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2016/10/08

谷の響 一の卷 二 地中の管弦

 二 地中の管弦

 

 赤石組松原村の地中に同じく管弦の音ありて、往來の人間(まま)きくことありてその音韻(おと)いと妙なりといへり。左有(され)どこの村の區(うち)に至れば聞えずして、村を去ればもとの如く聞ゆると言ふ事、土人(ところのひと)の口碑(くち)に存(のこ)れり。

 されど、近くは慥に聞きたりといふ者もあらず。或人の曰、こはこの地中に空穴(あな)ありて、其中に金石絲竹の音律(ね)を出すべきものあるを、風氣の往來に觸れて自ら聲を發(おこ)せるものなるべし。かの浪鼓葦笛(らうこいてき)の類にして、籟聲(かぜ)の爾らしむるものなり。怪しむべきにあらずと言へり。然るや否や。

 附(ついて)言(いふ)、俚人の怪しき事として徇流(いひふら)すもののうち、虛言(うそ)僞説(いつはり)も多からめ。それはかの釋氏三水の見の如く、餓鬼は火を火と見、人は水を水と見、天人は水を甘露と見る比喩(たとひ)あり。不殘(みな)己々が見る處に迷ひより起りて、事もなき狐狸の弄戲(たはむれ)などを眞領(まにうけ)て、實しかありと思ひとれるを、巫女(みこ)僧侶の儕(ともがら)が鬣尾(をひれ)を添へて幽冥(かくりよ)の縡(こと)などを託(かこつ)け、甚しきは有らぬ食言(そらごと)までも作り設けて實しげに譚(かたれ)るからに、愚朴(おろか)なる里人どもが眞(まこと)に信(うべな)ひ、そをいひ繼ぎ語りつぎて、終古(むかし)はさることの實にありしとするも多かるべし。こは、かの一犬虛を吼えて萬犬實を傳ふると言ぬる如くなれば、己も亦その罪責(せめ)を脱れ得ず。されど天地(あめつち)の間廣莫(ひろらか)なる、奇(け)しく怪しき事なしといかで言ふべき。左傳に申生の靈あり、家語(けご)に鯰の怪ありて、目下(まのあたり)に奇しきことの有をば何とか言はん。

 斯有(かか)るから、平素(つね)に理もて一概に誣へきことにあらず。左有(さあれ)少しきことまても亦不殘(みな)異(い)として、鬼神に託するも愚痴なり。そは奇といひ怪といふは常に異(かは)れるものにして、人の智惠(さとり)の測り知られぬをいふなれど、大概(おほかた)は己にありて物にあらぬも多かるべし。妖(えう)は心に由りて起り、又怪を觀て怪と爲さざれば、怪自ら壞(やぶ)るとも言へり。かの汝南の韋叔賢が養ひたる狗の、人の如く立て行くを見て、家人等怪しみ惡(にく)みてこを殺さんことを乞はれしに、叔賢が曰く、犬馬は君子に譬へたるものなれば、こは狗が人の行を觀てこれに倣(なら)へり。何とて傷(そこな)ふことの有らんやと奇怪(あやし)む心无(なか)りしかば、其狗日ならずして自ら死せりといふ事實(こと)もありて、これに類する事實(こと)ども史(ふみ)に載(あぐ)るもいと多かり。こは不殘(みな)妖魅(ばけもの)をさしたるにて、彼妖は德に克(かた)ざるの言なり。然(さて)、前(まへの)條(くだり)の説話(はなし)は、人以て妖魅とするときは妖魅なるべく、幽靈とするときは幽靈なるべく、籟聲とするときは籟聲なるべし。所謂三水の見にして、各々心意によるものなり。

 

[やぶちゃん注:「赤石組松原村」底本の森山泰太郎氏の「松原村」の補註に『西津軽郡深浦町松原。西海岸追良瀬から山手に約一里入った山間の十数戸の小部落』とある。この附近か(グーグル・マップ・データ)。「赤石組」は不詳。識者の御教授を乞う。

