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2016/11/04

諸國百物語卷之四 十五 猫また伊藤源六が女ばうにばけたる事

    十五 猫また伊藤源六が女ばうにばけたる事


Nekomata

 奧州しのぶの郡(こほり)に伊藤源六とて廿(はたち)ばかりなる人、有りしが、よろづにきようにて、心やさしき人なりければ、あなたこなたより、むこにとらんとて、いひいれける。同國なにがしのむすめ、かたちよしと聞きてよびむかへ、ひよくのちぎり、あさからざりしが、此むすめ、かりそめにわづらひつきて、つゐに、はかなくなりにけり。源六もふかくなげき、あさゆふ、妻の事のみ、おもひこがれ、とぢこもつて、ほかへもいでず。友だちに竹口兵衞と云ふものありしが、源六がいたみをとぶらひに、ある日、行きてへやにいり、しばし物がたりしてかへりしが、源六がありさま、なにとやらん心がゝりにみへければ、ひそかに親をまねきよせ、

「源六のありさま、なにとも、ふしんにそんするあいだ、夜な夜なのやうす、心かけて見給へ」

といへば、親たち、その夜、ねやちかく、しのびゐてきゝければ、夜ふけ、人しづまりてのち、たれともしらず、女のこゑにて、むつましき物がたりするをと、しける。親、おどろき、夜あけて、兵衞をよびよせ、くだんの物がたりしければ、さてこそ、とて、源六を、なにとなく、親もとへよびよせ、さかもりなどして夜をあかさせ、兵衞は源六がねやへいり、事のやうすを見とゞけんと、まちゐける所に、あんのごとく、夜ふけ、人しづまつて、いづくともなく、女、きたりて、むつましげなるこゑにて、

「われこそ、まいりたり」

といふ。兵衞、よぎ引きかぶり、ふしゐければ、かの女、云ふやう、

「なにとてこよひは物をもをゝせられぬぞ。おそく參り候ふを御うらみましますか。さはる事ありて、こよひはおそなわり候ふ」

と、いろいろ、くどき事をいひて、よぎひきあけ、はいらんとするをみれば、口は、みゝぎわまでさけ、角はへたるかほにて、まゆずみ、くろく、べにをしろいにて、けしやうし、ひたいのかゝりなりふりは、源六が女ばうに、すこしもたがわず。兵衞、

「心へたり」

と云ふまゝに、とつておさへ、二刀(ふたがたな)さし、うへをしたへとくみあひけるおとにて、人々、おりあひ、火をとぼし來たるに、兵衞、ちからをえて、つゐにくみとめ、つづけさまにさしとをし、よくよくみれば、としひさしくかひたる猫也。此よし、源六にかたりければ、源六おどろき、

「さるにても、かの女ばう、むなしくなりて七日めにきたりて、『われ、ゑんま王のたすけにて、よみがへり候へども、百日があいだは、たれにもしらすべからずと、ゑんまわうの仰をかうむり候ふ。そのうちはしのびしのびに、まいるべし。かまへて人にもらし給ふな』といひしゆへ、今までは、つゝみゐ申したり。さては、猫またにてありけるよ。あやうきいのちをたすかる事、ひとへに兵衞のかげ也」

とて、よろこびけると也。

 

