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2016/11/17

880000ブログ・アクセス突破記念 梅崎春生 「微生」

 

[やぶちゃん注:本篇は梅崎春生二十六歳の折りの若書きの作で、昭和一六(一九四一)年六月発行の同人誌『炎』を初出とし、戦後、昭和二三(一九四八)年三月大地書房刊の作品集「櫻島」に再録されたものである。

 一箇所、後半の段落「私はむっとして草場の顔を見返した。猿に似た、蒼黒い顔に、ずるそうな笑いが浮んだようであった。手を肩のへんに上げて、ひらひらと振った」の末尾には底本では「振った」の後には句点がないが、脱字と断じて特異的に句点を補った。

 最低限のオリジナル語注を各段落末に挿入したが、後半部の読みの流れを阻害しないようにするため、以下の三つの注のみはここに置いておくこととする。

「スフ」「レーヨン」(rayon)のこと。絹に似せて作った再生繊維。昔は人絹(人造絹糸)・staple fiber(ステープル・ファイバー:紡績用化学繊維)から「スフ」とも呼ばれていた。なお、「レーヨン」は「光線」(ray)と「綿」(cotton)を組み合わせた英語造語(和製英語ではない)。]「リノリユーム」天然素材(亜麻仁油・石灰岩・ロジン・木粉・コルク粉・ジュート・天然色素等)から製造される主に床材に用いられる建築素材。リノリウム(linoleum)の名はラテン語の「亜麻」(linum)と「油」(oleum)から合成された語。

「顱頂(ろちょう)」頭の天辺(てっぺん)。

「コヨテ」食肉(ネコ)目イヌ科イヌ亜科イヌ属コヨーテ Canis latrans

 本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、880000アクセス突破記念として公開する。【2016年11月17日 藪野直史】]

 

 

   微生

 

 

 その道は、病院の横手から、なだらかな坂になって電車道の方に下りて行くのである。そこに枝を張った大きな楡(にれ)の木の、日の射さぬ湿った根方には、何時でも犬が四五匹かたまってすわっていた。

 どう見ても良いところのない駄犬どもであったが、そいつ等は土くれの上に腹ばいになったまま、楡の根におのおの心得たふうに顎(あご)をのせ、私が側を通り過ぎると、きまって一斉に厭な横目を使って私の顔を見た。そろいもそろって腹がおそろしい程長くて、一尺ばかりの短い四肢が申し訳のように生えている。その三尺程もある長い胴を、どういうつもりか知らないが、盲縞(めくらじま)や、格子縞や、久留米絣(がすり)でつくった腹掛けでぐるっとおおい、背中で紐をむすんでいるのである。しかし、何時も腹を地面にこすりつけているから、汚れて縞も模様もわからない。

[やぶちゃん注:「一尺」三〇・三センチメートル。「三尺」九〇・九センチメートル。]

 何か実験をするために病院に飼われている犬にはちがいなかった。が、そいつ等は勝手に、病院の内にある犬小舎を走り出で、楡の木の下で遊んだり、病院の塀ぎわにむらがる羽虫にほえついたり、ときにはだらだら坂をかけ降りて、電車通りのあたりをうろついたりするのである。

 実験とはどんなことをするのか、血を採ったり、注射をしたり、あるいは切開したりするのかどうか、それはよく知らないが、犬どもは皆、非常に神経質になっているらしかった。人の顔さえ見れば尻尾をふるような、そこらの犬とはちがって、いつもいらいらして何かにつきかかるような姿勢で歩くのである。病院外の犬が尻尾を振りながら近づいて来ても、ふりむきもしないか、時にはおどろく程烈しい一方的な敵意を含んで、襲いかかった。病院内の犬どもは、お互を腹掛けによって見わけるらしかった。

 此の薄汚ない犬の貴族どもの険しい顔付、胴が無闇と長い可笑(おか)しな物腰、使い古した紐(ひも)のような尻尾、胸の悪くなるような皮膚の色、いつも涎(よだれ)で濡れている顎、そしてその眼の色だけが悲しげに燃えているのだ――毎朝の出勤の途にその有様を眺めると、そいつ等の一挙一動は、釘でも打ち込むように私の胸に直接響いて来た。何か暗い聯想(れんそう)を伴って、私の嫌悪を烈しくかき立てるようであった。その気持は、私の心の深い底で、何物かとつながっているらしく思えた。そのくせ、どういうものとつながっているのか、自分の心の中を探ってみるのは、私には恐かったのだ。朝、日の光を受けて、そいつ等が舗道(ほどう)をのろのろと歩くとき、長い病院の塀を犬どもの踊るような影が同じように移動するのを見て、何故か私は思わず身ぶるいを禁ずることが出来なかった。

 此の頃、私は疲れていた。生活に立ちむかう元気をすっかり無くしていた。丁度(ちょうど)、楡の木の下の犬共のようにいらいらしていた。どういう具合でこうなったのか、生活の因子のどれもこれもがその原因のようでもあったし、そうでもないようでもあった。朝の光を真正面に浴びると、瞼の裏からうすい涙が惨み出た。そんな時に、きまって何か不吉の予感に似たものを私に与えるのが、その犬共であった。

 朝起きる。いくら眠っても寝不足みたいなぼんやりした気持で、顔を洗う。朝餐(ちょうさん)をしたためる。その頃まではまだいいのだ。上廁(じょうし)して、衣服を着換える。その頃からそろそろ私は、今日一日起きていなくてはならない事を次第に負担に感じ始める。夜になって寝るまでの行程を物憂く想像してうんざりし始める。学校を出て、今の会社に勤め出してから、もう一年近くなるのだが、働いて給料を貰うという生活にようやく倦怠を覚え始めたに違いない。大げさに言えば、半ば絶望的な気分で、玄関に出て靴の紐を結ぶ。会社に出て、顔を見たくもない同僚や上司の顔を見、言いたくもないあいさつや会話を交さねばならぬことを考え、欝欝とうなだれて、自分の靴先を見ながら歩む。毎日同じ気持で同じ驚きを繰り返すわけだが、坦々たる舗道をバスの停留場にむかって歩きながら、朝の光を全身の皮膚に感じ取っているとき、急に光がかげる。大きな楡の木影に入るからである。いつもその度に私は額をひっぱたかれたようにびっくりして顔を上げると、必ず楡の木の下の犬どもが一斉にじろりと横目を使って私を見返すのである。

[やぶちゃん注:「上廁」便所に入ること。「学校を出て、今の会社に勤め出してから」梅崎春生は本作発表の前年の昭和一五(一九四〇)年三月に東京帝国大学文学部国文科を卒業(卒業論文は「森鷗外」で八十枚)後、東京都教育局教育研究所に勤務している。但し、本作の勤務先の設定は「商事会社」に変えられているが、後半で社の近くに「上野の山が、永くつづいている」という描写が出る。後のエッセイ「憂鬱な青春」(昭和三四(一九五九)年十二月号『群像』初出。リンク先は私の電子テクスト)では、『一年先に大学を卒業した霜多正次が、東京都教育局に勤めていて、私は彼の手引きでそこへもぐり込んだ。教育局教育研究所というところである。教育には縁のない私だから、仕事に熱が入らず、いつも外様(とざま)あつかいにされていた。暇といえば極端に暇な配置で、その頃はそんな言葉はなかったが、今の言葉で言えば「税金泥棒」に近かったと思う。当時を回想する度に「都民の皆さま」に悪いような気持になる』と述べている。]

 こうした毎朝の出勤が、次第に私に重苦しくなって来た。

 そこらの露地や曲角から大通りに出て行く、私によく似た勤人らしい男達の間に、重い外套がだんだん少くなっで、明るい色の春の洋服が目立ってふえ出した。バスの停留場では一列に並んで、立ちながら朝の新聞をそれぞれ読んでいるのである。毎朝毎朝顔を合わしているのだが、決してあいさつを取りかわさない。それが会話のきっかけになったりするのをおそれるようにあわてて目を外らすのである。そうした悲しい習性が、私にはやり切れなかった。しかし、あいさつを交したり会話をまじえたりするような間柄になれば、なおのことやり切れないに違いなかった。一列に立ち並び、バスの到着が遅れれば遅れる程、前後の男達に、吹き切れない陰気な憤りを感じ、いても立ってもいられないような気特になる。その上、バスの中で立つ破目になり、それが満員で身動きも出来ないようなことがあると、私はむしょうに腹を立て、うんうんと力を入れながら肩や肱(ひじ)を張った。それを押し返して四方の人の肩が私に突きかかって来た。

