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2016/10/23

谷の響 二の卷 七 海仁草 海雲

 七 海仁草 海雲

 

 小泊の大間に海仁草(まくり)多くあり。文化文政の頃までは土地(ところ)にてこの名もしらで、ただ小兒の蚘(むし)下し藥といふて用ひしとなり。また海雲(もずく)といへるもの、深浦の沖にあるものは岩に生え、宇鐡の沖にあるものはホンダハラといふ藻の末に付て生えると也。

 

[やぶちゃん注:「七」は底本のママ。
 
「小泊」底本の森山泰太郎氏の本話の補註に『北津軽郡小泊(こどまり)村。津軽半島の西側に突出た権現崎の北面が小泊港である。古く開けた良港である。大間は大澗で入江のこと』とある。現在は青森県北津軽郡中泊町(なかどまりまち)小泊である。
の「小泊港」周辺である(グーグル・マップ・データ)。

「海仁草(まくり)」アーケプラスチダ Archaeplastida  界(藻類の一種で、二枚の膜に囲まれた細胞内共生したシアノバクテリアから直接派生したと考えられるプラスチドを持つ一群)紅色植物門紅色植物亜門真正紅藻綱イギス目フジマツモ科マクリ Digenea simplex (一属一種)で、別名「カイニンソウ(海人草)」とも言う(これは海底に立つ藻体が人の形に見えるからではないかと私は昔から思っている)。暖流流域(本邦では和歌山県以南の暖海域)広く分布し、海底や珊瑚礁に生育する。生時は塩辛くて強い海藻臭と粘り気を持つ。マクリという名は「捲(まく)る」(追い払う)に由来し、古く新生児の胎毒を下す薬として用いられたことから、「胎毒を捲る」の意であるとされる。「和漢三才図会」には以下のように載っている(引用は私の電子テクスト「和漢三才図会 巻九十七 藻類 苔類」の掉尾より。詳細注を附してあるので参照されたい)。

   *

まくり  俗に末久利と云ふ。

海人草

ずるに、海人草(かいにんさう)は、琉球の海邊に生ずる藻花なり。多く薩州より出でて四方に販(ひさ)ぐ。黄色。微(かすか)に黯(くろみ)を帶ぶ。長さ一~二寸、岐有り。根髭無くして微(すこ)し毛茸(もうじよう)有り。輕虛。味、甘く、微鹹。能く胎毒を瀉す【一夜浸水し、土砂を去る。】。小兒初生、三日の中、先の海人草・甘草(かんざう)、二味を用ふ【或は蕗の根を加ふ。】。帛(きぬ)に包み、湯に浸して之を吃(の)ましむ。呼んで甜物(あまもの)と曰ふ。此の方、何れの時より始めると云ふことを知らず[やぶちゃん字注:「云」は送り仮名にある。]。本朝、通俗〔の〕必用の藥なり。之を呑みて、兒、涎-沫〔(よだれ)〕を吐く。之を「穢-汁(きたなげ)を吐(は)く」と謂ふ。以て膈上〔の〕胎毒を去るべし。既に乳を吃むに及ばば、則ち吐かず。加味五香湯を用ひて下すべし。

   *

これによって、かなり古い時代から乳児の胎毒を去るのに使用してきたことが窺える。ではこれが虫下しの薬として一般化したのはいつかと調べてみると、「ウチダ漢方和薬株式会社」公式サイト内の「生薬の玉手箱」の「【マクリ】」 (同社情報誌『ウチダの和漢薬情報』の平成九(一九九七)年三月十五日号より転載されたもの)に、私のように「和漢三才図会」を引用した上で、以下のようにあるのが見つかった。

   《引用開始》

 一方、マクリは「鷓鴣菜」の名でも知られますが、鷓鴣菜の名が最初に現れるのは歴代の本草書ではなく、福建省の地方誌である『閩書南産誌』だとされています。そこには「鷓鴣菜は海石の上に生え、(中略)色わずかに黒く、小児の腹中蟲病に炒って食すると能く癒す」とあり、駆虫薬としての効果が記されています。

