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2016/11/15

おまけ 滑稽無聲映畫「形のない國」の梗概   尾形龜之助

 

    おまけ 滑稽無聲映畫「形のない國」の梗概

 

 形のない國がありました。飛行機のやうなものに乘つて國の端を見つけに行つても、途中から歸つて來た人達が歸つて來るだけで、何處までも行つた人達は永久に歸つては來ないのでした。勿論この國にも大勢の博士がゐましたから、どの方向を見ても見えないところまで廣いのだからこの國は圓形だと主張する一派や、その反對派がありました。反對派の博士達は三角形であると言ふのでしたが、なんだか無理のありさうな三角説よりも圓形説の方がいくぶん常識的でもあり「どつちを見ても見えないところまで云云……」などといふ證明法などがあるので、どつちかといふと圓形だといふ方が一般からは重くみられてゐました。圓にしても三角にしても面積をあらはさうとしてはゐるのですが、確かな測量をしたのではないのですからあてにはなりませんでした。或る時、この二つの派のどちらにもふくまれてゐない博士の一人が、突然氣球に乘つて出來るだけ高く登つて下の方を寫眞に寫して降りて來てずいぶん大きなセンセイシヨンを起しましたが、間もなく、その寫眞に寫つた馬のやうな形は國ではなく、雲が寫つたのではないかといふ疑問が起りました。そこでひきつゞいて圓形派の博士達に依つて同じ方法で試めされましたが、今度は尾の方が體よりも大きい狐の襟卷のやうなものが寫つてゐました。三角派だつてじつとはしてはゐませんでした。やはり同じ方法で寫眞を寫して降りて來たのですが、寫つてゐる棒のやうなものが寫眞の乾板の兩端からはみ出してゐたので、どうにもなりませんでした。

 又、これも失敗に終つたのでしたが、大砲の彈丸に目もりをした長い長いこれ位ひ長ければ國の端にとゞいても餘るだろうと誰もが思つたほど長いテイプを結びつけて打つた博士がありました。が、まだいくらでもテイプが殘つていたのに大砲の彈丸は八里ばかり先の原つぱに落ちてゐたのでした。これはあまり馬鹿げているといふので、新聞の漫畫になつて出たりしたので、眞面目なその博士は「これからです」と訪問した新聞記者に一言して、靑い顏をして第一囘の距離をノートに書きとめて更にそのところから第二囘の彈丸を打ちました。この博士は同じことをくりかへして進んで行つてしまつたのです。始めのうちは通信などもあつたのですが、次第にはその消息さへ絶えてしまつて、博士が第一囘の發砲をしてから五年も經過した頃は、街の人達は未だにその博士が發砲をつゞけながら前進してゐることを忘れてしまひました。氣の毒なのはこの博士ばかりではないのですが、出發が出發なだけに困つた氣持になつてしまひます。[やぶちゃん字注:「位ひ」はママ。]

 又、かうした現實派の他に無限大などと言ふ神祕主義の博士達のゐたことも事實でした。この博士達は時間などは度外視してゐたのでせう。雜誌や新聞の紙面に線なんかを引いたりして、測り知れないほどの面積であつても決して無限ではないとかあるとか、實に盛んな論爭を幾百年つゞけてきたことであらう。又、一ケ年の小麥の總收穫から割り出して國の廣さを測り出さうとしたアマチアもありましたが、計算の途中で麥畑でない地面もあるのに氣がついて中止しました。勿論汽車などもすでにあつたのですが、創設以來しきりなしに先へ先へと敷設してゐても、その先がどの位ひあるのかは博士達のそれと同じやうに全くはてしないばかりでなく、最初に出て行つたその汽車は今では何處へ行つても見られないやうな舊式な機關車なので、未だにそれが先へ先へと進んでゐることを思ふと、どう判斷していゝのかわからなくなるのです。それに、レールの幅が昔の三倍にもなつてしまつてゐるのですから、もし最初の人達がひきかへして來ることになつて又幾百年かかるのはいゝとしても、何處かでレールの幅が合はなくなつてゐるにきまつてゐることが心配です。[やぶちゃん字注:「幾百年つゞけてきたことであらう」の末尾の常体表現はママ。「しきりなしに」(「ひつきりなしに」の意であろう。「仕切り」とは読めない)及び「位ひ」はママ。]