 気持ばかりがとげとげとした一日の行程がこうして始まるのである。

 ある朝のことであった。病院の、屍体収容室らしい建物の床の下から、薄汚れたそれらの犬どもが、朝日の光を浴びて、もつれ合いながら走って来た。順々に塀の抜穴をくぐりぬけると、一斉に厭な鳴声を立て、体と体をぶっつけ合うようにして、だらだら坂を走り降りた。一番おくれた茶斑(まだら)の醜い犬の紐がほどけて、腹掛けが短いうしろ脚にからまる。それでもびっこを引くようにしてたたらを踏み、右左によろめき走りながら空をむいて、ブリキを爪で引搔くようなかすれた長鳴きをした。そのぶざまな後姿から目を外らそうとして、不思議な力が私の体をはしって、どうしても目を外らすことが出来なかったのだ。私は吸いつけられたように視線を固定させて、坂の下によろめき馳ける犬の姿を見つめているうち、私の足も、目に見えない何物かにからまって、坂の途中に立ちどまったまま一歩も踏み出すことが出来なくなった。

 

 その商事会社の秘書課は三階にあったから、昇降器が大嫌いな私は、階段を一段一段と毎朝登って行く外はなかった。部屋の入口に置かれた出勤簿に印を押すと、雑然と机や椅子が置かれてある部屋の、一番すみっこにある私の机に腰をおろす。給仕がついで呉れる薄い茶を飲みながら窓の外を眺めるのである。私の窓からは遠くニコライ堂の建物が正面に見えた。

[やぶちゃん注:「ニコライ堂」現在の東京都千代田区神田駿河台にある正教会の大聖堂。後のエッセイ「戦争が始まった日」(『週刊現代』昭和三五(一九六〇)年十二月十八日号初出。リンク先は私の電子テクスト)で、彼が勤務した東京都教育局教育研究所は『上野の山の中にあった』とあり、地図上から見ると、「遠くニコライ堂の建物が」「見えた」というのは実際の勤務地からでもおかしくはないように思われる。]

 課長や半田や河野や鳥巣や猫山や草場や大沢や、いろんな人が出揃う頃、九時のベルがびっくりする程大きな音立てて鳴りわたるのである。

 すると急にそわそわして机の引出しを開けたりしめたり、帳簿を取り出して意味なくばらばらとめくったりするのが、私の隣席の猫山老人であった。

 秘書課のなかで、言わば雑軍といったような、決った仕事を持たずその時々に起きて来る仕事を受け持たせられるのが、皆此の片すみにかたまっていた。その中でも猫山は一番年上で、古くから此の会社にいるのである。あまり地位も高くないことは、私と席を並べていることでも判るが、洋服の肱のすり切れた具合から言っても、給料もそう多額では無いに違いなかった。洋服の肱から下を保護する黒い布おおいを着けると、身体の恰好がまるで蟹(かに)そっくりに見えた。

 もう五十の坂を越しているのかも知れない。色艶の悪い顔にいつもおどおどしたような眠がついていて、瘦せた頭からは茸(きのこ)のように大きな耳が生えていた。頭の地から、柔かいまばらな頭髪が生えていて、半分以上白かった。目下の者に対する時には、磊落(らいらく)な物分りの良い態度を装おうとするのだが、何となく哀しげなその老人を、目下の者どもは皆馬鹿にした。

「猫山さんは名前にたがわず猫っ毛だわね」

 と、昼休みの退屈まぎれに女事務員がやって来て、弁当を食べている猫山の後ろから頭髪をもじゃもじゃに弄り廻しても猫山は怒らなかった。わざわざ自分の頭髪を問題にして呉れて有難いといったような気弱な笑いを浮べてふり返るのである。

「髪の柔かいのは情が柔かいと言いますがな」

 歯ぐきをあらわして嬉しそうな短い笑い声をあげるのである。

「ハロウ、ミスタア キャット。課長さんがお呼びです」

 給仕までが、こういう言い方をした。

 社内の誰か一人の、それが給仕であろうとも相手の機嫌をそこねると、それが自分がここを追い出される素因になりはしないかとびくびくしているのではないか。年のせいか仕事をやるにも、必ず二倍位の時間をかけなければやり上げる事が出来ないのだ。その上、一寸難かしい仕事になるときまってやりそこなうのである。だからあまり急ぐ必要の無い、面倒な仕事になると、必ず老人のところに廻って来たけれど、彼は悪い顔もしないで、いやむしろ大喜びで仕事に取りかかるのだ。自分の能力を誰よりも猫山自身が知っているに違いなかった。長い時日をかけて、その仕事を完成する。仕事がそれで途切れると、猫山の態度は急に不安そうになって、おろおろと机の引出しを開けたり閉めたりし始めるのである。

 ただ猫山は字がうまかったから、公式書類などの清書の仕事が時に廻って来た。そうした時の彼の表情は急に得意気となり、嬉しそうに身体をゆすりながら硯(すずり)を取り出すのである。何時に無い大声で給仕を呼んで硯水を持って来させ、長いことかかって丹念に墨を磨(す)る。そしてていねいに紙を伸べて筆をおろす。書いている最中に後ろを通りかかる男があって、ほう、うまいもんだなあ、などと感心しようものなら、彼の顔はぱっと赤らみ、喜びを押えようとして表情がかえってくずれてしまうのだ。

「なに、慣れでございますよ。私どもの字は全く品も何も無い、字の形をしていると言うだけのものですよ」

 入った時から席が隣り合せであった為かも知れないが、猫山は私にだけは本当の親近感を持っているらしかった。私も気弱なたちであったから、そこに共通なものを感じたのかも知れない。あるいは、――たとえば鳥巣という私大の経済科を出た男は、私と一緒に此処に入ったのだが、今は遊軍の群から離れて、秘書課の中でもちゃんとした仕事をしている、私だけが遊軍のまま踏み止まっていることに、此の老人は気易さを感じているのではないか。私は、此の会社で出世しようとは毛頭思ったことは無いが、唯そんなことを考えると、老人の愛情が何か鎖のように重苦しかった。

「鳥巣さんみたいになってはいけませんぞ」

 と猫山は私に言ったことがある。鳥巣は悪い男ではない。ただ若年らしい傲岸(ごうがん)さから、猫山に対してもずけずけと、時には意地悪くきめつけるだけの話である。鳥巣がまだ入って直ぐ遊軍の群にいたとき、一番彼の世話をし、一番感情を示したのは猫山であったのだ。今では鳥巣が、もとは老人の受持ちであった物品購入の仕事をやっているのである。そのことを老人は怨みに思っているらしかった。

「人の仕事を取ろうなど、そんなこと考えてはいけませんぞ。そんなにして出世しても何にもなりはせんがな」

 私にはこんな具合に気易く話が出来るらしいのである。が、外の人に対しては、此の男はその場その場の会話に帳尻を合せようとするのにあらゆる努力をそそいでいると言ってよかった。何十年と生きて来た揚句、身につけた処生術が、猫山にとっては之ひとつであったのだ。しかもその処生術が、全然彼に利益を与えないだけでなく、むしろ彼を惨めにするだけの事であるにも拘らず、彼はあくまでそれに努力をそそぐのである。

 自分ひとりが笑いものになってその場が和(なご)やかにおさまるものなら、彼は敢然と道化の役を買って出るのだ。そうすることによって自分の実力の無さや惨めさを人が忘れて呉れればそれでいいのである。人に忘れさせようとするより、そうすることによって自分が忘れたかったのかも知れない。だから一日中人の意をむかえるために、彼は全身をあげて待機している。人の好さそうな卑屈な笑いを浮べたり、気の利かない冗談を言ったりするのも、給仕やタイピスト相手には流暢(りゅうちょう)に行くのだが、相手が少し上役になったり課長になったりすると、その努力感が、彼のぎくしゃくした言動となってすぐ現われて来るのである。

 課長が時々私達の席の近くに来る。課長の一挙一動に、彼は全神経を集めて注意し始める。課長が何か冗談を言ったならば、すぐそれに応じて何かうまいことを言わねばなるまい。何かを取って貰いたいという気配を感じたならば、すぐ席を離れてそれを持って行かねばならない。こう彼は考えるらしかった。

「猫山君。子供さんたちは近頃達者かね?」

 と課長が聞いたとする。その声が終らないうちに、彼はもう腰を浮かせて中腰になっているのである。しかし卑屈な笑いがそのまま頰をこわばらせてしまうのだ。

「はあ、有難うございます。おかげさまで一番下の餓鬼もようやく小学校――いや国民学校に入りまして、毎日通っておるでございます。親爺に似ないように育てろといつも女房に申しておるのでございますが、何分血の力というものはおそろしいものでございまして――」

 何か気の利いた事を言おうとして、しどろもどろになってしまうのだ。しどろもどろな論調を立て直そうとして、此の老人はなおへまな方に会話を持って行き、ついに二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなると、初めて彼は自分の言い方が収拾つかぬ所まで来ていることを知って黙り込んでしまうのである。課長がいなくなった後でも、五六分はうつむいたまま、悔恨の色を顔に浮べている。その中に、あたりが白けかえっているのが、彼にはたまらなくなるらしかった。

