、卓の上は大小無数の暗号書や乱数盤がいつも取り散らされてある。前の所属には整頓にうるさい下士官がいて、いつも暗号書は棚にきちんとしていたので、此処に来て私は暗号室に入る度に奇異な感じがした。人の家風は玄関の下足の揃え方で判ると言うが、此処の気風もあるいは之にあらわれているのかも知れないと私は思った。私は次の日、加納と同じ当直の組に入れられたのだ。そして毎日時間を定めて此の部屋で勤務についた。忙がしい日課がこうして始まった。

 暗号室は扉を隔てて電信室となり、之がまた途方もなく大きなリノリュウム張りの部屋で、廊下を隔てて暗号長室、電信長室、電話室などが連なる。二三日にして私は此処が兵隊にとってどんなに辛(つら)い分隊であるかが身に恥みて判って来たのである。

 朝六時、総員起し五分前を兵舎番兵が触れて歩くと、私は吊床からはね起きて相棒の一等兵とオスタップを提げて水汲みに飛んで行く。それから夜は巡検後の整列が終るまで、自分の時間というものは文字通り一分もなかったのだ。ことに此処で辛かったのは甲板掃除である。甲板掃除は此処では朝夕共掃布(そうふ)を使うのだが、その水の冷たさもさることながら、掃布を使用する床の両横の広さが私を参らせた。先に書いた部屋部屋、それが済むと居住区の長い甲板、最後に通路を五六回「廻れ」の声に追われて往復すると、足はがくがくし目くらむ程であった。その上夜は夜で猛烈な吊床の教練が始まる。

 吊床というものは、一寸見た眼には寝心地良さそうな暖いように見えるかも知れないが、内に寝ている者にとっては、身体は匙(さじ)のように曲っていて窮屈だし、また冬は奇妙に寒いのだ。しかしそれは我慢出来る。問題は吊床の上げ下しにあるのである。毛布を三枚も四枚も入れた吊床を如何にして短い時間にくくり上げるか、またネッチングからおろした吊床を如何にして早く所定の位置に持って行き、そしてパイプ一声、フックに環をかけ繩を解きほぐし直ぐ寝られる形にまで持って行くか、勿論(もちろん)これは艦隊戦闘に応ずる為には必要な熟練には違いなかったが、訓練の名を借りて兵長連が必要以上に若い兵隊を苛(さい)なむ好個の行事であったのだ。此処では特にそれが烈しかった。続け様に七八回も吊床をくくったり解いたり、最後には全身汗みどろになるまでやらされるのである。早く出来たものから馳(か)け出して行って順次に並ぶ。吊床の繩が如何に取扱いに難いものであるか、くにやくにやしている癖に絶対に此方の意のままにならないのだ。それを息せき切ってどうにかこうにか処理し終えると懸命にかけ出すのだが、何しろ若い張切った兵隊と競走して私に勝目があろう筈(はず)がなく、大ていどん尻に近く行列の後にくっついて袖で額の汗を拭いながら振り返ると、その頃になっても吊床について繩を手繰(たぐ)ったり巻き上げたり、そして別段狼狽(ろうばい)する風もなく、並び吊られた吊床の下をくぐって歩いて来るのが決まって加納一水であった。兵長が箒(ほうき)の柄を逆に持って叫ぶ。

「遅れた者から三名、一人ずつ出て来い」

 棒よりは増しだがあの細い幕の柄とて馬鹿にならないのだ。思わずウッと口から呻き声が出そうになるのを堪えて、三四本打撃を尻にうける。そしてまた、総員起し、と兵長が喚(わめ)くものだから、今度も打たれてはたまらぬと血相を変えて自分の吊床へ向って飛んで行く。これが毎夜のことであった。

 三十歳の峠を越そうという人間が、二十になったやならずの兵長の喚くまま、汗水垂らして掃布握って床を這い廻り、眼の色変えて吊床を上げ下げする図は、どう考えても気の利いた風景でない事は私といえども百も承知しているのだが、しかし当時の私の気持としてはそうするより道がないのであった。私はどんな環境にも適応することによって、自分の精神や肉体が傷つくことから避けようと考えていたのである。自分をなるべく平凡な目立たぬ兵隊に仕立てる事で、下士官や兵長の眼から出来るだけ逃れていたかった。流線形が水中で最も抵抗の少ない形であるように、私は意識して現実の摩擦を避け得る形をとろうと努力していたのだ。(何事にも目を閉じ死んだ気になって)と私は自分に言い聞かせ、時に浮び上ろうとする自己侮蔑(ぶべつ)の思いを押え押えしているのだが、しかしその度に吊床の下をくぐって悠々と歩いて来る加納の姿が、急に或る意味を帯びたものとして思い出されて来る。それは何かにがいものでも口の中に押し込まれるような感じであった。その時の加納の顔は、おれは仔細(しさい)あってわざとゆっくりやって来たのだぞという表情を露骨にあらわしているのだが、それは言わば殴られるのを自分で志願しているようなもので、私も少なからずはらはらするのだけれども、兵長達もいつもどん尻になる加納を一々かまって居れないのか、あるいはそんな態度を年寄りの愚鈍さと解しているのか、私から見れば兵長等の暴力に対する霹骨な挑(いど)みと見える彼の挙動が案外そのまま見逃されているようであった。

 入隊して忙がしい四五日が終った。昭和二十年の一月元旦が来て、私は居住区で酒を飲む下士官や兵長のために肴(さかな)を烹炊所(ほうすいじょ)に貰いに駆け廻ったり、酔っぱらった兵長の代りに当直に立ったり、目の廻るような忙がしさのなかで、よそごとのように三十歳になっていた。やっと巡検後仕事を終えて自分の体となり、私は寒風の営庭を走り抜けて兵舎の陰の煙草盆に行き、ふるえながら今朝から始めての煙草の煙をふかぶかと喫(す)い込んだ。空には血のように赤い満月がかかり、兵舎の影は黒々と地に落ちていた。煙草盆には私の他に唯一人いて、それが煙草を喫い込む時ぱっと明るく照らされた顔はまさしく加納であった。私は思わず親しさが胸にあふれ、傍に近づいて行った。

「加納一水じゃないか」

 加納はびくりとしたらしいが、私であることを認めると「村上一水か」と低い声で言った。そして暫(しばら)く黙ったが、私は一日中こんなに多忙であったにも拘らず、誰とも言葉らしい言葉を交していなかったし、また入隊以来の内訌(ないこう)した気持を何かしゃべることによって散らしたい願いにかられていたから、兵舎の壁に寄りかかる加納に肩を並べ、むしろ押すようにしながら話しかけた。

