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2016/11/10

佐野花子「芥川龍之介の思い出」 附やぶちゃん注 (六)~その6 / 佐野花子「芥川龍之介の思い出」~了

 もっとも私は私の所持しているこの話題を田中純氏によって小説化されたことがございます。氏は「二本のステッキ」という題で、昭和三十一年二月「小説新潮」誌上に発表され、芥川の「知られざる一面」として興味を呼びました。ついで同誌三月号において、十返肇氏は「文壇クローズアップ」の欄に、「芥川への疑惑」と題して次のように書いています。

[やぶちゃん注:「二本のステッキ」既に注した田中純の実名小説(「芥川龍之介」は本名で登場、佐野花子の娘と山田芳子と思しい『一人娘』『山口靖子』なる女性が、その母が晩年に書き残して置いたノート』を『私』送付してくるという設定(母は『昨年の春、老いのために廢人同樣の身となつた』と『靖子』は記す)「二本のステッキ」(昭和三一(一九五六)年二月発行の『小説新潮』初出)である。私は既にブログ記事『芥川龍之介の幻の「佐野さん」についての一考察 最終章』でも取り上げているが、私はそこで、以下のように述べた(一部の表記を変えた)。

   *

 佐野花子はこの小説発表後の昭和三六(一九六一)年八月二十六日に六十六歳で亡くなっている。

 佐野花子は何故「老いのために廃人同様の身となつた」という屈辱的な言辞を受け入れているのか。そもそも、この叙述から佐野花子は「二本のステッキ」を少なくともしっかりした見当識のある中で読み、またその次号に載った評論も理解し、後に(同作品の発表から彼女の死去までは五年ある)それらを自作の「芥川龍之介の思い出」の末尾に自身の記述の素材として組み入れることも出来たのである。それは「廃人同様の身」では、できない。いや、自身が「月光の女」であることを自認し、それが世間に知られないことへの焦燥を隠さず、また「澄江堂遺珠」の女性暗示を自分自身に引き付けないではいられなかった彼女が、何故、「老いのために廃人同様の身となつた」という屈辱的虚偽を問題にしないのか

 それが小説だから? そうではない。「二本のステッキ」の告白体部分は、客観的に見れば現行の佐野花子「芥川龍之介の思い出」の出来の悪い覗き見趣味の圧縮版である

 田中純自身は前書で「その追憶の甘さ、叙述のくだくだしさとははじめのうち多少私を退屈させた」とするが、彼の小説の方が臨場感も、山場も、ぶつ切りで、すこぶる退屈である。何より、この小説は、山口靖子の求めたような「どうして芥川が父母に對してあんな仕打ちをしたのか、その理由が自分たちには判らないけれども、その頃の芥川と親しい交遊があり、且また文學者の心理にも通じている筈の」田中純によって、「何かの解釋を」、少しも下されてはいないのである。これは、告白体の直前で田中がいくら「從つてこの一篇の文章は全部作者たる私にあることを斷つて置く」と言っても、それは読者にとっては完全に無効なのだ。この「二本にステッキ」は作者田中純が小説という前提で書いたとしても、佐野花子にとっては紛れもない『佐野花子の告白』なのである

 佐野花子は、既に、この「芥川龍之介の思い出」のプロトタイプである「芥川樣の思い出」(写真版で見る原ノートの題名)を『小説の形にしてまず書き残してもみ』たと述べている。田中の手に渡ったのは、そうした小説化されたもの、もしくはそれも含んだもろもろの覚書(そこには小説的虚構の覚書さえも含まれる)であったと思われる。それが、彼女の思い通りのストーリーで田中純によってさらに虚構化されたのである。ところが、それは「二本のステッキ」の前書を無視すれば、佐野花子の私小説そのものなのである。

 結論を言おう。この「二本のステッキ」を佐野花子は『小説』として読んでいない

 

