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2016/11/14

谷の響 三の卷 八 異魚

 

 八 異魚

 

 文政の年間(ころ)、下舞村の仁三郎といへる漁夫、一條の沙魚(さめ)を窠得(すくひ)たり。その沙魚長さ七尺餘、狀象(かたち)は平素(つね)の沙魚にさせる異(かはり)はなけれども皮はいとことにして、滿體(みうち)不殘(みな)徑(わたり)一寸はかりより六七分までの菊文あり。その色赤・靑・黃・綠(もえぎ)などの數色變りて最(いと)美しく、花形も亦ひとしからで、殊に隆(たか)く起れる處は四分ばかりもありしなり。仁三郎奇(めつ)らしきものとして皮を剝き乾して置しに、村の長なる人こはいと珍しく復あるものと思はれねば、御上へ獻るべしとありしかば、實にさる事とて公厨(おだいどころ)に奉りしに、代料として金二百疋賜はりしとなり。こは己が父なる人親しく見たりしとて語りしなり。

 又、文政十一年のころ、蟹田村の沖中(をき)より網せるとて希しき沙魚を魚市に送れり。その沙魚長さ四尺餘、形狀猫鮫と言に似て滿身(みうち)悉(みな)七八分より一寸五六分まての刺(とげ)あり。その端(さき)するどくして鐡針(はり)をうゑたるごとく、さわる時は必ず傷けらる。色灰黑(うすくろ)なれど每(つね)の鮫より淡し。鰭の刺(とげ)はことに長く三寸餘りなるが、誰も名を知るものなければ、時の識者(ものしり)あるは本草家に示(み)すれども號(なづく)る人なくしてやみしとなり。こは魚の荷を賣る岡田屋傳五郎といへるもの語りしなり。

 又、この年の四月中旬、蓬田村の洋(うみ)より四間ばかりの長のカトザメ【方言也、漢名不詳】一頭(ひとつ)あがり、こをきりて四方へ送るに三十駄あまりありしとぞ。こも傳五郎の話なり。因(ちなみ)にいふ、鮫の子といふもの體全備(そなは)れば親魚の口より出でて水の中を游ぎ、勞(つか)るゝときは又口より入りて肚中に籠れるとなり。鱮(たなご)といふ魚は體備りて口より産ることは沙魚のごとしといへり。

 又、天保二卯の年、己れ金井ケ澤村の庄五郎といへる裡(うち)に投宿(とま)れるとき、その村の岸藏といへるもの罔(あみ)して一片の異(あや)しき魚を獲れり。その形㒵(かたち)鱝(えい)にひとしく、徑(わたり)三尺ばかりにして厚さ三四寸もあるべく、へり次第次第に薄(うす)かるが背も腹も俱に蒼白く、鱗なくして肌皮(かは)いとひかりさなから漆に塗れるが如く、眼は吻(くちはし)の腋に並び口は肚の下に裂け齒牙はみな鋸に似て上下に連り、吻の上より尾に至り赤黑き縱文(たてかた)二條ありて、この文(かた)の間はしのきなるが、その中心に大小の角刺(とげ)數十本並次(ならび)て尾に連接(つづけ)り。さてこのもの背を張起し肉鰭をしぼめて地上を匍匐(はらばひ)まわり、物もてこれにふるればこうこうと聲を發(たて)て、角刺(とげ)を搖發(うこか)していといかれるかたちありき。土(ところ)の老父(としより)も何たるものといふを知らず。岸藏希代のものとし、乾鯫になさんと鯝(はらわた)を去り檐下(のき)にかけ置きしが、折から六月の炎熱に蒸殺(むさ)れて壞腐(くさり)たる故棄てたりと言へり。この他己が眼にふれたる異(あやしき)魚いといと多かりし。そは二々(つぎつぎ)にあぐべければ玆に略しぬ。

 

[やぶちゃん注:「文政」一八一八年~一八三〇年。

「下舞村」既出既注であるが、再掲する。底本の森山泰太郎氏の補註に『北津軽郡小泊村下前(したまへ)。津軽半島の西側に突き出た権現崎の南岸にある漁村』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。見るからに、なんか、とんでもないものが獲れそうな場所やで。