 意味なく膝をぽんとたたいたり、私の方に向き直って、突拍子もない話題を持ち出して惨めな状態を糊塗(こと)しようとするのである。社長が彼のことを良く知っていて、字の旨いことや、更に文章の旨いことを機会あるごとにほめて呉れるというのである。字を書いているのは見たことはあるが、私は猫山が文章を綴っているのを入社以来一度も見たことが無い。ただ、無茶苦茶な事を口走ることによって、惨めな気特からはい上ろうとする猫山老人の表情から、何故か私は目を外らすことは出来なかった。自らも奈落に堕ちて行くような気特になりながら、必死に堪えて、私も意味ない相槌をうつのである。

 最もひたむきな誠実が、最も惨めな結果を引き起すのは何故だろう。会社がひけて、病院横の夕陽の坂を登るときなどに、こうした疑問が私の胸を突いた。此の世に通用しない誠実を、此の世で使いこなそうとして何十年というものを猫山はむしろ棒にふったのだ。彼がさまざまの日常の努力のあとで感じるに違いない自己嫌悪の深さを思ったとき、私の胸に湧き上って来るのは、単に同情という気持よりももっと烈しい、憤怒に近い感情であった。が、私はそれを恐れた。道を歩いているときや酒を飲んでいるとき、ふと彼のことを思い出す。頭をぐらぐらと振ったり、意味ない叫び声を低く立てたりして、その思念から逃れようとする。が、さまざまの記憶がそれに関連して、しつこく私を追っかけ、遂には何かわからないが非常に恐しい事を私に思い出させようとするのであった。

 土曜日のことであった。

 昼までであったから、私は机の周囲を片付けて帰り仕度をしていたら、鳥巣が近づいて来た。大半の人は帰ってしまって、ひるの日射しが部屋中に明るかった。空が青く晴れわたって、ニコライ堂のあたりを鳩が飛ぶのまではっきり見えた。

「動物園に行かないか?」と、鳥巣が言った。

 動物園、と私は呟いたまま、その三字の言葉の響きの中に、不思議なような、おそろしいような韻律を感じて、思わずあわてて鳥巣の顔を見返した。

「写真を取るんだ。女の子も四五人連れて行くよ」

 扉のところに、四五人の女事務員やタイピストが身仕度を終えて待っているのである。

 止そう、と私は低い声で言った。

「実は今夜、猫山さんが御馳走するから来いというのだ」

「だって、それは夜のことだろう」

 それはそうに違いはなかった。が、私は有耶無耶(うやむや)な返事をして胡麻化(ごまか)した。動物園、と聞いたその瞬間から、何か私を駆り立てる嵐のようなものを感じたのだ。私は胸騒ぎを感じた。

「君等だけで行っておいでよ」

「とにかく下まで一緒に行こう」

 広い通りに出た。女の子達も、もう明るい洋装で、街路樹のすそを青い風が吹いた。

「好い天気だなあ」と鳥巣が空を仰いだ。

「今度の創立記念日には、いい所に行くと良いわね」と、女の子の一人が言った。

「去年は多摩川に行って、みんなで遊んだわね」

濠ばたを沿って歩きながら、鳥巣が、こう話をした。

「此の会社に入ってすぐの頃、僕も猫山さんから招待されて、あの人のうちにあそびに行ったことがあるよ。大森の方なんでね、生憎(あいにく)その夜は雨が降っていたんだ。暗い通りをあちこちさがした揚句、うちを探しあてたんだ。変な家でね。二階の座敷がものすごくだだっぴろいんだ。十二畳か十六畳の一間なんだ。そしてまた、恐しく大きな床の間があって、大きな掛字がある。日日是好日と書いてあって、その前に味の素の罐を五つばかり並べ、その中にお菓子や花が入っているのだ。猫山さんは子供が多いという話だろう。それがその夜は子供の声ひとつしないんだ。その広い部屋で、猫山さんと二人でいろんな話をしたよ。そのうちに猫山さんのおくさんが料理を持って来た。びっくりしたね。何しろ硯箱位の大きさの豚カツなんだ。厚さだって一寸五分位はあったね。どういうつもりであんな大きな豚カツをこさえる気になったのか、考えると薄気味悪くなって来るね。そこで、それを食べながら、猫山さんは床の間を指さして、これが自分のモットーだ、毎日こういう気持で生きていると言って、掛字にむかって手をあわせて拝んだよ」

[やぶちゃん注:「一寸五分」五・七センチメートル。]

 その夜、私は約束を破って、猫山のうちには行かなかった。私の下宿の近くのおでん屋で酒を飲んだ。酒盃に映る逆さの電球だとか、徳利の胴に映った光だとか、横に腰かけて飲んでいる男の眼鏡の反射だとか、そんなものがしみ入るよう目に訴え始めて来た。それらの光のなかに、柔毛(にこげ)でも密生しているような妖しい美しさを感じながら、私は酔って来たようであった。実は、日日是好日と書いた掛字に手を合せて拝む老人の姿が、あまりにも切なく、私はおそらく見るに堪えないだろうと思ったからだ。酔った頭の中で、私の来るのを待ちくたびれている小さな老人の姿を描いたとき、私はもはや、他人(ひと)事でないような苦しみを感じた。お銚子を何本もかえて飲み、その夜は本当に追いかけられるようにして酔っぱらってしまった。

 

 私が此処に入社したのは、去年の創立記念日の直後であったが、今年の創立記念日がもうだんだん近づいて来た。毎年の創立記念日の色々の催しは、秘書課のかかりになっていたから、今年の事業の相談や、事務の分担をきめるため、秘書課全員が午後からぞろぞろと会議室に入って行った。

 中庭に面して日の射さない、その上厚ぼったい窓掛があるため、一層に陰欝な会議室に目白押しになって、椅子と椅子をくつっけ、卓の上の駄菓子をつまみながら会議が始まった。

 いきなり半田が立ちあがって、国民服のポケットから手巾を出して額を拭きながら、大きな声を出した。

「今年は何ですか、課長、昨年と同じようにお祭り騒ぎをやる心算(つもり)ですか?」

 まあまあ、といったふうに手を動かした課長は、眼鏡を外してレンズを拭きながら、それを窓の方にかざして中庭の景色を見るふりをした。

「まあそれをですね、ここで皆さんと相談しようというわけです」

「それならば今年は、お祭り騒ぎは止して動労奉仕ということにしたらどうです」

[やぶちゃん注:当時日本は既に日中戦争(盧溝橋事件は一九三七年(昭和一二年)七月七日)に突入しており、本作の発表(昭和一六(一九四一)年六月)から約六ヶ月に太平洋戦争が勃発する。]

 一座がどよめいた。すみっこにかたまった女の子達が顔を寄せ合って私語するのが見えた。半田の顔に、妙な笑いが浮んで消えた。

 秘書課では主任格である草場が坐ったままで口を出した。

「昨年のをお祭り騒ぎだというのはいけないですよ。それは少しは破目を外した向きもあったかも知れないが、わざわざ多摩川に行ったというのも社員の体位向上を考えての上のことだから」

「だからです、も少し徹底させて勤労奉仕ということにすれば、体位向上にもなるし、精神修練にもなりまさあね。皆さんどうですか?」

 会議というと、何時もこんな風(ふう)なのである。此の間などは、此の社から出征している社員たちに、今までは思い出したようにぽつりぽつりと慰問袋を送っていたのだが、ちゃんと定めて送ったがよろしいということになって会議を開いたところが、年に三度も送ったらいいだろうという派と、四度位は是非送れという派の大論争になって、とうとう有耶無耶(うやむや)のまま会が終り、慰問袋の事を話に出すのが気まずくなったものだからその後は誰一人として送ろうなどと言い出すものが居なくなってしまった位である。面目を賭してまでも四度説を固執するのも、何も憂国の至情にあふれた結果であるわけではない。そういうときの急先鋒になって大声を立てるのが、いつも此の半田なのである。

「半田君には腹案でもあるのかね」と、課長が顔をねじ向けた。

「それがです」と、卓をぽんとたたいた。「ぼくは何時もから此の会社にも道場をつくらねばならんと思っていましたが、何でも今度敷地が選定されたそうじゃないですか」

「ほう、それは初耳だ。どこに定まったのかね」と課長が乗り出した。

「いや、それは僕も知らんですよ。だから其処に行って、土を運んだり石を片付けたりして働けば、それだけ早く道場も建って、ぼくらは週に二日はそこに行って水をかぶるようにする」

「ほんとかあ、おい」と隅っこから半畳が入った。笑い声が起った。半田も笑い出そうとして止めた。手巾で膚のまわりを拭いた。

[やぶちゃん注:「半畳が入った」江戸時代に半畳(劇場の土間で観客の用いた茣蓙(ござ))を舞台に投げ込んで役者の芸に対する不満を表わしたことから、野次ったり、からかったりすることを言う。]