佐野花子の原小説「芥川樣の思い出」

   ↓

田中純「二本のステッキ」

   ↓

抽出された「二本のステッキ」内の佐野花子『芥川樣の思い出』

   ↓

佐野花子の体験錯誤

 

佐野花子自身によって実録として認識されたこの佐野花子「芥川龍之介の思い出」

 

へと至り、それが強固に彼女の意識に定着してしまったのであると僕は思う。これは精神医学的には、閉じられた系の中でかなり強固に事実とは異なる対象を事実と誤認して改めることが難しい心因反応の一種と言える。それを病的なものととるかどうかどうかは、留保する(そもそも私は正常/異常・健常/病的といった区別は単なる「文化」が秩序を維持するために産み出した境目のはっきりしない、それこそ「架空」の「妄想」に近い「強引な」線引きに過ぎぬと考える人間だからである)。敢えて、精神障害の候補を挙げるとすれば、現在の最新の世界的な精神障害の診断マニュアルであるDSMDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の診断と統計学的マニュアル)-IV-TRに拠るならば、旧来の「偏執病」の範疇に相当する、

妄想性パーソナリティ障害(paranoid personality disorder

妄想性障害における被害妄想タイプ(persecutory type

或いは、統合失調症のサブ・タイプとしての、

妄想型統合失調症 (paranoid schizophrenia

が挙げられるかも知れぬ。しかし、花子の思い込みはある極めて特定の部分

(狭義には「佐野さん」という架空作品の存在とその全回収と書誌上の完全抹消、及び、芥川龍之介の海軍機関学校へのその幻の「佐野さん」発表行為への謝罪行動。但し、これらには夫佐野慶造の台詞が絡んでおり、その被害妄想の内部では辻褄が合うように構成されている点では極めて良く出来ており、特異であると言える。所謂、狭義の精神医学上の「妄想」所見の多くは、花子の話の中にたまに出現する時制齟齬のような単純なものは除くと(こうした記憶違いは我々の日常にも頻繁に見られるからそもそもがそれを異常とすることは出来ない。それをし出すと、ほら! あなたも〈妄想だらけの狂人〉のレッテルを即座に貼られますよ!)内部でも明らかに奇体な矛盾が露呈していることが多いが、それが花子の場合には殆んど認められないのである)

だけに限られており、それらを隔離して全体の叙述を見ると、書記法も花子の意識も感情も平均して実に穏やかであり、異様な亢奮や論理矛盾を示している部分は殆んど見られない。従って、私はこれは「強い思い込み」、「被害妄想様のその周縁」を花子は彷徨しているに過ぎないと考えるのである無論、それを強迫神経症やノイローゼの副次的症状をする方もいるであろうが、ともかくも私は、彼女を精神医学的に、閉鎖された系に於いて高高次な偏執妄想を強固に構築した(ゲーデルの不確定性原理によれば、そうした系にあっては系の中の矛盾を認識することは出来ないとされる)病者であり、社会的学術的に「異常な発言による無効で無意味な叙述」と断じ、「隔離し」「葬り去る」らねばならぬような必要性を全く以って感じないのである。

   *

則ち、田中純の小説「二本のステッキ」は佐野花子の中の夫慶造を救助し、芥川龍之介の中に創られた「月光の女」という女性像の一人は自分であるという意識的主張(私はそれを基本、肯定する人間である。但し、「意識的」と条件したのには自ずと「無意識」の別な願望、則ち、花子の中の慶造や龍之介に対する依存的願望、所謂、「シンデレラ・コンプレックス(Cinderella complex)」の存在を私は強く感じているのである)を公にするという切なる希い精神をなお、再三言うが、来年二〇一七年一月一日午前零時零分を以って田中純の著作権が切れるので、来年早々には、このブログで「二本のステッキ」の全電子化をしようと考えている。なお、これもクドいが、TPP関連法案が本年中に承認されても、著作権延長はそれでは出来ない。何故なら(私も関連条文を厳密に理解しているとは言い難いが)、著作権延長は〈TPPが日本に於いて《発効》した日を以って変更される〉と規定されているからである。勘違いしてはいけないのは、TPPは複数の国の協定であり、その《発効》と、日本の国会でのTPP承認可決は自ずと違うものなのである。