「此処は非道(ひど)い処だね。よく今まで一人で我慢したな」

 加納は肩をすぼめて煙草を忙がしげに喫ったが、やがてぽつんと、

「こんなものじゃない。もとはもっと非道かった。俺は三箇月もいるんだ」

「まるで一日中煙草喫う間もないじゃないか」

 ふふ、と加納は低く笑って、

「煙草のみたければ何時でものみな。誰に遠慮してるんだ」

 嘲(あざ)けるような口調であったが、急に語調を変えて、

「今まで何処に居たんだ」

「佐通(佐世保通信隊)から来た」

「お前学校出だというのはほんとか」

 私が黙っていると、加納は煙草を煙草盆の中に投げ込み、大きな欠伸(あくび)をしながら、

「学校出ともあろうものが、どこの土百姓の伜(せがれ)とも知れない奴から追い廻されて、掃布握って這って廻るのも大していいざまじゃないぞ」

 私も少しむっとして、

「しかし皆の前で犬猫みたいにぶたれるよりは良いからな」

「ぶたれるのにこりたな。バッタがこわいのか」

「こわくは無いさ。あんな小僧っ子から打たれるのは恥辱だからよ」

「恥辱?」加納は身体をずらして私の方に向き直った。

「打たれるより、小僧っ子が喚くまま蟷螂(かまきり)みたいに尻をおっ立てて床を這い廻る方が恥辱じゃないのか」

「そりゃそうかも知れないが」と私は少しどもり、「しかし掃布持って走り廻っているのは自分で進んでやってると思えば済むからな。ぶたれる方はそうは行かない。此方(こっち)の考えの紛れようがないじゃないか」

「うまく胡麻化(ごまか)しあがる」加納はまた嘲けるような短い笑い声を立てた。「おれはな、そういう考え方に我慢が出来ないんだ」

 烈しい口調であった。白(しら)ける気持があって私は黙って煙草をすって居ると、悪いと思ったのか暫くして彼は、自分の顔をゆっくり私に近づけながら、

「お前はいくつになる」

「おれは今日から三十だ」

「三十?」ふっとさげすむような口調で言うと、「おれは、今日で三十九歳よ。いい加減気の利いたものなら功なり名とげて、妾(めかけ)の一人も置いている歳だぁ」と言っていることとは反対に、言葉の調子はひどく沈痛にひびいた。

 

 此の日からしかし、私は加納に急速に近づいて行ったようである。近づいたと言っても、まだ私に対する彼の言動の端々に私の理解の出来ない排他の風情(ふぜい)があったが、それは私に対してだけでなく他の一等兵に対しても彼は猶(なお)露骨に示していたから、彼はもともとそんな性格なのだろうと考えただけで私は深く気にとめなかった。また深く考えるほどの余裕も私にはなかった。ただ当直が同じではあるし吊床が隣り合せであるから、自然彼の言動は残らず私の眼にうつって来る。

 寒い日が一日一日経った。無暗に忙がしいとは言え私もだんだん要領を得て来て、たとえば烹炊所(ほうすいじょ)に配食鍋をおさめて来る帰りに烹炊所の背後にある裏山の崖の下にある煙草盆で皆にかくれて一服することも覚えたし、時には防空電信室の当直を志願して一晩楽をしてみたりすることも覚えた。防空電信室は空襲の時に使用するために作られたものの、その頃は空襲など無い頃だったから、単に巡検後の整列に使用されるだけで、誰か一人兵隊が無電機などの番人として残るだけであった。これはまことに良い配置だった。

 烹炊所の背後の崖は高さは百尺ほどもあって、此の航空隊をつくるために切られたものではない証拠に肌理(きめ)は古び、枯れ残った羊歯(しだ)などがあちこちすがり付き、夕陽を浴びた時などの崖の肌は異様な赤さで私の視野にそそり立った。ああいう赤い岩は此の地方特有のものらしく、温泉と何か関係があるのだろうと私は今でも思っている。崖を廻って暫(しばら)く行くと内海となり、指揮所の建物が見えるあたりが此の航空隊の水上基地である。此の指揮所にも暗号員が一人ずつ交替で詰めて、飛翔(ひしょう)中の水上機と「多」という暗号書でもって連絡する。此の配置は、忙がしいという点では本部よりも忙がしかったが、一人であるから本部に居る時のように下士官や兵長から小姑(こじゅうと)的な苛(いじ)められ方をしないですむから、またこれも私の好む配置であった。しかし此処は熟練した者が必要だという訳で、私如きには仲々やって貰えない。おおむね私は本部暗号室に詰めて、電報の浄書などやらされる。時には加納が浄書をやることもあったが、大ていは私に押しつけられる。面白くない仕事だから暗号を引きたいと思うけれども、私が一番新しい兵隊だから仕方がない。

 若い暗号兵等の気持は、私は今もって判らないのだが、彼等は自ら志航して海軍暗号兵となって来たにも拘らず、実に暗号を引くことに於ては不熱心であった。上等兵になってもまだ暗号の引き方すらあやふやな者がいる位で、浄書に廻って来る彼等の草稿は字が汚いし誤りは多いし、誤字検出などに到ってはほとんど之を試みる風がないようであった。その間にあって加納だけは不思議に熱心であり、次から次へと電報を翻訳して倦(う)むことを知らない様子であった。しかし加納の場合は所謂(いわゆる)株を上げるために熱心であるのではないことは日頃の言動からおしても判るので、暗号を引いていると気が紛れるという点もあろうけれども、晴号の翻訳ということには一種の手工業的な面白さがあるせいにちがいないと私は思った。だから他の兵隊はそれを良いことにして難かしい電報を皆加納に押しつける。

 一度、浄書に廻って来た加納の草稿に明かな翻訳誤りを見つけて、私はそれを指摘したことがある。それも私は成意をもってやったのではなくて、それが浄書係りの一種の責任にもなっていたのだが、そうすると加納が顔色を変えて食ってかかった。

「どこが間違っているのだ。いい加減なけちをつけるな」

 何をそんなに怒るのだろうと私はむしろあっけに取られながら、私は加納の青ざめた顔を見返した。そして、此処の処の文章が可笑(おか)しいからも一度調べ直したらどうかと言ったとき、加納は指をぶるぶるふるわせながら、