「いやほんとですよ。遇に二日位は禊(みそぎ)をやって心神を浄めないことには、我々若者の手によって東亜再建の大事業はとても完遂出来ないですよ」

[やぶちゃん注:「東亜」ウィキの「大東亜共栄圏」によれば、『日本・満州国・中華民国を一つの経済共同体(日満支経済ブロック)とし、東南アジアを資源の供給地域に、南太平洋を国防圏として位置付けるものと考えられており、「大東亜が日本の生存圏」であると宣伝された。但し、「大東亜」の範囲、「共栄」の字義等は当初必ずしも明確にされていなかった』。『用語としては陸軍の岩畔豪雄と堀場一雄が作ったものともいわれ』、昭和一五(一九四〇)年七月に『近衛文麿内閣が決定した「基本国策要綱」に対する外務大臣松岡洋右の談話に使われてから流行語化した。公式文書としては』昭和一六(一九四一)年一月三十日(本作発表の四ヶ月ほど前)の『「対仏印、泰施策要綱」が初出とされる。但し、この語に先んじて』昭和一三(一九三八)年には『「東亜新秩序」の語が近衛文麿によって用いられている』とある。]

「だって会社の仕事があるじゃないか」

「それがいけないよ。会社というものは、もう昔の会社じゃないよ。会社の利益を追求する前に、国家の利益に沿わねばならんというのがもう現代の常識じゃないか。此の理屈がわからない人がまだまだ沢山いるんで困る」

 と言いながら、半田はじろりと草場の顔を見た。草場は表情を崩さず、どこ吹く風かといった気持を露骨にみせた。

「それはそうと、去年は君が記念日事業の主任だったね」

と課長は草場の方をむいた。「今年も君にやってもらいたいと思うが、いいだろうね」

「事務分担のことはあとでいいじゃありませんか。今ほどういう具合に記念日を祝うかという話なんだ」

 という声がそこらで聞えた。

 私は猫山老人の隣に席を占めて、ぼんやりとそれらの話を聞いていた。塩せんべいやビスケットを退屈まぎれに沢山食べて、お茶をがぶがぶ飲み、煙草を何本もつづけざまに吸ったものだから、口の中が変になってしまった。皆がおのおの勝手なことをしゃべっているというより、何か底意を蔵してふるまうのを見るのは、私にとっては自分が惨めにさせられる思いであったのだ。もちろん、他人のてんでの言動が、私の生活と何のつながりがあるかと、考えないでもなかったけれど、ぶよぶよとふくれた額のあたりに脂肪をのせた課長の顔や、やせた頰のあたりにふてぶてしい色をたたえた半田の顔や、猿のように老獪(ろうかい)な風貌の草場の顔や、腹一杯食べた癖に、宿命に引きずられる如くまた菓子鉢に手を出す私自身もふくめて、それがどんなに薄汚ない風景であるかが、我慢出来ない程重苦しく私をおさえつけて来るのである。それを胡麻化すためにも、口中はざらざらになってるにも拘らず、更に一本の莨(たばこ)をくわえねばならない。

「それはそうと」と、ぽんと草場は膝をたたいた。何を言い出すかと、皆が一斉に顔をむけたのに一寸間を持たせ、すこしの表情も変えず、

「私は記念日事業主任といたしまして、大体昨年と同様にいたそうと思っておりますが、異議はございませんね」

「課長」と、すみの方からするどい声がした。課長は、人一倍大きな顔をふって、そちらに視線をむけた。

 菓子鉢に菓子が無くなりかけた頃から、だんだん会議のもようは険悪になって来た。どうせそうなることは会議を開かない前から判っているにも拘らず、此のお人好しの課長は会議が大好きで、何か事があると皆をすぐ会議室に集めるのである。それも、どういうつもりかは知らないが、女事務員やタイピストや給仕にいたるまで列席させるものだから、会議はいつも跛行(はこう)的になってしまう。それに女子供の見て居る前で面目玉を踏みつぶされてはやり切れないと思うのか、一廉(ひとかど)の男たちが愚にもつかない所で我を張り合って、とうとう収拾がつかなくなってしまうのである。此の会議も、案の定そんな具合になってしまって、自然と声が荒くなり、対立する人々は皆、目をするどく光らせ合った。

[やぶちゃん注:「跛行」足を引き摺って歩くことから、釣り合いがとれないままに進むことを言う。「面目玉」「めんぼくだま」と読む。面目に同じい。]

「半田君のように、修錬道場が立つか立たぬかそれもはっきりしないのに、勤労奉仕など持ち出したって、そりや無茶ですよ。だいいちそれでは、秘書課の者は納得しても、外の課のものが承知する訳がないよ」

「だからさ、承知しないような旧体制をたたきなおすためにも修錬道場は必要さ。ぼくは何も半田君に味方するわけじゃないが、物の道理がそうなってるんだ」

「そんな強引なこと言ったって仕方がないじゃないか」と又別の方から声がした。「昨年はあのやり方で、皆満足して帰ったじゃないか。君等だって良い気持で浮かれてたじゃないか。去年は昼酒飲んで大浮かれに浮かれた癖に、今年は道場つくれなどと良く言えたものだね」

「ああ、そうだ。半田なんざ、酔っぱらって多摩川に落ちたっけ」

「多摩川に落ち込んだことと、勤労奉仕やろうということと何の関係があるんだ」と半田は険しい声を出した。「あれは酔っぱらって落ちたんじゃねえや。船が傾いたからだい」

「船が傾いたのに皆は落ちなくて、君一人が落ちたのはどういうわけなんだ。あれは禊(みそぎ)をやったのか」

「まあまあ」と課長はぶわぶわとふくれた娘の掌みたいな掌を、空間で上下に二三度ふった。「去年のことは去年のこととして、今年の記念日は如何にすべきや――」

「だから今皆でそれを論じてるわけじゃありませんか。も少し課長もしっかりして呉れなくては困りますよ」

「しかしねえ君」とまた別の声がした。「記念というものは、本社の創立を祝うためにあるものだから、皆が心から祝えるようなやり方にしなくてはいけないと思う。勤労奉仕もいいよ。いいがだ、皆がよろこんで勤労奉仕をやって呉れるかということが問題なんだ。私が思うに、そういう急激な改革はやめて、此の際草場主任に一任ということにしたら――」

「そんな馬鹿なことがあるか。一任ということなら、そもそも此の会議は何のために開いたのだ?」

「いっそのこと全社員で多摩川べりに行って、洋服のまま水に飛び込むという趣向にしたらどうだい」

「ひねくれた言い方をするな。何だな、君は喧嘩を売る気か」

 廊下の果てから、二時半の時刻をつげる電鈴がけたたましく聞えて来た。体操の時間を知らせるのである。課長が立ち上った。中腰になったままはげしく論争していた人々も、がっかりしたように腰をおろした。

「ではこれで会議を終ることといたします」

 皆、白茶けたような顔色になって、ぞろぞろと陰欝な会議室を出て行った。全社員が中庭にあつまって、レコードにあわせて国民体操をやるのである。蓄音器は三階にあって、拡声器を中庭の方にむけている。レコードをかける役目が私になっていた。入社した日から今日まで、毎日欠かさずレコードのかかりに私は従事しているのである。一寸大きな喫茶店などに行くと、お茶を運んだり注文を聞いたりする女とは別に、いつも白けかえった顔をして蓄音器の側で長い裾を引きずっている女がいるが、言って見れば私もあんなものだ。しかし日も射さぬ、すみっこのトタンのといに青苔の生えたような中庭で体操するよりはましであった。

[やぶちゃん注:「国民体操」現行のラジオ体操第一第二の可能性もあるが、或いは昭和一二(一九三七)年に厚生省が制定した体力向上と精神高揚を掲げた「大日本国民体操」(初代ラジオ体操第三)かも知れぬ。こちらでレコードの曲が聴ける。]

 中庭を眺めおろした。いくつもの出口からぞろぞろとはき出された人の群で雑然とした中庭は、暗くて、どこに猫山がいるのか半田がいるのか鳥巣がいるのかわからなかった。私は静かにレコードの上に針をのせた。

 すりへったレコードから、拡声器に乗って濁った旋律が流れて出た。

 手を屈伸し、足を曲げる。毎日見なれた風景ではあったけれど、私はそれを見るたびに妙な錯覚にとらえられた。窓ぎわから見おろすと、上から見るせいか、頭ばかりが巨大に見えて、その下に細った胴と短い足が、音楽に合せてもだえるように律動した。不具の如き肉体から、一斉に両手が左右にのびるのである。また一斉にそれが縮むと、風になびくように胴体をまげて頭を下に振る。課長や草場やその他の人々もその中に交っているにはちがいなかった。窓から見おろす私の眼からは、それらはまるで奇怪な虫けらのあつまりのように見えた。

 

 創立記念日が十日の後に迫って来た。

 どういう風にやるのかまだ定まらないものだから、皆落着かないらしかった。猫山も仕事がとぎれたので、一日中私の横でごそごそとうごいたり、ひっきり無しに私に話しかけたりした。草場は蒼黒い顔をして、腕を組んだまま無表情にすわっていた。かと思うと、へらへら冗談口を利きながら、女をからかったりした。

