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2016/11/28

谷の響 四の卷 十五 半男女

 

 十五 半男女

 

 文政八九年の頃のよし、弘前の禪寺正光寺に納所して居たる者、元は松前の生れの由にて二十一二の年なるが、顏貌(かたち)みにくからず又言葉つき立居ふるまひ婦女子(をみな)とひとしかれば、世の人これを半男女と評して交合したるものもまゝありとの風説なり。さるに、己が知れる成田某と言ひし人、これも二十一二の若盛りの頃にて隣松寺に納所して有し時なれば、この者をためし見んといろいろ心を盡して、つひに交合(まじは)ることを得たりき。そのさま女子に替ることなく、又彼も感ずるは常にことならず。しかるにこの陰處はきんの下肛門の上にありて、さねなきまでなり。又陰莖も尋常なれど、おこることよわければ女子に交合ることなりがたしと言へり。又肛門には穴なくたゞ形のみ有るから、大便はこの陰處より出るといへり。その後一兩年すぎて古郷へ反りしが、いと氣味わろきものなりと此成田が語りしなり。

 

[やぶちゃん注:「半男女」古典的には「ふたなり(二形)」や「はにわり(半月)」などと呼称したから、これもそう訓じている可能性があるが、平尾の風雅な当て和訓に馴染んでくると、私は「なからなんによ」と読みたくはなる(但し、世間でかく呼んでいたとなるとそれでは長過ぎる感もある。実は南方熊楠の「鳥を食うて王になった話」(大正一〇(一九二一)年から翌年の『現代』連載)で「二 半男女」と章を設け、こうしたヘルマフロディトス(半陰陽。後述)を詳述しているのであるが、その「半男女」に熊楠は「ふたなり」とルビしている。呼称の謂い易さから考えて、ここもやはり、そう読むのが無難であろう)。

 さて、これは医学的には先天性の生殖器奇形で、男女両性の生殖器を持つ「半陰陽(Hermaphroditism)」のように一見、見えるのであるが、しかし、観察上の叙述を読むと、どうも私は違うのではないかと強く感じるのである。

 この青年は、その「陰處」(これも私は敢えて「ほと」(女性器の古称)と訓じたい。音読みではどうも陰湿でお洒落な響きでないからである)「は」、「きん」(金玉=睾丸)の下」(後部)にあって、さらにその後ろに「肛門」(実はらしき場所・痕跡)があるとし、「さね」(陰核=クリトリス)は存在しない「までなり」(様態を成す)とある。確かに実際の「半陰陽」では実際、睾丸のすぐ後ろに女性器が続いているケースがかなり多く見られる。

 しかし、これ、実は彼の「陰處」(ほと)は陰核も陰唇も陰毛も全く描写されておらず(あるのは、彼との性交中の体感は女性との性交の感じと全く変わらなかったということ、彼も女性のようにエクスタシーを感じているように見えたという、必ずしも「冷静」ではない観察的報告だけである)、女性生殖器の陰門の形状というよりは、これ、〈単なる穴〉である。

 さらに前面には「陰莖も尋常」についているとする(但し、「おこることよわければ」(勃起しても、極めて弱いために)女性との性交渉は成立し難い、コイツスは不可能であると附記している)。

 問題は実はその後の部分であって、また、「肛門には穴」が「なく」、「たゞ」、「形のみ有る」とあることである。これは――通常の肛門のある臀部の位置は、凹んだようになっているだけで、肛門が全く開口しておらず、肛門の形成が途中で停止したような感じの痕(あと)のようなものあるだけである――という意味でしか私には採れない。そうして、これは肛門が何らかの事態によって閉塞してしまった痕だというのではなくて、生まれつき、肛門が開孔していないと読むべき箇所である。

 しかも次の部分では、肛門が開いていないために、「大便はこの陰處」(ほと)「より出ると」本人自身が言った、という事実が示されるのである(この告白は若衆道(但し、この場合は一見、特異であるが)の関係性から見ても、真実を語っていると考えてよい)。