『「十返肇氏は「文壇クローズアップ」の欄に、「芥川への疑惑」と題して次のように書いています』十返肇(とがえり はじめ 大正三(一九一四)年~昭和三八(一九六三)年)は香川県出身の文芸評論家。この「芥川への疑惑」の原文を私は読んでいないし、所持もしていないが、佐野花子の以下の引用は、宇野浩二の「芥川龍之介」の引用がほぼ正確であることから考えても、問題のない正しい引用と信じてよいと思われる。]

 「前月号のこの欄で、芥川の出生問題が、近ごろ話題を呈していることを報告しておいたが、同じ号に掲載されている田中純『二本のステッキ』もまた、芥川の実生活についての一つの興味ある事実を紹介している。本誌の読者は既に読まれたと思うから、ここにあらためて、その梗概を紹介することは省略するが、おそらく、芥川が横須賀海軍機関学校時代に同僚の人妻に、ある程度、感情を動かせたというのは事実であろうと思う。

 この人妻は、芥川が、なぜ、突然、良人を戯画化し、自分たち夫婦に絶交を宣言するようになったかが理解できずに悩んでいるが、この『二本のステッキ』から、それを解く能力は私にもない。

 ただ、ここで感じられることは、芥川が、或いはこの夫に嫉妬をかんじ、それを克服するために、そういう文章を書いたのではなかろうかということである。しかし、事実、それは大した問題ではない。

 ただ、私には、文学に理解もなにもない海軍機関学佼教官たちの前で、その一文ゆえに謝罪しなければならなかった芥川龍之介の痛ましさが、ひしひしと感じられるのである。ここに生活に極端に臆病なために、新進作家となりながら、なお、教官勤めを止めなかった芥川の悲しい姿がある。すまじきものは宮仕え、と芥川もおもったに違いない。

 私は芥川が、新進作家となり、文筆一本で生活しようとすればしえたにもかかわらず、この教官生活をやめなかったという事実に、つねに大きい不満を感じている。この点、谷崎潤一郎の生き方に私はたのもしい強さをいつも感ずる。『二本のステッキ』のなかに、谷崎潤一郎と論争して、芥川がへトヘトになったことが書いてある。そして『谷崎は偉い。僕をこんなにへトヘトにするのだから』と芥川がいうところがあるが、おそらく芥川の本音であろう。

 この論争は、今日読みかえしてみて、その論旨の当否は措くとして、文章の中にみなぎっている気魄において、自己の文学的主張にたいする自信において、芥川の方が完全に敗北しているという印象が強い。芥川は、谷崎との論争で、あんなにも『ヘトヘトになっている』が、おそらく谷崎の方では、そのことで、いささかも疲労を感じてはいなかったであろうことが、はっきりと想像されるのである。

 それにしても、さいきん芥川龍之介について、また芥川家について、つぎつぎに、さまざまな新事実がこのように紹介されるのは、芥川というひとが性格的に、いかに多くの苦しみをただひとりで耐えてきたかを痛感させるのである。芥川はハダカになることを極度に嫌ったひとである。

 その芥川が、死後三十年のちの今日、かくも多くの人々によって、その実生活をあばかれねばならぬとは――私は、なんとも痛ましい気持をおぼえないわけにはゆかない。

 芥川が、どのような私生活をしていようとも、その文学の価値にいかなる関係もない。しかし、芥川の文学を理解するために、その私生活の実相がわかることは望ましい。しかし、それがたんなる好奇心によってなされるのでは、文学理解のためにも多く役立つとはいえない。ただ一篇の読物的興味によって、芥川の私生活を曝露してはならない。曝露する側にも、芥川が、傷ついたと同じように傷つくべきものがあるのでなければ意味は低いものとなるであろう。

