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2016/11/07

諸國百物語卷之四 十八 津の國布引の瀧の事付タリ詠歌

    十八 津の國布引(ぬのひき)の瀧の事付タリ詠歌(ゑいか)

 

 つの國、ぬの引の瀧は、女人けつかいの所なるに、ある日、女人、三人つれだち來たりて、てい坊に申しけるは、

「此山に布引のたきと申すめいしよ御座候ふよし、うけ給はりおよび候ふ。ひとめ御みせ下され候へ」

と云ふ。ていぼうおどろき、

「さてさて、かたがたはいづくよりきたり給ふぞ。此山は女人けつかいの所也。はやくくだり給へ」

と、申されければ、一人の女、一しゆのうたをよめり。

 

  奧山にたゝみおきてはなにかせん人めにさらせ布びきのたき

 

とよみて、三人、たちかへる。ていぼう、いかさま、ゆへある人々と、みへたり。みせ申さんとおもひ、ともなひ行き、みせられける。をのをの、よろこび、瀧をながめゐければ、ていぼう、申されけるは、

「此山の、のちのちまでの、かたりくに、いたすべし。のこる女らうしうも、歌一しゆづゝよみ給へ」

といへば、今一人の女、よみける。

 

  此ほどのおもひをりたる布引(ぬのび)きをけふたちそめて今ぞきてみる

 

今一人の女、よめる。

 

  つの國のいく田(た)こや野(の)の里人(さとびと)はをりながらみる布びきの瀧

 

とよみ、三人ながら、瀧のもとにより、水にて手をあらふ、と、見へしが、三人ともに、たけ一丈ほどの大じやとなり、瀧のうへにのぼりけると也。

 

[やぶちゃん注:和歌の前後を恣意的に一行空けとした。風雅な和歌提示(しかも三首は贅沢)による蛇体の昇龍奇譚は本「諸國百物語」では文学性に富んだ特異点。

「津の國布引(ぬのひき)の瀧」「津の國」は畿内に属する摂津国。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部に相当する。ウィキの「布引の滝」(現在は「ぬのびきのたき」と濁る)によれば、現在の『神戸市中央区を流れる布引渓流にある』四『つの滝の総称』。『名瀑として知られる古来からの景勝地である』。『またかつて役小角が開いた滝勝寺の修験道行場として下界とは一線を画する地であったが、現在は渓流沿いおよび布引山』『一帯から滝を経て』、『布引ハーブ園へと至る遊歩道が整備され、鉄道駅からも気軽に立ち寄ることができるようになっている』。『六甲山の麓を流れる生田川の中流(布引渓流)に位置し、上流から順に、雄滝(おんたき)、夫婦滝(めおとだき)、鼓滝(つつみだき)、雌滝(めんたき)からなる。栃木県日光市の華厳滝、和歌山県那智勝浦町の那智滝とともに三大神滝とされ』る。「伊勢物語」や「栄華物語」を『はじめ、古くから宮廷貴族たちが和歌に詠むなど多くの紀行文や詩歌で紹介される文学作品の舞台となっている。生田川下流流域には、布引の滝を詠んだ和歌にちなんで名付けられた地名』もある。最大の雄滝は高さ四十三メートル、滝壺面積四百三十平方メートル、滝壺の最深部で六・六メートルあり、本滝の横には五箇所の甌穴(おうけつ:最大のもので十畳大の広さを持つ)が存在し、『竜宮城に続いているという伝説がある』とある。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注によれば、『山頂に仏母山忉利天上寺があり、その聖域内にあって、竜神社、滝堂があり、古くから女人禁制とされていた』と記す。仏母山忉利天上寺は「ぶつもさんとうりてんじょうじ」と読み、正式には佛母摩耶山(ぶつもまやさん)忉利天上寺で真言宗。同寺のウィキによれば、大化二(六四六)年に『孝徳天皇の勅願により、インドの伝説的な高僧法道仙人が開創したと伝わる。後に空海(弘法大師)が渡唐した際、梁の武帝自作の摩耶夫人』(釈迦の生母)『尊像を持ち帰り、同寺に奉安したことから、この山を「摩耶山」と呼ぶようになったとされる。寺号は摩耶夫人が転生した忉利天に因むものである。鎌倉時代末期の摩耶山合戦(幕府軍対赤松氏)で知られる摩耶山城をこの寺とする説がある』。『最盛期には多くの塔頭、僧坊を抱えており、最も栄えた頃は』三千人『の僧を擁する摂津地方第一の大寺だったと伝わる。宗派を越え、皇族・武将なども含め、広く信仰され、花山・正親町両天皇の御願所でもあった』が、昭和五一(一九七六)年一月に『賽銭泥棒による放火のため、仁王門や一部の塔頭・庫裏を除いて全焼し』、現在は北方約一キロメートルの所『にある摩耶別山(天上寺創生の地とされる)に場所を移して再建され』ている。旧境内は摩耶山歴史公園として整備されたが、客足が減り、『仁王門以外の建物(庫裏など)は』『朽ちかけている』とある。しかし私、思うに、この寺、摩耶夫人像を奉安することから、公式サイトのトップでは「女人高野」「日本第一女人守護」「安産腹帯発祥霊場」と掲げてあるのだが、それで古来から女人禁制というのは、ちと、おかしくないカイ?