 そこには海もありしたがつて港もあるのですが、海は陸よりもゝつとたよりない成績しかあがりませんでした。どうしてこんな國が出來てしまつたかは大昔にさかのぼらなければなりません。大昔といつてもただの大昔ではなく一番の大昔なのです。千年以上も前なのか二萬年も以前のことなのかわからないのです。その大昔に、何處か或る所に一人の王樣がゐて、だんだんに年寄になつて、三人か四人の王子達もすつかり大人になつてゐたのです。そこで、一日王樣は王子達を集めてそのうちから誰かを一人の世嗣に定めることになりました。背の高さをはかつてみたり、足の大きさを較らべてみたりしてみましたが、それでは誰にきめてよいのか王樣にはわかりませんでした。で、一人々々に「お前はどんな王國が欲しいか」と問ひますと、百までしか數を知つてゐなかつた王子は「百里の百倍ある國が欲しい」その次の王子は「百里の百倍ある國の千倍欲しい」などと答へたのですが、豆ほどの小いさな圓を床に畫いて「この外側全部欲しい」と答へた王子とはとても匹敵しませんでした。王樣もその答へにはすつかり感心してしまつて、すぐ世嗣はその王子と決定したのです。その頃は貯金などといふものが流行して、圓そのものに一日いくら月幾分などと錢が少しづつ子を生むやうに利子がついたものです。で、その利子の殖えるのをうれしがつて錢を舐めてみたり利子が異數に加算される方法を發明したり、大勢の人達の貯金を上手に利用したりする社會があつたのです。その王子が最もよくばつてゐたといふので世嗣に選ばれたことは言ふまでもないことです。全く、錢のない人達こそいゝ面の皮だつたのです。いくら働らいても、働らけば働くほどもらつた賃金では足らぬほど腹が空くやうな仕掛に、うまく仕組まれてゐたのですからたまりません。それとは知らずに働らけば暮らしが樂になると思ひこんでゐた人達が大部分だつたのです。そんなわけですから、何も仕事をしないものは「なまけもの」と言はれて輕べつされたり、錢がなければ食へないなどという規則みたいなものさへあつたのです。

 新らしい王樣が位についたときは勿論大變なさわぎだつたのです。旗も立てたしアーチなども作つてその下を通るやうにし、花火もたくさんあげたのです。「正しい數千年の歷史」なのですから、實にたくさんの祭日や記念日があり老王の退位の日もちやんと旗を立てゝ、來年からも同じ日に旗をたてることになつたことは勿論です。王樣は、盜られてはいけないといふので立派な鐵砲や劍をもたした兵隊を國境へ守備に出しましたが、何處まで行つても國境がないのですから、これが如何に大變なことであつたかは、先に述べた博士達のことででもわかる筈です。しかし、新しい王樣が少しでも國を減らさうなどとは思ひもよらなかつたことだけは、それから幾千年かの後そのまゝの廣さの國を博士達が測量しやうとしたことででもわかるのです。後から後からとひつきりなしに國境へ送られた兵隊達は二度と再び歸つては來ませんでした。何處で暮らすのも一生と考へ、かへつてせいせいしていゝと思つた兵隊も中にはゐたのでせうが、住みなれた街から再び歸らぬ旅に出るのですから、別れにくい心殘りもあつたことはあつたのでせう。

 時間が經つてその王樣も死に、その次の王樣も死にました。そして、その次の王樣も死んでしまつたことはあたりまへのことです。百年も千年もの間には次々の何人もの王樣が死んだし、王樣でない人達だつて死んだり生れたりしたのです。初めの頃はほんの二三人の大臣が王樣のそばにゐたのでしたが、だんだんにその數が多くなつて「時計大臣」「紙屑大臣」などといふものまであるやうになつてしまつたので、數百人といふ大臣が王樣の仕事の補佐をするやうになつたのです。