 私は、実名小説を全面的に否定するものではない。しかし、実名小説も小説として成立してこそ意義はある。それは作者の側にあえて世に訴えたい問題がある場合にのみ許されることであるまいか」

[やぶちゃん注:まず、この評を花子は誰から教えて貰ったのであろう。自分の原作の小説が載ったのだから、或いは翌月号でその評が載るかも知れない、と感ずるのは自然だから、彼女自身が見つけたとしてもよい。或いは、原作ノートを提供した娘の山田芳子さんが見つけて母に見せたというのも首肯出来る。反して、あり得ないと私が思うのは、資料提供を受けて実名小説を書いて、稿料を貰った田中純自身が知らせた可能性である。何故か? 私のこのブログの多くの読者は気づいていると思うが、この十返肇の評は、暗に、いうより、かなり明白に、芥川龍之介の実名を用い、彼のプライベートな女性関係を興味本位で暴露したスキャンダル小説の体裁でこれを書いた作者田中純を批判しているからである。十返は「芥川が、どのような私生活をしていようとも、その文学の価値にいかなる関係もない。しかし、芥川の文学を理解するために、その私生活の実相がわかることは望ましい。しかし、それがたんなる好奇心によってなされるのでは、文学理解のためにも多く役立つとはいえない。ただ一篇の読物的興味によって、芥川の私生活を曝露してはならない。曝露する側にも、芥川が、傷ついたと同じように傷つくべきものがあるのでなければ意味は低いものとなるであろう」。「私は、実名小説を全面的に否定するものではない。しかし、実名小説も小説として成立してこそ意義はある。それは作者の側にあえて世に訴えたい問題がある場合にのみ許されることであるまいか」と言う。十返は田中純の実名小説「二本のステッキ」は「たんなる好奇心によってなされ」た、「文学理解のため」でも何でもない、「ただ一篇の読物的興味によっ」た、スキャンダラスに「芥川の私生活を曝露し」た文学的小説的価値のすこぶる低いものであり、こうした実名小説を書く小説家はその「曝露する側にも、芥川が、傷ついたと同じように傷つくべきものがあるのでなければ」ならず、そうしたのっぴきならない覚悟を以って作家が書いたのでない限り、文学的「意味は低い」、殆んどない「ものとなる」と指弾しているからである。田中純がそれを読めなかったはずはない(読めなかったとしたら、これはもう、小説家以前に、人間として最早、失格である)。自分の小説を皮肉に批評しているものを原作提供者に伝えるはずがないからである。以下、次注に続ける。]

と結んでおります。右の文の中で私が心をひかれ、そして私が言いたいところは、終わりの方の「作者の側にあえて世に訴えたい」問題があることと、少し前のところの「芥川が傷ついたと同じように傷つくべきものがあるのでなければ」というところにございます。

[やぶちゃん注:さても、おわかり戴けたであろうか。ここで佐野花子は、何と、十返の田中への痛烈な「二本のステッキ」の根底に関わる実名小説の是非に関わる批判を、批判として読むことなく、自分の個人的な凝り固まった意識の中にそれを引き込み、さらにそれを

――「私が」その批評に強く「心をひかれ」たのは

――しかも「私が」十返氏以上に声を大にして「言いたいところは」、その批評が述べているところの、『「作者の側にあえて世に訴えたい」問題があること』と、『「芥川が傷ついたと同じように傷つくべきものがあるのでなければ」というところに』こそある

と変容・換骨奪胎しているのある。より正確に言うならば、十返が田中を指弾するために突き出した太刀をにっこり笑って奪い取り、それを融解して読者に向かう際の強力な鎧に仕立て直したと言ってもよい。但し、花子に好意的に考えるならば、これはこれで、原作提供をした花子にしてみれば、当然の謂いとは言える(それを「奇襲戦略」と言うと、花子は十返の皮肉に気づいていることになるが、私はそれは、ないと断言出来る)。