「近頃此処に入って来たばかりで何も知らない癖に何だ」

 暗号員としての経歴も浅いのに僭越(せんえつ)だと言った風な口振りで私をにらみつけた。最初の日、おれはお前より一箇月早く海軍に入っているのだぞというあの言い方が未だに私の胸に残っているので、私はそのまま黙ってしまったが、ふと私は彼の考え方や感じ方に対するひとつの鍵が此の時、おぼろげながら摑めたような気がしたのである。

 此処まで書いて来て読み返してみると、此処に書かれた加納という男は何時も怒った顔で力んでいるように見えるが、之は私がそのような瞬間の彼ばかりを取り上げて書いたからで、私に対しても優越的な時には嘲弄(ちょうろう)的な態度を示すことは変りなかったにしろ、私は彼がもともと善良な型の人間であり、私にも時には不親切ではなかったことを認めなければならない。彼が此の分隊から半ば憎まれ半ば軽蔑されているのも、彼が時々事件を起して分隊員に迷惑をかけたり、また暗号は別として内務において不熱心であり不手際であったりする事、そしてそれ等のことに対して彼が後悔の色も反省の色も示さず平気でいることなどによるのであって、彼の暗号に熱心なことは皆認めていたのではないかと思う。昼食後の、課業始めまでの短い時間を、日の当る煙草盆などに年若い一水どもを集めて彼が自慢話などしているのは、遠くから見ればまことに罪のない風景であった。たとえば海軍に入る前の自分の生活を、志願兵の十五六の少年たちに話してきかせる。

「……日に五時間も働けば、二円か三円はすぐよ。おれなんぞは腕が良かったから、五円六円は平ちゃらさ。早いとこ仕事を切り上げて一風呂かぶって、あとは一杯やりに皆して出かけて行く。その頃で一本が二十銭か二十五銭よ。お前ら、まだ酒のんだこともねえんだろ」

 彼が職人か何かをやっていた時のことである。少年たちはまだ酒の味を知っている筈もないから、彼はそこで酒の味を微に入り、細をうがつて説明し始める。そんなことを説明している彼の表情を、一度私は仔細(しさい)に観察したことがあるが、彼の言葉は話がすすむにつれて次第に険を帯びて来る。いらいらしたものがだんだん眉の間に浮んだり消えたりし始めるのだ。

「酒飲んだ事もないお前たちにいくら聞かしても判るまいが、つまりだな、おれは今までに延数にしておちょうしを一万本か二万本を飲んだって話よ。こうやって海軍に引っぱられなきゃ今頃はおれは棟梁(とうりょう)か何かで……」

 そして何か詠嘆的な口ぶりで自分の不運をのろい始める。私は了解する。彼は今、海軍の一兵士として十五六歳の自分の息子のような兵隊と同列に置かれていることに腹が立って仕方がないのだ。だからどうにかして、自分がお前たちと違うということを示したくてたまらないのだ。おちょうしを一万本も飲んだことが彼等に対して誇りになることでも無いんだろうが、彼はそこにすがるようにして話をすすめて行く。勿論少年暗号員たちも、三十九にもなろうという親爺がそんなことを自慢にしているとは悟り得ないから、相槌をうちながら聞いているが、彼等の人間価値判断の根抵は海軍の兵隊として見込があるか無いかに尽きるので、いっこうに加納の意を汲んで加納を尊敬しようとはしないのである。それを感じて加納はますますいらいらし始めるらしかった。

「お前らには何を言っても、ぬかに釘だぁ」

 彼が好んで相手とするのは、去年の五月二十五日防府海軍通信学校に入った志願兵たちで、彼から見ると半箇月若い兵隊なのである。だからこんな言いたい放題のことを言うのだが、若いといっても自分より古い兵隊には彼も言いはしない。言いはしないが同じ気持は内訌(ないこう)しているので、自然と不貞腐(ふてくさ)れた態度になってあらわれるのである。

 此のような奇妙な自尊心は何であろう。自尊心、とは言えるだろうが、現実に見て観念的な悪あがきに過ぎないから、そんなことを積み重ねて行く度に、彼はますます救いのない泥沼に落ちて行くらしかった。そのことは彼にも歴歴と自覚されるらしく、彼は時あってか猛然として、自分が子供のような兵長や下士を恐れていないということを身をもって実証しにかかるのだ。実証すると言っても、誰にというあてはない。自分自身で納得(なっとく)が行けばそれでいいのだろうと思う。吊床教練の時でも始めから意識的に手をのろく動かして遅れ、そして自分では不敵なつもりの薄笑いを浮べながら行列の背後についたりするのはこんな気持のときなのだ。そして祭典的な物々しい身振りで両手を上げ、兵長の棒を尻に受ける。むしろそんなことに露悪的な喜悦をすら感じているらしい彼の挙動を眺めるとき、私の胸に浮び上って来るのは、悲しみとも怒りとも嘲けりともつかぬ一種の痛烈な感じであった。

 毎夜の吊床訓練でも、段々慣れるにしたがって私も余裕が出来、隣の加納の吊り方にも気がつくほどになっていたが、彼も私と同じく生来手足を早く動かすことは若手らしく、かてて老齢のせいもあって、吊床などは不得手に見えたが、それでも時には手順がうまいこと行って、済んで走って行き行列の中程に加わることもあったのだ。そんな時の彼はまことに嬉しそうに足音を立てて走って行き、行列の中から私などが悪戦しているのを晴れやかに眺めている。そんな時遅れでもしようものなら、あの加納よりも遅れたというかどで平常の二倍ほども殴られなければならない。だから私としても、加納の吊り方には極度の関心を持たざるを得ないのだ。

 私は知っている。彼はあの破局的な心境にある時でない限りは、手足を極度に有効に動かしてせめて列の中程に行きたいと努力している事を。しかし操作の中程にして、周囲の吊床から跫音(あしおと)が次々馳け出して行くのを聞くと、彼は急にのろのろとした動作に変り、さも始めからやる気は無かったんだぞといった風な表情で、皆の視線をはじき返しながら悠々とこちらに歩いて来る。一所懸命に努力し、その揚句(あげく)子供みたいな兵隊に後(おく)れを取るということが、またそれを他に知られることが、思うに彼には何ものにも増して苦痛であったのだ。その自尊心を傷つけられる苦痛に比べれば尻を打たれる痛みなどは物の数でもないらしいが、しかしそのような胡麻化しを重ねて行くうちに彼はだんだんやり切れなくなって来る。