 わが国におけるマクリ薬用の歴史は古いようですが、駆虫薬としての利用はこの『閩書南産誌』に依るものと考えられ、江戸時代の『大和本草』には、それを引いて「小児の腹中に虫がいるときは少しく(炒っての間違い)食すれば能く癒す」とあります。しかし、引き続いて、「また甘草と一緒に煎じたものを用いれば小児の虫を殺し、さらに初生時にも用いる」とあり、この甘草と一緒に用いるというのは『閩書南産誌』にはないので、この記事は古来わが国で利用されてきた方法が融合したものではないかと考えられます。

   《引用終了》

「大和本草」の記載は「卷之八 草之四」「海草類」の「マクリ、かいにんそう」で、「中倉学園」公式サイトの「貝原益軒アーカイブ」のPDF版で原典画像(42コマ目)が見られる。以下に私の読みで書き下して電子化しておく。但し、前の引用の内の『少しく(炒っての間違い)』という指摘を受けてその部分は訂しておいた。

   *

鷓鴣菜(マクリ) 閩書に曰く、海石の上に生じて、散碎。色、微黑。小兒腹中に蟲病有らば、炒りて食へば能く癒ゆ。〇甘草と同煎し用ゆれば、小兒腹中の蟲を殺す。初生にも用ゆ。

   *

この「散碎」(さんさい)というのは恐らく藻体が細かく分岐していることを言うものと思われる。さて、ここに出る「閩書」とは「閩書南産誌」のことで、明代の何喬遠撰の作であり、貝原益軒の「大和本草」の刊行は宝永六(一七〇九)年であるから、江戸時代前期の終わりぐらいには既に虫下しとしても使用されていたものと考えてよいだろう。薬理成分はアミノ酸の一種であるカイニン酸(昭和二八(一九五三)年に竹本常松らによって古くから虫下しとして用いられていた紅藻のマクリから単離命名された。カイニン酸はカイチュウやギョウチュウの運動をまず興奮させた後に麻痺させる効果を持つ。この作用は、ドウモイ酸同様にカイニン酸がアゴニスト(Agonist:生体内受容体分子に働きかけて神経伝達物質やホルモンなどと同様の機能を示すような作動薬を言う。)としてグルタミン酸受容体に強く結合し、神経を過剰に興奮させることによって起こることが分かっている。このため、現在はカイニン酸は神経科学分野、特に神経細胞死の研究のために天然抽出物及び合成品が使用されているという(ここはウィキの「カイニン酸」その他を参照した)。……小学校時代、チョコレートのように加工して甘みで誤魔化した物がポキールによる回虫検査で卵が見つかった者に配られていたのを鮮明に思い出す。……何故なら、私はあのチョコレートのような奴が欲しくてたまらなかったから。そのために秘かにポキールをする時には(リンク先はグーグル画像検索「ポキール」!……懐かしいぞう!!)、回虫の卵がありますようにと願ったものだった。……遂にその願いは叶わなかったから、私は今も、あのマクリ・チョコレートの味を知らないのである。……(以上は私の電子テクスト「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 36 虫下し 附 やぶちゃんのポキールの思い出」の私の注から一部を抄録しつつ書き直したものである)。

「海雲(もずく)」ここに描写されるものはその植生から見て、不等毛植物門褐藻綱ナガマツモ目モズク科イシモズク属イシモズク Sphaerotrichia divaricata と思われる。本邦では産生が少ないモズク属モズク Nemacystus decipiens に比すと、より食感が堅く、私も最も好む食感のモズクである。因みに種名 Sphaerotrichia は「球+糸」、種小名 decipiens は「二股に分かれた」の意である(以上は、学名の由来も丁寧な私のすこぶる偏愛する海藻図鑑田中次郎氏の解説になる「基本284 日本の海藻」(二〇〇四年平凡社刊)に拠る)。なお「もづく」という古来からの和名は他の褐藻類、例えばまさに後に出るホンダワラのような種群に附着することから「藻付く」という名がついたとされる。

「深浦」「十八 龜恩に謝す」に既出既注。

「宇鐡」底本の森山氏の補註に『東津軽郡三厩村宇鉄(うてつ)。津軽半島北端部にある漁村』とある。現在は青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩(みんまや)地区の海辺に「上宇鉄」「元宇鉄」の名で残る。この附近である(グーグル・マップ・データ)。

「ホンダハラ」不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ホンダワラ Sargassum fulvellum(及び同属の近縁種を含む)。海藻フリークの私としては、この条、エンドレスで語りたくなるところだが、ここで堪えて終りとしよう。]

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