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2016/11/12

諸國百物語卷之五 三 松村介之丞海豚魚にとられし事

     三 松村介之丞(まつむらすけのぜう)海豚魚(ふか)にとられし事

Huuka


 大坂御城番しう、江戸へ御くだりのとき、荷物を舟につみ、大まわしにくだし給ふとき、荷物の奉行に松村介之丞と云ふ人つきてくだられしが、熊野うらにて、にわかに舟すはりければ、せんどう、申すやう、

「海中よりみいれたる人あり。一人にて、をゝくの人のいのちをすつる事也。みなみな一人づゝ、へさきへいで、印籠、きんちやく、はながみまで、海中へ入れ給へ。みいれたるものゝは、とる、さなきは、とらず。それをしるしに、その人を、うみへしづめ申す」

といひければ、人々、ぜひなく、もちたる道具をうみへながしければ、みなみな、ながれゆくに、介之丞、はながみをながしければ、大きなる海豚魚(ふか)とびあがりて、介之丞がはな紙を、くらふ。

「さては、この侍に、きはまりたり。ぜひなき事ながら、うみに入り給へ」

といえば、介之丞も、

「ぜひにおよばず。さりながら、さむらいのむざむざと、しぬべきやう、なし」

とて、三人ばりの弓に、かりまたの矢をひつくわへ、舟ばたにたちいで、

「いかに、みいれの物、たゞ今、うみにとび入る也。しやうある物ならば、そのすがたをあらはせ」

といへば、うみのうちより、大きなる海豚魚(ふか)、口をあきてとびかゝる所を、もとはづ、うらはづ、ひとつになれ、とひきはなせば、ふかののんどに、はつしと、あたる。手ごたへして、ふかは海中にしづみぬ。舟もそれよりうごきて、介之丞は、あやうきいのちをたすかり、江戸にかへりけると也。そのゝち、又、三年めに、主人、また、二條の御城番にのぼり給ふとき、いつものごとく、又、介之丞、大まわしの荷物につき、くだんの熊野うらにつきけるが、をりふし、風あしかりけるゆへ、舟をみなとにつけて、四、五日も、とうりうしけるひまに、その所に八まんをいわひたる宮あり。これへ、介之丞、さんけいしけるが、八まんの繪馬(ゑむま)に、かりまたの矢あり。よくよく見れば、わが三年いぜんにふかをゐたる矢也。その矢に八幡大菩薩と朱にて書きつけをきたるにて、しやうことせり。介之丞、ふしぎにおもひ、神主にといければ、神主、申しけるは、

「此うらにて、年々に一、二度づつ、ふかと云ふ魚、舟につきて、人をとる事、數年このかた也。八まん、是れをかなしみ給ひて、ふかをゐころし給ふにや。この矢、ふかののどくびにたち、三年いぜんに、なみにゆられて、いそにあがりしを、おのおの見て、

『うたがいもなき八まんのしたがへ給ふ也』

とて、すなはち、この矢と、ふかのかしらとを、繪馬にかけ申す」

とかたりければ、介之丞、これをきゝ、右のしだいを神主に物がたりして、ふかのかしらをおろさせみて、

「さてさて、なんぢは、わがいのちをとらんとしたる物かな」

とて、手にてふかをなでければ、手のひらにそげのたちたるやうにおぼへけるが、それよりしだいにはれ、一日のうちに一疊じきほどにはれて、介之丞、つゐに、その所にてあひはてけりと也。

 

[やぶちゃん注:挿絵の右上のキャプションは「ふか魚にとられし事」。これは後のかの知られた連歌師宗祇に仮託した、怪奇譚の多い浮世草子「宗祇諸國物語」(貞享二(一六九五)年に京の旅館にて記す由の自序はあるものの、署名はない)に酷似した話柄が載る(但し、主人公は応仁の乱の元を作った畠山政長(嘉吉二(一四四二)年~明応二(一四九三)年))の元「家人(けにん)」で浪人の「陸井(くがゐ)九太夫」とし、ロケーションは「尾州の渡し」(宮の渡し。東海道五十三次で知られる宮宿(現在の愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(現在の三重県桑名市)までの海上の渡し)である)。私の「宗祇諸國物語 附やぶちゃん注 遁れ終(は)てぬ鰐(わに)の口を参照されたい。

「海豚魚(ふか)」「鱶」。鮫のこと。三文字へのルビ。「海豚」は現行ではイルカを指すが、当時はイルカもサメも一緒くたであった。挿絵を見ても獰猛なサメ類と判る。

「大坂御城番しう」「しう」は「衆」。幕府の直轄城であった徳川大坂城の城主は歴代徳川将軍自身であり、譜代大名から選ばれる大坂城代が預かったが、その城代に加え、これも譜代大名からなる京橋口・玉造口の大坂城番(大坂定番)二名、山里・中小屋・青屋口・雁木坂の大坂加番四名、幕府直轄戦力たる大番二組による大坂在番が警備を担当した(大坂城番の設置は元和七(一六二一)年)。この主人公松村介之丞はその役の主君に従って大番衆を勤めた一人という設定である。