 それはヒステリイの発作(ほっさ)のように、破局的な心境に彼がおち込むのは一定の周期があって、それは別段注意せずとも彼が私に対する態度ですぐ判った。彼をのぞけば唯一の老兵である私が、若年兵に伍して唯々諾々(いいだくだく)と勤務している、私にとっては(死んだ気になって)という無二の生き方であるにも拘らず、彼には下士官や兵長の腕力を畏怖(いふ)しての従順とうつって来るらしかった。此のような処に自分が落ち込もうとすることから踏み止まろうと、彼は無茶苦茶にあがいているのだから、そんな私の姿に彼は自分の最も厭らしい影を見るにちがいないのだ。その気持を、彼はもはやおさえることが出来ない。

「大学を出たといういい旦那が、何てざまだよう」

 パイプ一声、私が汗を流しながら吊床の繩をくくっていると、自分ものろのろと手を動かしながら、流石(さすが)に声をひそめて私にだけ聞えるように憎々しげに突掛る。下士官や兵長に対してと同じく、私は加納一水とも摩擦を起したくないので、聞えないふりをしている。その事が二重に彼のいら立ちをそそるらしかった。

 私は思い出す。あの最初の日、あらゆる肉体の苦痛を予感しながら、それでもそれを恐れていないことを自分に納得させようとして、彼は昂然と居住区の通路に入って来たのだ。眉一つ動かさぬあの英雄ぶりが、それへの自己陶酔が、彼の鼠のように貧しい肉体を昂然と支えていたにちがいないのだ。彼はその日以来外出止(ど)めとなり、十日に一度の上陸を禁止されていた。ある日私が外出番のとき朝用意をしていると加納がやって来て、自分の下宿に行って自分宛の手紙が来ているか見て来て呉れ、と私に頼んだ。下宿先からの文通は堅く禁じられている。曝(ば)れたら相当の覚悟をせねばならぬ。それを敢てする所に加納らしいところがあるとも言えようが、私が黙っていると、

「お前はまだ下宿持たんのだろ。おれの処に行けや。おれの名前を婆に言えばいい」

 外出して温泉地などに入り、まだ時間が余ったから、加納に教えられた道をぶらぶら歩いた。此の温泉地は名前は割に知られているくせにひなびた町で、板屋根の上に大根が並べてほしてあったり、低い庇(ひさし)をすすけた猫がひっそり歩いていたり、町角の小さな格子窓から湯気が流れ出る小屋が温泉宿であったりした。不規則な路を入って行くと突当りの傾いた家が加納の下宿であった。私は縁側に腰かけて芋など食いながら、老婆としばらく話をした。加納が帰隊時刻を切ったために外出止めになった事を話したら、老婆はひどく驚いた様子で、

「あの日はわたしがあんなに帰れ帰れと言うたんじゃがのう」

 時間を切ると大変だからと、老婆が時計を見い見い急(せ)き立てたにも拘らず、加納は炉端にすわり込み、頑固に動かなかったと言う。帰隊時刻は午後七時であるが古びた柱時計が七時を打った時、彼は薄ざめた顔でやっと立ち上り、そして老婆に暫(しばら)くは来られない旨を告げ、そして足早に立ち去って行ったと言う。訛(なま)りの多いたどたどしい老婆の話を聞きながら、私はふと涙の流れそうな気持を禁ずることが出来なかった。

 

「おれはな、罰直がこわいから一所懸命にやってるんじゃない。海軍に呼ばれた以上、働くのがお国の為だと思うからこそ、精出して暗号も引き、下士官の洗濯だってしてやってるんだ。それをあいつ等はバッタがおそろしいから兵隊が働くんだと思ってやがる。可哀そうに子供の時から海軍に入っているんで、人間は追いまわされねば動かないものと定めてやがる。あいつ等はそんな風にしか頭が働かないんだからそれでもいいだろうが、おれは追い廻されて動くことに我慢が出来ないんだ」

 何故吊床を一所懸命に吊らぬのかと、私がある時たずねたら、加納ははき出すようにこう答えた。こんな風にしゃべる時は彼の気分も明るい時なので、これが陰欝な時だと私の質問など歯牙(しが)にかけない。一箇月早く入ったという優越を真正面にふりかざして、毒舌をもって報ゆる。私が先に破局的な気持と書いたが、それも私が彼の態度から推察しただけで、本当のところは判らない。が、わざと帰隊時刻を切ったり掃除を怠けて風呂に行ったりするのは、あきらかに常識を逸脱した行為であり、腹の中は絶望で真黒になっているとでも解釈しなければ説明つかないことであった。追い廻されて動くことは我慢が出来ぬ、とは彼が私にその度の表現こそ違え何度も言ったことだから、彼はその思想を私にだけではなく、あるいは追い廻す側の連中にも知らせたかったのかも知れない。それを、帰隊時刻をわざと切る、といった表現で示しても、果して兵長に通じるだろうかと、時に私は軽い嘲けりの心が起らぬでもなかった。

 二月に入ったある夜、私は非番直で寒風の中を烹炊所(ほうすいじょ)まで走って夜食を取って来た。夜食と言ってもそれはおおむね下士官や兵長が食ってしまうので、私達は文字通り余瀝(よれき)を頂くに過ぎない。それぞれ配り終えると私は下士官が食う山芋をせっせとすった。山芋は昼間非番直の兵隊が株を上げようと裏山から掘って来たものである。夜食を啜(すす)る音があちこちでする。私も腹は減っているし食べたくて仕方がないが、それでも我慢して山芋をすっていると、通路から先任下士が入って来た。その顔付が緊張しているので私は何事かと見守っているとその後から加納がやせた肩を張って入って来た。その表情を見たとき私はまた何か加納がしでかしたなと直覚した。

「夜食を置いて此処に集まれ」

 加納は苦しげな薄笑いを頰に浮べて、私達が集まるのを眺めていたが、例の長い腕でしきりに額のあたりをこするようにした。輪になった私達を見廻して、先任下士がとげとげしい声で言った。

「今日、加納がこういうことをした。皆良く開け」

 加納はその夜、防空電信室当番であった。そして先任下士が一寸用事があってそこに入って行った時、加納は椅子を並べてあおむけに寝ころび、莨(たばこ)をふかしていたのだ。それだけならその場で一つ二つ顎を打たれるだけで済んだろうが、壁側に据えられた無電機を廻して、敵側の放送を聞いていたと言うのである。

 私はそれを聞きながら先夜のことを思い出していた。それは私がやはりその当番に当ったときで、所在なさに無電機をいろいろいじくっていたら、スピイカアから突然声が流れ出たので私はぎょっとした。

