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2016/10/15

谷の響 一の卷 十一 鬼祭饌を享く

 十一 鬼祭饌を享く

 

 商賈龜山伊兵衞と言へるもの、一日(あるひ)來りて話のうち往(い)ぬる文化の末の事なるが、己をはじめ和德町の近江屋久兵衞・越後屋伊三郎・粘屋某の四個(よにん)、導(あない)の僕(をとこ)一人に籩※1(べんとう)を持たして大澤山に栗實(くり)を拾ふとて往きたりしが[やぶちゃん字注:「※1」=「𩙿」+「當」。]、稍々時遷(うつ)りて午上(ひるころ)となりしかば、卒(いざ)や酒を汲まんとて好き場所はあると彼方此方(あなたこなた)と索(たづ)ぬるに、少しく坦然(たひらか)なる土(ところ)に一株(ほん)の杉樹(すぎ)ありて、その下(もと)にいと垢染(あかじみ)たる碟子(こざら)に燈火(ともしび)を點(とも)して、古びたる吉野蒔繪の盆の緣(ふち)少し缺たるに餻※2(だんご)を盛り[やぶちゃん字注:「※2」=「𩙿」+「甘」。]、網の目の文樣(もやう)畫(かい)たる佛茶甌(ちやわん)といふに水を汲みて一枚(ひとひら)の板の上に供へてあれば、こは新たに死せる者の墓ならめと何となく寥凉(ものすご)かりしが、時(をり)から小雨のすさひ來て疾(とく)歇むべき空とも見えぬからに、村舍(むら)に下りて行厨(べんとう)を開くべしとて皆々山を下りて大澤の村に至り、とある家に音信(おとな)ひて雨宿りを賴みけるに、六十有餘(あまり)の老媼(ばゞあ)一人居ていとよく承諾(うべない)ければ、やがて裡(うち)に入りて四邊(あたり)を見やりたるに、近屬(ちかごろ)の不幸と見えて佛壇に位牌を飾れるが、その手向けたるものは垢染たる碟子に燈火を點し、吉野蒔繪の盆の缺たるに餻※2を盛り、網の目の佛茶甑に水を入れたるなど、即ち今山にて見たりしに露も違はねばいと不審(いぶか)しくて、新亡(ふかう)の緣由(ゆかり)を問(たづぬ)るに老媼の曰く、さればとよ、家嫡(むすこ)なる者この何日(いつか)に背樓(うしろ)の山にて馬に胸腷(むね)を蹶(けら)れて、はかなくも其處にて暴(にはか)に終(はて)つるが、今日はその一七日なりとて泪(なみだ)ながらに語りければ、そは眞(まこと)に可憐(ふびん)のことなり、吾曹(われら)過刻(さき)に山を巡(まは)れるとき、坦夷(たひら)なる杉樹の下に目今(いま)佛庿(ぶつだん)に供へたるものと等しきものを賻贈(たむ)けてあるを見て來りしが、必然(さだめし)彼處(かしこ)に埋葬(ほうむれ)るにやと言へば、老媼の曰、いかにも平壤(たひら)なる杉樹の下にて死たれど死體(なきがら)は累世(だいだい)の墳所(はかしよ)に埋納(をさめ)たれば、杉樹の下には何も貺備(たむけ)たることは更になく、また墓所も近邊(ちかく)にあれど其土(そこ)とても燈火(あかし)などは供へず、唯裡(うち)の庿堂(ぶつだん)にのみ斯く手向るまでなりきと語りければ、皆々いたく奇怪(あやし)み失意(こころまどひ)して狐に訛(ばか)されたる如く、其處(そこ)にも居堪へず卒略(そこそこ)に謝儀(れい)を演(の)べて、他の家に憑りて食事をしたゝめ歸りしなり。

 實に世俗(よのひと)の諺に、手向る物は必ず屆くと言へること虛誕(いつはり)ならぬものなりと、此の伊兵衞が語りしなり。

 

[やぶちゃん注:標題「鬼祭饌を享く」は「鬼(き)、祭饌(さいせん)を享(う)く」と訓じておく。「鬼」は死者、「祭饌」は供養のために神仏に捧げる供物のこと。

「商賈」「しやうか(しょうか)」で「賈」「売る・商う」の意であるから商人(あきんど)或いは商家の意。

「一日(あるひ)來りて話のうち往(い)ぬる文化の末の事なるが、……」編者の森山氏には失礼乍ら、この句読点は不親切である。以下、鍵括弧も用いて、

 一日(あるひ)、來りて、話のうち、「往(い)ぬる文化の末の事なるが、……手向る物は必ず屆くと言へること虛誕(いつはり)ならぬものなり」と、此の伊兵衞が語りしなり。

とあるべきである。

「己」「われ」と読んでおく。

「和德町」現在も青森県弘前市の大字名として残る。読みはウィキの「和徳町」によれば、「わとくまち」の他、「わっとくまち」とも読むらしい。青森県道二百六十号石川百田線沿い、Jの字型の広範囲にわたる大字名で、町域の北部は堅田、東部は東和徳町、南部は代官町、東部は野田に接する。元禄九(一六九六)年に行われた『弘前藩家臣の城外移転に伴い、和徳村の一部が転移して弘前城下となる。江戸時代末期には和徳桝形も設けられ、青森に至る街道筋であったため、商家の屋並みも形成されてにぎわいを見せた』とある(本作は幕末の万延元(一八六〇)年の成立)。

「粘屋某」「粘屋」読みも意味(あるとすればだが)も不詳。識者の御教授を乞う。「某」は「なにがし」。原典の「粕屋」の誤記ではあるまいか?