 彼は満で二十か二十一で、それまでそうした形で大便の排泄を普通に行ってきており、何らの異常を生じていないとするならば、この一見、女性器に見える開口部こそが、本来の肛門部からずれて生じた先天的な肛門形成異常と読む方が自然であるように私には思われる。半陰陽の女性器に直腸が繋がってしまっている状態で、二十年もの間、何らの感染症や不具合が起こらなかった(大便には多数の有害細菌が含まれるから、半陰陽の女性器部分から大便の排泄が行われ続ければ、そこが何らかの病変を起こす可能性が高いと私は考えるからである)というのは私にはちょっと不審だからである(但し、次の「十六 肛門不開」の第一事例の娘(成人してコイツス経験有り)は小便も大便もともに性器(その叙述に従うなら「前陰」で狭義の「膣」或いはその前方部分であるが、どうもこれは本人が関係を持った男に語ったとする噂話で、いわば。典型的常套的なアーバン・レジェンド(都市伝説)の構造を持っており、やや怪しいものである)から出るとし、第二例は生まれた男児に肛門がなく、陰茎から大便を排泄したとし、人工的に肛門を開いても二、三日ですぐ塞がってしまったとある。但し、この男児は生後二年目に亡くなっている。当然であろう)。私は医師ではないから、大方の識者の御叱正を俟つものではあるが、これは「鎖肛(さこう)」或いは「直腸肛門奇形」と呼ぶ先天性疾患の一つで、「日本小児外科学会」公式サイト内のタイトル「鎖肛(直腸肛門奇形)」を見ると(総てのページでリンクも引用も事前連絡を要求しているのでリンクも直引用も行わない。タイトルで検索されたい。図もあって分かり易い)、思ったよりも発生頻度は高く、新生児の数千人に一人位の割合で発生し、消化管に関わる先天性異常の中では最も多い疾患であり、生後約一ヶ月までの新生児期に緊急手術も必要になる病気とする。直腸や肛門は胎児初期に於いては膀胱等の泌尿器系と繋がって一つの「腔」を形成しているが、妊娠二ヶ月半頃までにそれぞれが各器官に分化して発育形成されるが、この発生途中で異常が生じると、男児の場合、直腸と膀胱や尿道との間に繋がった通路(瘻孔(ろうこう))が生じることがあるとあり、このケース(私が想定した通り、この青年が「半陰陽」ではなく、男性であった場合)とほぼ合致するように私には読めるのである。

「文政八九年」西暦一八二五、一八二六年。

「正光寺」底本の森山氏の補註によれば、『弘前市西茂森町。曹洞宗松種山正光寺。文禄元年創建、慶長年間』、『弘前に移る』とある。現在は弘前市西茂森(にししげもり)。寺はここ(グーグル・マップ・データ)。現在でも西茂森地区は寺院が非常に多い。

「納所」「なつしよ(なっしょ)」。ここは狭義の、禅寺に於いて金銭などの収支を扱う部署・部屋、或いはそうした会計実務を担当した僧侶を指す。

「松前」現在の北海道南部の渡島総合振興局管内にある渡島半島南西部の松前町(ちょう)。

「顏貌(かたち)」「かほかたち」。

「婦女子(をみな)」三字へのルビ。

「己が」「わが」。

「成田某」「二の卷 十四 蟇の妖魅」の話の登場人物と同一のような気がする。あれも尼僧との交接で猥褻絡みであったからである(但し、その尼僧は何と蟇蛙の化けたものだったというオチがつく)。

「隣松寺」底本の森山氏の補註によれば、『弘前市西茂森町、曹洞宗幡竜山隣松寺。由来不詳なるも』、『慶長年間』、『弘前に移り、末寺八ケ寺を支配した。津軽四代藩主信政の生母を葬り、寺領百石を寄付した』とある。現在は同じく弘前市西茂森(にししげもり)で、ここ(グーグル・マップ・データ)。]

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