 時計大臣といふのは、自分の時計とちがつた時計を持つてゐる者から見つけ次第に罰金を取つたり時計をたくさん持つてゐるものに勳章を呉れたり、屆けをしないで時計を止めてゐるものを罰したり、街の時計を正確に直して步いたりするのが役目なのです。時には、金の時計は胸ポケツト銀のは胴ポケツト銅のはずぼんポケツト、それから鐵のは足首へなどといふ法律を定めたりもするのでした。又時計の定價をそれぞれ大きさや金屬によつてきめなければならない重要な役もあるのですから時計會社の重い役にも就いてゐなければなりませんでした。紙屑大臣といふのは、主として紙屑やさんの取締りが役目なのです。が自分で屑拾ひに出ることもあるのです。このほかに「鼻糞大臣」これは鼻糞を亂棒に取つては衞生的でないといふので出來た大臣ですが、このほか色々の大臣がゐるのでした。つまらない大臣もあつたもんだと思ふでせうが、「紙屑大臣」だつて「鼻糞大臣」だつて高い位であるばかりではなく、金があつてもつてがなければなれないし、つてだけあつても金がなければどうにもならないのですから、なりたいと思ひながらなれずにゐるうちに死んでしまふ人達だつてたくさんにゐたわけです。こんな風にして、王樣自身ですることがなくなつてしまひましたが、王樣がなければ大臣もないわけなのですからそこはぬけ目のない人達は、よつてたかつて王樣は人ではなく、神樣だといふことにしてしまひました。大臣達は、自分の思ふまゝの世の中をつくり上げると、今度はそれを保護しなければならない立場になりました。そこで色々な特種な法律をたくさんつくつて、足らなければその時に應じて又いくらでもつくることにしました。又、大臣の世襲といふことも問題になつたのでしたが、あまりよくない大臣はもつとよい大臣になつてからそれをきめた方が都合がよいと思つてゐたのでまとまらずにしまひました。

 それから、又、永い時間が經つて、さうした世の中が絶頂にゆきつくと、そこから又變な世の中の方へ動きかけました。「働らかなければ食へない」といふ男の前で「それはこのことなのか」と、餓死自殺をしてしまつてみせるのがゐるかと思ふと、「大臣」の間に黨派が出來て別々に異つた名稱をつけてゐたり、一部の人達が過飮過食を思想的にも避けるやうになると、たちまちそれが流行になつてしまつたり、さうかと思ふと本を讀むほど馬鹿げたことはない、今までは金を出して本を買はされるばかりではなくその内容まで讀まされてゐたのだが、これは向ふで讀者へ讀んでもらうつぐなひとして渡す金高をわれわれが今まで仕拂つてゐたあの「定價」といふところへ刷られてゐなければ噓だ。そのほかに四五日分の日當さへ出してもらはなければならないものにさへ、われわれはうつかりして自分の方から金を出して買つてゐたのだ――といふことがすばらしい人氣を呼んで本が一册も賣れなくなつたり、電車の行つたり來たりするのを見てゐた二人の子供の一人が「朝の一番最始の電車はどつちから先に來るんだ」と言つたことに端を發して、朝に就ては世の學者誰一人として何も知らなかつたことを暴露してしまつたり、最低價額の下宿住ひの或る男が、そこの賄ひだけで死なずに十分生きてゆける筈なのに、時折りカフエーなどに出入してビールやトンカツを食ふといふことが、どういふわけのことであるのかといふことになつて、結局は熱心な學者に依つて生きたまゝ解剖されて腦と胃袋がアルコール漬の標本になつてしまつた等々々――のさうした狀態もそのまゝずいぶん永くつゞくだけはつゞいたのです。[やぶちゃん注:「讀んでもらう」の「もらう」はママ。]

 そして、何時の間にか電車の數が住居者の人口より多くなつてゐたり、警官の數が警官でない者の五倍にもなつてゐるのにびつくりして、最善の方法としてそのまゝに二つのものゝ位置をとりかへたりするやうなことを幾度かくりかへした頃には、人達はてんでに疲れてしまつたのです。そして、あの大砲を打ちながら消息を絶つてしまつたりした博士達のゐた頃からでさへすでに數へきれないほどの時間が經過してしまつてゐるのに、まだこれから來る時間が無限だと聞かされた人達は何がなんだかまるでわからなくなりました。

 一方、何時の頃からか國の形も次第にわかり廣さもわかつて彩色した立派な地圖も出來、その國のほかにもまだたくさんの異つた國のあることを知ると、王樣や大臣達は自分の國がさう廣いやうには思はれなくなりましたが、その綺麗な地圖の中に何一つ自分のものを持つてゐない人達はそれに何らの興味もないばかりでなく、地圖の中の一里四方といふ面積が何を標準にしてきめた廣さなのか更にけんとうもつかないのでありました。王樣や大臣達は彼らが面積とは何であるか知らないのに驚きました。[やぶちゃん字注:「けんとう」はママ。]

 

[やぶちゃん注:本詩篇を以って詩集「障子のある家」の詩篇本文は終わる。なお、尾形龜之助の詩には別に無形国へという一篇がある(リンク先は私の八年前のブログでの電子テクスト。尾形龜之助拾遺詩集 附やぶちゃん注にも採録してある。但し、孰れも本底本を用いた新字版である)。]

 

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