「間(まま)」副詞の「間間」頻度が多くはないものの、少なくもないさま。時々。時たま。

「妙なり」「たへなり」と訓じておく。

「近くは」近年では。

「慥に」「たしかに」。

「空穴(あな)」二字へのルビ。

「金石絲竹」「きんせきしちく」。楽器の総称。具体的には「金」は「鐘」を、「石」は石を吊るして叩く打楽器の「磬(けい)」を、「絲」は「琴」を、「竹」は細い竹の笛を並べて括った「簫(しょう)」の笛のことを指す。無論、ここはそういう楽器が地下空洞にあるというのではなく、その自然空洞の構造や洞の内壁を構成している鉱物の質や形状がそうしたものと酷似した音を偶然出すのであろうと推理して言っているのである。

「音律(ね)」二字に「ね」のルビ。

「風氣」「かざけ」と読んでおく。

「自ら」「おのづから」。自発の意。

「かの浪鼓葦笛(らうこいてき)」「一 沼中の管弦」に記された内容を指す。

「籟聲(かぜ)」二字へのルビ。「一 沼中の管弦」の私の注を参照。

「爾らしむる」「しからしむる」。

ものなり。怪しむべきにあらずと言へり。然るや否や。

「俚人」「りじん」田舎の民。

「徇流(いひふら)す」「言ひ觸らす」。「徇」は「となふ」と訓じ、「広く告げ知らせる・広く行き渡らせる」の意がある。流言飛語させる。

「釋氏三水の見」「釈氏」は仏教のこと。これは「唯識(ゆいしき:個人及び個人にとってのあらゆる諸存在が「唯」(ただ)、八種類の「識(しき)」によって成り立っているに過ぎないとする大乗仏教の瑜伽行(ゆがぎょう)唯識学派による見解の一つ。八種の「識」とは「五種の感覚」(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)及び「意識」と「二層から成る無意識」を指す)」の物の見方を指す、一般には「一水四見(いっすいしけん)」と呼ぶものを指している。認識の主体が変われば、認識の対象も変化することの譬えである。ウィキの「一水四見によれば、『人間にとっての河(=水)』は、『天人にとっては歩くことができる水晶の床』であり、『魚にとっては己の住みか』であり、『餓鬼にとっては炎の燃え上がる膿の流れ』である。この『ように、見る者によって全く違ったものとして』現象は立ち現われるものであるという謂いで、同ウィキには以下の古歌を載せ、

 手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る女中茶を持つ猿澤の池

『猿沢池のほとりの興福寺は唯識を研究する法相宗の本山でもある』と記す。「釋氏」と呼び、中途半端にいい加減な「餓鬼は火を火と見、人は水を水と見、天人は水を甘露と見る比喩(たとひ)」などと記すのは、筆者西尾魯僊がガチガチの平田神学の信望者であったからである。

「不殘(みな)」二字へのルビ。最後の方のも同じ。

「己々」「おのおの」。

「實しかあり」「まこと(「に」或いは「、」)しかあり」。後の単独で出る複数の「實」も「まこと」と読んでおく。

「儕(ともがら)」「儕」(音は「サイ」或いは「セイ」)は「儕輩(さいはい・せいはい)」と同義。仲間。同輩。

「鬣尾(をひれ)」二字へのルビ。「鬣」はよく「たてがみ」と訓ずるが、音は「リョウ」で「髪の靡くさま」や、「魚の胸鰭」などの意もあるから、この当て読みは悪くない。

「幽冥(かくりよ)」「一 沼中の管弦」で既注。

「縡(こと)」「事」と同義。よく「死ぬこと」を「縡切(ことき)れる」と言うが、この場合の「縡」は「息」の意であるものの、それにこの漢字を当てるのは国字としての用法であって、漢語にはそんな意味はないので注意が必要である。