「江戸へ御くだりのとき」自分の主君の在番が終わって江戸に帰参する際。

「大まわしにくだし給ふ」荷は重いので、陸路の東海道をとらず、海路で紀伊半島を大廻りして下向させたのである。

「熊野うら」「熊野浦」。現在の和歌山県新宮市沖から三重県熊野市木本町沖に至る海域。

「にわかに舟すはりければ」座礁したわけでもないのに、急に船が動かなくなったので。

「海中よりみいれたる人あり」海中の魔物によって本船の乗員の誰かが魅入られた、と言うのである。

「をゝくの」「多くの」。歴史的仮名遣は誤り。

「へさきへいで」「舳へ出で」。

「きんちやく」「巾着」。財布などの懐中する入れ物。

「みいれたるものゝ」魔物に魅入った者の物。

「さなきは」そうでない者の物。

「三人ばりの弓」大の大人が三人掛かりで引かないと張れないような大きな強弓(ごうきゅう)。現行のアーチェリーなどから推定すると、張力六十キログラム以上で、その矢は鎧も紙のように打ち抜く強力なものであったと思われる。

「かりまたの矢をひつくわへ」「かりまた」は「雁胯(かりまた)」で、先が股(やや外に開いたU字型)の形に開き、その内側に刃のある狩猟用の鏃(やじり)。通常では飛ぶ鳥や、走っている獣の足を射切るのに用いた。「ひつくわへ」は普通は「引つ銜(くは)へ」(歴史的仮名遣は誤り)で、普通は二番矢を即座に打つため、それを口に銜えるの意であるが、ここは「引つ加(くは)へ」で、弓に矢を番えたのである。でないと、次の台詞が喋れないからね。

「みいれの物」「魅入れたる魔性の物よ!」。

「しやう」「證」或いは「正」であるが、これらは「しやう」で歴史的仮名遣としては誤り。証(あか)し・正体。実相のある変化(へんげ)の物。

「もとはづ、うらはづ、ひとつになれ」心内語であろう。「もとはづ」は「本弭・本筈」と書き、弓の下端の弦輪 (つるわ:弓の弦の両端に拵える小さな輪。弦を張る際にはこれに懸ける)の懸かる尖った部分、「うらはづ」は「末弭・末筈」と書き、弓の上端の、弦輪 をかける部分で「上弭(うわはず)」とも称する。それが「一つになれ!」とは、強く引き絞って「それら上下がくっ付け!」と言っているのである。超人的な激しい張力を呼び込むための呪文である。

「ふかののんど」「鱶の咽喉」。

「はつし」オノマトペイア。

「手ごたへして」確かな手応えをその音から感じ、実際に。

「二條の御城番」京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある二条城(但し、朝廷側は「二条亭」と呼称)の城番。寛永二(一六二五)年に管理と警衛のために二条城代と二条在番が設置されている。直前に「三年め」とあるから、少なくともこの最初の時制は大坂城番が設置された元和七(一六二一)年の翌年より前には遡れないことが判る。

「くだんの熊野うらにつきけるが、をりふし、風あしかりけるゆへ」これは偶然ではない。この悪しき風自体が既にして、鱶の変化(へんげ)の執心のそれに基づくものであることを、読者は知らねばならぬ。それがホラーを正統に味わう醍醐味であるからである。

「とうりうしけるひま」逗留しける暇。

「八まんをいわひたる宮あり」「八幡を祀(いは)ひたる」。歴史的仮名遣は誤り。

「さんけい」「參詣」。

「繪馬(ゑむま)」絵馬(えま)。

「その矢に八幡大菩薩と朱にて書きつけをきたるにて、しやうことせり」「しやうこ」は「證據」。名立たる弓の名人は必ず自分の矢に人物を特定し得る名や特定のマークを書き込み、論功行賞の際の証拠とした(時にはそれが謀殺や仇討の証左ともあった)。

「といければ」「問ひければ」。歴史的仮名遣は誤り。

「舟につきて」舟に付きまとっては。

「ゐころし」「射殺(いころ)し」。歴史的仮名遣は誤り。

「ふかののどくびにたち」「鱶の咽喉頸に立ち」。

「うたがいもなき」「疑ひもなき」。歴史的仮名遣は誤り。

「したがへ給ふ也」「從へ」。「征服、調伏なさったものである!」。

「ふかのかしら」「鱶の頭」。

とを、繪馬にかけ申す」

「そげのたちたる」「そげ」「削げ・殺げ」で「ささくれ・棘」の意。ここはサメの干乾びた皮の鱗のそれか、或いは白骨化のサメの歯の先であろうか。

「はれ」「腫れ」。

「一疊じきほどにはれて」畳一枚分ほどにまで腫れ上がって。ちょっとグロというより、ヤリ過ぎてリアルさを削ぐ感あり。]

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