「女人けつかい」「女人結界」。女人禁制。しかし、この謂い方、私も普通に使うが、今、ふと考えみたら、甚だおかしいことに気づく。「結界」は「仏道修行に障害のないように一定地域を聖域として定めること。寺院などの領域を厳密に定めること」であり、或いは狭義に「密教で一定の修法の場所を限って印を結び、真言を唱えてその空間を強力な法力によって護り浄めること」を指すわけで、「女人結界」では「女人」を守護するために「結界」を結ぶ謂いではないか。略さずに「女人禁制の結界」と言うべきである。

「てい坊」「亭坊」。先に出た滝堂の社僧(前出の「江戸怪談集 下」の脚注に拠る)。

「奧山にたゝみおきてはなにかせん人めにさらせ布びきのたき」前出の「江戸怪談集 下」の脚注に、『出典不明。本歌は「ひさかたの天津乙女のなつごろも雲居にさらす布引の滝」 (『新古今』巻一七)か。歌意は、奥山に畳んでおくだけでは何になりましょう。多くの人目にこの布引の滝をさらすべきです。「たたむ」「さらす」「布」が縁語』とある。高田氏が本歌とするのは、「新古今和歌集」「卷第十七 雜歌中」の藤原有家の一首(第一六五三歌)、

 

   最勝四天王院の障子に、布引の滝かきたる所    有家朝臣

 ひさかたのあまつをとめが夏衣雲井にさらす布引の滝

 

で、高田氏の引く「天津乙女の」は「最勝四天王院障子和歌」(承元元(一二〇七)年十一月)の入選歌の句形。

「いかさま」きっと、恐らく。

「ゆへある」「ゆへ」は「由緒(ゆへ)」で、高貴な婦人らが、訳あって身分を隠して参られた。

「みへたり」判断した。

「ともなひ行き、みせられける」んなもん、たかが堂守の社僧が自己判断で入場させ得るたぁ、女人禁制が聴いて呆れるわい!

「かたりく」「語り句」。やんごとなき御婦人の名詠として語り草とすること。

「のこる女らうしう」「殘る女﨟衆」。

「此ほどのおもひをりたる布引(ぬのび)きをけふたちそめて今ぞきてみる」前出の「江戸怪談集 下」の脚注に、『出典不明。歌意は、今まで見たい見たいと思っていた布引の滝を、今日やってきてとうとう見ました。「をりたる」に』「居(を)り」『と「織(お)り」、「たちそめて」に「立ち」と「断ち」、「きてみる」に「来」と「着(き)」が掛詞となっている』とある。

「つの國のいく田(た)こや野(の)の里人(さとびと)はをりながらみる布びきの瀧」前出の「江戸怪談集 下」の脚注に、『出典不明。歌意は、津の国の生田、昆陽野(それぞれ神戸、伊丹市内の古い地名)の人々は居ながらにして、この布引の滝を見るのですね。「をりながら」が「居り」と「織り」の掛詞』となっている、とある。

「一丈」約三メートル。]

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