 しかし、それ以上に驚きの問題点がここにはあるのである。それは、

 

――実はここで花子は田中純の小説「二本のステッキ」は、自分が核心の資料を提供した以上、花子が書いたものと全く等価である《これは私の作物である!》と読み換えている点

 

である。でなくて、どうして『私が言いたいところは、終わりの方の「作者の側にあえて世に訴えたい」問題があることと、少し前のところの「芥川が傷ついたと同じように傷つくべきものがあるのでなければ」というところ』だと胸を張って言えようか。佐野花子はここで、

 

――私の(原作である)芥川龍之介の実名を用いた小説「二本のステッキ」には私佐野花子が『「あえて世に訴えたい」問題があ』り、そうして「芥川が傷ついたと同じように傷つ」いた人物がいた、私佐野花子及び最愛の夫慶造がそれであるのに、それを今まで誰一人として理解してくれてこなかったし、今もいない、これはすこぶる不当極まりないことである! だから! 私は胸を張ってそれを読者に訴えずにはおられないのです!

 

と叫んでいるのでいるのである!

 

「芥川の出生問題が、近ごろ話題を呈していることを報告しておいた」現物(前号)を見ることが出来ないので確かなことは言えぬが、これはこの記事が載ったのが、昭和三一(一九五六)年三月発行の『小説新潮』だとすれば、これは前年の『東京新聞』(昭和三〇(一九五五)年十月六日附)で『芥川龍之介出生の謎判る、小穴隆一氏が近く公表「母親は橫尾その、實家新原牧場の女中」という記事(記事名は翰林書房「芥川龍之介新辞典」の「家族の回想」に拠った)、及び翌年一月三十一日(クレジット上は本記事の一ヶ月ほど前)に中央公論社から刊行された芥川龍之介の盟友で画家の小穴隆一著「二つの繪」の中の、「橫尾龍之助」のことを指していると判断してよい。これは龍之介葬儀の日に妻文が棺桶に差し入れた龍之介の臍の緒を入れた袋に「橫尾龍之助」と書いてあったという驚天動地の話である。そう、その姓は「芥川」でも「新原」でもない「橫尾」であり、しかも名前も「龍之介」でなく彼が誤って「助」で送られてきた手は開封しなかったとさえ伝えられる(これはどうも嘘っぽいが)ほど毛嫌いとされる「龍之助」であったというのである。なお、これは昭和三〇(一九五五)年十二月発行の『文藝春秋』で、小穴の単行本刊行前に、芥川龍之介の長男比呂志が「父龍之介出生の謎――『新事実』は事実ではない――」によって否定しており、現在、研究者の間で問題にされることは、まず、ない(この単発の小穴証言以外には立証者や賛同者はなく、それを証明する物件も存在せず、可能性はないとは言えない但し、龍之介の実母新原敏三の女性好きは事実であり、私は龍之介の実母フクの精神疾患の原因はその辺りに求められると考えているが限りなくゼロであろうとは私も考えてはいる)。なお、来年二〇一七年一月一日午前零時零分を以って小穴隆一の著作権が切れるので、来年早々には、このブログで「二枚の繪」を全電子化をしようと考えている。

「そういう文章」本作の「佐野さん」であるが、田中純の小説「二本のステッキ」では「Sさん」となっている。十返は、この芥川龍之介の「Sさん」という文章が実在するものとして書いていることは疑いがない。検証もせずに、である。これでよく、文芸評論家を名のれるな、と私は思う。

「ただ、私には、文学に理解もなにもない海軍機関学佼教官たちの前で、その一文ゆえに謝罪しなければならなかった芥川龍之介の痛ましさが、ひしひしと感じられる」十返は、幻の「Sさん」同様、現在、その事実が確認されていないこの事件をも、事実としてあったと安易に無批判に断定して書いている。お目出度い奴である。