[やぶちゃん注:挿絵の右上のキャプションは「ねこまた女はうにはける事」。

「猫また」「猫又」「猫股」などと表記される猫の妖怪化したもの。ウィキの「猫又」より引く。『大別して山の中にいる獣といわれるものと、人家で飼われているネコが年老いて化けるといわれるものの』二種があるとする。『中国では日本より古く隋時代には「猫鬼(びょうき)」「金花猫」といった怪猫の話が伝えられていたが、日本においては鎌倉時代前期の藤原定家による』「明月記」に、天福元(一二三三)年八月二日、『南都(現・奈良県)で「猫胯」が一晩で数人の人間を食い殺したと記述がある。これが、猫又が文献上に登場した初見とされており、猫又は山中の獣として語られていた』。但し、この「明月記」の実録の『猫又は容姿について「目はネコのごとく、体は大きい犬のようだった」と記されていることから、ネコの化け物かどうかを疑問視する声もあり』、『人間が「猫跨病」という病気に苦しんだという記述があるため、狂犬病にかかった獣がその実体との解釈もある』(私も全くその通りに認識している。因みに、狂犬病は猫にも普通に感染することはあまり知られているとは思わない。犬のワクチン接種を義務付けておいて、猫にほっかむりするのはすこぶる非科学的である)。また、鎌倉後期の「徒然草」にも『「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなると人の言ひけるに……」と記されている』ことも教科書に出て、よく知られている。江戸期の怪談集「宿直草」や本「諸國百物語」がかなりの採話をしている「曾呂利物語」でも、『猫又は山奥に潜んでいるものとされ、深山で人間に化けて現れた猫又の話があり』、『民間伝承においても山間部の猫又の話は多い』(本話柄もそうしたロケーションに見えるが、実は、そうではない。本話の猫又は伊藤家が永年買い続けた猫の変化(へんげ)である)。『山中の猫又は後世の文献になるほど大型化する傾向にあり』、貞享二(一六八五)年(年)の「新著聞集」で『紀伊国山中で捕えられた猫又はイノシシほどの大きさとあり』、安永四(一七七五)年の「倭訓栞(わくんのしおり)」では、『猫又の鳴き声が山中に響き渡ったと記述されていることから、ライオンやヒョウほどの大きさだったと見られている』。文化六(一八〇九)年の「寓意草」で『犬をくわえていたという猫又は全長』九尺五寸(約二・八メートル)とかなり巨大である。『越中国(現・富山県)で猫又が人々を食い殺したといわれる猫又山、会津(現・福島県)で猫又が人間に化けて人をたぶらかしたという猫魔ヶ岳のように、猫又伝説がそのまま山の名となっている場合もある』。『猫又山については民間伝承のみならず、実際に山中に大きなネコが住みついていて人間を襲ったものとも見られている』。『一方で、同じく鎌倉時代成立の』「古今著聞集」の『観教法印の話では、嵯峨の山荘で飼われていた唐猫が秘蔵の守り刀をくわえて逃げ出し、人が追ったがそのまま姿をくらましたと伝え、この飼い猫を魔物が化けていたものと残したが』、同期末期の「徒然草」では『これもまた猫又とし、山にすむ猫又の他に、飼い猫も年を経ると化けて人を食ったりさらったりするようになると語っている』。『江戸時代以降には、人家で飼われているネコが年老いて猫又に化けるという考えが一般化し、前述のように山にいる猫又は、そうした老いたネコが家から山に移り住んだものとも解釈されるようになった。そのために、ネコを長い年月にわたって飼うものではないという俗信も、日本各地に生まれるようになった』。江戸中期の有職(ゆうそく)家伊勢貞丈の「安斎随筆」には『「数歳のネコは尾が二股になり、猫またという妖怪となる」という記述が見られる。また江戸中期の学者である新井白石も「老いたネコは『猫股』となって人を惑わす」と述べており、老いたネコが猫又となることは常識的に考えられ、江戸当時の瓦版などでもこうしたネコの怪異が報じられていた』。『一般に、猫又の「又」は尾が二又に分かれていることが語源といわれるが、民俗学的な観点からこれを疑問視し、ネコが年を重ねて化けることから、重複の意味である「また」と見る説や、前述のようにかつて山中の獣と考えられていたことから、サルのように山中の木々の間を自在に行き来するとの意味で、サルを意味する「爰(また)」を語源とする説もある』。『老いたネコの背の皮が剥けて後ろに垂れ下がり、尾が増えたり分かれているように見えることが由来との説もある』。『ネコはその眼光や不思議な習性により、古来から魔性のものと考えられ、葬儀の場で死者をよみがえらせたり、ネコを殺すと』七代祟るなどと(今でも)『恐れられており、そうした俗信が背景となって猫又の伝説が生まれたものと考えられている』。『また、ネコと死者にまつわる俗信は、肉食性のネコが腐臭を嗅ぎわける能力に長け、死体に近づく習性があったためと考えられており、こうした俗信がもとで、死者の亡骸を奪う妖怪・火車と猫又が同一視されることもある』。『また、日本のネコの妖怪として知られているものに化け猫があるが、猫又もネコが化けた妖怪に違いないため、猫又と化け猫はしばしば混同される』。『江戸時代には図鑑様式の妖怪絵巻が多く制作されており、猫又はそれらの絵巻でしばしば妖怪画の題材になって』おり、元文二(一七三七)年刊の知られた「百怪図巻」などでは、『人間女性の身なりをしなた猫又が三味線を奏でている姿が描かれているが、江戸時代当時は三味線の素材に雌のネコの皮が多く用いられていたため』(あまり理解されていないので言っておくと、現在の高級な三味線でもやはり猫の皮が使用されている(安い物は豚皮であるが、音が各段に異なる)、『猫又は三味線を奏でて同族を哀れむ歌を歌っている』、『もしくは一種の皮肉などと解釈されている』。『芸者の服装をしているのは、かつて芸者がネコと呼ばれたことと関連しているとの見方もある』。また、安永五(一七七六)年刊の画図百鬼夜行では、『向かって左に障子から顔を出したネコ、向かって右には頭に手ぬぐいを乗せて縁側に手をついたネコ、中央には同じく手ぬぐいをかぶって』後ろ足で直立する『ネコが描かれており、それぞれ、普通のネコ、年季がたりないために』二本足で『立つことが困難なネコ、さらに年を経て完全に』直立歩行が出来た『ネコとして、普通のネコが年とともに猫又へ変化していく過程を描いたとものとも見られている』(以上の二図はリンク先で見られる)とある。

「伊藤源六」「竹口兵衞」孰れも不詳。

「奧州しのぶの郡(こほり)」奥州信夫郡。現在の福島県北部北限の、福島市の大部分に相当する。

「よろづにきようにて」「萬に器用にて」。一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の脚注に『学問、才智にすぐれている事』とある。