「……ミンドロ島における日本軍の抵抗はまことに微弱でありました……」

 あわてて受信器を廻して声を断ち切り、私はあたりを見廻した。声は鮮かに耳朶(じだ)にやきついて残った。訛りはあるが流暢(りゅうちょう)な日本語であった。私は背筋の冷汗がひえて行くのを感じながら、再び何となく四周を見廻した。もう一度受信器を廻して見ようかという欲望が猛然と胸の中で渦巻いた。私はかたく瞼を閉じ、そのような欲望をひとつひとつ潰して行きながら、自分に言い聞かせていた。日本の抵抗が微弱であろうと、日本が敗北しようと、今の俺と何の関係もないではないか。そのような好奇心を断つことで俺は今生きて居れるのではないか。

 その声を聞いた時の戦慄がふいに私の身体によみがえって来たのだ。あれは私が念頭から忘れようとする世界から直接通じて来た声であった。掃布をもってかけ廻ったり吊床と格闘したりする私の現実も、何時かはあの世界と共に生き又思考出来るという予想があるからこそ辛抱出来るので、今の此の惨(みじ)めな私の現実と並行してああいう現実があるということは、私には堪えられぬことであった。私は聞くべからざるものを聞いた感じで、しかも二三日はあの言葉についてばかり考えつづけて来たのだが。――

「加納、出て来い!」

 先任下士の手に、何時の間にか棒が握られている。兵隊が一人飛び出して行った。先任下士の手を押え何か言っている。あの金壷眼をした弓削(ゆげ)という兵長である。先任下士の手をわずらわすより私がやる、と言うのだ。海軍の愚劣なしきたりみたいなもので、二三度押問答の揚句、先任下士は棒を渡し「よく気合を入れとけ」と捨てぜりふを残して居住区を足早に出て行った。私は加納の顔にその時、何とも言えない苦渋の表情が浮んで消えるのをはっきりと見た。弓削兵長は残忍な眼を光らせながら、加納をにらみつけ、棒でとんと床をついた。

「売国奴!」

 額を汗で光らせながら小さな加納の肉体は脅えるように後すざりしたが、すぐ顔を上げて昂然と言い返した。

「売国奴ではありません」

 なに、と弓削は怒鳴ったと思うと猛烈な第一打が振りおろされた。

 見るに堪えぬ此の光景も、ついに加納が気を失い、オスタップの水を頭からかけられ、またその上で叩かれることで終った。全身濡れ、青ざめた加納の身体をすみに運び、私達は冷えた夜食を啜り、あと片付けをした。吊床に横たわりながら流石(さすが)に加納のことが気になって隣の吊床を盗み見ると、加納は吊床にうつぶせにまたがるようにして、微かな呻(うめ)き声を立てていた。痛みのためにあおむけに寝られないのは私にも経験があるので、そのような姿勢を取る訳もすぐわかったが、そんな時は下手に慰めるよりほって置いた方が気持が楽にちがいないから、私は胸が熱くなるような気持を押えて黙っていた。私は放送を、自らの手で断ち切り、聞かなかった。加納はそれを敢て聞いた。そして殴(なぐ)られた。それだけのことである。しかしそれだけの事を考えることは私に辛(つら)かった。出来るだけ意識をそれにむけないようにしながら、私は毛布の中にちぢこまった。肩先がしんしんと冷え、頭が偏(かた)よって痛かった。明日の日課を物憂(う)く頭に思い浮べながら、私はしだいにうとうとと眠って行った。

 暫(しばら)く平穏な日が続いたあと一つの事件(トラブル)が起ると、不思議にいやな事件が次々起って来る。加納が殴られた翌日、暗号室から暗号書が一冊紛失したという出来事が持ち上った。

 加納はその朝、起きぬけに弓削兵長にまたなぐられた。吊床が変っていたというのである。激しい吊床訓練で吊床につけられた名札が外(はず)れて飛ぶこともあって、また新しい名札を作り良い加減な吊床につけて置く。弓削の名札もそんな具合で外(ほか)のにつけかえられていたに違いないのだが、兵長級にもなれば最も寝心地の良い、柔かい毛布が沢山入った吊床だから、外のに変ればすぐ判るのである。勿論(もちろん)その責任は加納にある訳ではないが昨夜のこともあって加納は顎を三つ四つ打たれたのだ。

 昨夜の事にしろ今朝のことにしろ、彼が自ら企(たくら)んで打たれたのではなく、言わば尻尾(しっぽ)を押えられた形であるから、加納としても株を下げた感じが強いらしく極めて陰欝な顔をしていたが、午後三時当直交替になって一緒に居住区に戻るとき、黙りこくつていた加納が思いつめたように私にささやいた。

「おれは、あの弓削が憎い」

 眉を嚙み蒼い顔をしていた。それ切り黙って歩いた。水洟(みずっぱな)がしきりと流れ、私は事業服の袖で鼻をこすり上げながら、加納のあとをあるいた。居住区に着くと一休みする間もなく彼はネッチングに登って行った。弓削兵長の吊床を探し名札をつけ換えるためである。ネッチングのはしごをのぼる加納の貧寒な猫背を眺めながら、私はくしゃみがいくつも出て仕方がなかった。悪感(おかん)が背筋を這い身体のあちこちがしびれるようだった。明朝診察を受け暫(しばら)く休業しようかとぼんやり考えていた。

 晴号室から前直を呼びに来たのはそれから暫く経ってからである。私達が暗号室に戻って行った時も、現直の兵隊は手分けして卓の下や書跡の後ろなどを探していたが、それは何処にも見当らなかったのだ。紛失したのは「天」という暗号書である。「天」は終戦間際には、発受信両用の大型の冊子になっていたが、その頃は発信受信が別になった四六判程の冊子であった。小さなものだから其処らに紛(まぎ)れ込むこともないとは言えない。もともと此処の暗号室は整頓が悪く、必ずしも私達の当直の時に紛失したのではなく、偶然現直で整理したときに足りないのが発見されたのだ。暗号室にはよその隊の士官や兵隊も時には出入することもあったし、大てい当直の交替時に一人は残ることになっていても或いはそれが守られて居なかったかも知れないが、それにしても外部からの盗難ということは私には考えられなかった。暗号部の準士官や先任下士が蒼い顔で協議などしているのを見ると、何か物々しい雰囲気があって、その責任が自分にないことが妙に愉しい気がした。しかし此の責任は結局上の連中が負うとしてもその欝憤は必ず兵隊に廻って来るのだからその点は少し気懸りでないこともない。今までも一週間に一二度は、近頃気合が抜けているというかどで総員バッタを食っているのだから、行事だと思えば済むものの矢張り心にかかる。私も一応真剣な表情を作り、人の探した後の卓の下に一応もぐり込んだりして調べて廻った。日本の暗号書は朝鮮の部隊に送るとき何時もゴソッと抜かれているという評判だったし、今考えると米軍はそんな事に関係なく全部解読していた由だから、私達は当時何の為に仕事に苦労していたのか判らないようなものだが、その頃は一冊でも紛失するとすぐ暗号書が改変されるという慎重さで、だから此処の暗号士官らの狼狽(ろうばい)ぶりも判って貰えると思う。しかし之を外の隊などに公(おおや)けにするわけには行かないのだし、いくらいらいらしてもその廉(かど)で兵隊を殴っても出て来るというわけにはゆかないので、上の連中は皆不機嫌に眼ばかり光らせて暗号室を出たり入ったりした。その中に何とか名目をつけてバッタを食うにちがいないと思っていたら、その夜もはや総員整列の号令がかかったのである。早く診察を受けて休業になって置けは良かったと後悔したけれど、もう遅かった。