 どこからか帰って来た課長が、机の上の振鈴を、チャランチャランと鳴らした。話をしていたものも仕事をしていたものも課長の方をむいた。課長は机の前にぶわぶわと立ち上った。

「報告します。今年の創立記念日の件ですが、会社の主脳部といろいろ相談した結果、今回は朝のうち本社で祝典を挙行し、それよりQ遊園地で体位向上のための運動会をやることになりました」

 と一座を見渡した。

「何しろもう時日が切迫しておりますので、準備の方は手早く抜かりなくやっていただきたい。事務分担については、次のようにお願いします。仕事について不満な人も、もしかするとあるかも知れないが、何事も職域奉公でありますから。身を捨てて働いてもらいたいのです」

 事務分担を発表するのかと思っていたら、手廻しよくプリントして来たと見えて、給仕が一枚ずつ配って歩いた。見たら、私は祝典係になっている。鳥巣もそうであった。猫山老人の名前の上には祝菓係となっている。給仕が猫山を呼びに来た。孫三郎のあやつり人形に似て、腰から下に妙に力がない歩き方をして席を立って行った。

[やぶちゃん注:「孫三郎のあやつり人形」「孫三郎」は現在に続く糸操り人形遣い師の名跡である結城孫三郎のこと。ウィキの「結城孫三郎」によれば、『江戸糸あやつり人形芝居「結城座」の座長で、名跡』とする。本作発表の頃は、九代目で本名を田中清太郎(明治四(一八六九年)~昭和二二(一九四七)年)と言った。]

 窓の下を楽隊が通った。私は薄い茶をすすりながら、部屋中を見廻していた。半田の視線と、偶然ぴたっと合った。そして、彼は素早く目を外らした。と思うと又ちらと私を見た。そして私の方に近づいて来た。

 窓の下を通り過ぎた楽隊が、遠ざかって曲角を曲って行ったらしく、微かに聞えていた旋律が急に聞えなくなった。半田は、腰掛けている私の肩にうしろから手をかけた。

「木山君、若い者は団結しなくてはいけないよ。元気を出して、革新しなくては、それでなくてもよその課の連中は、秘書課は何をしてるかと言ってる位ですよ」

[やぶちゃん注:ここで初めて「私」の名(姓)が明らかとなる。]

 おそらくは、こちらにやって来たものの、何も私に言う事が無かったので、こんな事でも言ったに違いない。半田の役目は招待係と書いてあった。一番楽な、しかし力の入れどころの無い役目である。私は半田の顔を見た。そげた頰のあたりにいらいらした色を浮べて私を見返した。そのままあちらに行ってしまった。

 暫(しばらく)く経って帰って来た猫山と私は話をしていた。

「祝菓係とはどんなことをするのです」と私が聞いた。

「それがですねえ」と、猫山は卑屈そうな笑い方をした。

「式のときに参列した人たちにお饅頭(まんじゅう)をくばるのですよ。そのお饅頭のかかりです」

「へえ、つまり饅頭係ですか。それを配るのですか?」

「いやいや、そうでは無いのです。板橋の方に毎年創立記念日に、饅頭を入れる店があるのです。そこに行って、交渉して来たりするのですわ」

「なるほど。今はそこらの店には饅頭なんか見当りませんね」

「課長さんからも呉々も頼まれましたがな、大仕事ですよ。あっ、そうだ。今日あたりに出掛けないと遅くなる」

 あたふたと立ち上ると、古ぼけた帽子を冠って部屋を出て行った。

 五時になって、私は鳥巣と一緒に表に出た。濁った空からは今にも雨が落ちて来そうだった。銀座に出て、そこらをぶらぶらした揚句、銀座裏のへんな酒場に私を連れて行った。薄暗い照明の中で、顔の黄色い女が二三人いて、窓掛けをあげて外をのぞいた。

「あら、雨よ」

 私達も盃を手にしたまま、窓をすかして外を見た。灰を吹き散らしたような雨が、音も無く舗道に落ちていた。

 鳥巣は私に酒をつぎながら言った。

「此の間の会議は面白かったね。革新派がいきり立ったじゃないか」

「つまりは、あれは私闘だな。革新の顔してるだけの話じゃ無いのか?」

「そりゃ勿論そうだよ。禊(みそぎ)をやれなぞ言うのは草場さんへのいやがらせだよ」

 蒼黒い、動物的な感じのする草場の顔を、私は考えるともなく思い浮べた。

「草場さんだって、一筋繩で行く男じゃないよ。課長を追い出して自分が後釜にすわろうと考えているという話だよ。その為に重役を動かして、課長を左遷させようと運動してるらしいのだ」

「だから、半田達が草場を嫌うのかね」と私が聞いた。

「そうじゃないさ。半田一味だって、そんな単純な正義観で動くものかね。皆だれだって自分のことだけしか考えないさ。人間とはそんなものだよ」

「いやだな。何故皆素直に生きて行けないのだろう」

「しかし、それが一番素直な生き方じゃないか。自分の利益のために生きて行くということが――」

 私は盃を待ったまま、ちらと鳥巣の顔を見た。光線の加減か、鳥巣の顔に何か冷酷な影が浮んで消えたように思われた。

 雨の音が、激しくなって、硝子窓にしずくが流れ始めた。外はすっかり暗くなって、それに風も出たらしい。新しく入って来る客は皆服の襟を立て、土間のところで一度鶏が水をはらうように烈しく身ぶるいをした。

「雨が止むまで、暫くいよう」と鳥巣が言った。

 私達の卓には、お銚子がもう五本も並んだ。

「それはそうと、今日半田がやってきて、若い者は一致団結しろと僕に言ったよ」と私が言った。

「何のために一致団結するのかね」

「それはぼくにも分らんが、それだけ言って向うに行ってしまった」

「招待係なぞの閑職に廻されたのを、草場の指金(さしがね)だと思っていらいらしているのだよ。もっとも草場の指金には違いなかろうがね。課長がも少ししっかりしていたら、こんなけちな内紛はすぐ押えられるのだよ」

「課長ばかりをせめるのは酷だよ」

 私は漸(ようや)く酔って来たようであった。何時もから無理して押えつけているものが、ともすれはせきを切って流れ出しそうであった。

 私はしきりに盃を乾しながら、あれこれと言葉を探した。相手に話すというよりは、いろいろしゃべることによって、自分自身をいたわりたい気持で一杯だったのだ。

「ああ、みんな何故あんなに陰険なんだろうなあ。顔を立てるとか、顔がつぶれたということばかりにこだわって。僕は近頃、会社を止めることばかり考えているよ」

 目の前に、課長や草場や半田や、その他の人々の顔がうかんで来ると、私の心の底から、烈しい憎悪の念が湧いて来るようであった。私は日毎の惨めな気持の焦点が、ようやく此の人達の上に結んで来るのを感じた。

「そんな感傷的なことを言っても始まらないじゃないか。世の中ってこんなものさ。女の子とでも遊んでいればいいのだよ。女の子を連れて上野公園にでも行って動物園でも入って来いよ。だいいち、女の子は無邪気でいいよ」

 きめつけるように言った。広い肩幅の上に少し酔った鳥巣の眼が私を見た。

「女の子はぼくを相手にしないようだよ」

「そんなことがあるものか。元気を出せよ。木山君はだんだん猫山老人に似て来たな。何となく、まったくそっくりだよ」

「無茶言うなよ」

 と、俄(にわか)にこみ上げて来た不快さを押えて、私は強いて笑い声を立てようとした。かすれて笑い声にならなかった。

「いや、ほんとにそっくりだよ。おどおどして暮しているからじゃないか。逞(たくま)しく生きて行けよ。なんだ。僕なんざ、人がどんな悪らつな事しても平ちゃらさ。人がぼくを引っくり返す前に、人をひっくり返して見せるよ。ぼくは猫山みたいな人間の屑になりたくないのだ。ああした屑みたいのをふみ台にして、ぼくは自由に伸びてゆくよ」

 胸を張った精力的な横顔をぬすみ見ながら、私は突然異様な憎しみを此の男に感じていた。

 その夜は、とうとう酔っぱらったまま、雨の巷(ちまた)に出て行って、どこでどうしたのか忘れたが、有楽町の駅で私達は別れた。省線を降りてから長いこと歩いて、病院横の坂をのぼった。人が自分の足をさらう前に人を引っくり返して見せると言ったのも、自信であるか強がりであるかは私には判らない。唯、そんな事を言わねばならぬ彼の心に、私は二重の不快さをそそられた。

(逞しく生きて行けよって言いやがる)私は腹を立てて坂を上っていた。猫山のことを人間の屑ときめつけた傲慢さを、私はその口調を思い出して、どうしても許すことは出来ない。憤りを新たにしたのだ。雨にうたれて、酔いが醒めたようであったが、心はむしょうに亢奮(こうふん)して、濡れた帽子をおのずと力を入れて握りしめていた。

 