「むこ」「聟」。入り婿ではなく、婿として嫁がせたいの意。

「いひいれける」「言ひ入れける」。多くの縁談の話が持ち込まれたという。

「ひよくのちぎり、あさからざりしが」「比翼の契り、淺からざりしが」。

「かりそめにわづらひつきて」「假初に患ひつきて」。ちょっとしたことから病いを得て、それが、みるみる重くなり。

「ふかくなげき」「深く歎き」。

「あさゆふ」「朝夕」。

「おもひこがれ、とぢこもつて、ほかへもいでず」「思ひ焦がれ、閉ぢ籠つて、外へも出でず」。

「源六がいたみをとぶらひに」「源六が悼みを弔(とぶら)ひに」。

「ふしんにそんするあいだ」「不審に存す(=ず)る間」。

「心かけて見給へ」「よくよくお心懸けの上(注意をなさって)、観察なされませ。」。

「ねやちかく」「閨近く」。

「しのびゐてきゝければ」「忍び居て聽きければ」。

「むつましき物がたりするをと」「睦まし(=じ)き物語する聲(おと)」。「をと」(「音」であるが、漢字は「聲(声)」とした)は歴史的仮名遣の誤り。

「さてこそ」「不審に思うた通り! やはり!」。

「親もとへよびよせ」親の部屋へと呼び寄せておき。

「さかもりなどして夜をあかさせ」「酒盛りなどして夜を明かさせ」。

「兵衞は源六がねやへいり」兵衛が源六の閨へ入って、源六になりすまし。

「あんのごとく」「案の如く」。

「むつましげなるこゑにて」「睦まじ氣なる聲にて」。

「よぎ引きかぶり、ふしゐければ」なりすましを見破られぬように「夜着引き被り、臥し居ければ」。

「なにとてこよひは物をもをゝせられぬぞ」「何とて今宵は物をも仰せられぬぞ?」。

「さはる事」「障ること」。ちょっとした支障のあって。

「こよひはおそなわり候ふ」「今宵は遅なはり候ふ」。歴史的仮名遣は誤り。「遅なはる」で自動詞ラ行四段活用。「遅くなる・遅れる」の意。

「くどき事」なだめるような思わせぶりの訴えの言葉。

「よぎひきあけ、はいらんとするをみれば」「夜着、引き開け、入らんとするを見れば」。

「口は、みゝぎわまでさけ、角はへたるかほにて」「口は、耳際まで裂け、角、生えたる貌(かほ)にて」。ここまでが変化(へんげ)の物であることの現認部。源六には、精神的に弱った心に妖力を以って影響が与えられ、このおぞましい部分が見えなかったのである。

「まゆずみ、くろく、べにをしろいにて、けしやうし、ひたいのかゝりなりふりは、源六が女ばうに、すこしもたがわず」「眉墨(=黛)、黑く、紅白粉(おしろひ)にて、化粧し、額(ひたひ)の懸(かか)形振(なりふ)りは、源六が(死せる)女房に、少しも違はず」(複数の歴史的仮名遣の誤りがある)以上は幻術による幻視の様態部。なお、この「額の懸り」とは「若き女の和毛(にこげ)のある額の髪の髪の生え際の辺りの若やかな様子」或いは単に「整えた前髪のさま」の意であって、若い読者のために言っておくと、前髪が額に懸っているわけではない(そんな束髪は当時の若妻は絶対にしない)ので注意されたい。「かかり」という古語には、視認対象の持つ雰囲気・構え・風情・趣きの意がある。

「心へたり」「こころえたり」。歴史的仮名遣は誤り。これは応答の「分かった」ではなく、「変化(へんげ)のもの! 見切ったり!」という言上げである。

「と云ふまゝに」と叫ぶや否や。

「とつておさへ」「捕つて押さへ」。

「うへをしたへとくみあひけるおとにて」「上を下へと組み合ひける音にて」。

「おりあひ」これは「居り合ふ」で「をりあふ」が正しいであろう。「加勢のためにそこに出張って居合わす」の謂いだからである。

「火をとぼし來たるに」「火を點(とぼ)し來たるに」。火を点(とも)して来たって呉れたによって。

「ちからをえて」「力を得て」。まずはその明かりの合力(ごうりょく)によって暗闇での格闘の難儀が解消されたことを指す。

「つゐにくみとめ」「遂(つひ)に組み止め」。歴史的仮名遣は誤り。

「つづけさまにさしとをし」「續け樣に刺し通(とほ)し」歴史的仮名遣は誤り。

「としひさしくかひたる猫也」「年久しく飼ひたる猫なり」。

「源六にかたりければ、源六おどろき、

「ゑんま王」地獄の「閻魔王」。

「仰」「おほせ」。

「そのうちは」その百日が間は。

「しのびしのびに」ごくごくこっそりと。

「かまへて」「構へて」。呼応の副詞。禁止表現を伴って、「決して~するな」の意。

「つゝみゐ申したり」「包み居申したり」。あくまで包み隠しおりました。

「あやうきいのちをたすかる事」「危うき命を助かること」。]

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