 ところが此の夜のおもむきは何時もと少々異っていたのだ。下士官以下全部整列した処で先任下士が何処から見つけて来たのか太い鉄棒を引き摺って、一語一語顔をひきつらせて訓辞した。此の隊で此の度ある不祥な出来事が起った。それは言わずとも皆知っているだろう。その為に暗号士以下非常に心配をされていて、私としてはお気の毒で見るに堪えない。それも直接監督の任にある私の責任であるが、各直長また兵長等の監督に気合が入っていないからこんな事が起ったのだ。此の事件に関する限り若い兵隊には罪がない。私は私のやり方で、此の不祥事のつぐないをする。――

 先任下士は善行章四本も着けた陰欝な感じのする男である。若い時から海軍で苦労しているに違いないから、言うことだって陰にこもり物すごい処がある。訓辞半ばにして今日は私達一水は叩かれずに済むらしいことが推察出来たのでその訓辞も比較的楽に聞いたが、打たれる身を控えてあれを開くと相当こたえるだろうと思った。訓辞が済むと、若い二等下士、兵長、それに先任上水あたりまで一人ずつ出て行って、次々に鉄棒でしたたか打たれた。鉄棒の一打一打が私の心に釘を打ち込むように響き、風邪性の悪感といりまじり烈しい嗜虐(しぎゃく)的な亢奮(こうふん)が、その度に私の肉体を衝(つ)き上げて来るような気がした。

 

 翌朝診察を受けたら流行性感冒ときまり、私はネッチングの上に吊床を拡げて一日中寝ていた。熱が高いからうつらうつらしていると間もなく朝の甲板掃除が始まり、その物音が下から聞えて来る。水を流す音、後足で床を蹴立てて掃布を押して行く気配が近づき、「ま、わ、れえっ」とふり絞(しぼ)る声と一緒にまた方向を換えて遠ざかって行く。目を閉じているから音だけだが、見ているよりなお現実的に心に浮べられた。ほうきの柄で床をつく音、そしてオスタップを引きずる音。こうやって寝ている所を掃除している連中が下からにらめているような気がして、私は身体をちぢめて居たが、やがて潮の引いたように音が終ると、遠くで課業始めのラッパが鳴るらしかった。物音絶えた甲板のネッチングに私はひとり横たわっていた。

 熱の為かいろいろな想念が断(き)れ断(ぎ)れに浮んで消える。また此の病気がなおったら冷たい掃布を握って甲板を馳け廻らねばならぬことを考えたり、ふいに昔のこと、たとえば故郷に置いて来たパイプの形を思い出したりした。思い出すことに何の連絡もなかった。昨夜弓削が鉄棒で殴られた時、三つ四つ目あたりであの頑丈な男がよろめいて片手を床についた。土間の埃(ほこり)で弓削の掌が黄色く染ったが、そのまま立ち上らずにじっとしていたのを先任下士が略靴の先で蹴りつけた。戦慄に似たものがその時私の身体を奔(はし)り抜け、思わず横を向いたら、そうだ、低い笑い声が聞えたのだった。私だけしか聞かなかった。他の誰も聞かなかった。私の隣に加納の顔があって、それが歪んで眼ばかりぎらぎらと光った。笑ったのは加納だった。――それは狂気じみた短い笑いだった。――加納の背丈は五尺一寸位かしら。ネッチングの羽目板で何だかごとごと音がする。昨朝加納が吊床の件で殴られたとき唇が切れたのか血がパッと散った。白い事業服に一滴はねたのが、まるで紋章みたいに見えたっけ。……瞼の裏で何か黄色いかたまりがふくれたり縮んだりするのを眺めながら、私の聯想は次から次へと果しなく悪夢のようにつづいて行くのだが、毛布をかぶった私の耳に先刻からうるさく何か音が聞えて来るので、私は脚を伸ばして探ろうとすると、足指がひやりと冷たいキャンバスに触れた。毛布をはねのけて私が起き上ると、羽目板の破れを姿を見せぬ物音が走った。鼠だ、と思うと私はむやみに腹が立って、一体何を齧(かじ)ろうとしているのかとむき出しの右手を破れ目の暗い穴に突っこんだら、指が何かざらざらしたものに触れたのだ。こんな穴の奥に何が詰めてあるのか、私は腕の肌がぶつぶつになって来るのを感じながらも執拗に、中指と薬指でそのざらざらしたものを挾み、ずるずると引き出して来たとき、私はぎょっとして思わず指を引いた。それは赤表紙の、まぎれもなくあの「天」暗号書であったのだ。あの日猫背の体を丸めて虫のようにはしごをよじ登る加納の姿が、その瞬間反射的に頭に拡がって来た。二重写しのように、弓削が打たれるのを見つめながら吐息のような暗い笑いを洩らした加納の横顔が、奇怪な鮮明さで瞼のうらに浮び上って来た。私は顔の皮が冷たくなるような感じで、暗号書を再び穴の奥深く押し込んでいた。――

 