「沙魚(さめ)」「鮫」。

「七尺餘」二メートル十二センチ越え。

「ことにして」「異にして」。

「滿體(みうち)」二字へのルビ。

「徑(わたり)一寸はかりより六七分」「はかり」はママ。「ばかり」。直径三センチのものから、一・八から二・一センチほどまで。

「殊に隆(たか)く起れる處は四分ばかりもありしなり」「四分」は一センチ二ミリ。隆起する「菊文」の頂上部は体表から有意に高く突き出ていることが判る。これ、その菊花紋の「色」が「赤・靑・黃・綠(もえぎ)など」多彩であること、また、その「花形も」色彩が多様であるのと同じく等しくない、というところが同定を困らせるところである。その隆起部が棘状になっていて危険だとかいう記載がなく、「沙魚」=鮫と称しながら、獰猛さを一切叙述していないところを見ると、これは私は特異な鱗を持つ、条鰭綱軟質亜綱チョウザメ目チョウザメ科チョウザメ亜科チョウザメ属 Acipenser の仲間で、本邦の北海道や東北近海で現在でも漁獲されることがある本邦固有種ミカドチョウザメ Acipencer mikadoi(北海道では昭和初期まで遡上が確認されている)、或いは近年本邦での棲息が確認されたチョウザメ亜科ダウリア属ダウリアチョウザメ Huso dauricus ではあるまいか? この皮が刀剣類の鞘皮「菊綴(きくとじ)」として重宝されたことで知られる。石橋孝夫氏の論文「北海道チョウザメの博物誌1遺跡,地名,絵図,民具からみた北海道のチョウザメの記録(PDF)を参照されたい。時に、何とも、お恥ずかし乍ら、この論文には、私のブログ記事「チョウザメのこと」引かれているではないか!! うへえええっつえ!!!

「復」「また」。二つと。

「獻るべし」「たてまつる」べし。

「實に」「げに」。

「公厨(おだいどころ)」弘前(津軽)藩庁の大膳部。

「己が父なる人」「己が」は「わが」で平尾の実父。

「文政十一年」一八二八年。

「蟹田村」現在の東津軽郡外ヶ浜町の蟹田地区周辺。この附近(グーグル・マップ・データ)。

「沖中(をき)」二字へのルビ。

「希しき」「めづらしき」。

「長さ四尺餘」全長一・二メートル。真正のサメとしては大きくない。

「猫鮫」御存知、軟骨魚綱板鰓亜綱ネコザメ目ネコザメ科ネコザメ属ネコザメ Heterodontus japonicus

「言に」「いふに」。

「七八分より一寸五六分」二~二・四センチメートルから四十五・四五~四十八・四八センチメートル。

「鐡針(はり)」二字へのルビ。

「三寸」九センチメートル。総身針だらけの怪魚とくれば、凡そ、硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区刺鰭上目フグ目フグ亜目ハリセンボン科ハリセンボン属ハリセンボン Diodon holocanthus しか頭に浮かばぬが、問題はハリセンボン科のハリセンボン類は熱帯から温帯の分布で、この陸奥湾内まで北上するというのは通常は考えられない点である。しかし、明らかに毒針を持つその他の魚ではこう(全身針だらけ)は描写しないし、そうした外傷を引き起こす有毒針を持つ危険な毒魚類ならば必ず漁師の中で見知った者がいて当然で、名指すことが出来るはずである。にも拘わらず、「誰も名を知るものな」く、「時の識者(ものしり)あるは本草家に示(み)すれども號(なづく)る人なく」て不詳の怪魚として処理されたというのだから、寧ろ、これは、津軽の漁民も、津軽の本草家も現認したことがない南方性のハリセンボンだからこそ、という気がしてこないでもないのである。但し、その場合、実は廻船の水主(かこ)が本州南方でたまたま捕獲し、船内の生簀か何かに入れて津軽まで飼い持ちきたったそれを、漁師の網にこっそり投げ込んだというようなお話を拵える必要があるかも知れぬ。ともかくも識者の御教授を乞うものである。

「蓬田村」底本の森山氏の補註に『東津軽郡蓬田(よもぎた)村。蟹田町の南に隣接する村。陸奥湾に面するが農村的立地条件をもっている』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「四間」七メートル二十七センチ。これは巨大個体である。

「長」「たけ」。

「カトザメ【方言也、漢名不詳】」これは軟骨魚綱板鰓亜綱ネズミザメ目ネズミザメ科ネズミザメ属ネズミザメ Lamna ditropis でも、破格の超大型個体である(普通は最大でも全長三メートル余りで体重百七十五キログラムである)。同種は正式に人間を襲った記録はないものの、巨大で力が強く獰猛なサメのグループに属する種ではある。ウィキの「ネズミザメ」によれば、鼠鮫には地方によっていくつかの別名があって、『モウカザメ(毛鹿鮫)は東北地方でよく使われる名称で、マフカザメ(真鱶鮫)が訛ったものだといわれる。マダイ(真鯛)やマアジ(真鯵)などを見ても分かるように、魚名に「マ(真)」がつくものは「代表種」の意味合いを持っており、東北地方の代表的なフカ(サメのこと)であることからマフカの名が付けられたのであろう。実際、東北はネズミザメの水揚量が多い』。『カドザメ(カトザメ・カトウザメとも)の由来にはいくつかの説があり、渾然一体としている。「カド」がニシンの地方名であり、これを捕食することからというもの。また「カド」はカツオの地方名でもあり、やはりこれを捕食することからというもの。これらとは別にネズミザメ漁を初めて行った江戸時代の漁師、加藤音吉の名から来ているという説もある。一部の地方ではカトザメがアオザメを表すこともある』と記す。最後に出たネズミザメ科アオザメ属アオザメ Isurus oxyrinchus は最大長が四メートルを超え、暖海性乍らも分布域から見ると、陸奥湾に出現してもおかしくはないとは言える。土地の漁師がどちらを指していたものか。土地の識者の御教授を乞うものである。