 私の乗ったバスが、急にとまった。停留場でも無いところだから、何か事故が起きたにちがいない。昨夜の雨で道がぬかるんでいる。私達のバスの前に、バスが一台とまっていた。それが故障でも起したらしかった。私は窓から首を出した。

 乗客が二三人降りて前の車の下を見ている。皆窓から首を出して、のぞいている。車掌が降りて来た。私も首を動かして、人の間から前のバスの車輪のところをのぞいた。人の群が少し動いて何かの一部分が見えた。私は冷水を浴びせかけられたようにぎょっとした。

 犬の首が見えたのだ。目を閉じたまま、血の気を失った犬の首が車輪の間から突き出ていた。その横に、ひかれる時外れたらしい腹掛けが泥まみれになっているのまではっきり見てしまった。私は蒼くなったまま、窓から退こうとした。が、何故ともわからない不思議なものが、私を駆って、私は釘づけにされたように視線を動かすことが出来なかった。

 まだその犬は生きているらしかった。毎日、楡(にれ)の木の下で見る犬どもの一匹であるにちがいなかった。少し顔の表情は変っているけれども、確かに私には見覚えがあった。鼻の先のしゃくれ上ったところの鼻翼が、びくびくと動いたと思うと、重く垂れた犬の瞼が少し開いた。瞼の中の、灰色に澱んだ眼玉が、急にはっきり横に動いて、じろりと私の顔を見た。

 何故だかは判らないが、私は急に眼の縁が熱くなって、涙をかくすために思わず右手で目をおおうた。悲しみとも怒りとも恐怖ともつかぬ烈しい気持が、心の底から手足にはしって、私は足をふんばったまま、窓の桟(さん)を力まかせに握りしめた。

 酒を飲んだ翌日は、何時も物に感じやすくなるので、涙が出たというのも、下らぬ私の感傷であるにちがいなかった。が私には、その事が何時までも気になって仕方がなかった。

 犬のからだをどういう具合に片付けたかは知らない。又、死んだのか生き返ったのかも見届けないうちに、私達のバスは動き出した。

[やぶちゃん注:このシークエンスは戦後の名作「猫の話」に遠く通じている(リンク先は私の電子テクスト)。]

 

 相変らぬ出がらしの茶を啜(すす)りながら、私は窓の外を見ていた。雨上りのせいか空気が澄明で、ニコライ堂の建物の肌の、雨の色ににじんだところがあざやかにうき立っていた。少し風邪をひいたらしい。鼻の奥が時々刺すように痛くて、頭のうしろが鈍く重苦しかった。部屋全体から起るぞわぞわしたざわめきが、何となくうるさかった。

「昨日は板橋まで行きましてねえ」と、やはり茶を啜りながら、猫山が話しかけた。「やっと注文して来ましたがな――」

 私は肩に積み重なる疲労を振りのけるようにして、相槌(あいづち)をうった。

「それは大変でしたね」

 猫山は、注文するまでの苦労を話したくて仕方がないらしかった。

「五百人分などはとても引き受けられないと言うのを、二時間もたのみ込んで、やっと引き受けて貰いましたわ」

 泣き笑いに似た表情をした。

「直径五寸位あるお饅頭が五百箇ですわ。ほほほ」

[やぶちゃん注:「五寸」十五・一五センチメートル。]

 その声は泣いているようだった。

 そんな大きな饅頭が五百箇もずらずらと並んでいる所を見たら、ずいぶん変な感じがするだろうと私は思った。

「で、一体それは誰々に配るのですか」

「記念式のとき来たお客に配るのです。それと、此の会社の課長や部長や主任級の人たち。上野や深川の支社から来る人たち。馬鹿にはなりませんがな。上野支社だけで、主任級以上の人が三十人以上も居りますですわ」

 おそらくはどこでもそうであるように、無愛想な饅頭屋の店先で、二時間もくどくどと一流の粘りで頼み込んでいる此の貧相な老人のことを思うと、私は胸が熱くなった。

 給仕が、私を呼びに来た。私は草場のところに行った。

「ええと。君らは祝典係だったね」

「そうです」

「では、鳥巣君と木山君とで、祝典のプログラムをつくって下さい。去年と同じでいいだろう。大会議室でやるんだから、大きな紙に式次第と書いといて下さい。猫山さんにでも頼むといいだろう」

 何か書類をめくっていた課長が、此の時ふいに頭を上げた。

「そうだ。社長の祝辞もこしらえておかねばならない。昨年と同じというわけには行かんだろう」

「社長の祝辞をこちらでつくるのですか」

「そうだよ。どうだね。木山君、草稿をつくらないか」

「祝辞といっても――どういう具合に書くのですか」と私は少しどぎまぎした。

「何でもないじゃないか。国家は今非常時にあるから、職域奉公につとめよというようなことを引き伸ばせはよろしい。社長になったつもりで書いて呉れたまえ。祝辞の件はそれでよしとして――草場君、饅頭の方の手筈は、ととのっているだろうね」

「はあ」と、草場は無表情のまま答えた。「猫山さんが連絡して呉れましたです」

「そうか」課長は饅頭に似た顔に満足の色を走らせた。

「ぼくは一寸出かけるから、後をたのむよ」

 書類をかかえると、立ち上って出て行った。

 私も席に戻ろうとすると、草場が私を呼びとめた。

「木山君」声をひそめて、「変な連中のおだてに乗るんじゃ無いよ。今は角つき合せてる時代じゃない。職域奉公。何事もそうだよ」

「それはどういう意味ですか」

 私はむっとして草場の顔を見返した。猿に似た、蒼黒い顔に、ずるそうな笑いが浮んだようであった。手を肩のへんに上げて、ひらひらと振った。

「別段意味はないですよ。祝典の方をしっかりやって呉れ給え」

 酒の疲れが顎(あご)の辺に残っていて、どういう意味かを追求するのは大儀だった。横を向いて莨(たばこ)を吹かしている草場の顔は、もうすっかり表情をそぎ落して、私に今言ったことなどすっかり忘れ果てた様子であった。

 私は鳥巣の席に歩いて行った。

「やあ、昨夜は失敬。すっかり酔っぱらった」と鳥巣が私の肩に手をかけた。「おや、服がまだ濡れてる」

「ああ、帰りに又降られたもんだから」と私は煙草を取り出した。「それはそうと、祝典プログラムを作れとさ。君つくって呉れないか」

「君もつくるのだろう。一緒に」

「それが、僕は社長の祝辞をつくらなければならないのだ」

「君それを引き受けたのか?」

 煙草に火を点けようとして、私は思わず鳥巣の顔を見た。

「だって課長の命令なら仕方が無いじゃないか」

「知っていて引き受けたのか?」

「何をさ」私は鳥巣の表情から目をはなさずに、そう聞いた。

「猫山さんからうらまれるよ」

 私ははっとした。

「数年来猫山さんは社長の祝辞をつくって来てるという話だぜ。記念日がすむと、いつも社長が猿山さんに、立派な文章で結構でしたと言うのをたのしみに、猫山さんは一生懸命つくってるそうじゃ無いか。猫山さんが、社長と直接話するというのも、年に此の時一度しかないのだよ。僕に物品購買の仕事が廻って来た時でも、ずいぶん猫山さんは僕をうらんだらしいけれど、祝辞の仕事を君が引き受けてしまったら、猫山さんはきっと腹を立てるよ」

 私は、何時か猫山から、社長から文章を賞められたという話を聞いたことを思い出した。

「だって、一度引き受けた以上は仕方がないじゃないか」

 今更、草場のところに断りに行くのは大儀だった。それよりも、鳥巣が仔細ありげな顔で、私に猫山について忠告じみたことを言ったのが、変に私の勘にさわったのだ。むなしい思いが心の底に湧きおこり、私は思わず腹立たしい口調で、そう呟いていた。

 そのうちに昼のサイレンが遠く近くで鳴り渡った。私は机の上で弁当を食べていた。

 まだ冬の間から取片付けないストーヴの側で、国民服のズボンの裾をまくって、半田が靴下を皆に見せびらかした。

「もう駄目だねえ。洋服の色と靴下の色の調和なぞを考えてたら果てしはないねえ。おれんちでも純毛の靴下をずいぶん買い溜めておいたんだが、とうとう使い果して昨夜こんなのを買って来たよ」

 派手な、赤の紫のまじった厭味な色の靴下が、へんになまじろい脛(すね)に止めてあった。

「これでスフ入りだよ。今におれも猫山さん見たいに大穴のあいた靴下をはいて歩くかな。何の写真だい。そりゃあ」

「此の間、動物園に行ったとき、鳥巣さんから撮って貰ったのよ」

 と、顔の幅の広いタイピストが答えた。私は箸を止めて顔を上げた。

 四五人の女達が、顔を寄せ合って、小さな写真を次から次に見て行くのである。笑い声を交えたり、指さしたりしながら、楽しそうに一枚一枚めくる。此の間、私が誘われて行かなかった時の写真に違いなかった。不思議なことには、私とは何の関係もない写真であったにも拘らず、私はその瞬間、長いこと此の写真の出来上りを待ちこがれていたことが、今はっきりと判った。私は弁当を机の中にしまい込み、立ち上って机の角を曲り、女等の背からのぞき込んだ。