 暫(しばら)くなおりたくなかったけれども軍医が全治の診断を下したので、私は止むなく四日目に普通の勤務につくこととなった。三四日骨休めしたんだから元気回復したかと思ったら、甲板掃除などかえって辛くて、日課がまことに面白くなかった。しかし今怠けるとあとあとに響くと思って、私は精出して若い兵隊と共にかけ廻った。毎日冷たい水にふれるから、脚や手にはひびが切れ、風に当っても痛さが浸みわたった。あとは暖くなるのが唯ひとつの頼みだが、まだ彼岸までは一箇月もあることだし、指折り数えて待つ外はなかった。転勤命令が来るあてもなく何時まで此処にいるのかと私はうんざりした。実はあの四日間じっと寝ていた間、私は変に娑婆気(しゃばけ)が戻り、此処の勤務の愚劣なことにまこと嫌気がさして来たのである。勤務も愚劣だが、それを辛抱する自分の姿勢がなおの事醜悪に思われた。しかし之は始めから判っていることであった。今更事新しく反省することもないのだが、へんに感覚的になまなましく私の嫌悪をそそって来た。

 そんな日の午後であった。非番直であったから昼食のあと片付けも終えて暫くを煙草盆でぼんやりしていたら、加納が近づいて来て私に誘いかけた。

「裏の山に山芋ほりに連れてってやる」

 午後は整備作業というので、どうせ暗号書の鉛筆記入か何か肩の凝る退屈な仕事だから、私は二つ返事で賛成した。課業始めの前に出かける必要があった。整備作業に精出すより山芋掘りに力こぶを入れた方が上への受けは良いのだ。抵抗無き生き方を望むとは言え、意識的に必要以上の奉仕を上官にする事を自分にかたく禁ずる心は私も持っていたが、何かその時は安易に応ずることが出来た。加納もあの日以来は幾分気特に小康を保っているらしく、荒(すさ)んだ振舞いもないようであった。暗号書のことも、私の念頭からうすれかけていた。

 烹炊所(ほうすいじょ)の裏から崖に斜めについた小径を、私達は一歩二歩踏みしめながら登って行った。天気は良かったが、風は登るにつれて強かった。岩や木の根を摑まえてゆるゆるとのぼった。径を前後しながら私はぽつりぽつりと加納と会話を交していたが、ふと思い付いて、

「此の間の放送、あれは何だったんだね」

 私は気軽な気持で聞いたんだが、あるいは加納はそれに触れたくなかったのかも判らない。少し眉をひそめ、いらいらした表情で私を岩角から見下したが、

「――日本が負けるつて話よ」

「比律賓(フィリピン)の戦局だね」

「比律賓だって何処だって同じよ。こんなことしていて勝つ訳がない」

「そりゃ敗けるかも知れないさ。しかしあれは比律賓だろ?」

 加納は機械体操のように木の枝をつかんで足を次の岩角にうつしながら、

「知りたければ何故自分で聞かないんだ」

 そう言いながら急に腹が立って来たらしかった。

「その為に俺は一人で打たれたんだ。俺一人の胸にしまっとく」

 腹立ちは判らぬことも無かったが、私はつい好奇心を押えかねた。

「けちな事いうなよ。若い兵隊同士じゃあるまいし。だいいちお前は運が悪いから打たれたんで、おれだってそっと聞いたことも何度かあるんだ」

 加納は登るのを止めて私を振り返った。そして暫(しばら)く黙っていた。そして又登り出した。頂上はすぐ近かった。私もついて登ろうとすると加納はこちらを見ず低い声で突然言った。

「お前はほんとにずるい奴だな」

 わけもなくその言葉は骨身にしみるような感じであったが、私は反撥するように、

「おれがずるいのか。馬鹿正直よりは良いだろう」

「馬鹿正直とは俺のことか」

「お前とは言わないよ。言わないがだ、そう言うからにはお前はずるくない」

「そうだ。俺はずるくない」

 加納は例のあざけるような口調ではきすてた。

 頂上であった。

 そこはまばらな枯草原となり、遙(はる)かに海の展望があった。格納庫が小さくいくつも連なり、海上を低く水上機が滑走していた。風の具合で音は聞えなかった。私達は風を避けて岩鼻を廻った。加納が突然早口で言った。

「お前は一所懸命兵隊の仕事をやってるが、一所懸命にやっている所をあの連中に見せたいのだろう」

「誰がそんなことを思うものか。加納一水、それはちがう」

「おれは、ちがうとは思わん。お前はいつも兵長のことを勘定に入れてんだ」

「そうか。そう思うのなら思ってもいいが、それがお前と何の関係があるんだ」

 加納はぼんやりした薄笑いを頰に浮べた。

「関係はないさ。しかし俺はお前が食器を抱えて烹炊所(ほうすいじょ)などへ馳けて行く姿を見たくないだけの話よ」

「俺だけじゃない。皆やっている」

「皆はやっているさ。しかしお前は三十歳だよ」

 私は身体中が冷たくなるような気がした。

「加納一水。年にこだわるのは止せ。兵長の言い草じゃないが、俺たちは年取っても若い兵隊なんだ。仕方がないじゃないか。おれは今の通りやって行く」

「追い廻されて働くのか」

「兵長が一水を追い廻すのはあたり前だろう」

「あたり前じゃないこともあるさ。一水が這いつくばっているのは、兵長に追い廻して呉れと頼むようなもんだ。だからあいつ等が増長するんだ」

 悲しみが俄(にわ)かにこみ上げて来た。私が懸命に兵隊の仕事をするのもあいつ等と無益のいざこざを起したくない為だ。それで身を削るような事をしたくない為だ。勿論あいつ等は人間の屑にすぎない。加納は歪んだ自侍(じじ)の念から、彼等の暴力を恐れて逃げたがる自分を釘付けにして、そして苦痛を受ける事で安心している。私は出来るだけ意識をあいつ等から離そうとしているのに、加納はかえって軽蔑すべきあいつ等に意識をからみつかせようとしている。そうだとすれば、愚劣な現実に頭を下げて角突き合せようとしているのは、私ではなくてむしろ加納ではないか。おれのやり方も悲しいかも知れないが、お前のやり方はもっともっと悲しいのだと、私は黙ったまま考えたとき、加納はするどく私の方をながめ、再び突き刺すように言った。

「おれがひとり打たれているとき、お前はどんな事を考えながら見てるんだ」

「何も考えはしない」

「馬鹿な奴だと思ってるんだろう。お前は悧口(りこう)だから、な」

自嘲するような口調であった。私達は岩角に腰かけていた。静かな怒りが次第に私の胸に拡がり始めて来たのである。私は岩角に手をついて振り返り、わざと憎々しげな口を利いた。