「食言(そらごと)」「しよくげん(しょくげん)」の当て読み。一度口から出した言葉を、また口に入れてしまうことを「食う」と擬えた意。前に言ったことと違うことを言ったりしたりすること。約束を破ること。噓をつくこと。

「一犬虛を吼えて萬犬實を傳ふる」後漢の二世紀中頃に王符の書いた「潜夫論」に基づく「一犬影に吠(ほ)ゆれば百犬聲に吠ゆ」という故事成語の異形の一つ「一犬虛を吠ゆれば萬犬實を傳ふ」の表記違い。一匹の犬が何でもない物影に向かって吠え出すと、その声に釣られて百匹の犬が盛んに吠え出すように、一人がいい加減な事を言い出すと、世間の人がそれを本当だと思い込み、尾ひれが附いて次々に言い広められてしまうことの譬え。「影」は「形」とも、「百犬」は「千犬」「萬犬」ともする。

「己も」「おのれも」。このような怪奇談集をいまからものさんとしている自分自身も。西尾の自戒のポーズではあるが、直後に「奇(け)しく怪しき事なしといかで言ふべき」「目下(まのあたり)に奇」(け)「しきことの有」(ある)「をば何とか言はん」と逆に反論挑発しているところにこそ着目されたい。彼の本書に対する確信犯の自負が現われているところである。

「脱れ」「のがれ」。

「天地(あめつち)の間」「間」は「かん」。

「廣莫(ひろらか)」二字へのルビ。

「左傳」「春秋左氏伝」のこと。孔子の編纂と伝えられる歴史書で四書の一つ「春秋」の代表的な補完的注釈書の一つで、紀元前七〇〇年頃から約二百五十年間に亙る歴史が記されている。「春秋」の注釈書は他に「春秋公羊(くよう)伝」と「春秋穀梁(こくりょう)伝」があるが、左伝は特に名文をもって鳴る。

「申生の靈」「春秋左氏伝」の「巻第五 僖公」の「十年」の条で(引用はこちらのデータ(PDF)を参考にした)、

   *

晉侯、共大子(杜注:共大子は申生なり。)を改葬す。秋、孤突、下國(國都に対して地方の都邑を言う。ここでは曲沃の新城を指す)に適(ゆ)き、大子に遇ふ(大子は申生。その霊に出会ったことを指す)。

   *

とあるのを指すか。「孤突」は晋の名臣。申生は晋の献公の太子で、優れた才人であり、誰もが申生が晋の時期の王となると思っていたが、献公が美姫驪姫(りき)を得、奚斉(けいせい)を生むと、驪姫は自分の子を後継ぎさせようと工作を始め、献公も寵愛する驪姫にほだされてしまい、ついに申生を廃嫡したばかりか、献公暗殺の罪を着て自殺させてしまったのであった(事実関係は個人サイト「中国的こころ」の「申生自殺の真相」などを参考にした。但し、献公の没後一ヶ月で献公の部下が反乱を起こし、驪姫や奚斉は一族ともども殺害されてしまい、追放された第三皇子夷吾(いご)に国主の座を奪われてしまう。なお、夷吾(恵公)の死後、彼の兄の第二皇子が晋の君主となったが、それがかの名君主重耳(ちょうじ:文公)なのである)。

「家語(けご)」「孔子家語」のこと。「論語」に漏れた孔子一門の説話を蒐集したとされる古書。全十巻。

「鯰の怪」不詳。中文の全文サイトで「孔子家語」を「鮎」や「怪」で検索したが、出てこない。識者の御教授を乞う

「誣へき」「しふべき」。「誣(し)ふ」とは「誣(し)いる」で、これは「強いる」と同語源であって、「事実を枉(ま)げて言う・作りごとを騙(かた)る」の意。

「少しきことまても亦不殘(みな)異(い)として」ちょとした何でもない(ちょっと考えれば自然な現象である)ことまでも皆、「怪奇奇異な現象だ!」とことさらに騒ぎ立て。