「籩※1(べんとう)」(「※1」=「𩙿」+「當」)弁当。後の「行厨(べんとう)」も同じ。「籩」は高坏(たかつき)のこと。

「大澤山」底本の森山泰太郎氏の補註に、『弘前市石川字大沢部落の付近の山』とある。の附近(グーグル・マップ・データ)。

「稍々」「やや」。

「時遷(うつ)り」「うつ」は「遷」のみのルビ。

「碟子(こざら)」「小皿」。現代中国語でも同義(「碟」(音「テフ(チョウ)・ジヨウ(デフ)」)単独でも)。

「吉野蒔繪」「よしのまきえ」。近世以降に発達したと思われる吉野塗り(「吉野絵」とも呼ぶ)の、漆工芸技法の一つである蒔絵(漆器の表面に漆で絵や文様・文字などを描き、それが乾かないうちに、金や銀などの金属粉を「蒔く」ことで器面に定着させる技法)。例えば、このページの上の二枚写真のような盆か。

「餻※2(だんご)」(「※2」=「𩙿」+「甘」)団子。「餻」(音「カウ(コウ)」)は「粉餅」「草餅」の意。

「佛茶甌(ちやわん)」「ほとけちゃわん」と読んでおく。仏前に供える閼伽水を入れる茶碗。「甌」(音「オウ」)は現代中国語でも「湯呑み」の意。

「寥凉(ものすご)かりし」「物凄かりし」そこに新仏(にいぼとけ)の埋っていると思うたこと、また、描写はされていないものの、山中に今さっき供えたばかりとしか思われないそれが忽然とあったこと、しかも辺りに人影もないこと、さらに言い添えれば、周囲に人の踏みしだいた跡なども全くなかったからこそ慄っとしたのである。怪談を真に味わうためには、そこまで映像をリアルに浮かべることが大事である。

「小雨のすさひ來て」「ひ」はママ。「すさひ」は「荒(すさ)ぶ」の連用形。小雨(こさめ)ながらも強く肌を打つように降り来ったのである。

「疾(とく)歇むべき空とも見えぬからに」すぐに「歇」(や)むような空模様には見えなかったので。

「音信(おとな)ひて」「訪(おとな)ひて」。

「いとよく承諾(うべない)ければ」たいそう快く、雨宿りと食事をすることを気軽に請けがって呉れたので。

「近屬(ちかごろ)」「近頃」。

「手向けたる」「たむけたる」。

「違はねば」「たがはねば」。

「新亡(ふかう)」「不幸」。ごく近日中に人の亡くなったことに当て読みをしたのである。

「緣由(ゆかり)」二字へのルビ。

「さればとよ」「それにつきましては」「そのことで御座いまする」といったしみじみとした発語の辞である。

「家嫡(むすこ)」二字へのルビ。父も既に亡くなっており、かく書くからには一人息子であったのであろう。

「何日(いつか)」不定時を示しているわけだが、後で「今日はその一七日」(ひとなぬか)であるとあるから、実は正確に七日前に亡くなっているのである。敢えて話の初めで隠しておき、今日が実は初七日であることを老婆の話の中で明かすことによって、中有(ちゅうう)にいる息子の魂が戻ってくるに相応しい節目であることをそこではっきりと示す絶大な効果を持つことになるのである。怪談としては非常に上手い手法と言える。

「背樓(うしろ)」二字へのルビ。背後に高く聳えるのニュアンスか。

「胸腷(むね)」二字へのルビ。「腷」(音「ヒョウ」)も「胸」の意。

「蹶(けら)れて」「蹴られて」。

「可憐(ふびん)」「不憫」。

「過刻(さき)」二字へのルビ。

「坦夷(たひら)」二字へのルビ。「夷」には「たいらげる」の訓があるように、「たいら」(平たいこと)の意がある。

「目今(いま)」二字へのルビ。ついさっき。

「佛庿(ぶつだん)」二字へのルビ。「庿」は「廟」(祖霊を祀る建物・御霊屋(みたまや)・位牌・神や偉人を祀る建物)に同じい。

「賻贈(たむ)けて」二字へのルビ。「手向けて」。後の「貺備(たむけ)」も同じ。「賻贈」(音「フゾウ」)は香奠の意。「貺」(音「キョウ・コウ」)は「贈」に同じいから、「貺(おく)り備(そな)ふ」で供物の意となる。

「曰」「いはく」。

「死たれど」「しにたれど」。

「唯裡(うち)の庿堂(ぶつだん)にのみ」「ただ(家)裡(うち)の佛壇にのみ」。この瞬間、伊兵衛を始めとする、かの山中の供物を見た者ども全員が、実はこの老婆の家の仏壇と山中の息子が死んだ場所が異界の回路の中で時空を同じくしていたという驚愕の怪異を味わってしまったのである。

「手向る」個人的には「たむくる」と読みたい。最後のそれも同じ。

「失意(こころまどひ)して」「心惑ひして」。恐ろしさにすっかり気が動転してしまって。

「卒略(そこそこ)に」二字へのルビ。

「謝儀(れい)」二字へのルビ。

「憑りて」「よりて」。「寄りて」。

「實に」「げに」と訓じておく。

「手向る物は必ず屆く」神仏に手向けた供物やそこの込めた信心・祈念・真心は、必ずや、死者の魂や神霊や仏に届き、それに応えて呉れる、という謂いであろう。

「虛誕(いつはり)」。「僞(いつはり)」。「誕」には「でたらめを言う・でたらめ・でたらめを言って欺く」の意がある。]

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