「ここに生活に極端に臆病なために、新進作家となりながら、なお、教官勤めを止めなかった芥川の悲しい姿がある。すまじきものは宮仕え、と芥川もおもったに違いない」「私は芥川が、新進作家となり、文筆一本で生活しようとすればしえたにもかかわらず、この教官生活をやめなかったという事実に、つねに大きい不満を感じている」「生活に極端に臆病なために」という謂いが、完全に小説家一本で立っていうことの経済的な不安ということならば、まあ、正しいとは言える。芥川龍之介は養家芥川家の父母と伯母フキそして妻文らを、たった一人で「河童」の中に出てくる河童の一家の男のように、支えなければならなかったからである(但し、それは晩年に近づくにつれ、その擁護すべき対象は三人の子や親族へとますます拡大していった)。しかしこの十返の言い方は、私には生理的に不快極まりないものであると言い添えておく。すまじきものは寄生虫の如き評論家、と応えておくこととする。

「『二本のステッキ』のなかに、谷崎潤一郎と論争して、芥川がへトヘトになったことが書いてある。そして『谷崎は偉い。僕をこんなにへトヘトにするのだから』と芥川がいうところがあるが、おそらく芥川の本音であろう」「この論争は、今日読みかえしてみて、その論旨の当否は措くとして、文章の中にみなぎっている気魄において、自己の文学的主張にたいする自信において、芥川の方が完全に敗北しているという印象が強い。芥川は、谷崎との論争で、あんなにも『ヘトヘトになっている』が、おそらく谷崎の方では、そのことで、いささかも疲労を感じてはいなかったであろうことが、はっきりと想像されるのである」「㈢」で指摘した通り、この部分は全く時代的が合わない(十返は明確にこれを龍之介自死の年の三月以降の〈筋のない小説〉論争ととっている。この齟齬は芥川龍之介好きの高校生にでも判ることである)。それにさえ、気づいていない十返は、世間で言われるような〈文壇事情通〉だとは、凡そ、私には思われない。谷崎通であった自分を自慢して、見当違いの誤りに気づかない十返の、救い難い阿呆部分である。]

 私は作家を友人に持った素人の男として、夫がどのように傷ついたかを訴え、そして私がそれによって、淡々しくも、激しくも愛され、いかにおぼおぼとした光の中に、一人立たされるかを書き残せばよいのでございました。天下の芥川を庇う文学者はございましても、善良な夫を庇うのは妻の私よりほかには無いのでございました。

[やぶちゃん注:「おぼおぼ」副詞。朧げなさま、ほんのりとしたさまを意味する、平安以来の古語である。歌人であった花子らしい用法である。]

 思えば芥川さんは私の才能については庇い認めて下さったものでした。

 「教官夫人の中で僕と話の合うのは、佐野夫人だけですよ」

という具合に。また、芥川さんが退官され、ご帰京後、「新潮」でしたか「文芸春秋」でしたかに、

 「或る、会社で芥川が初めて会った城夏子という閨秀歌人に、翌日、著書を贈って、「昨夜は楽しかった。あなたが、僕の非常に好む或る女性に似ていられたから」

 

 という手紙が出ていたそうでした。皆が、それは一たい誰だと騒ぎましたところ、

 「夏目先生の二番目のお嬢さんではないかなあ」

ぐらいで終わったとのことです。真実、それが誰であるのか、芥川さんしかご存知ないわけですが、夫は、

 「芥川君は、どうも、お前のことを、いつまでも忘れられないようだね。それは有難いけれど、そのため心持ちが乱れて、あんな、ひどい文章を書いたりしてさ」

 などと申しておりました。人の好い夫のことを思うにつけて、いろいろと追憶が生まれて参ります。どうしたものでございましょう。とにかく、長々と書きつらね、疲れたように思います。永の眠りも遠からぬことと思います。