 顔の大写しがあった、樹々の茂みを背景として二人並んだ写真があった。動物園の正門に皆で並んだのがあった。小径を行く後姿があった。順々に見て行くうちに、私は段段期待が裏切られ、失望とも悲哀ともつかぬ気持で心の中が一ぱいになって行った。

(――何にもうつってないじゃないか)何かを一心に見つめているらしい横顔の大写しを見たとき、もう少しで割り切れそうで割り切れない気特になって私はいらいらした。芝生に横臥(おうが)した姿。人ごみの中でこちらをふりむいた姿。最後の一枚は、広場のベンチに女が三人腰かけて笑いこけている写真であった。写真の、も少しで外れるところに、ぼんやりと檻の形らしいものがうつっていた。私は思わず目を凝(こ)らして、その風景に見入った。

 その私の視線を、邪険に女の手がさえぎった。それを一枚一枚、机の上に並べ始めた。皆で分配するつもりらしかった。

「あたし、これとこれを貰うわよ」

「あらずるいわ。これ貴女は半分しかうつって居ないじゃ無いの。これはあたしよ」

「貴女は焼増ししてもらえはいいじゃないの。わたし、これを引伸ばして貰うわ」

「あら駄目よ。じゃこうしましょう。じゃんけんで分けて、又ほしい人は鳥巣さんにたのんで焼増しして貰いましょう。おや。地震よ」

 春の地震が急に大地や建物をごうとゆすって、電燈がゆらゆらとゆれた。急にあたりがしんかんとなったと思うと、廊下を上草履で急に走る音がした。そして収まった。

「ああ、こわかった。こんなよ」

 手を取って自分の胸に当てさせている。柱にかかった大時計の振子が、ふらふらと不規則に揺れながら止った。

「あら、写真が一枚足りないわ。どうしたの」

「今の地震で、どこかにはねとばしたんじゃないの。そこらに落ちてないこと?」

「虎の檻(おり)がうつってる写真だわよ。ベンチに並んだ――」

 床や机の下を探している。その女たちの姿を見ながら立ち上って私は廊下に出た。

 廊下を歩いて便所に入った。便所の中で一寸考えて、また廊下に出て来た。階段の方に歩いて、ゆっくり一段一段とのぼった。

 樹々の茂みを縫うて、それぞれの大きさの檻に、南極でとれた熊や、アフリカにいた獅子や、妙な形をした猿や、得体も知れない姿の鳥類が、みんな違った表情をしてうずくまっている。生れてまだ一度も動物園に行ったことの無い私の頭の中で、そうした鳥獣の姿体は、恐しい程切なく私を打った。階段の手すりに摑(つか)まって、一歩一歩のぼりながら、私はポケットを探って、又手をポケットから出した。逃げ出したくても、鉄の棒や金網が張ってあるから、仕方なく終日ぼんやりすわっているが、それでも諦め切れずに、人が見ていないと、こっそり鉄の棒を嚙ってみたりするそうではないか。夜になって人がいなくなると、動物達は一せいに悲しい声を立てて鳴き立てるそうじゃないか。偽者ばかりがうろうろしている此の世界の中で。あの鳥や獣たちだけが、真実の姿をしているのではないか。

 私は胸に湧き上る亢奮を押えながら、屋上にのぼりつめた。二十坪ほどのコンクリートの屋上には、誰も人影が見えなかった。私はあたりを見廻して、ポケットに手を入れた。そして、先刻の地震のときに素早く手に入れた写真を取り出した。

 風が吹いて、私の髪を乱した。(虎の檻だと言ったな)私は眸(ひとみ)を定めて、その写真に見入った。ぼんやりとうつった檻らしい形の中に、何か薄ぐろくうずくまったものの形がぼやけて見えた。

 毎日の、憂欝な気持を、堆積(たいせき)してどうにもならない此の気持を、此の荒々しい獣が一挙に晴らしては呉れないか。微塵の嘘もない、かけ引きもない、ありのままの生れたままの烈しいものに漲(みなぎ)った獣たちが、私の創痍(そうい)をいやして呉れるかも知れない。私は風に逆らって目をあげた。風は、正面からぼうぼうと吹いた。黄色に頽(くず)れた太陽の光が、厚い雲の層をやぶって、不思議なかげを地上にそそいでいる。家並家並のつづくところ、その果てに、黒い上野の山が、長くつづいているのである。私は、じっと見つめたまま、いつまでもそこに立ち尽した。

 

 創立記念日があと三日というときになって、秘書課の部屋は蜂の巣のように人が出たり入ったりした。何しろ時日が切迫しているものだから、皆忙しいのである。私も何となく、そこらをうろうろしたりして、少しも気が落着かなかった。まだ祝辞はつくっていなかった。どうにでもなれと思ってほっておいたら、草場が私に催促した。

「それが、まだつくらないのです」

「こまるねえ。もう三日しかないのだよ」

 猫山さんにつくらせて呉れと、私は言おうとしてやめた。

「今日中につくりますよ。でも、つくり方がよく判らないから、サンプルでもあったら貸して下さい」

「去年のが、どこかにあった筈だがなあ。猫山君が持っているかも知れない。猫山君に聞いて下さい」

 私は、険しい気特になって自分の席にもどって来た。

 猫山は手持無沙汰らしく、机の前にすわってあちこちを眺めていた。白い柔毛におおわれた瘦せた頭の形を見ているうち、私は何故だかわからないが疼(うず)くような残忍な気持が胸の中にわき上って来るのを感じた。それは、烈しい親愛感と背中合せになった紙一重の気持であることも、私にははっきりとわかった。此の瞬間なら、ひよわそうな顱頂(ろちょう)を力まかせになぐることも、両手で抱いて接吻することも、やろうと思えば私に出来るにちがいない。氣持に矛盾することなく、両方を一度にやることも出来るにちがいないと思った。私は低い声で、猫山に話しかけた。

「去年の創立記念日のですね。あの時、社長が祝辞を読んだでしょう。その祝辞の草稿ありませんか」

 ぎょっとしたように、猫山は振りむいた。

「それを何になさるのです」

「今年の祝辞の原稿をつくる参考にしようと思って――」

「誰がつくるのです」

「ぼくです」

 猫山のやせた顔がへんに歪んで、何か言おうとして止めた。だまって、机の引出しを開いて、又ぴしゃりと閉めた。

「そんなものありませんがな」声がふるえた。「課長さんが、貴方にお頼みになったのですか?」

 どういう気持であったかは判らない。私は歯ぎしりをするような気持で、こう言ってしまったのだ。

「ぼくが、書かせて呉れと課長にたのんだのです」

「本当か」

 猫山の首のあたりから、血がのぼって来て、いつもは血の気のうすい両頰が、少し赤くなった。思わず中腰になろうとしたとき、秘書課の扉を開いて法被(はっぴ)を着た男が、入って来た。何か不思議な予感に打たれて、私と猫山は思わずそちらに振りむいた。

 法被を着た背の低い男は、扉のところに立ったまま大声でさけんだ。

「お待ち遠様。饅頭を運んで参りました」

 なに、と言葉にならない言葉が、猫山の口から洩れた。と思うと、猫山は蒼白になったまま、扉の方に走って行った。黒い腕おおいを着けた姿は、まるで蟹が走るようだった。

「困るじゃないか。君。誰が今日だと言った、え? 誰が今日持って来いと言ったのだ?」

 猫山は亢奮のあまり、手を上げて法被の男の肩をぐいぐい押すようにした。そのなじる声は、けだものがないているようであった。

 あっけに取られた法被の男も、肩を押され壁にぐいぐいやられて、ようよう怒ったらしかった。猫山の手をはらいのけた。

「乱暴しないで下さいよ。親方が持ってけと言ったから持って来たんだ。不要(いら)ねえんなら持ってかえりますよ」

 二時間も九拝して買い込んだ饅頭を、今突き帰しては、もう買えるあてがないにちがいなかった。猫山は蒼くなったまま、茫然と立っている。騒ぎを聞きつけて、課長や草場がやって来た。

「何だい。どうしたんだ」

「へえ、饅頭を持って来ました」

「なに? 饅頭? 今からもって来たんじゃ、記念日までに皮がかたくなってしまうじゃないか。前の日に持って来るという話だったんだろう。猫山君。一体どうしたのだね」

「はい」と、血の気の無い顔を上げた。「私は、記念日の前日に持って来いとちゃんと言ったのでございます」

「困るなあ」と草場も険しい声で言った。

「で、饅頭屋さん。鰻頭はどこにあるんだ」

 扉を開いた。廊下に五百箇の饅頭が、幾つもの風呂敷づつみになって置いてあるのである。

「仕方がないや。じゃ置いて行けよ」

「へえ、有難うございます。ではたしかに五百箇」と言いながら、法被の男は猫山に冷たい一べつを呉れると、扉の外に出て行った。草場はそれを見送ると、一わたり風呂敷の数を当ったすえ、猫山の方に向きなおった。