「三十駄」「駄」は「だ」で助数詞。馬一頭に負わせる荷物の量を一駄とし、その数量を数えるのに用いた。江戸時代には三十六貫(約百三十五キロ)を定量としたから、これ、貴機械的に計算すると、実に四トンになるが、そこまで計算を合わせて驚く必要はあるまい。

「鮫の子といふもの體全備(そなは)れば親魚の口より出でて水の中を游ぎ、勞(つか)るゝときは又口より入りて肚中に籠れるとなり。鱮(たなご)といふ魚は體備りて口より産ることは沙魚のごとしといへり」叙述内容に疑問はある(口腔内で稚魚保護するという箇所。実際にそういう鮫の一種の生態を映像で見たことがあるようには思うが、これらの種ではない。また当時の漁民がそうしたものを現認していたというのも疑わしい)が、先のネズミザメ科 Lamnidae の魚類の特性は卵胎生にあり、ここで「鱮(たなご)」(これは淡水産の条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科タナゴ亜科タナゴタナゴ Acheilognathus melanogaster ではなく、条鰭綱棘鰭上目スズキ目ウミタナゴ科ウミタナゴ属ウミタナゴ亜種ウミタナゴ Ditrema temmincki temmincki を指すと私は考える)を出し、ウミタナゴの卵胎生であること添えて説明しているのは、卵からではなく、母魚から仔魚がその小さな形のままに生まれることの不思議さを漁師らが知っていたこと(これは漁の最中に現認出来る)、そこから口中で保育するというイメージを想像したとして、これは、実に腑に落ちるのである。

「天保二卯の年」同年は辛卯(かのとう)。一八三一年。

「金井ケ澤村」底本の森山氏の補註に『西津軽部深浦町北金ケ沢(きたかねがさわ)。日本海に面した漁村』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「罔(あみ)」「網」。

「一片」「ひとひら」と訓じておく。

「形㒵(かたち)」二字へのルビ。

「鱝(えい)」軟骨魚綱板鰓亜綱エイ上目 Batoidea のエイの仲間。

「徑(わたり)三尺」直径九〇・九センチメートル。円盤状の平たいエイの謂いとしては腑に落ちる。

「厚さ三四寸」九~十二センチメートル。先の体幅のエイの体高としては頷ける。以下の叙述の形状・色からはアカエイ(軟骨魚綱板鰓亜綱トビエイ目アカエイ科アカエイ属アカエイ Dasyatis akajei かと思うたのであるが、背中上の「中心に大小の角刺(とげ)數十本並次(ならび)て尾に」続いているとか、「土(ところ)の老父(としより)も何たるものといふを知らず」、「岸藏」も「希代のものとし」たところからはどうもアカエイではないように見える。アカエイは北海道南部から東南アジアまで広汎に棲息し、漁師にはかなりポピュラーな魚であるからである。しかし、これ、私にはアカエイ以外にはどうしても同定出来ないのだが? 識者の御教授を乞うものである。なお、ウィキの「アカエイ」によれば、『体表はほとんど滑らかだが、背中の正中線付近には小さな棘が並び、尾に続く。尾は細長くしなやかな鞭状で、背面に短い棘が列を成して並ぶ。さらに中ほどには』数センチから十センチメートルにも及ぶ長い棘が一、二本『近接して並ぶ。この長い棘には毒腺があり、刺されると激痛に襲われる。数週間も痛みが続いたり、アレルギー体質の人はアナフィラキシーショックにより死亡することもある。棘には鋸歯状の「返し」もあり、一度刺さると抜き難い。刺されたらまず毒を絞り、患部を水または湯で洗い流した後、早急に病院で治療を受ける必要がある。生体を扱う際は、尾を鞭のように払って刺そうとするので充分注意しなければならない。生体が死んでも毒は消えないため、死体を扱う際にも尾には注意が必要である』とある。

「鱗なくして」老婆心乍ら、サメ・エイ類は皮膚表面は平滑で鱗がないように見えるだけで、顕微鏡学的なレベルの数ミリメートルの鱗がちゃんとびっしりとある。

「さなから」「宛(さなが)ら」。

「肚」「はら」。

「しのき」「鎬(しのぎ)」。一般には刀剣や鏃などの刃の背に沿って小高くなっている部分を指すが、ここは所謂、背中線上の隆起を指す。

「並次(ならび)て」二字へのルビ。「中心に大小の角刺(とげ)數十本尾に

「連接(つづけ)り」二字へのルビ。

「さてこのもの」「さて此の物」。

「背を張起し」「せをはりおこし」。

「肉鰭」「にくひれ」と訓じておく。

「角刺(とげ)」二字へのルビ。

「搖發(うこか)して」二字へのルビ。ママ。「動かして」。

「いかれる」「怒れる」。

「乾鯫」「鯫」は「小さな」の謂いがあるので、干し乾びさせて縮ませたもの、「ひもの」と当て読みしておく。

「檐下(のき)」二字へのルビ。

「蒸殺(むさ)れて壞腐(くさり)たる」孰れも二字へのルビ。

「故」「ゆゑ」。]

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