[やぶちゃん注:『「或る、……』以下の鈎括弧はママ。『或る、会社で……という手紙が出ていた』とするか、或いは、冒頭のこの鈎括弧を除去すべきでろう。

「城夏子」(じょう なつこ 明治三五(一九〇二)年~平成七(一九九五)年)は作家。和歌山県出身。本名は福島静。和歌山県立高等女学校卒。在学中から少女小説を書き、大正一三(一九二四)年に「薔薇の小径」を刊行。『女人藝術』『婦人戦線』などに小説を発表した。戦後は少女小説や童話を書いている(以上はウィキの「城夏子」に拠った)。芥川龍之介と同年であるが、芥川龍之介とこの女性が関わりがあったとこは、私は寡聞にして知らぬ。私の所持する芥川龍之介関連書の複数の人名リストを見ても彼女の名はない。芥川龍之介の現在の著作物や書簡にも彼女の名は載らない。ここで佐野花子が述べる『新潮』」或いは『文芸春秋』の城自身の記事(としか思えぬ)も不詳である。識者の御教授を是非、乞うものである。

「僕の非常に好む或る女性」言わずもがな、花子は――百%――私佐野花子ことだ――と言うのである。「歌人」というところがミソだろう。現行では城夏子を「閨秀歌人」とはしないし、女学校時代から小説を書いて発表している女性を私は「閨秀歌人」とは言わないと思う(少なくとも私は絶対に言わない)。寧ろ、花子は自身をそのような歌人として意識していたと断言出来る。だからこの城夏子という女が、自分に似ているというのが許し難いのである。

「夏目先生の二番目のお嬢さん」とすれば、夏目恒子で明治三四(一九〇一)年一月二十六日生まれ。芥川龍之介より九歳年下。彼女の事蹟は私自身、よく知らない。芥川龍之介の文章には彼女について言及したものはないと考えられ、また、親しい接点もないと思われる。

 

 さて。

 それにしても城夏子への芥川龍之介の手紙の一件……これ……花子がわざわざ、それも、本作のまさに大事なコーダの部分に書くぐらいだからね、よほど、花子は口惜しかったのだろうなぁ…………

 

えっ?

 

「誰に対してか」だって?!

芥川龍之介が歯の浮くような文句を言った芥川龍之介に、じゃないよ!

この城夏子という歌人に対してに決まってるじゃないか!

 

あれあれ……

あなたは、まだ、気がつかんのかね?……

 

佐野花子は、まさに、強烈な愛憎半ばするアンビバレントな意識の中にいるんだよ!

 

――佐野花子は、誠実であったにも拘らず、芥川龍之介が自分を愛したが故、それだけのために、あの「おぞましき龍之介」から憎まれた亡き最愛の夫佐野慶造の魂を鎮めんがため、復権させんがためという強い意識的願望

 

とは裏腹に、

 

――佐野花子は実は――「自分は確かに芥川龍之介に愛されたのです!」――「自死の最後まで、否、死してなお、芥川龍之介は私を愛しているのです!」――「彼の理想の女性たる『月光の女』に最もダブる私佐野花子を、です!」――と呼ばわっているのである! 今現在も!

 

これは謂わば佐野花子の〈信仰に近い確信〉である。

そうでないなら、あなたは一体、最後に掲げられている、捧げられている次の詩を、誰へ向けたものとして読むというのか!?!

 

――そこで花子は聖母マリアとなり

――慶造も龍之介も一体となった赤子キリストを優しく抱いているのである…………

 

以上を以って私の注は終わりとする。最後の十二行詩は佐野花子の畢生の絶唱である。それは評を拒絶する美しさを持っている。

……この詩……私はとっても好きです。花子さん…………

 

  君に語らん術もがな

  涙と過ぎし幾年は

  絵巻となりて浮びくる

  老いて病む身の昨日今日

  悲しき君がまぼろしよ

  空のいづくにおはすやと

  窓辺によりて仰ぎ見ぬ

  此の大空の遙けさや

  命はかなく消えん時

  君に見えんうれしさよ

  若かりし日のつれなさよ

  空のはてにて相逢はむ      (完)

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