「猫山君。一体これはどうしたのだね」

「まあまあ」と課長がそばからさえぎった。「来たものは仕様がない。三日後までしまっておくのも、不味くなったり、悪くなったりするだろうから、今日の中に社内の者だけに配ったらどうだろう」

「そうするより仕方がないですね」と、表情を殺して、草場がそう言った。

「本社内はすぐ配れるとしても――」と課長は大きな顔をあげて見廻した。「深川や上野の支社にもって行かねばならん」

「深川の方には給仕をやりましょう」

「上野には、誰か手のすいた人に行ってもらうとして――」

 壁ぎわにうつむいて立っていた猫山が急に前に飛び出して来た。

「上野には私が参りますでございます。もとはと言えば私のせいでございますから」

 肉の薄い襟筋のあたりに、汗がふつふつと流れるのを、私ははっきりと見てとった。立ち上った私の視線と、課長の視線が合った。私はふらふらと出て行った。

「――手はすいてるかね?」と課長が低い声で私に聞いた。

 猫山はちらと私の顔を見た。その目は燃えているようだった。何にも言わず、扉の外に出て行って、いきなり風呂敷包みの一つに手をかけた。力を入れると、それを持ち上げようとした。

「お止しなさい」

 と、私は思わずそばによって、後ろから猫山の腕を支えた。それは、老人の力には過ぎるほど重いにちがいなかった。私が支えた猫山の腕の筋肉が、努力のために奇妙にねじれているのが、洋服の上からでもわかった。私はその姿勢のまま振り返った。扉のところに立って見ている四五人の男の間から、草場が冷たい調子で言った。

「では、猫山君。持って行って呉れ給え」

 私の額から冷たい汗が滲み出た。私は自分の顔色がさっと変るのが、自分でもはっきりわかった。腹の底から手足の先に荒々しい力が走って、私は細い猫山の腕をねじるように握りしめた。片一方の手で風呂敷包みの結び目に手をかけた。力を入れて猫山の手からひっぱった。

「よし。僕が持って行く」

 それは、声にならなかったかも知れない。肩で少年のようにひよわな猫山の体を押すようにして、風呂敷包みを引いた。リノリユームの床に、包みが重量のある音を立てて落ちた。それと同時に、猫山の手が私の二の腕をつかんだ。

「木山君、持って行って呉れるかね」課長の声が背中でした。

 食い入るように私の腕をつかんでいた猫山の手の力が急にゆるんだようであった。私を見据えた青い猫山の目に、急に弱々しい哀願の色が浮んだと思った。その瞬間、私はやせた猫山の体を押しのけて、包みを片手に下げて歩き出していた。包みの重量が、肩のあたりを引きずった。

 それはもはや、猫山の卑屈な態度に対する憤りでもなければ、周囲の人々の猫山への冷淡さに対する怒りでもなかった。そういうものを超えて、私の心の内をかき立てたのは、給料貰って飯を食うには、こういう世界にすら生きて行かねばならぬという自分自身の惨めさであったのだ。私はことさらに包みを持った方の肩をそびやかし、わざと足音を荒くして廊下を曲った。包みを引きずるようにして、階段の降り口まで来た。手すりに手をかけて一段降りた。そのとき、廊下に私を追うらしい急な足音が、私の耳朶(じだ)をうった。私は紐で引かれるようにふりむいた。蟹のような猫山老人の姿が、いきなり私の前に立ちふさがった。

 頰を力まかせに引っぱたかれたのだ。私は覚えず中心を失って、包みをがっくりおとすと、その上によろめいたのである。片手で手すりをつかみ、片手で包みを支え、片膝を階段についたままの姿勢で、瞼を焼くような熱い涙が両眼から流れ出た。私は重い包みと一緒に、階段を転がりおちるようにして馳け降りた。

 巷(ちまた)には、大風がぼうぼうと吹いていた。

 タクシーを止めて座席にころがりこむと、私は背中をもたせて目を閉じた。閉じた瞼に涙が一ぱいたまった。打たれた頰がかっと火照(ほて)った。曲角を曲るごとに古い車体はぎしぎしと揺れ、座席が私の背を衝き上げた。タクシーは揺れながら、次第に速度を早め出した。

(――遁走(とんそう)するのだ)私は、道の両側を行く人たちの着物を吹く風のさまを、目を見開いてじっと追っかけた。走って行く私の自動車の厚い硝子窓にも、奇妙な音を立てて風は吹きつけた。ある不逞なたくらみが、次第に私の心の中ではっきりした形をとりはじめたのである。私は頰を押えた。私の頰っぺたを殴ったとき、猫山は何か叫んだようだった。気持を無理に押えつけたような濁った声だった。それは獣がほえるようだった。何と叫んだのかは判らなかった。ただ、私をののしる言葉にはちがいなかった。私を見おろした猫山の、焼けつくような視線を突然私は思い出した。私は烈しい胸騒ぎを感じながら、外を眺めた。上野広小路をわたって、車は上野の山の下をはしっていた。

「ここで止めて下さい」

 ぎぎと、不気味な音を立てて自動車がとまった。金をはらって降り立った瞬間、烈しい風が私の上衣の裾をはたはたとひるがえした。広い街路を吹き抜けて、塵や砂が一斉(いっせい)にこちらの方に吹きつけた。私は高まって来る心臓の鼓動を押えながらむきなおった。――道の向う側に、交番があった。その後ろの樹々の茂みは、風につれてざわざわと荒れ狂った。私は包みを引きずるように持ちながら、頭を上げてまっすぐ交番にむかって歩いた。

 若い、私位の年頃の巡査が、入口に立って私を見た。私はその包みを、力を入れて交番の床の上にのせた。不審そうな巡査の視線を避けながら、私は低いはっきりした声で言った。

「これを、困っている人にあげて下さい。本当は、本署の方に持って行こうと思ったのですが、どうも入りにくくて。とにかく、おねがいいたします」

 声音が少し乱れた。私はいきなり帽子を取ってお辞儀をすると、あわてて急ぎ足にあるき出した。巡査が何か言ったようだけれど、風に散って聞き取れない。呼び返されると面倒だと思って、私は一目散にかけ出した。

 群れ立つ樹々の梢に風はひとしきりいんいんと轟きわたり、雲は自然に形を変えながら浅草の空の方に流れて行った。上野公園の広い石段は風に吹かれてぬめぬめと光り、茶店にかけた赤い旗はひっきりなしにはためいた。濁った浅草の空のあたりに、雲が奇怪な形によじれて、どうかした拍子に、おそろしい犬の首そっくりの形になった。その牙のあたりから、稲妻がきらきらと光った。そして風ははげしく私の背中に吹きつけた。

 玉砂利のしいてある道を、風に吹かれて私は小走りに急いだ。野球場と、白い汚れた建物の間を通りぬけた。人気のない野球場から流れて来る黄砂の中を突っきり、広場を走りぬけ、私は動物園の前までやって来た。切符を買うとき、おつりを貰う右手がふるえて、白銅がかちかちと石台にあたった。

 人混みの中を縫いながら、私の心はむしょうにせいていた。すすけたような色をした印度孔雀(インドくじゃく)の檻を通り過ぎた。自然石の石段をかけ下りて小径をぬけた。薄汚れた水牛のところをすぎた。縞(しま)馬のところも、狐の檻も通りぬけた。瘦せ衰えたコヨテの檻もほとんど見ずにかけぬけた。広場の真中に大きな檻があって、人が沢山集っていた。私は胸を騒がせて、その方に走った。

 人々の頭や帽子の間から、何か黄色いものが見えたと思った。黒い鉄棒の間から、黒い筋をつけた黄色の形のものが、風に吹かれてうずくまる。風に吹かれて黄色い毛がぶわぶわと動いた。あれが虎か?

 肩で押し、手で分けて、私は人ごみの中に入った。背をのばした。十坪はかりのコンクリートの土間の水溜りに、濡れた腹の毛を押しつけて、薄汚ない足の裏を見せ、大きな胴体を物憂(う)げに横たえた。義眼のような不気味な目玉をひとところに据え、鬚を立てて耳を動かした。厚い鼻翼が荒々しく動いた。汚れた檻の中で、咽喉(のど)の下の毛は火薬のように黄色かった。これが虎か?

 虎は物憂げに立ち上り、足の尖(さき)をざらざらした舌でなめ、険しい表情で檻の中を歩き出した。檻の内に吹き入る風がたてがみを起し、虎は首を反らして、雲行き早い空を見た。耳を立てて、牙を嚙み、嵐のように烈しい姿勢をした。檻を隔てた木柵に乗りかかるようにして、私は憑かれたもののように、虎のその姿に見入って行った。

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