「弓削が打たれる時、お前は笑っていたな。あんな虫けらみたいな奴が打たれるのが何で嬉しかったんだ」

 ははは、と加納が笑い出した。断ち切るように笑い声を止めた。

「おれは笑いはせん」

「笑いはせんか。そうか。そんならどんな事を考えて眺めていたんだ」私の方に加納はむき直った。

「へんにからんで来るじゃないか。あいつ等がだらしないから暗号書を持って行かれるんだ。鉄棒で打たれていいざまよ」

「お前には始めから、その件であいつ等が打たれることは判ってたんだろう」

「あたり前よ。そんな件で俺達一水までお鉢を廻されてたまるか」

「暗号書は――しかし、あれは何処に行ったんだろう」

 加納は急にぼんやりした顔になり遠くを見るような目付をした。

「――気象科の兵隊だよ。間違って持って行ったんだ」

「それは確かか」

「そうだろう、と俺は思うんだ。いつもあいつ等は気象電報取りに出入りしてるからな」

 加納の瞳はそう言いながら、気のせいか不安気に動いた。私の胸をつく衝動があって、私は固いものでも呑み込むような息苦しさを自覚しながら、こう言ってしまったのだ。

「ネッチングの羽目板からでも出て来たら、また大騒ぎだぜ」

 ぎょっと身体を引いたのがはっきり判った。私の横顔を刺すように見つめているらしい気配を全身で感じ取りながら、私は掌で岩角をかたく摑み、暫(しばら)く張りつめた沈黙がつづいた。脚を伸ばしたあたりは赤土の短い急斜面となり、それが終る所に羊歯(しだ)が枯れ風にゆらぎ、そこからあの赤色の崖は垂直にきり立つらしかった。気流がそこらで渦を巻くらしく、微塵(みじん)が午後の冬陽にちかちかと廻転する。烹炊所(ほうすいじょ)の屋根、砲術科倉庫の屋根、その間を縫う赤土の道がまばらな松林に入り、その彼方は薄墨色のくらい海の色であった。視角のせいか変に距離感がなくて、べったりと貼りついた感じだが、見ていると粟立(あわだ)つような倒錯が起り嘔(は)きたいような厭な気がした。ああっ、と手を伸ばして加納が不自然な大きな欠伸(あくび)をした。岩の上で不安定に立ち上って、事業服の白い上衣を脱ぎかかった。

「さて」声は服の中に籠ったが、「そろそろ山芋ほりにかかるかな」

 私も身体を斜めにして手をつき、風景から目を外らしながら立ち上ろうとした。その姿勢が無理だったのか、位置のせいで感覚が倒錯していたのか、私には全然判らない、背中を圧するようなふしぎな力がはたらいたと思うと、あっと言う間もなく視界が急激に錯乱するのを感じ、私は全身から凝集した冷汗を吹き出しながら、赤土の急斜を横ざまに落ちかかって居たのである。それはおそろしい瞬間であった。頭の中が弾(はじ)けるように乱れたまま、私は必死となって何かをつかもうとした。私はしっかと左手で握っていた。それは加納の脱ぎ捨てた事業服の片腕であった。反対の片袖を、岩角に足を踏張った加納がにぎっていた。雨上りのずるずるした斜面を、私の両足は持ちこたえ切れずに一寸二寸とずり落ちて行くのだが、私の右手は枯草の根を摘んでいるものの、ぶきぶきと厭な音を立てて根が千切れかかるのだ。私は事業服にすがる左手の筋が緊張のために慄(ふる)え出すのを感じた。砲術科倉庫のトタン屋根の汚染(しみ)が、絶望的な高さで眼底をかすめた。私は芋虫のように無抵抗にぶら下り、顔を左肩にこすりながら岩の上の加納を必死の努力で見上げようとした。

 午後の薄ら日を背にして加納の顔は、下から見る加減か別人のように見えた。瞼が深く垂れ下り、石のような無表情である。事業服を僅か支える彼の細い両手が、それを私は必死に見つめているのだが、唯表情の無い棒のように動かなかった。非常に長い間そうしていたような気もするし、また極く短い時間だったような気もする。頰から血の気が引いて行くのが自分でもわかった。

(……手を離そうかどうかと考えているにちがいない)

 頰を赤土面にこすりつけ、私はも一度左手に全身の力をこめてずり上ろうとした。肩の筋肉がめりめりと鳴った。その瞬間事業服が頼もしい牽引力(けんいんりょく)でずるずると引き上げられるらしかった。

(しめた!)

 私の身体もそれについてずり上った。右掌が岩角を摑んだ。事業服を両手で抱き込むように引き上げようとする加納の全身が、一ぱい私の視野を占めて来た。私は岩角まで引き上げられたのだ。         

 烈しい息をはきながら、二人ともすわり込んで暫(しばら)くは何とも言わなかった。暫く経ってから私は全身ががたがたとふるえ出して来た。それは押えても押えても止らなかった。私は顔を両膝の間に伏せ、濡れた犬のように何時までも慄えつづけていた。

 それから三四日経って私に転勤命令が来た。私は海軍一等水兵の正装をし、皆と帽振って別れ、正門から出て行った。振り返る度に隊の兵舎は小さくなり、赤い崖もかすんで行った。

 その後五六箇月経った頃私は北九州のある通信隊にいたが、そこにあの赤い崖の航空隊から近頃来たという若い兵隊が居て、私はその男から色々話を聞いた。あの隊はその後米機の空襲を受け、兵舎は全焼したという。あの暗号書もとうとう見つからずに燃えてしまったんだなと思った。通信料の連中はほとんど防空電信室に入っていたが、どういうわけか加納一人は入口の処に出ていて、破片で背中を強打し、すぐ医務室に運んだけれども暫く苦しんだ揚句(あげく)息を引き取ったということであった。空襲をこわがって防空室に逃げこむ気持が彼には或いは我慢出来なかったのかも知れない。その話を聞き、私はしばらく暗い気持から去ることが出来なかった。あの赤い崖の記憶が灼(や)けつくようによみがえって来た。あの時、今でも判らないのだが、私の背を押すような感じのしたふしぎな力は、あれは或いは加納の掌ではなかったのだろうか。もしそうだとすれは何故あとで私を救い上げたのか。またネッチングに暗号書をかくしたのも果して加納であったかどうか判らないことだ。それも私の高熱の幻で、羽目板に暗号書など無かったのかも知れない。何でも判っているようで、私には何も彼も判っていないのだ。ただ判って居ることは――と私は考える――私があの二箇月間、生涯に無い卑屈な気持で暮したことだ。そしてそれを恥もなく肯定して居たことだ。

 私はその若い兵隊の話を聞きながら、そのような事を考え、また赤い崖や加納の細い襟首の形などを反芻(はんすう)するように思い出していたのである。

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