「鬼神に託する」「託」は先に訓じられた「かこつけ」である。「鬼神」は「目に見えず耳に聞こえぬが、超人的な力をもつ魔的な神」、或いは「死者の霊」の意。

「己にありて物にあらぬも多かるべし」そういう神異・怪異とするものの真の原因は、実はそう名指したり、無暗にそれを怖れたり或いは奉ったりするところの「己」(おのれ)の内部に「在って」、「外界」のそのような一見、神異・怪異とする「対象物」に「在るものではない」ケースも多いことであろう。

「汝南の韋叔賢」これは「李叔堅」の誤りである。「太平御覽」の「狗」の「下」に(中文サイトを参考にした)、

   *

桂陽太守汝南李叔堅、少時爲從事。在家、狗如人立行。家人言、

「當殺犬。」

叔堅云、

「犬馬君子。狗見人行、效之、何傷。」

叔堅見縣令還、解冠榻上、狗戴持走。家大驚、堅、復云、

「誤觸冠、冠纓掛著之耳。」

狗於灶前畜火。家益怪、堅、復云、

「兒婢皆在田中、狗助畜火。狗何能作怪。」

遂不肯殺。後數日、狗自暴死、卒無纖芥之異。叔堅、辟太尉掾・固陵長・原武令、終享大位。

   *

のエピソードを指す。以下、我流で訓読してみる。

   *

桂陽の太守、汝南の李叔堅、少(わか)き時、從事たり。家に在りし、狗(いぬ)、人のごとく立ち行く。家人、

「當(まさ)に犬を殺すべし。」

と言へば、叔堅、云はく、

「犬馬は君子に喩(たと)ふ。狗は人の行くを見、之れに效(なら)へば、何ぞ傷つけんや。」

と。叔堅、縣令に見(まみ)えて還り、冠を榻(たふ)の上に解(ほど)けば、狗、戴きて、持ち走る。家のもの、大きに驚くも、堅、復た、云はく、

「誤りて冠に觸れしものにして、冠の纓(ゑい)、之れに掛かり著(つ)きしのみ。」

と。狗、灶(かまど)の前に火を畜(やしな)ふ。家のもの、益(ますます)怪しむも、堅、復た、云はく、

「兒・婢、皆、田中に在れば、狗、助けて火を畜へり。狗、何ぞ能く怪を作(な)さんや。」

と。遂に殺すことを肯(がへん)ぜず。後(のち)、數日、狗、自(みづか)ら暴死(ばくし)するも、卒(つい)に纖芥(せんかい)の異、無し。叔堅、太尉掾・固陵長・原武令に辟(め)され、終(つひ)に大位を享(う)く。

   *

簡単に必要と思われるものにのみ、語注しておく。「汝南」河南省の駐馬店市汝南県。「從事」は下級官吏となったことを指すのであろう。「犬馬は君子に喩(たと)ふ」犬や馬は人間の君子に譬えられる。「榻」現代仮名遣は「とう」。長椅子或いは寝台のこと。「纓(ゑい)」冠の後ろに尾のようにつける装飾の具、また、冠が脱げないように顎の下で結ぶ紐もかく言う。「灶(かまど)」竈と同字。「畜(やしな)ふ」火を起して見守っている。「田中に在れば」畑で忙しくしていたので。「暴死(ばくし)」頓死。急死。「纖芥(せんかい)」非常に細かい芥(ごみの意から転じて「ごくわずかなこと」に使う。

「奇怪(あやし)む」二字へのルビ。

「事實(こと)」二字へのルビ。以下も同じ。

「史(ふみ)」古くからの公的な歴史記録。

「妖魅(ばけもの)」二字へのルビ。

「彼妖」「彼(か)の妖(あやかし)」と訓じておく。

「德」人間の仁徳。

「克(かた)ざるの言なり」「言」は「いひ」と訓じておく。「所詮、うち勝つことは出来ないという謂いである。」。

「前(まへの)條(くだり)の説話(はなし)」本条の松原村の地中から管絃の聴こえる奇現象。

「心意」「しんい」。こころ。]

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